玄文講

日記

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道ばたの天才

2005-09-28 18:00:42 | 個人的記録
何年か前、高エネルギー加速器研究所(KEK)へ出かけたとき、それはちょうどKEKを外部に公開する日でもあった。

そこで私は道ばたに立って案内係を勤めている人を見かけた。その人物は、小柄で、頭髪の薄い、どこにでもいるおじさんのようだったが、私はその人をどこかで見た覚えのある気がした。

そして近づいてみて、そのおじさんが偉大なる小林誠氏であることに気がついた。
標準理論の重要なパラメータ「小林・益川行列」を発見し、ノーベル賞受賞最有力候補に挙げられている一流の理論物理学者だ。

その偉大なる学者が、道の真ん中に突っ立って、一般人の「あのー、会場はどこですか?」という質問に答えて道案内をしているのだ。

確かに小林氏もKEKのスタッフの一人であるのだから、そこのイベントで何かの仕事をするのは不思議なことではない。
それにしても、まさか彼らも、今自分がノーベル賞候補者に道案内されているとは夢にも思っていないことであろう。

そして小林氏がノーベル賞を取った時には、彼らは自分がそのノーベル賞受賞者に道案内させたことを思い出すこともなく、自分とは縁遠い人だと思いながらテレビに映る小林氏をながめるのだろう。

有名人が有名人になる前に出会っても、そんなことを覚えていられるわけがないのだから。

そう思うとおかしくなって、私は一人でニヤニヤしながら歩いていた。
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テスト投稿

2005-09-24 19:41:01 | 個人的記録
ああ、ああ
ただいま、ブログのテスト中。

ただいま、ブログのテスト中。

***

ブドウとてもおいしゅうございました。
ありがとうございました。
みずみずしく、弾力性がしっかりしていて歯ごたえがあり、糖度が高く、それでいて後味はさわやかで、素晴らしいブドウでした。
とても有難く思っています。

***

イラストは仕事でボツになった上野の黒門

***

合宿所の部屋でテレビを見る。
新人議員たちの初日の様子を流していた。

私の同僚たちの多くが冷笑していた。
「見ていて恥ずかしくなる」と言っていた。
私はもう彼らの顔も名前も忘れてしまった。
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発狂する瞳

2005-09-19 01:04:47 | 個人的記録
昔、用事で京都大学に行ったとき、そこでお世話になった院生の方は、毎晩表われる幽霊に悩まされていた。

彼はそれをただ自分にだけ観測できる現象として、それ以上も、それ以下の解釈もしていなかった。

それで、その幽霊の出る部屋に私たちはしばらく寝泊りしたわけである。
仮説と観測とを思考手段とする私たちにとって幽霊を見るというのはその程度のことである。
再現性の低い変わった現象の総称。その程度の意味しかない。


たとえば私は神も魂も信じていない。
世界は無心なるシステムであり、死は虚無である。

しかし、私も何回か「幽霊」という現象を観測したことはある。
私はそれらを人の魂だとは思っていないが、再現性の低い自然現象、生理現象として、「超偶然」に起きる怪異としてならば信じている。

そして私にも見えるものはある。
それは「瞳」である。

夜、闇の中に、それは表われる。
初めは一つだけ、闇の中に瞳が浮かぶのが見える。文字通り、闇の中にまぶたを持った眼球があり、それがこちらを見ているのである。
私がそれに意識を向けるとそれは増殖を始める。

一つは二つになり、二つは四つになり、四つは十六になり、
あっという間に空間が瞳で覆われる。
規則正しく格子状に並ぶ瞳で一面が埋め尽くされる。

それに対する恐怖は私にはない。
何故ならそれらは私の制御下にあるからだ。それらは私が許可したから表われたものなのである。
だから意識をそらせば瞳の群れは一瞬で胡散霧消する。

