玄文講

日記

川勝義雄「中国の歴史3 魏晋南北朝」

2006-11-24 11:36:04 | 
戦争が終わらない世界。
それは生まれる前からあり、死んだ後にも続き、
祖父の祖父の代から孫の孫の代まで繰り返される。
そんな時代に生まれてしまった者たちはどうやって生きていけばいいのだろうか。

魏晋南北朝時代とはそんな時代であった。
それは西暦200年頃より中国において400年も続いた戦乱の時代である。

漢が腐敗し、世が乱れ、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が起った三国時代はマンガ、小説、ゲームでおなじみのものだ。
しかし、そこから先の魏晋南北朝時代が話題になることはあまりない。

だが歴史から教訓を学びたい者にとっては、これから先の時代の方がはるかに面白いものであると私は断言しよう。
曹操の死後、魏が天下を取り、司馬のクーデターにより晋が起こり、やがて内乱「八王の乱」が起き、内乱に乗じた北方民族に都を奪われ晋は滅び、貴族は南に逃れて中国は南北に分裂した。
それから300年。南でも北でも、王朝が腐敗し、新たな王朝に倒され一族郎党皆殺しにされ、やがてその王朝も腐敗し、次の王朝に皆殺しにされるということを飽きることなく延々と繰り返した。
それは北の隋が南の陳を滅ぼし、はやくも二代目で腐敗した隋が滅ぼされ唐が成立する時まで続く。

この戦乱により人々の生活は困窮し、いつまでも終わらない戦乱に嫌世的な風潮が蔓延した。
しかし同時にこの戦乱は北においては文明化した蛮族による仏教などの新文化の創造をもたらし、南においては未開地の開発や無常感を唱う陶淵明などの詩人、文人をもたらした。
それは南北の文化が融合した上で更なる発展を遂げた時代でもあった。現在の中国の原型ができたのもこの時代である。
戦争や破壊が新しい文明を作るなんてことを主張する気はないが、戦乱が原因で文明の統一がもたらされたことは興味深い事実である。
同じように蛮族の進出により滅んだローマ帝国以降の世界が、キリスト教圏とギリシア正教圏と回教圏とに完全に分裂し、文明の痕跡の非常に少ない暗黒時代をもたらしたのとは正反対である。

この本ではその最大の原因を、知識人の存在に求める。
戦乱の世においても、中国では多くの知識人が存在し、政治や社会に貢献をし続けた。
上の首が頻繁にすげ変わる中において、その下の貴族(腐敗貴族も山ほどいたが)や在野の賢者たちはしっかりと中国を支え続けた。
それが戦乱の時代を単なる暗黒時代に終わらせなかった最大の原因である。

これをもって昔の東洋人は西洋人より勤勉で優れていたと言う者は、まずいないであろう。
東西で人間性に本質的な違いがないとすれば、このような違いを生んだ原因は人間を越えたもっと大きなものに求めた方がよさそうだ。
それは「地理的要因」であったり、宗教の違いであったり、経済構造だったりするのであろう。
(歴史好きの知人によると、ブローデルの「地中海」はそういう視点でヨーロッパ史を見直した名作らしい。いつか読んでみたいものである。)

このテーマは一冊の本で理解し、講釈をたれるには、あまりにも大きすぎる課題なので、ここでは印象に残った部分を備忘録として引用するだけにしておこうと思う。

通貨問題は5世紀の前半から宗王朝では深刻な議論になりつつあった。
政府においても民間においても貨幣が足りない。
物流の交流が盛んになって、貨幣の必要度が増してきたからであり、社会に流れている貨幣の量よりも、より以上の貨幣が必要になってきたからである。

宗王朝はもっともてっとり早い方法をとった。
貨幣の質をだんだん悪くして、法定価値をそのままにしておきながら、数量だけを増していったのである。
「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則が進行した。
貨幣の内側がけずりとられてガチョウの目玉のような大きな穴のあいた「鵞眼銭(ががんせん)」が出まわり、物価は高騰し、465年には商取引もできないほどになってしまった。

宗王朝はこれに対して、以前の良貨幣だけが有効であるとの法令を出した。税金納入にさいしては、良質貨幣しか受け入れないことにした。
これにより良貨がふたたび出まわるようになり混乱は収まった。
しかし政府は貨幣を新しく発行して、不足を緩和しようとはしなかった。

