眼力Blog

反日国の動向をウォッチしています。
自滅する韓国を看取るブログです。
政治、時事問題なども扱います。

武藤貴也議員「利己的発言の真意」 聞いてみれば至極ごもっとも

2015年08月10日 | 安全保障

>自民・武藤議員に直撃!「利己的発言の真意」
http://toyokeizai.net/articles/-/79722

 自民党若手の武藤貴也議員が叩かれていますね。

安保法制案反対勢力にとっては、痛いところを突かれて相当にパニクって居るようです。

「SEALDs」の若者なんて、既に底が割れてますからね。

 反対派が火病発症した、武藤貴也衆院議員のツイッター



 自民党の所属する派閥の領袖からも今は法案を通すことが最優先、言いたいことは法案通ってから言えと、この発言もいただけませんね。

どうして賛成派も反対派もこの発言に拘るんでしょう。

安保法案って、腫れ物にでも触るような法案なんでしょうか。

結局は賛成派も反対派も、中国に気兼ねしてるだけなんです。

この法案の必要性は、まさに中国の脅威じゃありませんか。

政府与党が、そのことを脇に置こうとするから反対派が増長してるだけじゃないですか。

国民だって本当に中国が南シナ海、東シナ海で軍事的圧力を強め、日本の尖閣諸島強奪やシーレーンが脅かされてタンカーの航行に支障が出だしてから、あわてて中国を非難してもその時には手遅れになるんです。

だからこそ中国の脅威を具体的に指摘するべきなんです。

中国との経済や関係悪化を危惧して中国表現避けていても、実際に中国の脅威が現実化すれば、経済や関係に配慮したことも論外なことになるんです。

危機は日増しに増しているんです。

そうした自覚を政府だって持つからこそ、安保法制案の今国会での成立を喫している筈ではないんですか。

「戦争に行きたくないは、利己的個人主義だ」

実際その通りで、このどこが問題なんでしょうか。

武藤貴也議員は自身のブログでその辺のことをちゃんと説明しています。

>「国民に課せられる正義の要請」
2015-08-03 19:11:38
テーマ:時事

 私がツイッターで、「SEALDs」は「利己的個人主義」に基づいた主張をしていると述べたことについて、様々な意見が寄せられているので、ここでもコメントさせて頂きます。ツイッターでは文字数が限られており、私の言いたいことが十分に伝えることが出来無いので、ブログで述べさせて頂きます。

 まず、読んで頂きたいのは、砂川判決における田中耕太郎元最高裁判所長官の補足意見、以下の箇所です。

 「要するに我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない。
 我々は『国際平和を誠実に希求』するが、その平和は『正義と秩序を基調』とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち『法の支配』と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。」

 このように、田中裁判長は自国の防衛を考慮しない態度も、他国の防衛に熱意と関心を持たない態度も、憲法が否定する「国家的利己主義」だと言っています。そしてその上で、真の自衛の為の努力は、正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として「各国民に課せられている」と言っています。

 つまり、「SEALDs」の方が仰る「だって、戦争に行きたくないもん」という自分個人だけの感情で、今議論されている平和安全法制に反対するのは、田中最高裁長官の言うように「真の平和主義に忠実なものとは言えない」と私も考えます。

 誰もが戦争に行きたくないし、戦争が起こって欲しいなどと考えている人はいないと思います。しかし他国が侵略してきた時は、嫌でも自国を守るために戦わなければならないし、また世界中の各国が平和を願い努力している現代において、日本だけがそれにかかわらない利己的態度をとり続けることは、地球上に存在する国家としての責任放棄に他ならないと私は考えます。

 加えて、7月13日の平和安全法制特別委員会にお越し頂いた元外交官の岡本行夫氏は、次のように述べています。

 「一九九四年、イエメンの内戦で九十六人の日本人観光客が孤立したとき、救ってくれたのはドイツ、フランス、イタリアの軍隊でした。二〇〇〇年からだけでも、総計二百三十八人の日本人が十一カ国の軍用機や艦船などで救出されてきました。一九八五年三月、イラン・イラク戦争でイランの首都のテヘランが危機になり、日本人二百十五人が孤立しましたが、日本の民間航空機は、危険だからとテヘランまで飛んでくれませんでした。それを救ってくれたのはトルコでした。トルコ政府は、テヘランに派遣した二機の救出機のうちの一機を日本人救出に当て、そのために乗れなくなってしまった何百人かのトルコ人は陸路で脱出させたのです。日本では報道されませんでしたが、二〇〇四年四月、日本の三十万トンタンカーのTAKASUZUがイラクのバスラ港沖で原油を積んでいた際に、自爆テロボートに襲われました。そのときに身を挺して守ってくれたのは、アメリカの三名の海軍軍人と沿岸警備隊員でした。彼らは日本のタンカーを守って死に、本国には幼い子供たちを抱えた家族が残されました。みんながみんなを守り合っているのです。」

 世界にいる日本人は、各国の軍隊や警察組織によって守られています。そして岡本氏が述べているように、日本では全く報道されていませんが、日本人を守るために命を落とした外国人もいます。「みんながみんなを守りあっている」ときに、日本が、しかも日本人自身の安全に、我関せずという態度をとり続けることは、日本人の命と財産を守るリスクと負担を他の国に押し付けるということを意味します。

 以上述べたように、世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、もはや日本に課せられた義務であり、正義の要請だと私は考えます。

http://ameblo.jp/mutou-takaya/




どうしてどうして、議員としてすこぶる優秀な部類です。

反対派に違憲論の学者が多い中、砂川判決の傍論を引き合いに出すなど、なかなかの勉強家です。

筋を通すとはこういう人のことを言うのです。