ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

年を取ってからの感動

2018-11-04 06:32:19 | 思うこと
岡田斗司夫さんがニコ動ゼミの中で「感動するということは自分を恥じること」と言っていたのですが、それではーっと腑に落ちました。

というのは昨日書いた「年を取ると嫌な人間になっていく」につながることでもあるのですが、ほら子供の時って凄く感動しますよね。そりゃまだ何も知らないことが多すぎるし、見たアニメ・マンガ・映画・小説・ドラマいろいろで初めて知った真理に度肝を抜かれてわーっと感動してしまうんだけど、年を取るごとに感動するのが少なくなっていくじゃないですか。
なんか、「もうそれ見たことあるもん」とか「〇〇のパクリだね」とか「お涙頂戴かよ」みたいなそれまでに得た知識が感動することを邪魔してしまう。
いい加減年を取ってしまうと子供の時のように純粋に感動することが無くなってしまう。
こんなことで感動してたまるかよ、みたいな気持ちが作用してしまうのかもしれない。子供の時は素直に自分が「知らない」ということを認めきれるのだけど、年を取って「知らない」という恥を認めるのは沽券に係わるわけですね。そういった意識がだんだん積もっていく。

この辺、男性の方がよりそういう気持ちが強くなる傾向にあるのじゃないでしょうか。
そのくせ、妙なところで感動したりする。急に自分を恥じてしまうようなことがある場合には。

それはむしろ作り話より実際にあったことで感動してしまうようにも思えます。若い頃はフィクションが好きですが、年を取ると歴史ものにはまったりするのも作り話より実際の話(だと思える話)のほうに恥じらいを感じられるのかもしれません。

自分のことも重ねて書いてみました。

若い頃は小説ばかりだったのが今は歴史もののほうが好きなんですよねえ。しかも歴史ものってもう終わり、なんてことはなくて知らないことばかりです。まだまだ勉強しなければならないことが山ほどあるんですよねえ。



男性は‥と書いてしまったのですが、女性は感動を探し回ってるところがありますよね。
年をとっても何かに夢中になったり、男性から見ると「いい年をして」と思われているようですが、なにかに夢中になるほど生き生きすることはないです。夢中になりましょう。(悪いことはダメ)




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