南斉の政府はむしろ苛酷に貨幣を吸い上げた。国家財政の40%は貨幣でまかなわれるほどになった。
465年までの放漫な財政政策とは正反対の、この緊縮政策が、生産者たる農民に与えた打撃は大きかった。

簫子良(しょうしりょう)はこの弊害を政府に警告して、こういっている。
「近ごろ銭は貴重で物価は低下し、以前に比べてほとんど半値に値下がりしている。農民は苦労して生産に励んでも、現金収入は少ない。そのうえ、得た銭はけずりとられたあとの悪質の貨幣である。
ところが政府は定期的に税を取るとき、良質の貨幣で納入せよと命ずる。だが、民間には良い貨幣がひじょうに少なくなっている。
農民はかけずりまわって、自分たちの悪い貨幣2枚を良い貨幣1枚にやっとかえてもらって、税を納めねばならぬ。
貧しい農民のもつ悪い貨幣は、額面は同じなのに半値にも下がって、その苦しみはいよいよはなはだしい。
逆に良質の貨幣をのつ金持ちはますます儲けているのだ」

財政支出の使われる政府に近いところにいるものは良質の貨幣の所有者になり、ますます儲けてゆくのである。
これに反して、政府から遠くはなれるほど悪質貨幣で損をする。
ちょうど金融引き締めのときに、中小企業は銀行からなかなか金を貸してもらえないのに、大企業には多額の融資が出されるようなものであって、現代における信用の二重構造にも似た現象が、5世紀の江南では貨幣の二重構造としてあらわれたのである。


南の梁王朝はこの貨幣問題を解決できず、大量の失業者と彼らの転じた野盗の一団に苦しめられ、貴族は放蕩で財力を食いつぶし、皇帝は仏教に逃避して政を顧みなくなり、とうとう滅びてしまうのである。
デフレにより滅びた一王朝の姿とその民の苦難には、同じデフレの国に生きる者として身につまされるものがある。

セーゲルストローレ「社会生物学論争史」

2006-11-22 14:48:15 | 
「社会生物学論争史」は、その名の通り「社会生物学」にまつわる論争を追いかけた本である。
しかし本書はそれだけについての本ではない。

「科学とは何か?」
「自分の知る科学が別の人間にとっての科学とはまるで異なるとき、一体どんな論争が起きるのか?」
「実験科学者とナチュラリストの違いとは何か?」
そういうことを考えさせてくれる、より普遍的なテーマを扱った科学社会学の本である。

そもそも社会生物学論争とは何だったのだろうか?
それはウィルソンが「社会生物学」という大著において、人間社会もまた進化による適応の産物であることを示唆したことに始まる。
その適応の産物の中には、道徳的に好ましくないものもあった。
強姦や殺人、戦争もまた人類が進化の過程で遺伝子に刻み込んだ、生き残り繁殖するための戦略かもしれないとされていたのだから。

それは「人間は環境次第でどうにでも変わることができる。人間は可能性に満ちた白紙の石板である。
強姦や殺人は歪んだ社会と教育がもたらすものである。」という当時の環境主義と相容れない考えであった。
そして生まれながらの本性の強調は、社会の不平等や犯罪を正当化し、遺伝的に優れた者だけが権力をにぎるべきというナチズムにつながると彼らは危惧した。
人種差別主義者、ナチズム、女性蔑視主義者、極端な保守主義者。様々な罵倒をウィルソンや他の生物学者は受ける羽目になった。
その「差別主義者」が現実には社会主義者であったり、フェミニストであったり、黒人を大学に採用するように働きかけたり、黒人と結婚して慈善事業に尽力したりしていることは無視された。

熱心な批判者の多くは左翼系の理想主義的思想の持ち主であった。
彼らの行動は時として非常に攻撃的なものとなる。
日本でも言葉狩りの例にみるように、一部左翼の被害妄想的な糾弾活動は出会う者すべてに噛み付くがごとしである。
この社会生物学論争も、そんな原理主義者たちの過剰反応を引き起こした。
だが、それだけではこの論争の執拗さを理解することはできない。
批判者は偏屈なマルクス主義者だけではなかった。
理性的で、道理の分かった科学者や知識人も、断固とした批判を繰り返し、社会生物学者を道徳の敵として断罪したからである。

