真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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「ヴォーグ イタリア(2012)」 モノクロで見るブロンドのミランダ・カーと黒髪ヌードのミランダ・カー

2012-12-15 | ファッション写真








 いぜん何度かここで取り上げた「ミランダ・カー」、彼女の姿を日本の媒体でよく見かけるようになった。日本版の写真集なんて発売されてすっかり有名な彼女だが、以前のほうがもう少し可能性のあるモデルだったと思うのだが。とはいえ、この写真の彼女は、なかなか可愛いらしいので取り上げることにした。
 モデルは大体が美人である。そして美人には無表情が映える。実際ファッション写真多くはそのように撮られている。にもかかわらずミランダ・カーはニコニコ写真が多すぎるのは、彼女が「美人」というより「可愛い」からだろうか。そうとも限らないと思うのだが、「Victoria’s Secret」のショーなどに顕著なように、彼女は過剰に「ニコニコ」している。まるで「ニコニコ」しか表情がないかのように。なぜそこまでと思うほど表情が「一通り」になってきている。彼女の本質が「明るくて活発」な「健康優良児タイプ」なのかもしれないが、だからといってニコニコする必要はない。下のヌード写真は「褐色の肌」と「自然なニコニコ笑顔」の組み合わせで「健康美」を強調しているみたいだが、退屈である。「明るく健康」であればなお余計に「影」の部分や「官能的」な側面を引き出せる写真家と組んだほうがいい。でなければ彼女は早晩に「ニコニコ」ののっぺらぼうとなるだろう。
 「ニコニコの笑顔」はむしろその人物に固有の個性を覆い隠すものである。過度な「表情」は縁日のお面なのだ。ニコニコは通俗であり世間へのお愛想である。ファッション・モデルたるもの世間にお愛想など振りまく必要はない。個人的に「ファッション写真」も「モデル」も、「通俗」を超えて得もいわれぬ「非日常」を立ち上がらせたときに魅惑を感じる。こちらの「不勉強」もあるだろうが、僕が初めて見つけたころは「色々な表情」を見せる「ポップさ」こそ彼女の身上だった。「お愛想の笑顔」はもう記念写真用にとっておいていい。(渡部幻)








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