眼力Blog

反日国の動向をウォッチしています。
自滅する韓国を看取るブログです。
政治、時事問題なども扱います。

偏向マスコミの成れの果ては・・

2014年08月30日 | 政治

朝日新聞の偏向記事が、取り消しする羽目へ追い込まれました。

朝日新聞の凋落が日増しに増して行きます。

いま、朝日新聞の上層部は、どう対応したらよいのか、何もできず右往左往してるんでしょうね。きっとw

ウソや捏造ばかりしていると最後は身を滅ぼします。

しかし落ち込むところがあれば、それをネタに浮かぶところもあります。

今月発売された「Will」という月刊誌が発売と同時に完売状態です。

品切れで増刷しているそうですが、当分読みたい人も手に入らない状況が続いています。

編集長の花田紀凱氏のしてやったりの、ニコニコしている顔が浮かびますねw

では、せめてそのWiLL10月号の表紙だけでもみて見ますか。 

これですねw


はっははは

朝日新聞の「従軍慰安婦」は史上最悪の大誤報だった!

インパクトありますね。

それに執筆人がネトウヨと朝日が毛嫌いする方々ばかりと云う豪華版

この死にそこない! 我々が介添え仕り候!

こんなところでしょうか(わらい

ほんとうに、ここまで日本人をおちょくっといて、朝日新聞はのうのうと日本で新聞業やっていけるはずありませんよね。

でもね、当の朝日新聞は慰安婦問題を人権問題にすり替えて、まだ日本を貶めるつもりのようですからね、幾らお人好しな日本人でも、朝日新聞購読のお願いはもうお断りする以外ないでしょう。

オレオレ詐欺以上に悪質ですものね。はははは

「従軍慰安婦」なんて言葉は、そもそも戦時中は通用していなかったんです。

「従軍慰安婦」という呼び方を、広めて認知させたのは、まさに朝日新聞の捏造報道ですからね。

戦時中は慰安婦とだけ呼称されていました。

慰安婦さんは2万人程度だったそうですし、その大半は日本人で残り2割ほどが朝鮮人や中国人ということのようですから、多くても4千人ほどじゃないんでしょうか。

その慰安婦さんや慰安所は実際どういうものだったんでしょうね。

いまいち、よくわからないですね。

そこで調べていたら、あの比ルバング島で30年ジャングル生活で生き延びて帰国した、故小野田 寛郎氏(元陸軍少尉)が、戦時中の慰安婦の様子を書いたものを見つけました。

2005年ですから、9年ほど前に書き残してくれたんですね。

小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」
http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/2005/2005-01-16-onoda_ianhunoshoutai.html

 私が見た従軍慰安婦の正体

「正論」一月号より

 首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。

 戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。

 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。

 野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。

 淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。

 では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。

 ◆漢口の「慰安所」を見学

 商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。

 日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。

難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。

 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。

 私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。

 ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。

 私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。

 群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。

 半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」、「精神決めてトットと上がれネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。

 ◆どこにもいなかった「性的奴隷」

 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。

 私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。

 彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。

 先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。

 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。

 当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。

 一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。

 サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。

 以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。

 私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。

「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。

 ◆問題にして騒ぎ出す者たちの狙い

 次に、軍関与の暴論について証言する。  私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。

 だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。

 南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。

「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。

 私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。

 考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。

 「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。

 私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。

 もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。

 戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。

 軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。

「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。

 現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。

「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが存在するからだ。

「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

 「正論」一月号より


河野談話をカタに開き直った朝日新聞

2014年08月29日 | 政治

>韓国で慰安婦問題が過熱したのも吉田氏の証言からではなく、元慰安婦自身の証言(河野談話)を重視しているからだ。

と、朝日新聞は申しております。



小保方「STAP細胞はありま~す」

朝日新聞「慰安婦証言はありま~す」

朝日新聞、アンタ(小保方)の言ったことはウソだけど、うちの慰安婦証言はホントなんだよ。

河野談話で元慰安婦の証言もあるしねと、次の産経記事では、朝日は主張してるわけですww

>朝日、再び慰安婦特集記事掲載 今回も謝罪せず
 2014.8.29 04:00 [「慰安婦」問題]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140829/plc14082904000001-n1.htm
 朝日新聞は28日付朝刊で、今月5、6両日に続いて慰安婦問題に関する特集記事「慰安婦問題 核心は変わらず」を掲載した。自社が朝鮮半島で女性を強制連行したと証言する自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の記事を少なくとも16回取り上げたことと、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話とは関係ない-とする内容だ。