ウィルソンは困惑した。
彼は反論を歓迎していたし、論争もするつもりだった。
しかし、それは科学的な反論や議論を期待していたのであり、「道徳の敵」としての批判は予想外のことであった。
ルウォンティン、グールドといった有名な科学者でさえ、彼の非道徳性を非難した。

何故、社会生物学論争においては、科学的議論ではなく政治闘争が繰り広げられたのだろうか?
彼らはウィルソンの学説を科学として認めず、故に科学的議論をしなかったのだ。
そして批判者はこれを科学の問題ではなく、政治的な問題だと信じた。
どうして、彼らはウィルソンのやり方を科学と認めなかったのだろうか?

その理由は、実験科学者とナチュラリストの使う科学は別であることに求められる。
以前に「科学という方法」で書いたように真実へ至る道は一つではないということだ。

実験科学者は以下の二つのことをとても重視する。
いかなる理論もそれらの洗礼を受けなければ、真実として認めるわけにはいかない。

一、定量的に計測したデータを提示すること。
一、再現性を持つこと。

ここで私は、

優れた実験科学者の素養を持っている理知的な秀才が、ナチュラリスト的なやり方をどのように批判するか。

の好例として、別の書評サイトの文章を引用したいと思う。
サイト管理人のwad氏は興味深い意見を提示してくれる尊敬すべき論者ではあるが、その純実験科学者的発言に私は困惑させられるのである。

例えば、氏が

なお、本書の内容から外れるが、統計学の使い方一般について一言。「トンデモ」という言葉を使いたがる啓蒙家は、「統計学を正しく使え」という趣旨で、「こういう説があるけれども、ちゃんと統計的に処理すれば有意な結果は出てこないのだから、信用するべきではない」という論理を使うことが多い。これは、本書で著者が批判している統計の不適切な使い方であることがしばしばある。科学的なアプローチを装う啓蒙家には注意しなくてはならない。「有意水準に達しなかったために、効果がないという仮説を棄却できなかった」ということは、「その効果がない」ということではない。そんなことは当たり前であるのにもかかわらず、このタイプの啓蒙家は、自分の信念に反しているケースでは、有意水準に達する結果が得られなかったことが、そのまま効果の不在の証明であるかのような言い方をしたがる。一方、普通の科学の実践においては、直観的にその効果がありそうだと思ったら、有意な結果が出なかったとしても「さらなる実験とデータ収集が必要である」という風にまとめるのが常道なのだから、ここにはダブル・スタンダードがある。

 たとえば、「ユリ・ゲラーがテレビ番組で念を送ると、それを見ていた視聴者が手に持っていた、それまで長い間止まっていた時計が動き出した」とか、「大きな飛行機事故の前に、予知夢を見た人が何人もいた」というような逸話について、啓蒙家はよくこんな議論をする。「その番組の視聴者は全国で数百万人、数千万人の単位でいる。その中には、ちょっと揺らしたり温めたりしただけで不意に動き出すような時計を持っていた人が一定の割合でいるはずだ。だから、視聴者のうちの何人かがそういう体験をしたとしてもまったく不思議ではない」。しかし、これはちょっと考えてみればわかるように、「超常的な現象が起きた」とする仮説に対する反論にはなっていない。最初に、「そんなことはありえない」という信念があって、そのような現象が偶然に起きる確率を(ほとんどの場合は実際に実験や調査も行わずに)逆に推定しているだけなのである。また、本書の言葉を使わせてもらえば、これは統計的有意性と科学上の意義を混同した議論である。動き出した時計の1000個のうちの999個までが、そのようなノーマルな因果関係で動き出したのだとしても、残りの1個がノーマルでないメカニズムで動き出したのだとしたら、それは科学的には大きな意味を持つ現象である。

 この話を突き詰めるといろいろと厄介な問題が出てくるのだけれども、この項ではここまでにしておく。まあしかし、世の中に上記のような理屈にならない政治的議論をする人が少なくないことから、論争が多い経済学の分野にもそういう人が多いのだろうなと思ったというわけだった。
[http://www.ywad.com/books/1266.html



