ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「99粒のなみだ」寺山修司

2018-09-04 07:02:39 | 詩歌


1975年・第11刷を持っています。「あなたの詩集・寺山修司★編」というシリーズです。このシリーズで持っているのはもう一冊、10番目の「鏡の国のあなた」です。どちらも絶版。わがブログ恒例の「絶版シリーズ」ですね。

アマゾンで見ると「99粒のなみだ」は今のところ古本で買えるようですが、「鏡の国のあなた」は古本もないようです。

寺山修司については他にも数々語りたいことがありますが、今回は特に私が一番初めに感動したエピソードから書いてみたいと思うのです。

これは(たぶん)一般の女性(それも少女たち?)からの応募作品を寺山修司氏が選んで本にした、というもののようです。
「99粒のなみだ」の中には、ほかにも著作を出されている伊東杏里の「あんりとぱうろ」が入っています。「地獄の天使」という喫茶店を経営するふたり、というお話と美しい少年の美しいお話のバージョンがあります。そして3つめの詩のタイトルが「99粒のなみだ」でこれをそのままほんのタイトルにされているのですね。
どれも美しいものが大好きな少女が憧れる世界です。

彼女以外の選ばれた詩も甘く拙い少女たちの詩であふれています。宇野亜喜良の挿絵が素敵です。

当時(40年前くらいってことですね)この本を見つけたときは本当に驚きました。寺山修司さんの名前は知っていたはずです。有名な詩人でありお芝居や映画監督としても数々の受賞をしている「偉い人」という肩書があるのにこんな素人の少女たちの詩を選考している!自分自身、少女であった私は感激したのです。この日本という(その当時は特に)少女などというのは何の知恵もない愚かな存在だと思われているような国で時代だったその時に尊敬され立派な地位にいる壮年の男性がこんな甘ったるい詩を選んでくれていることに。
今現在であればそういう企画は多々あるかもしれないし、少女たちが書いた本、というのは売れるということで乗り出す男性もいるでしょうが、自分の意識、少女だった私の感覚ではその頃、「女(少女)が書くものなどは一人前の男が読めるような代物じゃない」という意識が強かったと思います。少女マンガがそのいい例で、男性たちからの「少女マンガ。ああ目がでっかくて星が飛んでるくだらないあれね」的な言葉しかないのを「内容を深く読んでもいないくせに」と歯がゆく思っていたものでした。
そんな思いがある時にまさにそういう男性であるはずの寺山修司氏が少女たちの詩編をしていることに驚いたのです。

少女マンガの世界でも寺山修司の名前はそれから度々目にしました。
特に記憶に残っているのは寺山修司氏が竹宮惠子「風と木の歌」を絶賛していたことです。寺山氏はジルベールを応援していて「セルジュなんかに負けるな」とおっしゃっていたのがすごくおかしくてうれしかったのです。
その後、私は寺山修司の本業である詩作や映画などを読んだり見たりすることになり、そのとんでもない才能と偉業を知ることになります。
寺山修司の世界は映画でも詩でも人並外れた異常なと言っていい特殊な力で人を惹きつけてしまいます。それからは少女や少女マンガに寄り添ってくれた方、というのではなしに寺山世界に魅了されていくのですが、時折思い出しては「こんな凄い人が何故女の子の気持ちを救ってくれていたのか?」と思い、「いや、誰も顧みない女の子の気持ちを救える人だからこそ凄い感性を持っているのだ」とさらに納得したりしました。

寺山修司が47歳という年齢で亡くなったのは惜しい。1935年生まれなのですから、今でもご健在であっても不思議ではない
わけです。
あの感性で今のアニメやゲームなどを評価し、仕事をしてもらえたかもしれません。

ところで、最近になって思いもかけず当時の寺山修司と再会することになりました。
萩尾望都著書「一瞬と永遠と」というエッセイ集の中のひとつに「寺山修司の少女感覚」という文章があったのです。
私はまったく知らなかったのですが、萩尾望都氏は寺山修司氏と「数年一緒に、新書館という出版社の仕事をした」と書かれているのです。アマチュアの詩やマンガを募集して、入選作を集めて単行本にする、応募者のほとんどは少女だった、というのです。
その本のタイトルは「エンゼル・シャーベット・タイム」「デリカシィ・ココア・タイム」というような甘いお菓子のタイトルがついた、とのことです。今調べると1978年発行でやはり絶版。私が持っているものの後のシリーズなのでした。
「一瞬と永遠と」」で萩尾さんは私が私が感じたことを裏付けてくれることを書かれています。
少女が対象とはいえ、入選作を集めた本のタイトルにお菓子の長いタイトルをつけるのも、マッチョな男なら「だから女は・・・」とでも言いそうなのに、寺山さんは「デリカシイ・ココアとはどんなココアなのか」と少女感覚のスタンスにするりと立てる不思議な人だったと。
さらに萩尾さんの記憶にあるのはしわくちゃの原稿に書かれた詩を「これは今回一番いいよ」「きっと一度丸めて捨ててまた拾って投稿したんだね」と寺山氏が言われたことだそうです。
しわくちゃの原稿をそのまま送るなんて威張った人なら怒り出すようなことを純粋に考えて評価する。
萩尾望都さんの心の中にも魅力的な寺山修司が記憶されていることが自分の遠い記憶の感動と重なったのです。
「ああ、やはり自分が感じた通りの魂を持つ人だったのだ」という思いがこみ上げたのでした。

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