昭和40年頃、ここに村の鍛冶屋さんが、ありました。50才以下の人は、まったく知らないでしょうね。
大野のおじさんが、鍛冶をされていたのです。私の父も鉄の杭を100本くらいお願いしたことがあって、作られているのを見たような、みなかったような、記憶があります。
小学生ですから、あまり近くまでは、近寄らせてはもらえなかったはずです。
今は、家庭菜園で、鍬などを使っていますが、壊れたら、新しいのを買うだけで、壊れたものをゴミでだすと、鉄も埋め立て処分になっているのでしょう。
鍛冶屋さんのところ、その時、温泉がでていました。それがそのあとどうなったか私は、知りません。
また近くの人に話を聞いて、この文のあとにあとから入れておきます。
もうほとんど聞くことはない、村の鍛冶屋の歌。もし聞けば、大野の鍛冶屋さんのことを思い出すでしょう。