と書くのを見ると、私はその説得の困難さに頭を抱えてしまう。

この論法では、私たちはユリゲラーの自称・超能力を嘘だと考えてはいけないことになる。
証明ずみの知識以外に意味がないとすれば、
私たちは一体どうやって推論したり、仮定をたてればいいのだろうか?
氏の主張する科学を守ると、私たちは山師のイカサマでさえインチキ呼ばわりできなくなる。

ここで私は実験科学者のルウォンティンとナチュラリストのウィルソンの科学的態度の違いについて書いた記述を思い出す。

ウィルソンにとって重要なのは、モデルが現実の「真の記述」であることではなく、モデルの予見的な力(あるいは「適応性」)だった。
けれども、ルウォンティンにとっては、モデルは現実を「正しく」記述していなければならなかった。(P457)


先のユリゲラーの話で言うと、
999個の統計的有意なデータから「多分インチキだ」という真実を予見するナチュラリストと
1個の正しく記述された現実にしか科学的意義を認めない実験科学者との深い溝が見える。

統計データのほとんどがその現象を否とみなし、有意な水準に達していれば、それを近似的な事実として認めるのに十分である。
完璧な正解が望めない、つまり定量性や再現性のない現象を扱う科学は、歴史を振り返って定性的な議論を行い、統計データをもとに近似的な正解を求めていくのも有効な方法である。
「残りの1個がノーマルでないメカニズムで動き出した」ことを証明できないから、それは「理屈にならない政治的議論」だなんてアンマリである。

つまり、この話は「善い科学」から導かれた結論ではないので、科学的な結論ではありえない。
だから、この話は個人的な信念を表明しただけの政治的な発言に過ぎないと言っているのだ。

そこには過去の社会生物学への批判者たちと同じ論理が見える。
彼らも、
「ウィルソンは「善い科学」を行っていないので、彼の主張は科学の話ではなく、自分の偏見に科学的根拠があるようにみせかけている政治的なものに過ぎない。
だから彼の著作に対して科学的な反論をする必要はなく、その非道徳性を政治的な問題として糾弾すればいい」と考えたのだ。

彼らがウィルソンに抱いた感情も

世の中に上記のような理屈にならない政治的議論をする人が少なくない

というものであったのだろう。
これがウィルソンの期待したような科学的反論が得られなかった理由である。
そもそも批判者たちはそれを科学だとは思っていなかったのであるから。
そしてウィルソンがこんな非科学的な方法を採用したのは、個人的な差別的信条を正当化したいという邪悪な動機があったからにちがいないと思い込んだのだ。

社会生物学者たちが示唆する「適応話」は当然ながら、批判者たちの「確実なデータ」という観点からすれば、真面目な科学を意図するものではありえず、したがってただちに、科学外の、政治的な懸念に動機づけられたものではないかという疑惑がもたれた。(P463)

そして、科学を装った政治的に邪悪な人間には政治的な断罪を下すのみであった。

*****************************

工学出身者が経済学につらく当たる理由も、これで説明ができるであろう。
彼らから見れば、経済学者の定性的な議論は、再現性も定量性もない証明不可能な政治的議論に見えるのだ。

ちなみにwad氏は社会生物学には理解を示している。
それは最近の社会生物学の発展がゲーム理論に基づいた十分に定量的データも提出できるようになってきたからであろう。
そして氏は常に実験科学者としての厳しい態度を崩さないでいる。氏はマクロ経済学者の定性的な議論に対しては

マクロ経済学の一般向けの本では、この実証の部分が非常に貧弱なことが多く、この本もその例外ではない。
http://www.ywad.com/books/557.html


この本だけを読むと、国際経済学はいまの世界が直面しているもろもろの問題を正面から捉える(というかおそらく定量化する)能力を持っていないのだという印象を受ける。まさかそんなことはないと思うので(もしかしたらそうなのかもしれないが)、この本ではわざと省略しているのだろう。うーむきわめて「と学会的」である。
http://www.ywad.com/books/51.html


これは政治的発言か?
http://www.ywad.com/books/271.html


と非難する一方で、定量的にデータを扱う計量経済学の本には星を5つ付けて賞賛するのである。
http://www.ywad.com/books/584.html


世の中には実験科学者とナチュラリストの確執がいたるところに存在しているのである。

(参考:社会生物学論争史の書評ではhttp://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/sociobiology.htmlがよくまとまっていて、分かりやすい)

ブックマーク「ロボットの王国」

2006-03-01 19:55:08 | 
@ブックマーク「ロボットの王国」

第2回においてコミュニケーションロボット研究者の石黒教授はこう主張している。

「知能は個体に宿るというより、個体間や個体と環境との相互作用として発現するものと考えられている」、と。

そもそも最近の知能や意識の研究においては、「身体感覚なくして、主観や知能は存在し得ない」という考え方がある。

たとえば、恐怖。

激しくなる心臓の鼓動、乾く唇、額から流れる汗、震える手足という感覚なくして、私たちは果たして恐怖を感じることができるだろうか?