 朝日新聞は5日の特集で吉田氏の証言について「虚偽だと判断し、記事を取り消します」と書いたが、謝罪や訂正は行っていない。今回も自社には責任がないことを強調した形だ。

 また、吉田氏の証言について「韓国では一般的に知られているとは言えない」という匿名の韓国政府関係者の言葉を引き、韓国で慰安婦問題が過熱したのも吉田氏の証言からではなく、元慰安婦自身の証言を重視しているからだと指摘。その上で、「吉田氏の証言が問題の本質ではありえない」とする匿名の韓国元外交官の話を紹介している。
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往生際が悪いことはなはだしい(怒”

従軍慰安婦や強制連行は虚偽と認めたけど、それは世論やアサヒを批判している連中を惑わすためにしただけだから、これ以上謝らないし責任も取らないと。

これからは、人道・人権という反撃されにくいことで日本を貶めてやる。

これからも朝日新聞は“報道テロ”を続けていくと宣言してるんです。

菅官房長官が記者会見で、河野談話での元慰安婦16人の証言については検証しなかったと言ったからね。

河野談話を政府が今もって継承しているから、これを朝日は勿怪の幸いとばかりに“慰安婦の証言”を正当化しようとしている。

ちゃんと検証すれば、元慰安婦の証言には、矛盾や大いなる虚偽があるのに、朝日新聞は“そのウソ”を根拠に今後も政府を追及するぞと。

安倍政権が河野談話なんて嘘っぱちだよ!と宣言しちゃえばいいんですが。

それが政府として出来ないと言うなら、せめて今の安倍政権で菅官房長官が談話出せばいいんじゃないか。

河野談話を菅官房長官談話で上書きしてしまえば、今の朝日のよりどころも神通力もなくなるだろう。

河野談話を事実上無効にしない限り、朝日に謝れ責任を取れと言っても取らないし、世界に拡散した慰安婦問題も、政府が河野談話を継承している限りこれからも非難され続ける。

“テロ新聞”朝日に、最後の止めを刺すには、政府もそれなりの覚悟を持って河野談話の影響力を削がないと、世界の日本を見る目は変わらないと思う。

28日のzakzakに「朝日新聞の元ソウル特派員が「慰安婦虚報」の真実を告発する」とする記事が載っている。

朝日が慰安婦問題で盛んにキャンペーンをし出した1990年代にソウルで、朝日の特派員として、慰安婦証言を求めて取材して歩いたそうだが、問題になるような強制連行も軍の関与も見出すことは出来なかったと語っている。

“今になって”かよと、この人も所詮、朝日新聞で禄を食んできた人だ。

まあ、例え今であっても、こうして1990年代に韓国で取材した記録は貴重なものだ。

じゃあ何故、1990年代に朝日はこの特派員の報告や取材記事を載せなかったのか。

朝日新聞で“既に決まっていた方針”に合わなかったからだろう。

朝日新聞の欺瞞性がこうした経緯でも実証されている。

“日本をとことん貶める”“安倍を叩く”それが朝日新聞の社是だったんだ。

特に安部普三への憎悪は尋常ではない。

第一次安倍政権のときから、あることないことで、安倍首相個人だけでなく、安倍政権をも攻撃、安倍総理を紙面のトップで、“安倍”と呼び捨てた新聞は朝日新聞以外にないだろう。

挙句に、故三宅久之氏と当時は論説主幹だった朝日新聞の若宮啓文(前主筆)の対談では、

三宅「朝日は安倍というといたずらに叩(たた)くけど、
    いいところはきちんと認めるような報道はできないものなのか」

 若宮「できません」

 三宅「何故(なぜ)だ」

 若宮「社是だからです」

そしていわく
安倍政権の葬式はうちが出す

ここまで来ると、これはもう「報道テロ」という以外の何物でない!

ジャーナリズムを標榜する新聞社がやることじゃないだろう。

選挙で選ばれ政権を担う者を、何が何でも抹殺しようとする悪意が満ち満ちている。

こんな新聞が日本のクオリティペーパーであろうはずがない!

