玄文講

日記

更新停止

2005-10-24 00:31:46 | 個人的記録
たまに文章を書くのが嫌になるときがある。

今がそうである。

別に忙しいわけでも、書くことがないわけでもない。
犬とのケンカの続きや食い逃げの話とか、読んだ本の感想とか書くことは大量にある。
だが、書く必要も、他人様に読んでいただく必要もないとしか思えないのである。

文字を書けば書くほど、自分がバカになるような気がする。

他人様に見せるような文章ではないと思える。

バカでもいいし、金を取っているわけでもないので他人様を楽しませる義理もなく、書き捨てていればよいのだということは知っている。

しかし駄文を垂れ流して他人様をわざわざ不快にさせることはない。

そういうわけで、しばらくの間、更新を停止したいと思う。

冗談「靖国参拝」

2005-10-19 17:03:55 | バカな話
高校生のとき、歴史の先生が口癖のように何度も言うセリフがあった。

国内で政府への批難が強くなった時、政府は国民の不満をそらすために外にわざわざ敵を作るものだ。

そして昨今、靖国参拝問題において心ある人は言う。
「相手の気持ちを考えろ」
「今後の友好関係のために、相手のいやがることをすべきではない」

ならば答えは簡単だ。
それならば参拝を止めるだなんて不粋なマネをするのは失礼なことだ。
相手の気持ちを考え、今後の友好関係を重んずるのならば、もっと相手に拳を振り上げる理由を与えてやらなくてはいけない。

中国政府は私たちとケンカがしたいのである。
それは国民の政府への批難を外に向かせたいからだ。
沿岸部と内陸部の貧富の差の拡大。
為替相場制への移行に伴う国内の動揺。
発言力を増す資本家たち。
不安材料だらけの今こそ、外に敵が欲しいところだ。

しかし血の出るケンカも、お金のかかるケンカも、大事になるケンカはしたくはない。
それでいて、とにかく目立つケンカがしたいのだ。

そんな都合のいいケンカがあるわけがない。
しかし、あったのである。
それが参拝問題だ。

ああ、日本はなんて素晴らしいことをしてくれるのだ。
日本様様だ。

これほど人民の心をくすぐる出来事は滅多に起こるものではない。
人民は怒っている、怒っている、怒っている。
なんて好都合。これは是非とも利用しない手はない。
これを利用しないのは、よほどの低能か平和ボケしたマヌケだけだ。
火をつければあっという間に燃え上がり、喝采を浴びる英雄的行動「厳重抗議」をいくらでも行うことができる。

それでいて、実際に起きていることは、たかが神社に詣でているだけだ。
これを理由に経済摩擦が起きたり、戦争に発展することなんて、まずありえない。
起きることは、せいぜい、会談が何度か中止になったり、延期になることくらいだ。
安心して喝采を浴びる英雄的行動「厳重抗議」をいくらでも行うことができる。

血は出ない。
お金もいらない。
チンケな騒動しか引き起こさない。
それでいて、目立つ、目立つ。
パフォーマンス性抜群だ。

彼らの喜ぶ姿が目に浮かぶようだ。




参拝を止めれば、彼らは苦労して次のケンカをする理由を探さなくてはいけなくなる。
南京虐殺、某歴史教科書、材料はいろいろとあるが、これらは参拝問題ほど使い勝手が良くない。

政府間で話し合いが終わっていたり、一部の民間人の行動に過ぎなかったり、一国の首相が参拝してくれるのと比べれば弱すぎる批難材料だ。

それにケンカは飽くまでも、誇りを傷つけられた人民による自発的な行動であり、政府は人民の要望に応えているだけでなくてはいけない。
それには今回のように相手が先に墓穴を掘ってくれたほうが都合がいい。

ああ、考えれば、考えるほど、素晴らしきかな、靖国参拝。
中国のことを思いやる人ならば、参拝をやめさせるだなんて嫌がらせをしてはいけない。




国家間の友好と個人同士の友好を混同する必要はない。
国同士はせいぜいケンカをすればいい。

私は彼らと仲良くしよう。
私は彼らを我が家に招き入れよう。
私は彼らの幸福を喜ぼう。
それでいて、私たちは罵りあえばいい。

この罵詈雑言と憎悪が未来の平和に役立つと思うと、私は冗談の一つも言いたくなるというものだ。

天国への道は憎悪で敷き詰められている。

無駄

2005-10-16 11:46:06 | 個人的記録
習作4点。

この程度のイラストならいくらでも描けるのだが、問題は需要がないことである。
値段を高めに設定してイラスト一つにつき3000円を取るとして、生計をたてるには月40点を描かないといけない。
そんなに注文が来るわけがない。

結局、この能力も生きるには無駄なものでしかないわけである。

農耕民族の勝利

2005-10-16 06:17:34 | メモ
ブローデル「物質文明・経済・資本主義」読書メモ その2

14-19世紀までの世界の人口」の続き。

前回の第一章「人の数」の話は、その後、以下のテーマについて論じられる。

1)当時の人口密度
2)飢饉と流行病
3)数の力について

これら3つの話は互いに関連している。
まず飢饉と流行病は同じ現象の表と裏だ。

まずヨーロッパの主要作物である小麦や雑穀は収穫効率が悪く、土地を何度も休ませ、鋤(すき)でならして耕さなくてはいけなかった。

畑を鋤でならすには人力ではなく、牛馬、ロバといった家畜の利用が必要不可欠であった。
しかし家畜はそれ自体が牧草地や大麦など資源を必要とした。作物を得るために作物を投資することになった。
そして家畜は病原菌の源でもあった。ウイルスが家畜を媒介にしてより強力な生物へと進化するのは、現代でも鳥インフルエンザの実例が示す通りである。

