ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

1950年(40年)代生まれの女性の意識とは

2018-10-22 05:58:00 | マンガ
「男への復讐」の流れで少女マンガでの女性たちを語ってきたので少年マンガでの女性たちも語るべきなのだけど、その女性たちのマンガを深く読み込んでいないので表面的なことしか言えない。
言えないが、一応この流れのために話せる分だけ書いてみよう。

やはり最初は高橋留美子。そして荒川弘、大高忍。
どの方も物凄い人気作家で実力も高く、私自身知らなかったということはない。なのにもかかわらず私自身はほとんど彼女たちのマンガを読んでいない。
あとの二人は時期的なこともあるだろうけど、高橋留美子は自分が読んでてもいいのだけど。

昨日も書いた通りで、やはりこの中で一番ジェンダーが意識に引っかかってくるのは高橋留美子しかない。1950年代生まれというのは吉田秋生と同じ世代なのだ。

セクシーで可愛い女性キャラ「ラムちゃん」というキャラを何故女性である高橋留美子が描いたのか。それは昨日書いた少女マンガの中で女性たちが描いた「男への復讐」のさらにまた違う形だと私は思っている。勿論作者が復讐しようと思って生み出したわけじゃない。だけどもこの世代の持つ性差の意識から極端に性的なものを考える特徴を見てしまう。

そしてあとの二人。70年代生まれの荒川弘と80年代生まれの大高忍にはそういったジェンダーの引っ掛かりはもう感じられない。そこに特別な意識を持つ必要がなくなった世代なのだ。

1950年代生まれ、というのは何があるんだろう。私は63年生まれなので、判る気がしながらも微妙なズレも感じている。
こじつけにしかすぎないかもしれないが同世代の高河ゆんのほうが感覚的に近いように思えるのだ。
さらに下の世代になれば50年代生まれの意識のこだわりは消えている。

1950年代のいうのは竹宮惠子がちょうど50年で、吉田秋生、森脇真末味、高橋留美子などになる。
1940年代は山岸凉子、萩尾望都など。

やはり戦後、様々な変化がありその中で男女の意識改革も大きく行われてきた。その中で生まれ育った彼女たちがほぼ最初の世代であり、それまでの少女マンガとは違う、と評された彼女たちの不満は性差から生まれることが多かったのだ。
それがより強い形で現れたのが50年代生まれの女性マンガ家たちだったのだ、と思う。

このあたりの表現は感覚的なことになってしまう。
そして男性にはほぼ判らない意識かもしれないのだ。

ぼんやりとした輪郭しかない考えなのだけど、ここに書いてみた。



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