たとえば、思考。

頭の中で声を出し、文字や図形をイメージすることなしに人はものを思索することが可能だろうか?
つまり、人の意識や知能は肉体から独立した存在ではありえないというわけである。

この話は、たとえばアントニオ・R. ダマシオの「生存する脳」で詳しく実例を挙げて解説されている。

最初に紹介した石黒教授の発言も、外部の環境をいかに知覚するかという身体感覚なくして知能は存在し得ないというダマジオ路線の考え方と見ることができる。

しかしここで氏は更に知能の源泉を積極的に他人とのコミュニケーション、環境との相互作用という個体の外に求めているのだ。

単純に考えれば、外部との相互作用は個体の身体能力や感覚に依存するので、飽くまでも個人の知能の正体は個人の内部に存在することになる。
それならば「人工知能」なるものは、この内部のシステムを完全に再現したときに始めて実現可能となる。

だがここで「知能」を「人間と同じ仕組みを持ったもの」ではなく「人間と区別ができにくいもの」、つまり社会に普通に溶け込むことできるコミュニケーション能力だと定義すれば話はまるで違ってくる。

氏は展示物を案内するロボットを引き合いに出して、こう言うのである。

「このロボットは、どの展示物をどれくらいの時間見たという情報を受け取り、その情報で嗜好を調べて、平均を判断しながら次の展示物へと子どもたちを完全自動で誘導しています。このように情報をきちんと集めることができて、それをもとに行動することができれば、充分人間の思考と同様に“考えている”ように見える。逆にいうと人間は、それ以上のことをやっているのでしょうか」(石黒教授)


私たちの意識や個性の正体なんてものは、実は刺激に対する単純な反応の積み重ねに過ぎないのではないか?
なんと刺激的な問いかけであろうか。

ここで私は反射的に「人工無能」の話を思い出した。

「人工無能」とは発言の中のキーワードに反応して適当な対応を返すプログラムのことである。
しかし奇抜な会話を試みようとしない限り、かなり普通の会話を行うことが可能である。

「こんにちは」

と入力すれば、人工無能も

「こんにちは」

と返してくる。その後も「そちらのお天気はどうですか?」「晴れです」「男性ですか?女性ですか?」「ノーコメントでお願いします」「秘密ですか?」「秘密です」、、、というように会話を続けることができる。

実際、外国の実験では、多くの人がこの人工無能を本物の人間だと勘違いしたという報告を何かの本で読んだ記憶がある。

知能の正体を内部に求めれば「人工無能」は知能ではなく、外部に求めればソレは知能に一歩近づいたとみなせる。

単純であっても世界と自律的にコミュニケーションできる機械ができるのだ。あとはそのコミュニケーションの密度をどんどん上げていけば、いずれは知能と呼べる存在に到達するだろう。

この方針に従えば、氏の人工知能の研究も力点の置き所が他の研究とは違ってくる。

それはデザインの重視である。
何故なら他者とのコミュニケーションとは、まず外見から入るものだからである。

内部を重視すれば、デザインなんてものは専門外のデザイナーに任せておけばよかった。
そうすれば丸っぽい流線型の、清潔感に満ちた、カワイイのやスマートなのを造ってくれるだろう。
そこではデザインは芸術であり、技術ではない。

それに対して氏は、研究者はデザインにもっと真面目に取り組むべきだと主張するのだ。

デザインに関して、従来の研究では全部デザイナーに任せてきました。それだとロボットのインターフェイスのデザインをデザイナーの直感に依存することになって、工学として技術を蓄積することができないんですよ。

子供のときに見た相澤次郎博士のデザイン(先行者みたいな外見)が忘れられない私は、最近の丸っこいロボットが嫌いなので、是非とも工学者のデザインには期待したいところである。