なぜそんなものが見えるのかは分からない。
恐らくそれはただの幻覚であり、私が持っている狂気の一部だ。

特別なことは何もない。
騒ぐことは何もない。
大げさに意味付けをする必要もない。
深刻ぶることもない。
ただのどこにでもいるキチガイというだけのことなのだから。


それはそうとして、明日から2週間、更新ができなくなります。
どうか無駄足を運ばないようにご注意ください。
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神に祈れば手がふさがる

2005-09-18 18:53:49 | 人の話
息子が分裂病になった人の記録がネットにあった。

愛する者が発病したことに対する絶望と、回復の兆しに希望を持ち、悪化の兆しに不安を覚える気持ちの揺れ具合が痛ましくもあり、励ましたくもある。

また家族の発病は精神的な問題だけではすまないことになっている。
治療費にかかる費用は、保健が適用されるようになった今でも重いものだ。
介護には人の手、母親や兄弟の協力が必要だ。そして介護者はそのために自分の時間を失わないといけない。それがストレスになり、家族内に新しい争いが生まれる。
治療の便利のために父親は病院の近くへ引越し、仕事も変えないといけなかった。
家族一人の病気は家族全員の人生に影響を与える。

負担する側はいつまで、それに耐えられるだろうか?
負担をかけた側は、回復した後に、その事実に耐えられるのだろうか?

そんなことを考えながら、そのサイトの掲示板を見たとき、私は嫌悪感で胸が満たされるのを感じた。

根本的な問題解決のためには、創造主なる神であるイエス・キリストに「この問題を解決してください」と祈ることをお勧めします。イエス・キリストは、私たちの罪をすべて担い、私たちの身代わりとなって十字架上で血を流して死んでくださいました。しかし、イエス・キリストご自身は神の御子であり、まったく罪がなかったので、3日目に復活しました。イエス・キリストは、今も生きておられます。そして、「私を信じるものは永遠の命を持つ」という約束をたずさえて、あなたの心をノックしています。あなたも、神に愛されているのです。ぜひ、次のように祈ってみてください。そうすれば、イエス様は必ずあなたの祈りに答えてくださり、あなたの人生を変えてくださいます。「イエス様、今、私はあなたを救い主として私の心にお迎えします。私のすべての罪をゆるしてください。そして、私の心に入って、私の人生を導いてください。」お時間があれば、お近くの教会に足を運んで、いろいろと牧師に相談してみてください。創造者なる神は、あなたを心から愛しておられます。

こういうことを、するから!

こういうことを、する奴がいるから!

こういうことを!こういうことを!

神に祈り、人を貶める愚劣なる悪魔のような羊。

神のために人を傷つけて、それに痛みを覚えない鈍感なるしもべ。

地獄への道を善意で敷き詰める知性もなく、品性もない人間。

こんなことを、するから!

こんなことを、する奴がいるから!


日常生活を営んでいる人に対して信仰を勧めるのならばいい。
しかし、心の病を治す最良の手段として信仰を勧める人間はただの詐欺師である。
いや、「ただの」ではなく最低の詐欺師だ。

信仰は、漢方薬や健康食品と一緒だ。
健常者にそれを勧めるならば、それは最悪の場合でも風変わりな習慣で済む。

しかし癌患者などに対して「治療の最良の手段」として漢方薬や健康食品を薦めるのならば、それは最悪の結果を招く。

なぜなら彼らは医学をバカにしているため患者を正規の治療から遠ざけさせて、癌を手遅れなまでに進行させてしまうからだ。

これも同じことだ。
信仰は治療の最良の手段ではない。
もし信仰に逃げて、治療を怠ったのならば、全ては破滅へ向けて加速を始める。

人は誰しも狂いうる。多かれ少なかれ狂気は万人の中にある。
しかしほとんどの人は、狂気を抱えながら日常生活を営むことができる。
ここでも、私はそういうことについて言及している。)

だが中には社会生活ができない状態になってしまう人がいる。
その場合、一刻も早い治療が必要だ。
放置すれば確実に人格の後退と、退化した状態での固定化を招く。
軟禁し、薬を投与し、環境を変えないと、その人の社会人としての人生は終わる。