中韓へ迎合し中韓を利するために「報道テロ」を仕掛けるプロパガンダ紙でしかない。

朝日は今回自ら墓穴を掘り、その穴へ自ら落ちてもなお悪あがきしている。

墓穴へ墜ちたからって許せば、かならずゾンビは再び蘇る。

だから決してこういう勢力を温存させてはだめなのだ。

「報道テロ」をするような新聞は、喉元過ぎれば必ず同じことをする。

それどころか朝日新聞が虚偽を明らかにしただけで、悔い改めたわけではないことは、今日の産経の記事でも明らかになった。

このような新聞が存続することは許されない、朝日新聞を廃刊へ追い込まねばならぬ。



産経報道も韓国検察の捜査も‘国の恥さらし’=ハンギョレ新聞[社説]

2014年08月27日 | 政治

加藤氏を事情聴取していた地検は、名誉毀損罪で起訴に踏み切る方針を固めたという。

今に始まったことでは有りませんが・・・
今回の件で起訴となれば、民主国家から人治国家へ脱皮する韓国を世界へ向って発信することになります。



韓国のハンギョレ新聞[社説]
産経報道も韓国検察の捜査も国の恥さらし

産経の記事は恥さらしだが、検察がこれを捜査するのはもっとおかしい。

大統領府が産経を非難した直後に捜査に着手ししている。

「国家でなく大統領のめんつのために検察が動いたのだ」

こんな恥さらしのことをする前に“消えた7時間”を明らかにしたらどうだ。

とまあ、正鵠を発する韓国ハンギョレ新聞。

実はこんな記事を書くハンギョレ新聞にも理由があるからでしょう。

産経支店長の起訴を突破口に、野党や現大統領と対峙する陣営の報道機関「ハンギョレ新聞」などへも、検察の手が伸びてくるかもしれないから、正論を振りかざして予防線を張っている感じがするのですが・・w

民主国家を“擬態”している韓国の恥じずべき今回の産経捜査。

産経が捜査に応じたのは、もしかして韓国を釣るためだったのかも知れない。

国家より大統領のプライバシーを守ることが、優先される検察という事実が世界に知れ渡る。

ところで韓国のメディアは、この問題を連日とりあげフィーバーしている。

一方、日本の新聞・テレビはと言えば、殆ど取り上げていないから一般国民には殆ど認知されていない。

特に韓国がらみのニュースでも、韓国側にダメージになるようなニュースは、なぜか新聞もテレビも扱いを控える。

一応日本の三大新聞と言われる読売・朝日・毎日は、「韓国検察の産経支局長事情聴取」事件には殆ど関心がないのか、それともあっても無視する状況なのか。

もし自社の支局長が、こんな目に遭っていても知らん顔できるんだろうか。

民主国家の恥さらしとまで韓国のハンギョレに批判された韓国検察の産経捜査。

江川紹子女史が、逆に韓国検察の産経捜査を絶賛支持している。

何をそんなに褒めているのかと思ったら、検察の手続きなんですね。

加藤支局長が産経がつけた弁護士と通訳を伴ってソウル中央地検に出頭し事情聴取を受けた。

韓国では取り調べの録音・録画(可視化)が始まり、弁護人が同席することも認められる。

確かに、日本ではいまだに事情聴取には、弁護士は立会いすることは出来ない

だから日本は遅れているのよ、韓国検察の方がずっと民主的というわけでも無いとは思うが・・

以って韓国検察のしていることの方が民主的と言われても、ああ、そうですかとは言えない。

最初に断ったように韓国は民主国家を擬態しているんです。

世界に向けては、立派な法律をちゃんと制定している振りだけしています。

実際の運用は法治ではなく人治主義で、独裁国家並みの恣意的運用をしている。

今回の産経支局長の検察捜査も、大統領を慮って恣意的に運用してるんです。

検察当局が明言してるんですから、なにをかいわんやです。

 

 