さて、以上の要約は個人的な曲解も混じっており、記事の意図を正確に反映したものではないので興味を持たれた方は是非とも本文の方を読んでいただきたい。

清水美和「中国農民の反乱」(2)

2006-02-25 02:46:00 | 
前回の内容)
時は西暦200X年、中国の農村には悪吏がはびこり、農民たちは次々と蜂起するのであった。

***************

農村内がこのような有り様なので都会に活路を求める者は当然増加する。
では外に出た農民たちにはどのような運命が待っているのであろうか。
それは「二等公民」としての差別的な待遇である。

そもそも中国には「都市戸籍」と「農業戸籍」という二種類の身分が存在する。
この制度により「農業戸籍」の持ち主は都市で暮らすことを制限され、都市で働いたり、教育を受けることを禁止されている。
この制度の目的は、農民の移動を制限して彼らを食糧生産に従事させ、農産物を安く買いとることにあった。これにより都市住民の配給食は安値で確保され、中国は工業労働者の賃金を安く抑えることができ、工業を農民の犠牲の上に発展させたのである。

やがて毛政権が終わり、改革開放によって農村からの安い労働力が必要とされたため、戸籍制度は緩和されてきた。
だが急増する農村からの移住者により治安が悪くなることを恐れた党政府は、この制度を撤廃はしなかった。
また都市住民が「外地人は質が悪い」と言い、あからさまに農村からの労働者を嫌い、差別し、戸籍制度がなくなるのを喜ばないことも、この制度がなくならない理由かもしれない。

だから農村戸籍の人間は都市へ出稼ぎに来ても二、三年間、都市戸籍の持ち主より低い給料で使われた挙げ句に村へ返される。
しかも農村戸籍者の子供は都市で教育を受けさせることができないので、彼らは高い授業料を要求される私塾のような場所に行くしかない。だが多くの出稼ぎ労働者にそんな余裕はない。

結局の所、中でも外でも農民の権利は軽んじられており、不満だけが蓄積されていくのである。
しかもこの不満を抱えた農民たちは今後必然的に外に出ざるをえなくなるのである。

その理由が中国のWTO加盟にある。
実は中国の農産物の多くは外国産の農作物より競争力がない。つまり外国産の農作物の方が安いのである。
ただでさえ貧乏な農民は今後外国産作物に押されてますます貧しくなっていくことであろう。
そうなれば彼らは「外地人」として冷遇されようが、生きるために外に出ざるをえない。

そもそも農村の困窮の原因は、中国が急成長しているにも関わらず彼らの収入がまるで増加していないことにある。
何故彼らの収入が増加しないのかと言えば、狭い耕作地にあまりにも多すぎる農民がいるからである。
2002年度の中国人農家一戸辺りの耕作面積地はわずか0.6ヘクタールである。これは日本や韓国の一戸当りの耕作面積地の数分の一である。あの広大な国の住人が狭い島国や半島の人間より少ない土地に頼って生きているのである。
参考「農家一戸辺りの耕作面積地」;アメリカ、197ヘクタール。日本、1.6ヘクタール。中国、0.6ヘクタール。その比率、約328:3:1)

しかし普通に市場原理が働けば、農民は収入の少ない農業に見切りをつけて土地を売ったり、貸したりしてから、都市に流れるはずである。
そして人々が都市に流れることで農業従事人口が減少すれば、一人あたりの耕地面積は増加して農民の収入も増加する。そして工業が発展すれば都市へ流れる人口はますます増加し、同時に農民一人当りの耕作面積地も増加して、誰もが豊かになっていくはずだ。

ここで、この流れを疎外しているのが戸籍制度である。
先に述べたように農村戸籍の人間は都市では教育も受けられず、社会保証もなく、正規の就業機会が与えられていない。
こんな状態では都市に働きに出かけても、いつ失敗して農村に帰らざるをえなくなるか分からない。
そのとき、もし土地を他人に売ってなくしていれば、彼らは明日からどうやって生きていけばいいのであろうか?