そんなときに信仰を強制するなんて。
しかも心身ともに疲れた人間の弱みに付け込んで、自分の信念を他人に押し付けようとするなんて。
もしこの父親が彼らの忠告に従い神に祈ったとき、その息子の心は死に向かって転がり出すのだ。
これを最悪と言わないのならば、何を最悪と言おうか。


*************

私は昔のことを思い出す。

私が通う学校はカソリック系の小学校だった。

私の通った幼稚園は仏教系だったのに、うちの親は何を考えていたのだろうか。
答えは簡単だ。何も考えていなかったのである。本人に確認済みである。
おかげで私の机の引き出しには、今でも数珠とロザリオが入っているわけである。

(話は変わるが、どうやら最近の一部の界隈では、神に祈りをささげるためのロザリオは義兄弟のちぎりを交わすための道具であり、迷える羊を見守るのは神やイエスではなく聖母マリアであるらしい。)


しかし私に限らず、そこに通う生徒やその親は必ずしも熱心な信者たちではなった。
中には不動明王のお守りを肌身離さず持っている生徒もいて、しかしシスターや教師はそれを叱りはしなかった。

神父様やシスターは私たちにこうおっしゃられた。

「キリスト者ではなくても、神を信じていなくても、その生活が私たちよりも真のキリスト者に近い者がいる。」と


彼らは自分たちのほうが日本の中では異端であることを知っていたのだ。
そんな中では他人への寛容を示すことが、自分たちも寛容な扱いを受けるために必要なことであった。

だから進化論も教わったし、感想文に堂々と初詣や祖父の兄の為に靖国神社へ参拝したことを書いたし、信仰を強要されることもなかった。

私は中世の不寛容の歴史を持つ宗教から寛容を教わり、俗世と宗教を共存させるバランス感覚を身につけた。
その私から見れば

根本的な問題解決のためには、創造主なる神であるイエス・キリストに「この問題を解決してください」と祈ることをお勧めします。

これは軽蔑と反感と嫌悪と呪詛を招くだけの放言である。

しかしいつの世にも、この放言を信じてしまう人が必ずいることを私は知っている。
そしてその当然の帰結として破滅した彼らを救ってくれる神がいないことも私は知っている。

******

天にまします、我らが神よ

願わくば御名の尊とまれんことを (ゆえに御名を貶めるこの輩に罰を!)

御国の来たらんことを (ゆえに御国を遠ざけるこの輩に罰を!)

御旨の天に行われる如く地にも行われんことを (ゆえに御旨にかなわぬこの輩に罰を!)

我らに日用の糧を与えたまえ (ゆえに我らから糧を奪うこの輩に罰を!)

我らを試みにひきたまわされ 我らを悪より救いたまえ (ゆえに我らをこの悪から救い給え!)

我らが人を許す如く 天も我らを許したまえ (許しますとも 彼らが罰を受けた後ならば!)

アメン
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選挙には行かない(続)

2005-09-17 16:18:29 | バカな話
選挙に行かないという事は現在の政府を、現在の政治の在り方でいいと言う事ですよね。
いまの日本は赤字国債を馬鹿みたいに発行しまくって借金塗れです、その額なんと700兆
その700兆を返済できないので政府は増税案を出しました、そのせいで1世帯の非消費支出は60万ほど増えます
ですが少子高齢化が進む以上これからは社会福祉などの負担も増え我々の非消費支出は増え生活が苦しくなるでしょう
そんな日本でいいんでしょうかね?