朝日新聞が、またやらかしたようです。

2014年08月21日 | 政治

朝日新聞は、ともかく日本が嫌いで嫌いで仕方ないようです。

日本を何とか貶めたい。その一念でこうした記事を書き、それを世界の有力メディアに配信し“日本を貶める”ことを、世界に拡散しているとしか思えません。

その元となった記事がこれです。

朝日新聞は5月20日の朝刊に「所長命令に違反し、所員の9割が原発撤退」というスクープ記事を出しました。

東京電力福島第1原発の所長だった吉田昌郎氏が、政府の事故調査・検証委員会の調べに答えた非公開の聴取結果書を入手し、その内容を報じたのです。

この「吉田調書」を根拠に「吉田氏の待機命令に違反し、所員の9割が福島第2原発へ撤退していた」と報道したのです。

朝日新聞のこの記事は、外国メディアも大々的に取り上げ世界中に拡散して行きました。

まさに吉田清治の捏造「慰安婦強制連行」を報じた時とそっくり瓜二つな感じがします。



>ヒーローが一転「逃げ出す作業員」「恥ずべき物語」に 朝日報道、各国で引用

2014.8.18 15:32 東日本大震災
外国の有力メディアは、「吉田調書」に関する朝日新聞の記事を引用し、韓国のセウォル号事故と同一視する報道もあり、「有事に逃げ出した作業員」という印象が植え付けられている。

米紙ニューヨーク・タイムズ(いずれも電子版)は5月20日、「パニックになった作業員が福島第1原発から逃げ出した」と報じた。「朝日新聞によると」という形で、記事では第1原発所員の第2原発への退避を「命令違反」だと報じている。

英紙ガーディアンは5月21日付で「『フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)』と呼ばれたわずかな“戦闘員”が原発に残り、ヒーローとして称えられた。しかし、朝日新聞が明らかにしたように650人が別の原発に逃げたのだ」と記した。

オーストラリアの有力紙オーストラリアン「福島のヒーローは、実は怖くて逃げた」と見出しにした上で、「事故に対して自らを犠牲にし果敢に闘った『フクシマ・フィフティーズ』として有名になったが、全く異なる恥ずべき物語が明らかになった」と報じた。

 韓国紙・国民日報は「現場責任者の命令を破って脱出したという主張が提起されて、日本版の“セウォル号事件”として注目されている」と報道。韓国で4月に起きた旅客船沈没事故で、船長が真っ先に逃げたことと同一視している。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140818/dst14081816020012-n1.htm
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朝日の記事に、尾ひれを付けて世界の有力メディアが報道していることがわかりますね。

この産経新聞の見出しにも有るとおり、それまで福島原発の事故で命を顧みず事故対策にあたり、世界からヒーローと称えられた作業員が一転して、「逃げ出した作業員」と貶められ「恥ずべき物語」と卑下されてしまったのです。

この朝日新聞の報道を疑問視したのが門田隆将(りゅうしょう)氏

朝日新聞の原発事故報道に前々から強い疑念を持っていた門田隆将氏は、自身の個人ブログでも事実を元に早い段階から朝日の“原発事故報道”を批判しておりました。

詳しく知りたい方は門田隆将氏ブログをお読みください。

17日に産経新聞も「吉田調書」全文を入手して精査したところ、朝日新聞の報道には事実を曲解したり故意に歪曲しているとして、次のような記事を18日に出しました。

>【吉田調書】吉田所長、「全面撤退」明確に否定 福島第1原発事故
2014.8.18 05:00 (1/2ページ)[福島第1事故「吉田調書」]

吉田氏は聴取担当者の「例えば、(東電)本店から、全員逃げろとか、そういう話は」との質問に「全くない」と明確に否定した。

細野豪志首相補佐官(当時)に事前に電話し「(事務関係者ら)関係ない人は退避させる必要があると私は考えています。今、そういう準備もしていますと話したことも明かした。

 特に、東電の全面撤退を疑い、15日早朝に東電本店に乗り込んで「撤退したら東電は百パーセント潰れる」と怒鳴った菅氏に対する評価は手厳しい。吉田氏は「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉を使うわけがないなどと、菅氏を批判している。

 朝日新聞は、吉田調書を基に5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」「福島第1 所員の9割」と書き、23年3月15日朝に第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していたと指摘している。

 ところが実際に調書を読むと、吉田氏は「伝言ゲーム」による指示の混乱について語ってはいるが、所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない。