つまり彼らは都市で成功する希望がないので土地を手放すことができないのである。自分の土地とそれによる自給自足は彼らの命の最後のセーフティ・ネットなのである。
だから誰も土地を手放さそうとはせず、その結果一人当りの耕作面積地は増えない。そのくせ彼らが都市で働いている間、耕作地は放置され荒れ果てていく。
悪循環だけがめぐっていくわけである。

*****************

中国の農民の前途の暗さには、かける言葉もない。
しかしそんな本書にも明るい話題はあった。
それは安い授業料で子供達に教育を与え、非合法な存在とされながらも都市で生きる農村戸籍者の子供の為に学校を爪に火を灯すようにして運営している中国人の話であった。
そしてその学校で子供たちは「北京の子供たちは人を罵るのが好きだから嫌いだ」「彼らはすぐに田舎者をバカにし傲慢だ」と反骨精神を剥き出しにしてたくましく生き、「自分達は将来困っている人を助けるような人間になりたい」と公共性を身につけて成長している。頼もしいことである。
彼らの未来に幸多きことを願うばかりである。

****************************

異常な人間が異常な制度を作り、異常な事件や異常な問題を次々と起こしている。
ああ、本当に中国というのは何て徹頭徹尾、異常なのだろうか。

中国に関する報告を見聞きするたびに、そういうことを言う人がいる。
彼らは「中国が異常な国である」ということを、ただ自分に納得させたいだけなのである。
あの国が自分達とは異質な存在ならば、安心して嫌い、蔑み、無視し、高みに立って見下していられるのだから。

確かに中国は厄介な国である。問題を多く抱えている。彼らとの価値観の違いにはうんざりさせられることも多い。
だが、そこにいるのは私たちとは異なる異常者などではない。
むしろ悲しいまでに私たちと同質な人々がいるばかりである。

彼の国では前例のない問題の数々が発生しており、政府が、その地に生きる人々が、試行錯誤を重ね失敗と挫折を繰り返しながらも、事態を改善させるべく懸命に努力をしている。
無力な人々が時代に翻弄されながら死にもの狂いで生にしがみついている。
苦悩があれば、希望も憎悪もある。悪意もあれば、義侠心もある。過去に縛られ、未来に悩む人々がいる。同じである。そこにいるのは鏡で映したかのように私たちと似た生き物たちである。

一体そんな人々をどのように見れば「異常者」に思えるのだろうか。
どうして彼らの努力や希望を異常者の奇行として笑うことができようか。

中国は一歩間違えれば悲惨なことになる状況に置かれている。
その時は私が幸多きことを願った彼らも無惨な人生を送ることになるだろう。
そして彼の国の混乱は日本をも巻き込まずにはおれないはずである。
だから私は、個人的な精神の安息と私の穏やかな未来の為に彼の国の安定と発展を願うのである。

清水美和「中国農民の反乱」

2006-02-24 17:53:18 | 
中国が抱える問題の中に「三農問題」と「貧富の格差」がある。
この2つは似たような問題であり、その問題点とは農民の収入がまるで上がらず、沿岸部の工業地域が豊かになる一方で農民は日々ひたすら貧しくなっているということである。

この事情を知りたくて、以前読んだ本が2002年に刊行された「中国農民の反乱」である。

この本において、まず著者は、農民が集団で共産党政府に「上訪」する例が急増していることを報告する。

「上訪」とは腐敗幹部の糾弾、賃金の未払い、土地紛争、補償問題などの解決を求めて、農民たちがより上級の政府機関に直接陳情する行為を指している。
その行動は過激化することもしばしばで、双方から死傷者が出ることもあるほどである。
そしてこの「上訪」は中国の報道機関においても、たびたび取り上げられる大きな問題となっている。
暴動などの報道を検閲している中国において事態がこれだけ表面化するということは、実際には更に多くの暴動が起きているものと思われる。

その上訪する農民たちは「農民領袖」と呼ばれるリーダーを持つ場合が多い。そのリーダー達の多くは村郷幹部の横暴に怒り、農民達に同情して行動を起こした者たちである。
その団結力は強く、警察が「上訪」の首謀者を逮捕に来ても、村人は誰も捜査に協力せず、むしろ匿(かくま)い、支援し、いざ「農民領袖」が捕まった時は激しい抗議活動を起こすのである。

