私は「自然権」というものが信用できない。
自然権とは、人間が生まれながらに持つ権利であり、人間の本性と切り離せない普遍的な価値のことである。
人権を自然権だとみなす考え方もその一例だ。たとえば
人権は人間が生まれながらにもつ普遍的な権利であるから、政治や国家はこれを守るべく存在しないといけない。
と言われたりする。
これは人間の自然状態と法を同一視する考え方である。この二つが同じものならば、人間の本性は善良でなくてはいけなくなる。
つまり「自然は道徳である」という考え方に通じるものがある。
だから、ウィルソンやピンカーの社会生物学が「殺戮や強姦は人間の自然な指向である」と言う時に激しい反発を招くのも、自然と法を区別しない自然権の考え方にその原因があるように思える。
このような、人間の本性は理性的かつ道徳的であり、政治や法はそんな人間の自然な傾向を守るものである、という考え方が「近代立憲主義」と呼ばれるものであるらしい。
一方で「現代立憲主義」と呼ばれるものが、上に反発する形で生まれた。
それは人間の道徳能力は個人的なものであり、本質的でもなければ、普遍的な価値でもないという考え方である。
人間が生まれながらに持っている自然とは道徳のことではなく、情動や共感能力のことでしかない。
そして道徳や権利、価値とは人間が他人と社会生活を営む上で作り上げた約束事である。
「人権はフィクションである」と言っている呉智英氏もこの立場だとみなすことができるであろう。
「自由と平等は両立しないのではないか」という考えもこちらの立場だと思う。
ちなみに蛇足ながら私もこちらの立場である。
社会生物学も、こちらの立場と親和性が高そうだ。
前者の立場と後者の立場では政治への取り組み方もまるで異なってくるであろう。
乱暴に断言してしまうと、前者は人権を最優先し、後者は統治と経済を優先する。
アメリカはどちらの立場だろうか。
「世界は民主主義国家になるべきだ。今度の戦争もそのためにやるんだ」なんて発言を見ると、人権を普遍的価値とみなす前者に思える。
日本はどちらだろうか。自民党などの選挙演説を聞いていると前者のような気がする。
しかし実際にはアメリカも日本もきちんと統治や経済を優先しているようにも見える。
ああ、でも、ブッシュ大統領は明らかに前者だ。人権イケイケ、戦争ドンドン、経済バラバラ。
**************
近代立憲主義はJ・ロックやJ・ルソーのホッブスへの批判から始まったようだ。
ロックは敬虔(けいけん)なキリスト教徒であり、神が人間に与えた聖霊の働き、良心を信じていた。
そして現代立憲主義者にはD・ヒューム、アダム・スミス、G・ヘーゲルなどがいる。
彼らの思想は市場の概念とも関係しており、彼らの思想を追うには経済学も追わなくてはいけないようだ。
そして近代にはケインズ、ハイエクなども出てくるわけである。
今のところ、私は彼らの思想をほとんど理解していない。
だからそれを知りたいと思っている。今後、暇を見つけては彼らの思想について簡単に調べる予定である。
まず次回はリベラリズムの出発点となったホッブスについて調べてみたい。
いきなりホッブスの話を始めても誰も興味を持ってくれないかもしれないと考えたので、今回はとりあえず私の「問題意識」だけを紹介しておいた次第なのである。
自然権とは、人間が生まれながらに持つ権利であり、人間の本性と切り離せない普遍的な価値のことである。
人権を自然権だとみなす考え方もその一例だ。たとえば
人権は人間が生まれながらにもつ普遍的な権利であるから、政治や国家はこれを守るべく存在しないといけない。
と言われたりする。
これは人間の自然状態と法を同一視する考え方である。この二つが同じものならば、人間の本性は善良でなくてはいけなくなる。
つまり「自然は道徳である」という考え方に通じるものがある。
だから、ウィルソンやピンカーの社会生物学が「殺戮や強姦は人間の自然な指向である」と言う時に激しい反発を招くのも、自然と法を区別しない自然権の考え方にその原因があるように思える。
このような、人間の本性は理性的かつ道徳的であり、政治や法はそんな人間の自然な傾向を守るものである、という考え方が「近代立憲主義」と呼ばれるものであるらしい。
一方で「現代立憲主義」と呼ばれるものが、上に反発する形で生まれた。
それは人間の道徳能力は個人的なものであり、本質的でもなければ、普遍的な価値でもないという考え方である。
人間が生まれながらに持っている自然とは道徳のことではなく、情動や共感能力のことでしかない。
そして道徳や権利、価値とは人間が他人と社会生活を営む上で作り上げた約束事である。
「人権はフィクションである」と言っている呉智英氏もこの立場だとみなすことができるであろう。
「自由と平等は両立しないのではないか」という考えもこちらの立場だと思う。
ちなみに蛇足ながら私もこちらの立場である。
社会生物学も、こちらの立場と親和性が高そうだ。
前者の立場と後者の立場では政治への取り組み方もまるで異なってくるであろう。
乱暴に断言してしまうと、前者は人権を最優先し、後者は統治と経済を優先する。
アメリカはどちらの立場だろうか。
「世界は民主主義国家になるべきだ。今度の戦争もそのためにやるんだ」なんて発言を見ると、人権を普遍的価値とみなす前者に思える。
日本はどちらだろうか。自民党などの選挙演説を聞いていると前者のような気がする。
しかし実際にはアメリカも日本もきちんと統治や経済を優先しているようにも見える。
ああ、でも、ブッシュ大統領は明らかに前者だ。人権イケイケ、戦争ドンドン、経済バラバラ。
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近代立憲主義はJ・ロックやJ・ルソーのホッブスへの批判から始まったようだ。
ロックは敬虔(けいけん)なキリスト教徒であり、神が人間に与えた聖霊の働き、良心を信じていた。
そして現代立憲主義者にはD・ヒューム、アダム・スミス、G・ヘーゲルなどがいる。
彼らの思想は市場の概念とも関係しており、彼らの思想を追うには経済学も追わなくてはいけないようだ。
そして近代にはケインズ、ハイエクなども出てくるわけである。
今のところ、私は彼らの思想をほとんど理解していない。
だからそれを知りたいと思っている。今後、暇を見つけては彼らの思想について簡単に調べる予定である。
まず次回はリベラリズムの出発点となったホッブスについて調べてみたい。
いきなりホッブスの話を始めても誰も興味を持ってくれないかもしれないと考えたので、今回はとりあえず私の「問題意識」だけを紹介しておいた次第なのである。