戦略的貿易論。
それは「貿易黒字は善で貿易赤字は悪である」と考える人々が作り出した政策のことである。
90年代の日本は巨額の貿易黒字を抱えていた。
それは不況のせいで国内の消費が停滞し、余った資産が投資として海外に流れた結果にすぎなかった。
日本では使い道のない資産が海外でお金を必要としている人々の手に渡っていただけのことなのだ。
つまりこの貿易黒字は不況の産物であり、決して日本人にとって嬉しい出来事ではなかったのだ。
一方で自国の資金需要を満たせないで困っている国は、日本から流れる資金のおかげで経済成長をスムーズに達成できるという恩恵を受けていた。
だが「貿易黒字は無条件で良いことであり、それが多いほど国際競争力が強い証拠だ」と信じる人は、「日本ばかりが得をしている」と思い込んだ。
そして日本は不正な手段、貿易障壁による閉鎖的な市場により得をしている卑劣な国だと憎んだのである。
そのような世論を反映して、修正主義者(リビジョニスト)のエコノミストを迎えたクリントン政権により戦略的貿易論が生まれた。
それは日本に対抗してアメリカも市場を閉ざし、「輸入数値目標」を定めた通商協定を押しつける管理貿易政策を行おうというものであった。
この動きに対して、アメリカ内外の経済学者は猛反対した。
たとえばエコノミスト93年11月2日号では、日米40名の経済学者連名の記事「細川首相・クリントン大統領への公開書簡」が日本語で読める。
そこで彼らは
市場開放はそれを行った全ての国に利益をもたらすのであり、日本だけが得をしているわけではない。日本に対抗してアメリカが市場を閉鎖すれば、アメリカ自身にも損失を与えること。
貿易黒字や赤字は国内の貯蓄と投資のバランスの問題であり、市場の閉鎖性とは関係ないこと。
などを強調した。そしてGATTを通さずに貿易問題を強攻的に解決しようとする姿勢は、国際貿易秩序を破壊する危険行為であるとして批判した。
目的のためなら国際ルールを通さずに、スタンドプレーに走るアメリカの傾向を批判したわけである。
しかもその目的が妄想にもとづくものであれば、なおさらだ。
このようにアメリカではトンデモ理論に扇動された反日感情が高まっていたわけだが、そのような危険な事態に日本はどのような対応をしたのであろうか。
毅然とした態度で無謀な要求を退け、礼節をわきまえながら冷静に相手の過ちを諭したのだろうか?
残念なことに、トンデモが幅を利かせる事態は日本でも同様であった。
その代表的で無惨な実例が「前川リポート」と石原慎太郎氏の著書「NOと言える日本」であった。
「前川リポート」は86年当時の中曽根首相の私的諮問機関により制作されたレポートで、2つの点で間違っていた。
1つは、膨大な貿易黒字は自国が過剰に他国から利益を奪っている国際関係上よろしくない行為だという前提に立っていることである。
そのレポートは貿易黒字の削減を唱っていた。
しかし前回も言ったように、貿易黒字は善でも悪でもない。国内で余った資本が、資本の不足している国に流れているだけの話である。
「我が国の貿易黒字が他国に迷惑をかけている」というのは加害妄想である。
そしてもう一つは、その貿易黒字削減の手段として「海外直接投資を増加させるべきだ」と言い出したことである。
おそらくは「海外への投資を増やせば、生産拠点が海外に移って日本は輸入を増やすだろう。そうすれば、貿易黒字も削減されるにちがいない」なんて考えたのだろう。
しかし、貿易による収支は(貯蓄―投資)だ。これが正、つまり貿易黒字であるとは、もはや投資先のない余った自国の貯蓄資産そのものが、外国へ輸出されることを意味する。これは現実には海外の債券の購入を通して行われる。
そして海外直接投資は外国企業の株を購入することなので、これは資本を外国に貸し付けているわけである。
つまり海外直接投資を増やせば貿易黒字も増えてしまうのだ。
「前川リポート」は因果関係を根本から取り違えていたのである。
日本はアメリカの間違いを毅然と正すどころか、お追従をうちながらドブ川に足を突っ込んだのだ。
「おべっかつかい」が役立たずならば、勇ましきサムライたちはどうだろうか?
彼らは果敢にアメリカへと抗議した。しかし、それは貿易黒字が減らされることへの抗議でしかなかった。
彼らも貿易黒字は善であると信じている点で海外のトンデモさんと同じ穴のムジナだった。
サムライの正体は、貿易を国際間の闘争と見なす、カビの生えた重商主義の残党、落ち武者であった。
彼らは無礼な偏屈なナショナリズムを唱えるアメリカ人と同じように、無礼で偏屈なナショナリズムを鼓舞した。
アメリカが
「卑怯な日本人が陰謀により貿易を妨害し、不当な利益をあげている。団結せよ、アメリカ!今こそ日本を打ち倒せ!!」
と怒鳴ったように、日本のサムライは
「姑息なアメリカ人が陰謀により貿易を妨害し、不当な損失をもたらしている。団結せよ、東アジア共和圏!今こそアメリカを打ち倒せ!!」
と叫んだ。
礼節?
