玄文講

日記

サイト紹介(2)

2005-07-26 21:15:13 | メモ
今日は面白いサイトを幾つか紹介したいと思います。

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All your base are belong to us

日本製ゲームの英語の間違いが海の向こうで大ウケして作られたFlash。(詳しくはこちらを参照。)

コラが見事で面白い。

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閑。

ここを見ていると、下らないことは素晴らしいと思える。

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ドラゴンクエストⅡ 任侠鉄砲玉伝説

あの冲方氏の書いた文章。下らない話がいつのまにか立派な物語になっているのは流石。

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永井俊哉ドットコム

文章が大量に置いてある。読んでも読んでも尽きないのが嬉しい。

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激枯れ!糞対談!!

ウンコー!うんこー!クソ!糞!ウンコー!

メモ;J・ロック

2005-07-24 16:55:53 | メモ
「自然権」批判のために以下を調べています。
何も知らないので、まずは初歩の初歩からやっています。

1)ホッブス

「メモ;ホッブス」
ピンカー「人間の本性を考える、暴力の起源」

今回はロックについて簡単に調べました。

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ロックもホッブスと同じように王権神授説を批判し、神によって保証された王の絶対権力を否定した。
そして臣下のものは全て君主の所有物であるという考え方を否定して、「私有財産の不可侵性」を唱え、政府はその保護と管理を行う為に存在することを論理的に導こうとした。

ロックもその論理の出発点を自然状態に求めた。
しかし彼の考えたそれはホッブスのそれとは異なる。

ロックの自然状態において、人々は平等であり、各自が自由に自分の財産や身柄を扱うことができる。
その状態で闘争が起きないのは、人間が理性によって生きているからである。つまり人間は生来的に他人の生命、財産、自由を侵害すべきではないという自然法の中で、自然状態で生きているから、世界は平和そのものなのである。

これはホッブスが自然状態を純粋に外生条件として捉え、その中で生きる人間の生存権として自然法を考えたのとはだいぶ異なる。
ホッブスの方では自然状態と自然法は明確に区別されている。

それに比べると、ルソーの方では自然状態で生きるのが自然法であり、自然法を守ると自然状態になる。
この2つがどう違うのか分かりにくい。

個人的な意見を言えば、理性的な人間なんてあまりにも空想的過ぎると思うのである。
しかし、ここではルソーの意見に沿って、いかにして人類はその自然状態から政治社会へと移ってしまったのかを見てみる。

そのような変化が起きた原因は、私有財産が発生したから、貨幣が発明されたからだとロックは主張した。

自然状態で人は自分の肉体の「労働」により自然から恵みを得る。
彼らは自分に必要な分だけを所有し、消費するので、所有権には限界がある。
食べきれない食べ物や大量の道具を持っていても、腐らせたり無駄になるだけなのだから。

しかし貨幣が発明されたことにより、貯蓄性という貨幣の性質のために、所有権に限界がなくなってしまった。
つまりお金はあればあるほど自分にとって有利になるということだ。

貨幣の発明により、各自の労働量によって貧富の差が生まれる。すると財産をめぐる争いが生じ、人々は自分の財産を守るために自分の権利を公共の手にゆだねて、私有財産と自由の調停をするという契約のもとで政府が生まれるのである。


ロックの思想の背景には1640年から20年間続いたイングランドの政変「ピューリタン革命」がある。
ピューリタン革命は統治の主権を誰におくかをめぐる争いであった。
その議論に答えを出すためには、そもそも何故「主権者なるものが必要とされたのか」を答えなくてはいけなかった。

そこでホッブスが「リヴァイアサン」による社会契約論、平和のために主権者に強制権力を渡すことが必要だと主張したわけである。

しかしそれは主権者の権利を強調するものであり、制度や法の下で主権者を管理するという視点に欠けていた。
そこでロックは立法部たる議会(国王、上院、下院)に最高権力、主権を与える市民政治理論を考えた。
国王の権利は議会の制定する法や議会自体により制限されるとしたのだ。
やがて19世紀のイギリスでは議院内閣制が確立され、議会が国王を抑えて主権者として定着することになる。

そしてロックは暴政に対する抵抗権、革命権を考えた。財産と自由を守るという契約を破った主権者には従う必要がないとした。
まずは国を良くするために抵抗し、専制支配が改良を受け付けなければ「神に訴えて」革命を起こしてもいいとしたのだ。
こうして社会契約論はその礎を完成させたのである。

