玄文講

日記

石丸次郎「北のサラム」

2004-11-26 21:17:47 | 
この本の著者である石丸氏はあの瀋陽亡命を手引きしたこともある報道屋である。
そんな石丸氏が北朝鮮の難民への取材を通して、彼の国の内状を調査したものをまとめたのがこの本である。

まず私はこの本を読んで、北朝鮮のあまりの統治能力のなさに驚いた。
私はニュースも新聞も見ないので世間で取り上げられている北朝鮮の話をほとんど知らない。
拉致家族が日本に来ていることを最近まで知らなかったくらいだ。だからこの本ではじめて彼の国の惨状を私は知ることができた。

まず何よりもかの国の飢餓状態に驚かされた。
近年、世界の飢餓状態は確実に改善されている。
緑の革命などによる品種改良により、より過酷な環境でも生育し、より多くの収穫を得られる作物が存在するからだ。
昔は地理的要因で飢餓になる国が多かった。
たとえば中世ヨーロッパで飢えが多かったのは、アジアで生産できる米と比べて小麦の収穫量がはるかに低かったからである。

しかし現代では地理要因が原因で食糧危機になる可能性は確実に減っている。
現在の飢えの原因は政治が不安定なために、近代的な農業技術が導入できないために起こることが多い。
北朝鮮がまさにそれである。

公式には存在しないはずの孤児が闇市にあふれ、彼らは道ばたに落ちたゴミを食べ、毎日何人もの子供が餓死や凍死している。

女たちはパン一つの為に春を売り、花嫁や売春婦として中国の農村に送るべく女衒(ぜげん)に買われていく。

日本で朝鮮人として差別され、60年代に楽園を期待して北朝鮮に戻った人々は、今度は日本帰りとして差別されて孤立し、その孤立した中で更に2つに分裂して争いあう。

食べ物を求めて家を出た男たちは二度と戻らず、政府への不満を漏らした者はある日突然に家族ごと消えてなくなる。

中国に逃れても男たちは難民狩りに怯えて家から一歩も出れない日々が続き、女たちは強姦されても誰にも訴えられないような立場に置かれる。

そんな中でも政府の人間だけは豊かになっていく。
まるで中世暗黒時代の再来である。

しかも北朝鮮での生活は互いが互いを監視しあい、密告しあう生活で、家族や恋人にさえ本音を話すことができない。そのため人々の間に連帯感は生まれず、反政府運動がまったくできない。それどころか少しでも上役に自分の印象を良くしようと、隣人たちについてあることないことを密告しあうありさま。

「弱い者は自分より更に弱い者を探して噛みつく」を地で行くていたらくである。

そんな環境で育った彼らに社会性はほとんどなく、亡命に成功しても定着支援金で美容整形をしたり、生活に不要な高級品を買い漁り、詐欺に簡単にひっかかり、亡命を手伝ってくれたNGOを逆恨みして悪口を言いふらす。

難民支援団体からも彼らの性質として

必要のない嘘をつき、他人の悪口を言い、せっかちで、視野狭窄、媚びへつらい、その場しのぎ、他人を信じず、自己中心的で、被害者意識過剰で、口が軽く、おまけに男はたいがい怠け者

と言われる始末である。
一切の自由を許さない全体主義と密告を奨励する恐怖政治が人間の人格を破壊しているのだ。
これでは政権が崩壊し、南北が統一しても大量の生活能力のない難民が溢れるだけであろう。
隣国の夜明けの遠さにめまいを覚える。

彼らの不幸について私には何の責任もないし、一番悪いのは統治能力のない北朝鮮政府であるのだが、今日の惨事の遠因は日本の過去の失策にあることも明確な事実である。

だからどうしろと言うつもりはないし、マキアヴェリも「恩を売ったから過去の怨念が消えると思うな」と言っているし、公的には賠償を済ませているし、実用的な軍事力もない日本に北朝鮮をどうにかできるとは思わないし、日本に大量の難民を受け入れる余裕もないだろう。
ただ私は自分の見たい現実だけを見るつもりはなく、その事実を無視できるほど鈍感になれそうにはない。

この本を読みながら、私はそんな誇大妄想的な暗いことばかりを考えていた。
一国の命運を思案するなんて私は一体何様のつもりだろうか?

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