三次市布野町の風景や自然など

布野にゆかりのある人で暇な人はみてください。
コメントも遠慮なくください。

昭和30年5月号

2023-02-15 16:38:13 | 布野村報

布野村報、昭和30年5月号に載っていた写真です。今から約、68年前、私が生まれる2年前です。

この年の4月に、村長選挙と議員選挙があったようです。村長選挙の方は、有馬村長が、無投票で3期目になられました。

この写真の中で、私が、あいさつできた人は、3人ですね。

この写真の中、ひいじいちゃんだという人やら、ひいひいじいちゃんですよという人もあるかもしれません。


長江小との交流:1982年

2023-01-16 15:06:04 | 布野村報

昨日は、とんどという名前で記事を書いたのですが、一般受けしたのかしれませんが、訪問者が普段の2倍でした。布野町に縁のない方も見ていただいたようです。

1982年2月号の記事です。尾道の長江小との交流にとんどをしたとありました。

長江小との交流は、今も続いているようです。長くなりました。2世代にわたって同時に交流した人もいるかもしれません。


二又水路

2023-01-13 15:34:15 | 布野村報

昨日の二又水路の水路は、10年くらい前に大はば改修されて、大きくなっています。漏れていたからです。ただし、改修は、一部区間のままのです。この村報の記事にある改修からそのままの状態で残っているところもあります。昭和28年2月号の記事です。

10年前の改修では、流れが早くなり、止まるところがありません。溝に落ちて、流されて亡くなられた、不幸な事故がおきてしまいました。今では、それで、この流れが速いところには、近づけないように柵ができています。

 


布野村報の名前決定

2023-01-07 16:48:41 | 布野村報

布野村報は、第1号から布野村報になっているのですが、名前の募集はしたようです。

名前の候補をあげて、投票してもらったのです。昭和27年、まさに民主主義の時代?にふさわしいですね。文奴とは、なんでしょうか。浮沼とは、布野の古い名前で、布野の語源になっている言葉です。

結果は、やはり布野村報になりました。村のあゆみ、33%とありますが、これは、23%との誤りだったと、のちの号で、訂正されていました。

無事に、名前を変えなくてよかったですね。

昭和26年(1951年)11月3日に第1号が発行されています。平成15年(2003年)12月、第571号まで、合併前の縮小版には、記載があります。合併は、平成16年4月ですから、あと少しは、発行されたのだとは、思います。


布野村報から:昭和27年1月号より:

2023-01-05 10:57:30 | 布野村報

村報第3号は、昭和27年1月号です。新年のあいさつが1ページです。読みにくいのですが、読んでみると、村民一致団結して、より幸せな村を作りましょう。ということでしょうか。今から比べると堅苦しいようですが、当時ですから。

村とは、まったく関係ないのですが、真面目に読んでいて、最初の太文字がまったく読めませんでした。

謹みて年の始めの御慶芽出度御壽ふぎ申上げます

これが、読めません。いろいろ苦労して、ネットで調べ、1時間かかりました。

つつしみて 年の始めの ぎょうけい めでたく おん ことはぎ もうしあげます

と読むのでしょうか。難しいものですが大体の意味は、わかります。めでたいということです。また。それを言葉にだしていうと、さらにめでたいことになりますよという言霊の文でしょうか。

さて、左上には、広報委員会のメンバーの名前が大きく出ています。当時の布野の重鎮の方ばかりです。けれど、岸實さんという方は、まったく私にはわかりません。というのも、布野で岸という家名に記憶がないからです。93歳の母に聞いてみると、布野小学校の校長先生ではなかったかと言うのです。調べてみると、確かに布野小学校の校長先生で、昭和22年3月から昭和30年4月まで、校長先生をされていたようです。講堂に写真があったはずですね。私の叔母様が在籍中の校長先生でした。