ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「若き日の詩集」新川和江 編

2018-08-27 04:43:07 | 詩歌


小説・評論、などに比べると詩集を読むことは少ない。というよりほとんど無いです。昔はそれでも少しは知っておかないと、的に幾つか買って読んだりしたのですが、ボードレールとかそんな感じでまあいいんですが、それ以上に進まなかったのでした。
そんな中、購入して何度も繰り返し、今に至っても読んでいる一冊がこれであります。

これは詩人・新川和江さんが選ばれた詩編です。
「若き日の」と題されたとおり青少年期のみずみずしくも切ない心情を表したものが多く、今読むとなお胸に染み入るようです。






以下、内容の詩を記載します。







「鳩」  高橋睦郎 


その鳩をくれないか と あのひとが言った
あげてもいいわ と あたしが答えた

おお なんてかあいいんだ と あのひとがだきとった
くるくるってなくわ と あたしが言いそえた

この目がいいね と あのひとがふれた
くちばしだって と あたしがさわった

だけど と あのひとがあたしを見た
だけど何なの と あたしが見かえした

あんたのほうが と あのひとが言った
いけないわ と あたしがうつむいた

あんたが好きだ と あのひとが鳩をはなした
逃げたわ と あたしがつぶやいた
あのひとのうでの中で






光景が目に浮かんできます。
鳩の羽ばたく音が耳に聞こえてくるようです。


そして





北の海   中原中也
 
海にいるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にいるのは、
あれは、浪(なみ)ばかり。
曇(くも)った北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪っているのです。
いつはてるとも知れない呪。
海にいるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にいるのは、
あれは、浪ばかり。




中原中也の詩の中でも
特に幻想的で
ぞくりとくるような
怖さがあります。






そして最後はポール・エリュアールの「自由」が
高らかに歌い上げられます。


自由  ポール・エリュアール
    安東次男訳

ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹木の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く おまえの名を   
読まれた 全ての頁の上に
書かれてない 全ての頁の上に
石 血 紙あるいは灰に
ぼくは書く おまえの名を
金色に塗られた絵本の上に
騎士たちの甲冑の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く おまえの名を
密林の砂漠の上に
巣の上に えにしだの上に
ぼくの幼年の日のこだまの上に
ぼくは書く おまえの名を
夜々の奇跡の上に
日々の白いパンの上に
婚約の季節の上に
ぼくは書く おまえの名を
青空のようなぼくの襤褸(ぼろ)の上に
くすんだ日の映る 池の上に
月のかがやく 湖の上に
ぼくは書く おまえの名を
野の上に 地平線に
小鳥たちの翼の上に
影たちの粉挽き場の上に
ぼくは書く おまえの名を
夜明けの一息ごとの息吹の上に
海の上に そこに浮ぶ船の上に
そびえる山の上に
ぼくは書く おまえの名を
雲たちの泡立てクリームの上に
嵐の汗たちの上に
垂れこめる気抜け雨の上に
ぼくは書く おまえの名を
きらめく形象の上に
色彩のクローシュの上に
物理の真理の上に
ぼくは書く おまえの名を
めざめた森の小径の上に
展開する道路の上に
あふれる広場の上に
ぼくは書く おまえの名を
点くともし灯の上に
消えるともし灯の上に
集められたぼくの家たちの上に
ぼくは書く おまえの名を
二つに切られたくだもののような
ぼくの部屋のひらき鏡の上に
虚ろな貝殻であるぼくのベットの上に
ぼくは書く おまえの名を
大食いでやさしいぼくの犬の上に
そのぴんと立てた耳の上に
ぶきっちょな脚の上に
ぼくは書く おまえの名を
扉のトランプランの上に
家具たちの上に
祝福された焔むらの上に
ぼくは書く おまえの名を
とけあった肉体の上に
友たちの額の上に
差し伸べられる手のそれぞれに
ぼくは書く おまえの名を
驚いた女たちの顔が映る窓硝子の上に
沈黙の向こうに
待ち受ける彼女たちの唇の上に
ぼくは書く おまえの名を
破壊された ぼくの隠れ家たちの上に
崩れおちたぼくの燈台たちの上に
ぼくの無聊の壁たちの上に
ぼくは書く おまえの名を
欲望もない不在の上に
裸の孤独の上に
死の足どりの上に
ぼくは書く おまえの名を
戻ってきた健康の上に
消え去った危険の上に
記憶のない希望の上に
ぼくは書く おまえの名を
そしてただ一つの 語の力をかりて
ぼくはもう一度 人生を始める
ぼくは生まれた おまえを知るために
おまえに名づけるために
自由(リベルテ)と




これはこの本の表紙絵を描いている大島弓子のマンガ
「「ローズティーセレモニー」で
効果的に引用されています。
若い日の熱い思いを感じされてくれます。
老いてから熱くなっても良いですけどね。


一人の詩人の詩集を読むことが正道なのかもしれませんが、この本のように
あるテーマでまとめられた詩集もあって良いと思うのです。
惜しむらくは新川さんご自身の詩が一つでも入っていたら、と思われるのです。
それでもこの選ばれた詩を読めば、新川さんがどのような眼差しを持たれているのか、感じられる気がします。

ここには含まれない新川さんの詩をひとつ引用させてもらいます。
 
わたしを束ねないで
              新川和江
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂

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