(参考文献)
「政治思想の基礎知識」

(05/07/29追記)

ピューリタン革命について

1640年から20年間続いたイングランド政変。

それは官僚たる宮廷に対する金銭的にも宗教的にも抑圧されている側、地方の反抗である。

絶対主義国家はその維持に莫大な経費を要し、それを負担したのが農村の有力地主と都市の商業資本家たちであった。
彼らは議会を通して宮廷を管理し、出費を抑えようとした。
やがて、その運動には社会の下層者も参加するようになり、宮廷と癒着した国教会制度の改革要求にまで発展した。
その改革の要求者が「ピューリタン」である。

1640年11月3日 長期議会開会

1649年1月30日 国王チャールズ一世処刑

1660年5月1日  王政復古

長老派(保守派)議会を政治的基盤とする。46年5月頃まで主導権を握る。

独立派(中道的革命派)議会軍を政治的基盤とする。49年以降に主導権を握る。指導者はO.クロムウェル。

平等派(急進的革命派)ロンドン中層市民を政治的基盤とする。革命後期前半(50年代)に主に活動した。指導者はJ.リルバーン。

「平等派の啓蒙主義」

教会を国家機構の一部に組み込み、国民全員を強制的にそれに加入させるシステムへの反発。

教会への自由加入制。教会のメンバーたらんとする者は教義を自発的に承認し告白し、信仰告白にふさわしい道徳を実践する者でなくてはいけない。教会はそれを審査し、入会を許すか否か(教会契約への参加)を決める。

良心(実践理性)の所有者としての個人の主体性を重んじる。

「人民協約」

平等派が47年10月、48年12月、49年5月の三回にわたって発表した政治綱領。

1)人民主権 
2)人民から選挙で選ばれた者からなる議会権力の最高性 
3)信仰の自由、法の平等を侵害できない議会の限界性

を主張した。社会契約を含む新憲法草案である。
全国民から署名を集めて議会に協約を新憲法として批准させようとしたが、署名を集める段階で失敗した。

「ルネサンスの啓蒙主義」

ルネサンスとは合理主義であり、合理的な理性の所有者としての個人の主体性が考えられた。
ホッブスもルネサンスの個人主義的立場から当時の王権神授説を批判している。

しかしルネサンスはルネサンス国家たる宮廷に好意的だったので革命を傍観した。
そのためルネサンスは国教会の改革を行うことができなかった。

来客

2005-07-23 13:50:30 | 個人的記録
昨日、突然、何の連絡もなく警察官をしている元同僚が研究室にやってきた。

正確には2週間前から

「ひさしぶり?元気」

「最近どう?忙しい?会えるといいね」

「今週末、大丈夫?」

というメールが彼から来ていたのだが、出会い系だと思い無視し続けていた。
そして連絡がつかないまま彼は「多分あいつなら研究室にいるだろう」と思って来てみたら、案の定、私がいたというわけである。

慌てて紙くずと生ゴミの散乱した部屋を掃除して、床に散らばった本の山をダンボールに押し込み、押入れの奥から布団を取り出し、警察官に見られると困るものを全て部屋から運び出して隠し、カビだらけの風呂を洗って、彼を泊める準備をした。

彼は核融合炉の数値シュミレーションをしていたのだが、なぜか警察官になった人だ。
理系出身の警察官は珍しいそうだ。

いろんな話を聞いたが、ほとんどは書けないような話であった。
まぁ、書いても大丈夫そうな(彼の身元がばれなさそうな)話を一つ。

現在の警察は実績主義で成績がつけられているらしい。
実力主義で大変けっこうなことだと思ったが、彼が言うには「おかげで業績にカウントされない事務仕事や雑用を誰もやりたがらなくなって仕事の効率が落ちている」らしい。

彼は現在テロ対策をしているのだが、それは「検挙するような事件が起きるのを防ぐ仕事」なので、検挙率最下位の成績がつけられてしまい、上司に怒られたという。

ピンカー「人間の本性を考える、暴力の起源」

2005-07-21 19:17:54 | 
「メモ;ホッブス」で紹介したスティーブン・ピンカー「人間の本性を考える」の17章では「暴力の起源」と題して、人間の暴力は生得的なデザインの一つであることを説明している。
同僚からリクエストがあったので、今日はその内容を紹介したいと思う。

