うるる@@おっか村

2006年2月乳がん手術、6月には腹式子宮全摘手術した、
ふうママの日々暮らしと趣味と健康のブログです!

術後1日目

2006-09-05 | 乳がん
2月2日、朝から雪。食事は朝から、朝は全かゆでした。昼から普通食。
朝から牛乳は苦手。暖かいカフェオーレが飲みたい。
点滴の為か、あまり、お腹は空いてない。
点滴が入りにくくなってきたみたい。がんばれ私の血管!
尿の色はまさにブルーレットでした。
外来の前にO医師が見に来てくれた。
「具合どう?今日昼からリハビリやし、しっかり腕を動かしてや。」
しばし雑談して、外来に行かれました。
それから、看護師に体を拭いてもらい。パジャマに着替える。さっぱりした。
ドレーンと液を貯める袋と点滴があるので、苦労しました。
長袖だから、余計に大変、一人では無理や。

今日は昼からリハビリ、リンパ節を取ったので、
早く腕を動かしたほうが良いとのことでした。
今日はリハビリの先生が部屋に来てくれて指導、
「乳房温存術後のリハビリプログラム」に沿って、
『①指の曲げ伸ばし②肘の曲げ伸ばし③髪をとかす④ボールつぶし
⑤脇の開け閉め運動⑥脇の上げ下げ運動』が始まった。
まだ傷が痛むし、脇は引きつれるし、ドレーンは気になるしで、こわごわでした。

「乳がん全書」・・・入院前から読んでたけど、カラーじゃないけど
写真も載ってて、体験談もあって、かなりリアル。
この本を読んで、ビビリまくってました。
まだ、熱っぽいので氷枕。今夜もレン様のお世話になりました。
でも、全然寝れなくて・・・






手術日2

2006-09-04 | 乳がん
案の上熱が出てきた。腰も痛い。点滴のせいか吐き気がしてくる。
左脇下に入っているリンパ液を抜く為の管のドレーンが邪魔で、
それに左を下にして寝てはいけないと言われたから、
(体重をかけるとむくみの原因になるから)寝返りがしにくい。
冬なのに氷まくら、寒気がするから電気毛布。2,3日はしんどいらしい。
足には足を動かす為のマッサージ機。まだ、ストッキングもしたまま。
今日は一晩中するそうだ寝返りの度にバンドがゆるんで何回もはずれた。
そのたびにナースコール。深夜まで失礼お世話かけました。
点滴もまだまだ続くそうだ。針が痛いよ。
O医師が来た。「お疲れ様。緊張してたんか?ずっと血圧高かったよ。
そうそう、トイレ行った?しばらくはブルーレットみたいな色してるからね。」
私「え??そうなんですか?」
O医師「センチネルリンパ節を捜すのに、乳管から青い液をいれたから、
大丈夫やし、ビックリしんときや。しばらくしたら戻るから。」
看護師「ふらふらするだろうし、トイレに行くときは呼んでね」
手術は成功。術後の説明は、また後日するそうです。
やっぱり寝られないから、眠剤レンドルミンをもらった。
今晩もレン様お世話になります。


手術日1

2006-09-04 | 乳がん
2006年2月1日手術日。今日は絶食。
午前中、看護師が手術着と血栓を防ぐ膝までの白いストッキングと
キャップ(マジックで名前を書いた)と紙おむつを持ってきた。紙おむつ?!
思い出した!手術の説明の時にO医師に質問したんだ。
私「先生、尿管に管入れるんですか?あれ痛いし、気持ち悪いし苦手なんだよね」
O医師「手術時間3時間程だから入れなくても大丈夫だよ。紙おむつでいいよ。」
よかった。帝王切開2回してるんだけど、2回ともおしっこする時、
痛くて嫌だったから、気になってたんだこれで安心した。
え?!他の事心配しろって?!いいの。先生を信頼してるし、お任せしてます!
1時過ぎに家族とお義母さんが来た。点滴も始まる。

手術室前までは車イスで行きます。姉妹でどちらが押すか言い合いになった。
『おいおい、母はこれから手術なんやぞ。静かに望ませてくれよ』
結局、片方ずつハンドルを持って押してくれた。
手術室へは、歩いて行きます。家族とはここでお別れ、手を振ってくれた。あとでね!
私は極度の近視&乱視なので、看護師に手をひかれて手術台に乗った。
案外狭~~い。右腕に血圧を計る為のカフをつけられた。
これが結構きつい。痛いなあと思いながら、キョロキョロしてたら、
O医師が来た「大丈夫?これから始めるよ。」
麻酔科医が「麻酔を点滴から入れますよ。」
私、1・2.3と数えているうちに意識がなくなった。点滴ってすごい!
主人は手術の途中、O医師に呼ばれて、乳がんの部分とリンパ節を見たそうです。
いろいろ心配かけて、ゴメンね。ありがとう。

気そして、気がつくとベットの上、
看護師が「終わりましたよ。○○さん、聞こえますか!深呼吸して。」
ふぅ~と深呼吸、目を開けて周りを見ると家族と義母と京都から妹夫婦と子供たち。
妹に手をのばす、私の手を持って「大変やったなぁ」泣いていた。
ゴメ~ン。まだ喋れない。喉も痛いし。だるいし、眠いよ。
子供達は明日も学校なので、7時過ぎには帰って行った。急に淋しくなる。

癌になって思うこと。

2006-09-01 | 癌になって思うこと
「なんで、私なの?わたしのどこがいけなかったの?」
重い病気になった人は誰しも一度はそう思ったでしょう。
私も告知されてそう思いました。
乳がんの診察を受けたときの質問書の最後に
「乳がんがわかったら、告知を希望されますか」の欄があった。
迷わず、「はい」に○をつけた。
病気をしらないまま死ぬのはいやだ。できるだけのことはして少しでも生き延びたい。
でも、子供の将来のことを思い泣いた。子供の成長はいつまで見られる?!
人はいつか死んでしまう、早いか遅いかの違いだけど。
私にはまだまだ時間はある。それまでは命を大切にしょう。そう思った。

告知された時、私の母には言えなかった。
私に母は心臓病で、高血圧、糖尿病、白内障、
そして私の父は3年前に脳梗塞で倒れ、右半身麻痺、言語障害がのこった。
まだ、入院中。私の癌を打ち明けたら、倒れてしまうかも知れない。
妹と相談して、少したってから話すことにした。

主人の母には主人が話した。あとから聞いたのだが、やはり泣いたそうだ。
『2人の子供は私が育てていかないと。子供が不憫だ、かわいそうだと』
乳がんがわかった時、下の子はまだ幼稚園年長。上の子は小学校3年生。
この先のことを思うと不安で入院までの一週間、毎晩ひとりで泣いた。
今もまだ、まさか??の気持ちのまま暮らしてる。

 2006年2月現在私の病歴(乳がん以外)
 ・若年性高血圧症      ・強迫性障害(確認行動)
 ・甲状腺に腫瘍あり(2個) ・不眠症
 ・肝臓に特殊な腫瘍(2センチ)