玄文講

日記

民主主義科学者協会

2004-11-10 22:02:05 | 
 昔のことである。戦後、そして高度経済成長の時代に一つの団体があった。
その名は民主主義科学者協会。

共産主義系の思想団体である。
民主主義なのに共産主義なのかといぶかる人もいるだろうが、この二つの目指すものが本質的に同じであることを考えれば別に驚くには当たらない。
当時は学生運動も盛んで「市民の連帯」とか「大衆による時代の変革」の名の下に、熱意と善意に溢れる学生は皆理想の社会を目指して闘っていた。
当時、そんな学生はつくだ煮にする程いた。しかしこの団体の特別なところは、彼等が科学者であったということだ。

 この団体の歴史はプロレタリア科研と唯物論研究会を母体として始まった。
彼等は「マルクス主義者」だけではなく「進歩的科学者」、つまり民主的な科学者も受け入れて拡大していった。また社会学系の学者は本物の科学者ではないとされ軽く軽蔑されたものの、全体的には文理の区別なく総合的な団体となっていった。

 彼等は科学は本質的に「普遍」かつ「民主的」であると考えていた。
彼等は戦前の封建的科学、つまり戦争協力を反省し、今度は民衆の為の科学を作ろうと意気込んでいた。つまり「軍事立国」から「平和立国」へというわけである。

しかしその根底にある思想は「科学立国」を目指すという点で共通している。
理性と善意さえしっかり保ちさえずれば科学の進歩は絶対的に正しいと彼らは信じていた。
民主的な科学さえ信じてさえいれば皆が救われると信じていたのだ。
つまり戦前も戦後も彼らの思想の根本は何も変わってなどいなかったのである。「日本帝国」が「民主主義」に置き換わっただけである。しかし無邪気な彼等はそんなことに気がつきもしなかった。

 彼等の活動は科学に限らず社会問題全般に渡った。
彼らは野に下っては科学と共産主義の素晴らしさを説き、差別用語を使っている劇や本やマンガを糾弾した。
例えば「だるま剣法」というマンガにおいて出身者が生まれつきの特殊能力を持つという設定を差別的だとして抗議したりしている。
アホである。

 彼等は学者が市民を助け、彼等の運動を促進し、大衆を啓蒙することこそ自分達の使命だと思っていたのだ。そして彼等の背後には共産党が控え、民族独立の為の闘争を推進した。それはやがて彼等を反アカデミズムに駆り立て、政治工作員として特化させることとなった。

 しかし、崩壊はすぐにやってきた。
当たり前の話だが学者とは科学を研究するものである。
なのに彼等がしたことと言えば、宣教師のまね事とPTAのおばさんみたいにマンガを検閲しては「けしからん」と眉をひそめていただけである。
その上、権力や管理主義への反発からアカデミズム嫌悪をまでしている。
これでは研究どころではないのは明白である。彼等は次第に運動から離れ、自分達の研究とアカデミズムに戻って行った。要するに彼等は気負い過ぎていたのである。

自分達が世界を変えよう。自分達が人々を導こう。そう思うあまり周りが見えなくなり、奔走していたのである。そして最後には熱が冷めて消えていったのだ。人類の未来なんて大それたことなんて考えずに気楽に行けばいいのにと私は思うのだが、熱くなるのも若者の特権というわけである。


 小人に暇を与えると不善をなすという。彼等の運動が終わったのは彼等が自分達の運動の無意味さに気がついたからではない。忙しくなって暇がなくなったから止めただけなのである。人は自分達の信条を曲げることはなかなかできない。しかし生活の為に信条を忘れることは簡単にできる。私はそこに人間の健全さを見い出している。

ところで私は民主主義と科学の発展に直接の因果関係はないと思っているので、彼らの活動には何の共感も抱けない。現在でも進歩的科学者が「科学の発展のためには政府は民主主義とならなくてはならない」と主張することがある。例えばカールセーガンという物理学者は「科学と悪霊を語る」という本において

「懐疑的精神こそが民主主義を維持するに欠かせないものである。科学と民主主義とが実は同じ精神に基づく」

とロマンチックな主張をしていた。こういう反証不可能な説明には反論しても無駄であり、私は他人の信仰にケチをつけるほど野暮ではない。
セーガン氏には近づかないでおこう。


ときおり科学の理論の善し悪しを「民主主義的な理論か否か」で判断する人がいる。そして彼らは自分達が人道的な思想の持ち主だと信じていたりする。しかしそれはドイツ民族的か否か、共産主義的か否かで科学や芸術を判断していた人間と変わるところのない行為である。

科学の理論は民主的である必要も、人道的である必要もないのである。


参考文献:
吉岡斉「テクノトピアをこえて―科学技術立国批判」
吉岡斉「科学者は変わるか―科学と社会の思想史」

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