まず、そこで主張されていることは
生物の歴史において必要に応じて暴力性を発揮することが戦略的に有効であったから、人間は暴力性を獲得した
ということである。

これは暴力的な人間は不幸な子供時代、すさんだ環境、愛情の不足した家庭環境が生み出したものであると信じる人にとっては許しがたき偏見に思えることだろう。

たとえば暴走族や不良グループの仲間になる若者は、親の愛情が不足しているからあのような暴力的な行為に走るのだと主張する人がいる。(最近読んだ本にもそういうことが書いてあった。)

しかし私の知る限りでは、彼らが不良グループに入る原因はそれだけではなかった。
それは自分を見せびらかして周囲になめられないようにするためであったり、孤立することで鴨にされないための作戦でもあった。
暴走行為や暴力が楽しかったというのも大きな理由であろう。
知らない人もいるかもしれないので念のために書いておくと、他人を攻撃するのは楽しいことである。
仲間を作ったり、ケンカをしたり、騒いだり、スピードに身を任せたりするのは楽しいことである。
(偏見かもしれないので括弧書きするのだが、致命傷を負わず、また他人様に迷惑をかけないように規則を作って暴力を楽しむのがスポーツや格闘技の面白さではなかろうか。)

彼らは家族から愛され、家族を愛し、その上で暴走し、暴力を楽しんでいた。
個人的な経験を普遍化することはできないし、確かにひどい家庭が原因で不良をやっていたような人もいたが、「愛情不足だけが暴力の原因だ」と言われては、それは違うと思うのである。


つまりホッブスの言うところの、人間は自然状態では「万人の万人に対する闘争」になりうるということである。

ピンカーはホッブスの言う3つの暴力の起源を分析している。


1つ目は競争である。これは自然淘汰でもある。
自分自身の生存のために、また子孫を残すために、人は太古の昔から他の村を襲撃し、女性を誘拐した。
人間は仲間内では善良な紳士であっても、他のグループに属する者は動物のように殺すことができる。

そしてこれを防ぐためには、他のグループに属する者も人間であることを思い出せばよい。
その一例としてピンカーは、作家のオーウェルがスペイン戦争に参加中、ずり下がったズボンを慌てて上げながら逃げ惑うドイツ兵を見て、親近感を抱いて彼を狙撃しなかったという事実をあげている。

2つ目は不信である。相手が自分を害そうとしているのならば、先にこちらから相手を滅ぼした方がいい。
そして双方ともそのように考えているのならば、先に攻撃されると困るわけである。
だから相手が先に自分を攻撃しないように、虚勢をはって自分を本来より強く見せて牽制しておく必要がある。

そのような互いが互いの不信感ゆえに、際限なく力を求め誇示し続ける行為の一例が冷戦時代の軍拡競争である。

そして時として虚勢は自己欺瞞となり、自分自身が本当はありもしない力を持っていると思い込むようになることもある。
歴史上、それが戦争において無謀な自殺行為をもたらしたこともあった。終戦直前の日本軍もその一例であろう。

3つ目は名誉である。法が整備されていない時代において、なめられないことは身の安全の為に何よりも必要なことであった。
自分や家族の権利と財産を守るためには、侮辱したり危害を加える恐れのある人間は許さず、家族を傷つけた者には必ず復讐し、名誉の為にあらゆる犠牲を払う必要があったのである。
彼らを守ってくれるのは法ではなく、「あいつらは名誉を守る連中だ」という評判であった。

だから建国時から法の整備がしっかりしていた国(カナダとか)では、侮辱されても寛容な国民性が形成されているとピンカーは言っている。

また不良グループに入った私の知人たちにも名誉の心理を見ることができる。



このように暴力に走りやすい人間は、統治されなくてはいけない。
1969年当時、熱狂的な無政府主義者だったピンカーは、モントリオール警察がストライキに入ったその日に、いきなり6件の銀行強盗と100件の商店略奪と12件の放火が起こり、300万ドルの損害を出した事件を受けて、政治感がズタズタになったそうである。
ホッブスが主張したリヴァイアサンが必要とされるわけである。

しかしピンカーは無政府状態で殺された人間も多いが、政府が率先して国民を殺害する事例も多いことを指摘している。
ゆえにホッブスの言うような国民の権利を全て預かるような政府ではなく、きちんと誰かに管理された政府が必要であるとしている。
(これは革命権を正当化したロックの政府に近いものがある。人間観はホッブスが正しく、政府はロックの方がいいということだろうか。)


以上がピンカーの本でなされているホッブスの人間観についての考察である。