「両性具有(アンドロジニー)」
社会生物学の考え方を通して、人はなぜ両性具有者にならないかを考察した。
人が「両性具有(アンドロジニー)」にならない理由
そして、それが優生学とは関係ないことを以下で強調した。
自然は不道徳であり、道徳は不自然であることについて
更にフェミニズムや自己中心的な人が陥る「自然」と「道徳」の混同について以下で何度も批判している。
昨日の続き
与那原恵「自殺志願者という物語」
「魂の座」
意識と無意識の差について論じ、ついでに脳死についての意見を書いた。
首なしニワトリ ~魂の座1
「自分探し」 ~魂の座2
魍魎の匣 ~魂の座3
脳死について
筆がすべって、「
殺人論」なんかも書いてしまった。
正論のつもりだったのだが、毒舌と言われてしまった。
「
思い出不要」
そういえば、私は自分の昔のアルバムを全て処分したことがある。
おかげで6歳以前の私の記録は一切残っていないのである。
思い出すことも、思い出されることもなく、思い出不要。思い出不要。
「
感覚は科学に反抗することについての短い考察」
私は「人間原理」が嫌いなはずなのに、内容が「人間原理」みたいだと言われた。
「人間原理」は自我に重きを置き、世界を虚構とみなす考え方である。
私は逆に世界に重きを置き、自我を虚構とみなしているのである。
「
昨日には遠すぎる」
「
博士の愛した数式」に出てきた前向性記憶障害について述べたもの。
その障害とは、この病気の発症時以降の出来事を記憶する能力が失われるというものである。
こんな興味深い症例があまりよく知られていないなんて意外である。
「
金縛りにあったこと」
同僚にこの話をしたところ「それは心霊現象では?」なんて言われた。
なるほど、思いつきもしなかった。
たしかに霊山で雷雨の中、墓地に迷いこんで、石碑にぶつかりながら歩いたが、心霊とは予想外の原因である。
そう言えば、その竹林寺の近くにある牧野植物園で見た、植物学の大家、牧野先生が若い頃に書いた10訓の1つに
「不思議なことをすべて神様のせいにするな」
という意味の言葉があったのを思い出した。