そして彼らをそこまで過激な行為に走らせた原因は「腐敗幹部」と「土皇帝」にある。

まず問題なのは、多くの村や郷において党幹部が国務院の「農民の負担は前年度の収入の五%以下」という規定を勝手に破り、何かと名目をたてては農民から税を取りあげ無償労働を要求していることである。
例えば93年5月11日の「中国消費者報」は四川・仁寿における幹部の腐敗を以下のように報告している。

「多くの郷や鎮で幹部は負担を拒否する農民の家に押し入り、テレビなどの家財道具や豚や食糧などを奪い、歯向かう農民には暴力を振るった」

抵抗した農民の妻や子供をうちのめした。農民を手錠にかけて何時間も木に吊るした。

過重な農民負担を禁止する党中央の指示を村人に知られないようにするためにテレビニュースの時間には全村を停電させている。

中央の通達を村に張り出した農民を逮捕連行した。


ほとんど現代の話とは思えないような農奴のごとき待遇である。
それでいながら幹部たちは豪邸を建て、ハイヤーを雇い、その運転手の給料やガソリン代までも税金でまかなっている。
農民たちにしてみれば、その日の暮らしにも困っているのに、自分達の金で贅沢をされてはたまらないであろう。


そして「土皇帝」とは村郷において鉱山や工場などを経営し、多大な富を築き、まるで皇帝のように村郷に君臨する党幹部のことを指す。
もちろん資本家が企業を起こし公正な手段で裕福になっているだけならば、その反発は単なる嫉妬である。
しかし問題は、「土皇帝」が村人を不当に安い給料で酷使し、安全性を無視した環境で働かせ、事故が起きても補償せず、時には給料の未払いさえ起こしていることである。つまり幹部が権力を乱用して農民の権利を完全に侵害しているのである。
その一方で土皇帝は役人や監察官に賄賂を渡し自分達に不利な事実を揉み消し、親族たちだけで団結して利益を独占し「縁故資本主義」を始めるのだ。

このような「腐敗官僚」や「土皇帝」に反発し、農民たちの利益を代表して「農民領袖」が立ち上がり、頼りにならない地方官僚を無視して直接上級機関に陳情をするケースが増えている。
その過程で組織化し、過激化する集団が続出しているというわけである。これが現在起きている「上訪」問題の原因なのである。

もちろん治安と政権の安定を重視する共産党政権にとってもこの問題は重大であり、「上訪」した農民を罰するだけでは問題が解決しないことを理解している。
彼らは自分達の統治の及ばないところで村郷の幹部が勝手をしている状況を深刻に受け止めている。
中国の過去の多くの王朝が、地方の幹部が農民に重い徴税や刑罰を課すのを許した為に農民反乱を招き滅びていったのだから。

党の機関誌では「農民領袖」を英雄とみるかならず者とみるかで議論が交わされるなど、共産党内部にも「農民領袖」に同情する意見が存在しており、党中央組織の報告書は「最近発生した悪性の事件の大多数は幹部の粗暴な態度が引き起こした」と腐敗幹部を断罪している。

ちなみに例の仁寿では党政府の強い指導により事態は改善されつつあるという。
しかしその他の地域でも同様の問題は起きており、対処療法ではない根本的な制度の改革が求められている。

そこで共産党が音頭をとって実行した政策が安徽(あんき)省で実験的に行われた農民負担軽減政策である。
その中身は、農民の公共事業への無償労働力提供に対する制限日数の設定と段階的全廃。郷・鎮の留保金、義務教育の経費徴収の禁止などであった。更には国からの200万元の援助も与えられた。

しかしこの政策は予定をはるかに上回る税収不足を各村郷にもたらした。
特に各農村では学校教師に払う賃金が不足し、農村の義務教育制度が成り立たなくなってしまったのである。
農民の為に始めた政策が農民の教育水準を下げる結果になってしまったのだ。こうして実験は失敗した。

この義務教育の経費不足は全国的な現象であるらしく、税負担を減少させると多くの学校がとたんに破綻してしまうようだ。
中には学校内で子供に内職をさせて学校の運営費を稼ぐところもあるという。特に2001年には学校で爆竹造りの内職をしていた児童42名が爆死するという無惨な事故が起きている。

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農村内がこのような有り様なので都会に活路を求める者は当然増加する。
では外に出た農民たちにはどのような運命が待っているのであろうか。
それは「二等公民」としての差別的な待遇である。

(明日に続く)