 また、「退避」は指示しているものの「待機」を命じてはいない。反対に質問者が「すぐに何かをしなければいけないという人以外はとりあえず一旦」と尋ねると、吉田氏が「2F(第2原発)とか、そういうところに退避していただく」と答える場面は出てくる。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140818/plc14081805000001-n1.htm
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この産経新聞の記事に、朝日新聞は名誉と信用を傷つけられたとして、本紙(産経新聞)の小林毅・東京編集局長と門田氏あてに抗議書を送付してきたというのです。

朝日新聞の抗議には門田隆将氏も呆れています。

>門田隆将氏、朝日新聞抗議に「全く的外れ!」「自らの姿勢を問い直してほしい」
2014.8.19 17:42 [放射能漏れ]

 東京電力福島第1原発の吉田昌郎元所長の調書に関連し、18日付産経新聞に掲載されたジャーナリスト門田隆将氏の寄稿「朝日は事実曲げてまで日本人をおとしめたいのか」(東京本社版)について、朝日新聞社は同日、名誉と信用を傷つけられたとして、本紙の小林毅・東京編集局長と門田氏あてに抗議書を送った。

 門田氏は、朝日新聞が5月20日付で報じた「所長命令に違反 原発撤退」の記事について「なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない」と指摘した。これに対し、朝日新聞は抗議書で「確かな取材に基づくものであり、『事実を曲げて』といった記述は誤り」としている。

 抗議を受け、門田氏は「朝日新聞の抗議は全く的外れです。報道機関として、自らの姿勢を問い直してほしい」とコメントした。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140819/dst14081917420009-n1.htm
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>門田氏は「朝日新聞の抗議は全く的外れ」

と有りますが、それは「吉田調書」をちゃんと読めば朝日新聞の主張が的外れだからです(わらい

【朝日新聞が、この吉田調書をもとに「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」と書いたことが信じられない。自分の命令に背いて職員が撤退した、などという発言はこの中のどこを探しても出てこない。】

【職員の9割は吉田所長の命令に“従って”2Fに退避しており、朝日の言う“命令に違反”した部分など、まったく出てこない。】

【朝日の報道によって、世界中のメディアが「日本人も現場から逃げていた」「第二のセウォル号事件」と報じたのは事実だ。最後まで1Fに残った人を「フクシマ・フィフティーズ」と称して評価していた外国メディアも、今では、所長命令に違反して所員が逃げてしまった結果にすぎない、という評価に変わってしまった。
 事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、先に撤回された慰安婦報道と図式がまったく同じではないか、と思う。なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない。】

サルでも反省できるとは、当ブログのフレーズの一つですが、懲りない朝日新聞としか言いようがありません。


9条教信徒 現憲法はバイブル

2014年08月19日 | 政治


1週間ぐらい前の三橋貴明氏のブログに、佐藤健志氏のコラムが掲載されていた。

【佐藤健志】驚異! 九条せんべい

オヨヨ! 九条せんべいですかww

紀州九条せんべい”の テーマソングもあるんだそうで、

紀州九条せんべいの歌

あなたの思いを読んでみた

つらい悲しみ 乗り越えて

戦争捨てた その誓い

平和を希求する心


あなたをみんな食べてみた

幸せ満ちて 広がって

お腹の底から わいてくる

平和を守る その力


よい子のおやつに 九条

ばあちゃん お茶うけ 九条

父さんも母さんも 九条

日本の名物 紀州九条せんべい

(おいしいよ?!!)

とまあ、3番までしっかりあります(わらい


一番に気になった台詞が、これ

>戦争捨てたその誓い

いまの憲法は、国民が望んで創った憲法ではないんですね。

ですから戦争捨てたその誓いなんて言われても、国民は白けますよ

戦争に負けた日本が、敗戦で米国の統治下で、占領軍のGHQの有無を言わせぬ強引さで押付けられたのが現在70年経つというのに一字一句改憲もできないでいる“現憲法”です。

それが9条教を信じる信徒の“バイブル”となってしまった“現憲法”の象徴が、歌詞によく表われていますね。

では、現憲法はどのような経緯を辿って出来たのでしょうね。

1945年10月、”憲法を改正しなさい”という要求が、GHQから出され、これを受けて”日本政府”による明治憲法の調査研究が開始され、1946年2月8日に”日本側”の最初の憲法草案が完成します。

