玄文講

日記

ジョージ・オーウェル「1984年」

2004-11-11 16:11:35 | 
「権力」は楽しい。私は権力が大好きだ。
これが嫌いな人がいるだなんて私には信じられない。
美しい異性が嫌いな人がいるだろうか?
おいしい食事が嫌いな人がいるだろうか?
権力も同じだ。これを好むのは社会的動物の本能である。

ジョージ・オーウェルの書いた小説に「1984年」というタイトルの共産主義を批判したものがある。
ほとんどの共産主義国家が崩壊した現在、この小説は既に価値がないと思われがちである。
しかしこの本の中身には時代によらない普遍的な価値とテーマがあり、何よりもこの本は面白い。

たとえば私は小説中、ある悪人のあまりにも率直な告白に思わず感動してしまった。
独裁政府の高官オブライエンは反体制思想を持った主人公ウィストンを拷問にかけてこう問いただす。

「我々が何故権力にしがみついているか説明してくれないかね?我々の動機は一体なんだろう?我々は何故権力を望むのだろうか。さぁ、言ってみたまえ」

ウィストンは答える。

「あなた方は、我々の幸福を考えながら支配しておられます」

「あなた方は一般の人間に自治の資格がないと考えておられます」


オブライエンは「何を馬鹿な」と激昂してそれを否定する。そして言うのだ。


「党はただ権力の為に権力を求める。我々は他人の幸福などにいささかなりとも関心は抱いていない。
我々は権力にしか関心がないのだ。
富みの為でも贅沢の為でも、また長生きする為でも幸福を求める為でもない。
ただ権力、それも純然たる権力の為なのだ。純然たる権力とは何か、それはこれから説明する。
我々は過去のあらゆる少数独裁制とは根本的に違う。その限りにおいて我々は計算ずくで行動している。
我々以外の独裁者は、我々によく似ていた独裁者さえ臆病で、偽善者だったに過ぎない。
ナチ・ドイツもロシア共産党も、方法論の上では我々のそれに極めて近かったがしかし、彼等には権力追求の動機を口にするだけの勇気は無かった。
彼等は不本意ながら、そして暫定的に権力を握ったのであり、しかも眼前に人間の自由と平等を実現する楽園が来ているような態度を装うか、あるいは本気でそう思い込みさえしたのであった。
我々はそんな手合いとは違うんだ。およそこの世に、権力を放棄する心算で権力を獲得する者はいないと思う。
権力は一つの手段ではない、れっきとした一つの目的なのだ。
何も革命を守る為に独裁制を確立する者はいない。
独裁制を起こす為にこそ革命を起こすものなのだ。
権力の目的は権力それ自体にある!
さぁ、これで私の言わんとすることが分かりかけたかね?」



おおおお!!
かっこいいなぁ、オブライエン!

最新の画像もっと見る