まぁ貴方が年収億を越すリッチマンなら何も問題無いんでしょうけど・・・


というご意見を「選挙には行かない」のコメント欄でいただきましたので、返事をさせていただきます。

まず「選挙に行かないという事は現在の政府を、現在の政治の在り方でいいと言う事ですよね。」というご発言は、国民全員が参加する現在の選挙制度の有効性を前提にしておられます。

ですが私の記事は2つの理由で「全員(私)が選挙に行かなくても」、「政治の在り方を変えられる」ということを言っているのです。

1つは現在の選挙制度が統計を利用すれば全員が参加する必要はないということです。
つまり私を含めて全ての人間が選挙に行かなくても十分に民意を反映できるということが重要です。

ただ、これはそういう制度も可能だという話なので、今回の話とは関係ありませんが。
今回の話と関係するのは次の理由の方です。

もう一つの理由は、経済、政治にうとい人間が問題の本質を理解しないまま選挙に行けば、分かりやすい善悪の対立構造(小泉VS利権集団)で人気投票をしてしまい、問題の解決を遅らせかねないことです。

つまり思慮の浅い人間が無用な投票活動で現場を混乱させることで、かえって政治改革が遅れてしまうかもしれないということです。
ですから自分に知恵がないと思うならば、静かに見守ることこそが「政治の在り方を変える」のに役立つということです。

ですから私の理屈では、「選挙に行かない」=「現状肯定」ということにはならないのです。
むしろ現状を変えるために、適切な判断材料を持った他人に選択を任せる、という選択肢もありえるわけです。

乱暴に言えば「何も知らないやつは邪魔だから黙って見てろ」ということです。
そして私は何も知らないから黙って見ていたのです。


**************

次に「そんな日本でいいんでしょうかね?」というご発言は、今回の選挙が日本の将来を変えるということを前提にしておられます。

ですが私は赤字財政の改善はデフレを克服することでしか改善されないと考えています。

今回の選挙の争点である、郵政民営化とそれに伴う構造改革、緊縮財政は問題の解決には特に貢献しないと思っているのです。

ですから私にとっては、こんな日本でいいから選挙に行かないのではなく、こんな日本を変えることのできない選挙だから興味がなかったのです。

もちろんこれは私の考えが間違っていて、今回の選挙や郵政改革こそが日本の未来を明るくする(もしくは暗くする)のかもしれません。
そして、それならば選挙へ行き、小泉(もしくは反小泉)に投票することこそが国の将来を憂れう人の取るべき行為であります。

私の仲間の何人かもそういう考えで選挙に行きました。
ですが私はそうは思えないから、何もしなかったのです。現状でいいとは決して思ってはいないのですよ。
なにせ私も社会の底辺を這いつくばっている人間なのですから。

**************

私が構造改革では財政赤字が改善されないと思っている理由は、

bewaadさんの『文科系人間から見た「小泉改革の本質」』で解説されていることと同じもの(と言うか受け売り)です。

消費を増やす方向に仕向けないと事態は改善されない。
そのためにはインフレ期待を起こすことが大事で、構造改革は二の次だというのが私の考えです。

また構造改革、緊縮財政の意味に疑問を持ったり、財政改善に悪影響を与えることを危惧する意見も幾つかあります。

本石町日記さん
新・自民党と日銀の関係

svnseedsさん
南島行雑感
帰国雑感

渡久地明の時事解説
財政出動で債務の対GDP比が縮小する
どっちが勝っても構造改革、トホホ

田中秀臣の「ノーガード経済論戦」
跡田直澄『郵貯消滅』(PHP研究所)他を読む

(おまけ)
Economics Lovers Live
バンドワゴン
(私は徹夜で選挙に行かなかったことになります。)

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(追記)
「分かっている奴だけ選挙に行けばいい」という意見は、「小泉政権(もしくは反小泉政権)に投票する奴は無知な愚民だ。衆愚政治だ」という意見につながりやすいので注意しないといけない。

自分だけは愚かしさとは無縁だと思い、他人を衆愚だとみなす人間は嫌悪され、軽蔑されるだけなのだから。

私の言う「分かっている奴だけ選挙に行けばいい」というのは「関心を持ち、判断材料を持っている人だけが選挙に行けばいい」ということである。

関心を持つか否かは、頭の良し悪しとは関係がない。
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