ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「イエス Jesus」安彦良和

2019-03-05 07:19:48 | マンガ


安彦良和氏の歴史作品のスタンスがとても共感出来て好きなのです。ずば抜けた作画とキャラクターの魅力は言わずもがなですが。

それでかなりのマンガ作品を読んできましたが、時々この素晴らしい絵がその創作の評価をブレさせているのでは、と思う時があります。あまりにも絵の技術が卓越過ぎるがゆえに歴史考察力に対して目が向けられていないのでは、と危惧してしまうのです。
それはまた氏の崩れない絵と同じように物語もまた歴史を崩してしまうような荒唐無稽なものがないためかもしれませんが。
じっくり読み込ませてくれる安彦歴史ものはとても自分にしっくりくる感じがあります。

さて表題の「イエス Jesus」です。
この物語も無名の若者であるヨシュアの目から見ていった救世主“イエス”という設定になっています。とはいえこれは安彦氏の勝手な創作ではなくヨハネの福音書の「イエスの愛した弟子」が誰か判らないことから生まれたものであるということを「あとがき」で書かれています。

以下内容に触れますのでご注意を。






安彦氏の歴史マンガを続けて読んでいるといくつかの同じエピソード、表情、台詞、構図などに出会ってしまうことに気づかされます。
それは彼の表現が似通ってしまったからではなくまさに「そこが描きたい場面」だからなのでしょう。
例を挙げると本作「イエス」でヨシュアが自分の犯した罪に気づき認めイエスにすがりつきながら泣く場面があります。かつて自分の母親を見殺しにしたことを悔いた為です。
同じように「我が名はネロ」でネロがレムスに対してすがりつく場面があり、「ジャンヌ」ではジャンヌの生まれ変わりのように登場するエミールにジル・ド・レー、そして王太子ルイが涙を流して許しを請います。
安彦氏の作品ではだからといてその後、その人が生まれ変わって善人になるわけではないのですが、自分の罪を自覚し涙を流して許しを請う、ことがひとつのカタルシスになっているのだと思われます。
「虹色のトロツキー」は明確なそうした表現はないですが主人公ウムボルトがどんなに行動しても複雑に絡み合う世界に対し「何もできません。ボクには今なにもわかりません」と言う場面がそうであるように思えます。


「イエス」では無名の主人公ヨシュアは様々に思い乱れながらイエスに付き従っていきます。
そしてイエスの最大の奇跡である「復活」を仕上げるのです。

「イエス」の描き方は書く人によって千差万別となるでしょう。超人であったか凡人であったかまたは悪人であるとか蔑む表現もあるでしょう。
安彦氏の「イエス」はとても現実的でありイエスの尊厳も存在します。この作品も素晴らしいものだと思いました。



「イエスが愛した弟子」は必然「安彦良和が愛した若者」となります。安彦マンガのヒーローはいつも端麗な容姿でそれも魅力のひとつです。時には不格好な主人公でもいいのではないかと思ったりもするのですが、これは安彦作品の特徴で揺るがせないものなのかもしれません。「天の血脈」では眼鏡で小柄な主人公になりましたがそれでも時々かっこよくなってしまうというのがおかしいです。
そして主人公は思い悩んで歪んだ考えをしても核では正しいことを行いたいと思っています。そこにもとても惹かれます。

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