ものを書いて、それを公開しているからには多くの人に見られるのにこしたことはない。
アクセス数が増えると嬉しいと思う。思う?本当に?
正直に言うと分からない。私はアクセス数が増えても見られているという実感はまるでない。
私とは比較にならないが、日に数万のアクセスを数えるサイトの管理人が観客を実感できないと嘆いていたことを思い出す。
それに多くの人に見られても面倒なだけだという思いもある。
私にとって大事なのは、偶然ここを訪れ、昔の記事を知らないし読みもしないであろう一見のお客さんでも読んで楽しめる記事を書くということである。
誰にも見られないのは嫌でも何ともない。
しかし見られた後に「あーあ、つまらなかった」と言われるのは悔しいのだ。
アクセス解析を数日に一度見てみる。
昨日は18人だけだが、楽しんでいただけただろうか。昨日はつまらないものを書いたつもりはない。
しかし気合いを入れて書いたものが不人気になることも多い。
一昨日は44人。閲覧回数は84。単なる事務連絡でつまらなかったろうに多くの人が来ている。つまらなかっただろうに、申し訳ないことをした。
2日前は30人くらいのお客さんに対し、閲覧数が300もあった。
1人の方が何十回も見ておられるのだ。
面白いと思ったから沢山読んでくれたと解釈すべきだろうか。それとも気に入らないから批判するためにじっくり読むということもある。
いずれにせよ楽しんでもらえたことを祈っている。
しかし結局、顔を想像し、実感できる観客は顔見知りの仲間たちがほとんどである。
(もっとも私の仲間は私が思っているほどここを見ていない。ネットにつなげない人もいる。)
あとはコメントを寄せてくれた人が何となく想像できる。
しかしネットの情報だけから人物像を描いても頼りないイメージしかできあがらない。
ネットにおいて大多数の人は沈黙の観客となる。
「批判、訂正大歓迎」と書いても文句をつけてくる人はほとんどいない。そんな無駄な労力をわざわざ払ってくださる奇特な方はそう多くはおられない。
それに労力を多く割けられないのは私も同じである。仕事に論文とたてこんでいる時にコメントをいちいち考えている余裕はない。
コメントの返事には記事を書くより多くの時間を使っている。気楽に書き捨てることができるのは仲間からのコメントだけである。
見えない相手に返事をするのは想像力を使わないといけない。しかし自分の勝手なイメージを相手に押し付けているだけのような気もする。どうしたらいいか分からないところがある。
トラックバックは更に疲れる。
コメントがないトラックバックにはまず返信するべきかどうか迷う。
単なる同意表明なのか、批判や疑問提起なのか、交流を希望しているのか、こちらで判断しないといけない。
コメントをつけると決めたら次は何を書くか決めないといけない。
相手からのコメントがあればそれに返事をするだけでいい。相手の記事で取り上げられていれば、それに対して返事をすればいい。
しかしそれらがないのならば、それも自分で決めないといけない。とりあえず相手のブログの記事を読めるだけ読んでみる。
それにコメントがあっても返事をする前に相手の記事はかなり読む。そうしないと何を書いたらいいか分からないからだ。
これは別にこれは怒ったり、不快感を表明しているわけではないし、自分の苦労話を自慢したいわけでもない。
ただ私は今後、トラックバックの受け付け拒否をしようかとも考えており、それをするための理由を前もってグダグダと書いているのである。
ネットの文章なんて便所の落書きだ。気楽に書かれて、気楽に書き捨てればいい。
そういうアドバイスをされたこともある。
しかし文章に貴賎はないというのが私の考えだ。(ちなみに需要と供給のバランスという意味で職業に貴賎はあると思っている。)
クソつまらない文章ならば沢山あるが、卑しい文章なんて一つもない。
便所の落書きだからという理由だけで軽んじることはできない。
つまり面倒をさけるには初めから受け付けないのが一番である。
トラックバックがあと10回来たら「トラックバックの受けつけ拒否」を設定しようと予定している。