玄文講

日記

ベランダから帰ってはいけません

2006-12-28 16:47:39 | 個人的記録
余談。
うちの会社の借金が一千万円ほど増えたので、祖父からもらった一千万円はその穴埋めに使うことになった。
かくして必要な金が必要な時に手に入るという私の信仰は守られたのである。
めでたし、めでたし。

閑話休題。
昨日のことである。
知人から変な電話があり、その後、その母親と一緒に謝罪にやって来た。
知人は泣き叫んだりして、とても謝罪という雰囲気ではなく、自宅でゆっくり静養させた方がいいような状態であった。
そこでお帰りいただくことになった。

……なったのだが、その知人はエレベーターからではなくベランダから地上に向けてお帰りになさろうとした。
簡単に言えば、10階の高さから飛び降りようとしたのである。

かくして知人の母親たちと一緒になって取り押さえて、冬の空に怒号とか悲鳴とか絶叫が響いたわけである。

この知人が自殺騒ぎを起こすのは今年で何度目だろうか。
いずれも未遂に終わっている。
それはいつも人目につくところで、自殺しようとするからだ。
毎回誰かが止めてくれている。
前回は父親の前でやって錯乱した父親からうちに電話があったりした。

これは狂言自殺だとか、自殺するつもりはないということではない。
たとえば今ここで手を離せば、知人は地面に落ちて潰れて死ぬだろう。
この自殺未遂は、知人にとって理解されるために必要な自己主張なのである。
だから自殺は人前で行われ、自己主張に失敗すれば、つまり誰も止めてくれなければ死ぬだけなのである。
目的は死ぬことにない自殺が、この知人の自殺なのだ。

他人の苦悩は理解できるものではない。
せいぜいが見当違いな思い込みによる分析をして、役に立たない人生訓を垂れ流すだけである。
だから私にできることはない。ただ今までと変わらない態度で接するだけである。
この知人にまず必要なのは適切な治療であろう。
精神の乱調は他人の人生訓を聞いて治るものではない。
医者にかかり、抗鬱剤を処方しながら精神の安定を図り、正常な判断力を回復させるのが先決だ。

そんなことを思いながら、目を転じて風景を眺めてみれば、世界はとても美しかった。
雲、建物の白い壁、そして雨上がりの水滴が太陽の光を反射して輝き、空と街並と路地のどれもが眩しい。
冬にしては暖かな風が吹き、ホコリは雨にさらわれて空気も清々しい。
私たちにはろくでもないことばかりしか起きないが、世界はいつでも美しい。