つまり飢饉を逃れるために畑を耕し、そのために家畜を利用し、その家畜が疫病をもたらした。これが先ほど言った「表と裏」という言葉の意味である。
だからヨーロッパは飢えと疫病に襲われ続け、人口は一進一退を繰り返した。この本ではそんな多くの飢饉と疫病の記録を紹介している。

それに比べて当時のアジアで爆発的に人口が増えたのは、米が小麦よりはるかに収穫効率の良い作物であったからだ。
多くの家畜を飼い、食べる習慣もなかったので資源を浪費し、ウイルスを養うこともなかった。

疫病について付記しておくと、ヨーロッパ人はアメリカ大陸を易々と植民地化できたのは彼らのもたらしたウイルス、流行性感冒が原住民の多くを殺したからである。死亡者には王族もいたため、現地人の間で内乱が起き、白人に統一的に対抗できなかったということもある。

そしてアフリカ大陸の植民地化を妨害したのは、ヨーロッパ人にとっても未知のウイルス、マラリアや黄熱病が彼らを襲ったからであった。

話を戻すと、効率が悪くても農耕の力は偉大であった。アジアほどではなくてもヨーロッパも確実に人口を増加させていったのだから。

いつの世でも、高い人口密度を実現できたのは定住生活をする農耕民族であった。
子供を多く生むには定住生活が、安定したカロリー源を豊富に確保するには農耕が必須だったからだ。

人口は増え続け、1600年当時、ヨーロッパの多くの地域は既に土地の限界を超えた数の人間を抱えるようになっていた。以下はその人口密度の一覧である。

イタリア     44人/一平方キロ

ネーデルラント  40人/一平方キロ

フランス     34人/一平方キロ

ドイツ      28人/一平方キロ

イベリア半島   17人/一平方キロ

フィンランド   1.5人/一平方キロ

中国       20人/一平方キロ

イタリアとネーデルラントは産業化していたので比較的多くの人間を養えたが、フランスは既に一杯一杯であった。
フランスの生産力では一人の人間を養うためには、1.5ヘクタールの土地を必要とした。
多くのフランス人が外国に流れ、例えば1664年には4万人ものフランス人が自分達の出自を隠して敵対国スペインのマドリッドで暮らしていたという記録がある。
スペインの土地を耕したのはフランス人であったとさえ言える。

人口の増加はインフレを招き、多くの貧民を生んだ。
貧民の一部は社会の秩序を乱す存在として貧者救済施設に収容され、鎖でつながれて強制労働をさせられた。
その他の貧民は勝手に死んでいくだけの存在であり、栄養不足の彼らが疫病で優先的に死んでいくことは神の思し召し(おぼしめし)でしかなかった。

16世紀から17世紀にかけて起きた価格革命、大きなインフレの原因はアメリカ大陸で発見された大量の銀であるとも言われているが。実際の銀の流通量を調べてみるとインフレを説明できるほど増えていないことが分かる。

実際のインフレの原因は人口増加に比べて農作物の生産量が追いつかず、そのために価格の高騰を招いたことにある。
そしてフランスでは当時の多くの戦争、宗教紛争、貴族との内乱、30年戦争、スペインとの戦争等のために何度も増税が課された。
この時代の農民の暮らしは悲惨なものであった。


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そして最後は数の力についての話だ。
ローマを滅ぼしたゲルマン民族、一大帝国を築いた蒙古民族、支那を支配した満州族、大遊牧民が世界を駆け巡った時代があった。
だが彼らの多くは消えていった。
ローマ後の世界を支配したのは非ゲルマン民族たちであった。
満州族は結局、漢民族の数の中に埋もれていった。
東ヨーロッパ人を悩ませた遊牧民は18世紀には強力な銃火器の前に無力化した。
大遊牧民はなぜ負けたのだろうか?
それは彼らが農耕民族ではなかったからだ。
それ故に人口密度を増やせなかったからだ。

では何故、人口密度の高低が生き残る国と滅ぼされる国を分け、人類の繁栄を左右する非常に重要な要素となったのだろうか?
その理由を「銃・病原菌・鉄」から要約しよう。

人口密度が高いほど、技術面や社会構成においてより複雑で専門化された集団が形成される。

人口が増え、その上で食料が余れば、生産に直接関わることのない、特殊な仕事に専念する人間を抱える余裕が生まれるからだ。

税を集め巨大な国家事業を実行できる政治家。
戦うことだけに集中できる職業軍人。
侵略や諸々の活動に宗教的正当性を与える神官、聖職者。

中央集権国家の維持。
強力な軍隊。複雑な経済構造。
船や城壁、製鉄所などの大型建造物の製作。

つまり数の多さが余力を生み、分業化をもたらし、技術の進歩を実現させ、狩猟民族には不可能な行動を可能にさせた。
そのため農耕民族は遊牧民に勝ったのである。

床屋にて

2005-10-14 13:07:12 | 個人的記録
床屋でひげをそられながら、うたた寝をしていたところ、濡れたタオルを顔にかぶせられて窒息死しそうになった。
そんな昼下がりのひと時。