ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「男への復讐」を育てたマンガ家たち、なのかもしれない

2018-10-21 07:06:08 | マンガ
昨日の記事にも書いた「男たちへの復讐」機能は女性作家なら多かれ少なかれ働いているのは思う。
考える作家であるほど復讐心は強くなる。
が、小説家であれマンガ家であれ映画作家であれその表現方法が違ってくるし、そこが分かれ目になる。

作品の中で、女を欲望のままに扱った男たちへ復讐したい気持ちは当然だが、その形に賛同できる場合とうんざりする場合があるのも仕方ない。

昨日書いた吉田秋生の場合は私には耐えきれない露骨さがあって読むことすらできなくなった。
萩尾望都は「残酷な神が支配する」が最も顕わではあるが、彼女の場合は「男への復讐」より「親への復讐」のほうが強烈なしがらみだったのもあるし、それすらも「バルバラ異界」で視点を変えるところにまで変化している。

竹宮惠子はたぶん「風と木の詩」を書くことで出し切ってしまったのではないか。

木原敏江はもっとも大人の配慮を持っている少女マンガ家だと思っている。際立って少女マンガらしい華やかな絵柄であり一歩引いた視点で物事を見ているような落ち着いた物語が書けるマンガ家である。

大島弓子は理想の形の男を描くことに決めていて嫌な男は描かないか柔らかな表現に変えている。
青池保子はむしろ自分から男性的なものを描いてそれを楽しんでいる。

山岸凉子は男への復讐という意味では「日出処の天子」を描いたがそれ以降は女性が主人公の場合が多い。男性を女性の代わりに痛めつけるよりも女性自身に痛みを与えることが彼女の復讐の表現なのだ。
男から虐げられる女たちを描き続け、傷つく女を描くことで「こんなにも女は傷ついている」ことを見せつけている。この手法が最も痛々しく辛い。


先日書いた「好きな少女マンガ家」は吉田秋生以前の選択だった。それ以降に好んだ少女マンガ家は森脇真末味、岡野玲子、高河ゆん、と言うところで止まってしまっている。
岡野玲子ははっきり「陰陽師」だけなのだけどこの一作だけでも(好きなのが)充分素晴らしいと思う。「男への復讐」はあまり感じられない。原作が男性・夢枕獏なのもあるだろうし、彼女が描く女性は美しく強い。男への復讐を描かなければならない気がしない。
高河ゆんは私の好みの中ではかなり異端のほうだろうか。とはいえ、SFであることが多いし、絵柄はマンガ的で可愛らしい。山田ミネコの流派に属するのかもしれない。
彼女も「男への復讐」的なものはほとんど感じられない。可愛い男、かっこいい男を存分に楽しんでいるだけのようだ。やはり年齢が若いほど男への復讐心は薄くなる傾向にあるのかもしれない。
森脇真末味は吉田秋生と同時代という印象であるが、作家期間が短いのもあるし世間的に話題になった作品がないせいもあって知名度は低い。だけど私には重要な少女マンガ家である。

森脇真末味は吉田秋生と年齢が近いのもやはり影響するのか「男への復讐」感はあるのだが、表現方法として私は彼女のほうが好きだ。
女性ではなく美貌の男を男に犯させる、という手法も同じなのだけど森脇真末味の描き方のほうが自分にはしっくりくる。
ではどうして吉田秋生があれほど他メディアに受けて有名になったのに森脇真末味は無名なのか、よくわからない。
画力としても森脇真末味が上手いと思うが、そういうものではないのかもしれない。

というところで私の少女マンガ家における「男への復讐」論議は突如終わる。
どうにもそれ以上少女マンガを読まなくなってしまったので論じようもないのだ。
少なくとも最後の岡野玲子、高河ゆんは男への復讐心が薄いのだからそれ以降の少女マンガ家にはあまりないのではないだろうか。
年代がすべてではないけど1950年代までに生まれた女性作家の「男性への復讐」は根強いと思うし、それ以降は次第に薄れていってるようだ。
とはいえ、SNSで見る性差別への怒りは激しいし、世界を見ても今まさに沸騰している状況なわけで、いや私自身も様々な報道に怒りを覚える毎日だ」と。
それはこうした作家たちの作品から学んだ女性たちも多い、ということなのかもしれない。

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