玄文講

日記

2005-08-14 23:13:29 | 会の案内や連絡
ネットでは韓国人はやたらと嫌われている。

彼らが嫌われる理由はいくつか予想される。

1)北朝鮮政府寄りの行動をしている。

2)左翼系市民団体の厚顔で横暴で軽率な行動への不快感。

3)韓国人の反日的な態度への反発。

4)民族性がまるで違う。性格の不一致。

5)サッカーとかいろんな細かい恨みの積み重ね。

他にも探せば理由はいろいろと見つかりそうである。

とにかくネットにおける彼らの嫌われぶりには凄まじいものがある。
行き過ぎではないかと思うことも多々ある。
はじめに正当な理由を見つけてしまえば、感情をエスカレートさせるのに迷いがなくなる
ということだろうか。

ちなみに私たちの運営する会の幹部の一人は韓国人である。
「まず仲間、その次に日本人」という会の規則を守るならば、私たちはその韓国人の利益のために行動する団体ということになる。

というわけで、私たちは、ネット右翼の人たちが蛇蠍(だかつ)のごとく嫌う

韓国人の利益のために行動する民間団体

である。
この場合、やはり私たちも糾弾の対象になるのだろうか。

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と、まぁ、こんなふうに「ネット右翼」と称される人たちを挑発する文章を書いたのは、私には彼らへの不快感があるからである。

それは自分たちの正義を疑わない人間の行動に対する不信感でもある。
たとえば以下で分析されているような彼らの性質が嫌いなわけである。

「ネット右翼」について、おおざっぱな試論

連絡事項

2005-05-28 16:25:58 | 会の案内や連絡
昨日のコメントにも書きましたが、目の前の家が燃えていて、なんかビニールを燃やしたような匂いがします。
私はイラスト作成の仕事を終わらせないといけないので火事のことは忘れることにして、パソコンの前にずっといました。
たまにパソコンの画面に燃えている家が映りますが、無視です。手伝えることもありませんし。

それはともかくとして、業務連絡です。
最近は会員が全国各地に滞在するようになり、昔と違って直接会ったり、電話で連絡を取るのが面倒になってきています。
以前から依頼されていた会の連絡用のサイトを簡単に作っておきました。
玄文講からリンクでいけるようにしておきましたので、適当に使って下さい。

でもこういう連絡用の掲示板やサイトってすぐにすたれるんですよね。
仕事やイベントがあるときは直接に会えますし、プライバシーに関わるやり取りはメールでしますし、全員への連絡事項はメーリングリストを使えばいいわけですから。

ですから連絡用以外の用途も持たせる予定です。
会の主旨とか、会則とか。会の利用方法とか今まで口頭だけで伝えてきたことを文書化しておこうと思います。仕事の依頼とか手続きもサイトを通して行えるように上に打診しています。

活動内容の報告ものせようと思いますが、顔や名前が外に出るのが嫌な人も多いと思いますのでそのところは配慮いたします。ですから、ご安心下さい。

私の仲間について

2005-05-20 01:17:28 | 会の案内や連絡
私はものを書く時は、たとえそれが私的なものであっても、仮想の読み手を想像しながら書いている。
その読者が理解できるように、楽しめるように、その相手の姿を心の中に思い浮かべながら書いている。

実際にその人が読んでいるかどうかは分からないのだが、私はそれでもその人に語りかけるように書く。
誰かに楽しんでもらうという意志のない文章はひどくつまらないものになってしまうからだ。
娯楽なければ書くべからず、である。

このサイトはもとは仲間うちの間だけで読まれればいいと思って立ち上げた。
だから当初は、その仮想の読み手も仲間だけを想定しながら書いていた。

しかし最近は一面識もないネットの中のお客さんを想定しながら書く機会も増えてきた。
私は今まで何度も「仲間」という言葉を説明もなく使ってきた。
何故なら仮想の読み手はその仲間なのだから「仲間」の意味について説明する必要などあるわけがなかったのだ。

しかし最近は外からのお客さんも増えてきたことであるし、仮想の読み手にも仲間以外の人間を想定する機会も増えてきた。
そこで「仲間」とはいったいどこの誰のことなのかについて簡単に説明しておこうと思う。

まず仲間とは親族や研究室や職場の同僚のことではない。
彼らは生活をともにしているだけの人々であり、親しみを感じたり親切にはするが、何も期待はしていない。

私にとって仲間とは同じ会のメンバーである。
もっとも会と言っても大袈裟なことは何もない。
私たちの活動は会員同士で酒を飲んだり、食事をしたりなど、大学生のサークル活動のようなこともするのだから。
ここでは親睦会、交友会とでも言っておこう。
しかし交友会がただのサークルだったならば、人付き合いにも娯楽にも深い関心を抱いていない私がそれにこだわるわけがない。

組織の存在意義とは個人でできないことを集団の力で行うところにある。
組織の機能とはその集団の力が最大限に発揮できるように、制御し、増幅し、調整するところにある。

私にとっても、その会の存在意義はそこにある。
彼らは私にできないことを私の代わりにやってくれる人たちだ。だから貴重でありがたい。

会員には重要無形文化財保持者もいるし、在日韓国人もいる。右や左、国籍の区別はない。
奇人、変人、悪人たちもいるので善悪の区別もない。ただ見苦しい人間はいない。
普通の暮らしをしていたのでは知り合えないような多種多様な人間のプールが私たちの同好会である。


私には夢がある。
私は現実主義者ではなく理想主義者である。
そして私の理想を一歩でも現実に近付けるためには彼らの協力が必要不可欠なのだ。



そして私の仲間には夢がある。
それが何なのか私は全てを知らない。
しかし彼らの夢を一歩でも現実に近付けるためには私の協力が必要不可欠なのだ。



「玄文」は元は会のために私が作った小班の名前である。役割は会の連絡係などの雑用であった。

会は仲良し団体ではない。共同体でもない。政治団体でもなければ、営利団体でも、NGOでも、市民グループでもない。
会は組織の存在意義により忠実であらんとする組織なのである。

だから会そのものに目的はない。
会の仲間の各自が目的を持ち、各自がその実現のために会を利用しようとしているのである。
「個人の力でできないことを集団の力で行う」。そのために私たちは会を維持し、拡大させている。

彼らは信頼できる人間である。自分の夢を託せる他人が存在するのは心強いことである。
つまり仲間とは交友会の会員のことを指している。