そんなものはみじんのカケラもありはしなかった。
その代表的な一例が石原慎太郎氏らの著書「NOと言える日本」であった。
(この本にはアジア共通通貨を目指せというどうしようもないアジテーションも書かれている。)
この行為は「日本人はナショナリズムにこりかたまった連中で、卑怯なマネをすることも辞さない連中だ」というアメリカの偏見に証拠を与えただけであった。
(参考文献:野口旭「経済対立は誰が起こすのか」)
それは「貿易黒字は善で貿易赤字は悪である」と考える人々が作り出した政策のことである。
90年代の日本は巨額の貿易黒字を抱えていた。
それは不況のせいで国内の消費が停滞し、余った資産が投資として海外に流れた結果にすぎなかった。
日本では使い道のない資産が海外でお金を必要としている人々の手に渡っていただけのことなのだ。
つまりこの貿易黒字は不況の産物であり、決して日本人にとって嬉しい出来事ではなかったのだ。
一方で自国の資金需要を満たせないで困っている国は、日本から流れる資金のおかげで経済成長をスムーズに達成できるという恩恵を受けていた。
だが「貿易黒字は無条件で良いことであり、それが多いほど国際競争力が強い証拠だ」と信じる人は、「日本ばかりが得をしている」と思い込んだ。
そして日本は不正な手段、貿易障壁による閉鎖的な市場により得をしている卑劣な国だと憎んだのである。
そのような世論を反映して、修正主義者(リビジョニスト)のエコノミストを迎えたクリントン政権により戦略的貿易論が生まれた。
それは日本に対抗してアメリカも市場を閉ざし、「輸入数値目標」を定めた通商協定を押しつける管理貿易政策を行おうというものであった。
この動きに対して、アメリカ内外の経済学者は猛反対した。
たとえばエコノミスト93年11月2日号では、日米40名の経済学者連名の記事「細川首相・クリントン大統領への公開書簡」が日本語で読める。
そこで彼らは
市場開放はそれを行った全ての国に利益をもたらすのであり、日本だけが得をしているわけではない。日本に対抗してアメリカが市場を閉鎖すれば、アメリカ自身にも損失を与えること。
貿易黒字や赤字は国内の貯蓄と投資のバランスの問題であり、市場の閉鎖性とは関係ないこと。
などを強調した。そしてGATTを通さずに貿易問題を強攻的に解決しようとする姿勢は、国際貿易秩序を破壊する危険行為であるとして批判した。
目的のためなら国際ルールを通さずに、スタンドプレーに走るアメリカの傾向を批判したわけである。
しかもその目的が妄想にもとづくものであれば、なおさらだ。
このようにアメリカではトンデモ理論に扇動された反日感情が高まっていたわけだが、そのような危険な事態に日本はどのような対応をしたのであろうか。
毅然とした態度で無謀な要求を退け、礼節をわきまえながら冷静に相手の過ちを諭したのだろうか?
残念なことに、トンデモが幅を利かせる事態は日本でも同様であった。
その代表的で無惨な実例が「前川リポート」と石原慎太郎氏の著書「NOと言える日本」であった。
「前川リポート」は86年当時の中曽根首相の私的諮問機関により制作されたレポートで、2つの点で間違っていた。
1つは、膨大な貿易黒字は自国が過剰に他国から利益を奪っている国際関係上よろしくない行為だという前提に立っていることである。
そのレポートは貿易黒字の削減を唱っていた。
しかし前回も言ったように、貿易黒字は善でも悪でもない。国内で余った資本が、資本の不足している国に流れているだけの話である。
「我が国の貿易黒字が他国に迷惑をかけている」というのは加害妄想である。
そしてもう一つは、その貿易黒字削減の手段として「海外直接投資を増加させるべきだ」と言い出したことである。
おそらくは「海外への投資を増やせば、生産拠点が海外に移って日本は輸入を増やすだろう。そうすれば、貿易黒字も削減されるにちがいない」なんて考えたのだろう。
しかし、貿易による収支は(貯蓄―投資)だ。これが正、つまり貿易黒字であるとは、もはや投資先のない余った自国の貯蓄資産そのものが、外国へ輸出されることを意味する。これは現実には海外の債券の購入を通して行われる。
そして海外直接投資は外国企業の株を購入することなので、これは資本を外国に貸し付けているわけである。
つまり海外直接投資を増やせば貿易黒字も増えてしまうのだ。
「前川リポート」は因果関係を根本から取り違えていたのである。
日本はアメリカの間違いを毅然と正すどころか、お追従をうちながらドブ川に足を突っ込んだのだ。
「おべっかつかい」が役立たずならば、勇ましきサムライたちはどうだろうか?
彼らは果敢にアメリカへと抗議した。しかし、それは貿易黒字が減らされることへの抗議でしかなかった。
彼らも貿易黒字は善であると信じている点で海外のトンデモさんと同じ穴のムジナだった。
サムライの正体は、貿易を国際間の闘争と見なす、カビの生えた重商主義の残党、落ち武者であった。
彼らは無礼な偏屈なナショナリズムを唱えるアメリカ人と同じように、無礼で偏屈なナショナリズムを鼓舞した。
アメリカが
「卑怯な日本人が陰謀により貿易を妨害し、不当な利益をあげている。団結せよ、アメリカ!今こそ日本を打ち倒せ!!」
と怒鳴ったように、日本のサムライは
「姑息なアメリカ人が陰謀により貿易を妨害し、不当な損失をもたらしている。団結せよ、東アジア共和圏!今こそアメリカを打ち倒せ!!」
と叫んだ。
礼節?
そんなものはみじんのカケラもありはしなかった。
その代表的な一例が石原慎太郎氏らの著書「NOと言える日本」であった。
(この本にはアジア共通通貨を目指せというどうしようもないアジテーションも書かれている。)
この行為は「日本人はナショナリズムにこりかたまった連中で、卑怯なマネをすることも辞さない連中だ」というアメリカの偏見に証拠を与えただけであった。
(参考文献:野口旭「経済対立は誰が起こすのか」)