その前の2月1日に、この草案が毎日新聞にスクープされるのですが、それを見て「これではまだ保守的、現状維持だ」と考えたマッカーサーは、2月3日、GHQ民政局長であったコートニー・ホイットニーにGHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業を指示します。

ホイットニー自身は弁護士でもあったけれど、憲法についての実務的な知識に欠けたため、日本の民間憲法草案などを参考として大急ぎでGHQ草案を作成します。

2月13日、スクープされていた”日本側草案”が手渡されると、マッカーサーはその場でこの草案を拒否し、ホイットニーらの作成したGHQ草案を検討するように指示します。

”日本側”は、このGHQ草案に原則として沿う形で案を練り直して3月2日に再提出し、これが最終案になります。

最終案はホイットニーらのGHQ案といくつかの相違点がありますが、ほぼGHQ案に沿ったものになりました。

マッカーサーはホイットニーに「マッカーサー三原則」を指示していました。

マッカーサー三原則とは

1.「天皇は、国家の元首の地位にある」(The Emperor is at the head of the State)
2.「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」(War as a sovereign right of the nation is abolished)
3.「日本の封建制度は、廃止される」(The feudal system of Japan will cease)
 
の三つだと解釈されています(2月3日にマッカーサーがホイットニーに宛てたメモ、いわゆる「マッカーサー・ノート」の三つのポイント)。天皇制を維持しようという判断は、”日本”を早期に”安定される”ことが対共産圏戦略として至上命令であり(マッカーサーの独断という感じもしますが)、そのためには天皇の戦争犯罪追及も、天皇制の廃止も、マイナスに働くと考えたのだろうと思います。この判断の背景には、無論、当時の”日本側”の強い要求があった。天皇に手を出すようなことをしたらわれわれは何も保証できないぞ、という雰囲気をマッカーサーも感じ取っていたのでしょう。

 2番目の「戦争放棄」は、結果的に”日本”に独自の戦争能力を持たせず、米軍の基地化する(少なくとも当面は)戦略に見えますが、憲法に「戦争放棄」を謳うことは、1946年1月に行われたマッカーサー・幣原(当時の首相)会談で、幣原から提案されたものだという説もあります。

 3番目の「封建制」廃止には、本来は天皇制が含まれなければ矛盾していますが、皇族は除外されています。これは天皇制の存続と連動していたので矛盾してもしょうがない、ということでしょうかね。これによって、しかし、華族は解体され、華族の権利もほぼ消滅しました。いわゆる「民主化」を進めるための最低限の要求に見えます。

青字の項は阿川亭さんの記事からの引用です。

ところでマッカーサーの側近であるコートニー・ホイットニーGHQ民政局長と、彼をサポートして憲法草案の素案を実質作成したといわれるのが部下のチャールズ・ルイス・ケーディス当時大佐

ケーディス大佐の右腕として憲法草案の起草に尽力したのが、ケーディス大佐の友人で知日派の共産主義者ハーバート・ノーマンです。

ケーディス大佐は弁護士資格を持っていますが、実際は軍人で日本の法律には疎かったようです。

彼(ケーディス大佐)は、のちにこんなことを言っています。

「まだ、あの憲法9条を改正してないのは、驚きだ。」

「9条に『国の交戦権はこれを認めない』と書いてあるけれども、私は交戦権の意味がよく分かっていなかった。」

「交戦権を放棄すると、戦争ができなくなるが、それがどういうことを意味するのか、よく分かっていなかった。」とも述懐しています。

結局は、当時アメリカで跋扈していた共産主義者が理想とした憲法を日本へ押付けたんですね。

迷惑なことこの上ないです トホホです。

ウソかまことか知りませんが、吉田首相マッカーサー「日本を赤化させるつもりですか」と言ったというのですが、

当時、吉田首相マッカーサーにそんなことを言ったのなら、なぜサンフランシスコ条約が発効した時に新憲法を制定しなかったのでしょう。

それをしなかった怠慢が、70年後の今の日本をも苦しめているのです。

吉田茂氏戦後の政治家の元勲みたいに言う人がいますが、GHQ憲法をそのままにした罪は決して小さいものではないのです。