三次市布野町の風景や自然など

布野にゆかりのある人で暇な人はみてください。
コメントも遠慮なくください。

中国電力(布野散宿所)赤松清義さんの送別会

2023-08-30 11:40:23 | 昔の布野村から


昭和40年3月 町上常会場で行われた中国電力、布野散宿所におられた赤松清義さんの送別会の写真です。

赤松さんは、前列右から三番目の方です。
写っておられる方の名前は、ほぼわかっています。

約60年前の写真ですから、名前がわかっている人を書いてあげたいものです。個人情報云々というより、懐かしさが格段に勝るとは私は思っています。
そこのところどうでしょうか。

私の父も真ん中あたりに写っています。
町上の人が多いのですが、藤井村長や、武田さん、尼子さん、松岡さんといった、おそらく当時の議員さんも参加されたようです。

私が知る限りでは、生きている人は二人
下から3段目の左の端の女性は、sさんです。
その斜め右下の若い人は、当時、派出所におられた警察官の方(名前わかりません。生死は不明)
その人の右下の方は、町上地区の0さんで大工をされておられました。

赤松さんのあとは、西田さんが引っ越されてこられました。
5年後には、この散宿所は、廃止になりました。
おそらく、車が普及したからでしょう。

散宿所は、町上地区、旧出雲街道をはいったところにありました。今でも建物はあります。

この写真を見て、当時の人の温情の深さを改めて感じます。

薬師堂:1

2023-08-08 14:22:01 | 昔の布野村から


町上地区の薬師堂の中を見せてもらいました。子どものころや、中年のころは、まったくそんなもの興味はなかったのですが、高齢者になった今は、興味がでてきました。
お堂の中身があるほど、建物としては、立派なものです。小さな祠ではありません。



堂にはいると、由緒書きがかけてありました。まだ新しく、はっきりよめて、ものすごく助かりましたし、なるほどなあというところです。


ここで、極楽寺というお寺について、布野村誌から取り上げ見ます。
 極楽寺:福泉坊の元寺で、真言宗であった。山号を空円山と号す。黒平城主二井氏の菩提寺で、上布野湯谷山山頂付近にあった。寺跡には、地覆石が残っている。

 いろいろ突っ込みできそうなところですが、本題をはなれるのでまたの機会に。

薬師堂続きます。



宇遠木;2

2023-08-06 17:07:42 | 昔の布野村から


宇遠木橋をわたって、道は、作木町の香淀地区へつながります。崖が強烈で、布野では、一番の難所といってもいいでしょう。ちなみに2番目は、尻無山鉄塔へいく林道、3番目は、吸谷から高野へいく大規模林道(かなり整備されています。)4番目は、岡三渕へ行く道でしょうか。

さて、今回、久しぶりにこの道を通ってみました。とにかく、すれ違うことがないことを祈るばかりですね。幸い対向車は、まったくありません。

布野側から、右は山肌がでていて、左は、滝のある峡谷です。



此処には、布野では、あと1か所しか知らない、ジンジソウの自生地があります。上のカエデのような葉っぱです。
ジンジソウの花を見に、25年前、母につれられてきたことがります。怖かったですね。

さて、昨日書いた宇遠木の地名の由来です。昔、宇遠木という名前や屋号の人が住んでいたら、そうかもしれません。しかし普通に考えて?でしょう。漢字の意味がまったくありません。

以下は、私のまったくの考えです。根拠はありません。
おそらく、相当昔、フヌという名前ができたころにウトギという名前も付けられたのだと思います。

調べてみると ウトとは、崖や小さい谷を意味する言葉のようです。
またウトロという言葉もあります。アイヌ語で、奇岩の多いところという意味だそうです。

どなたか地名の由来を知っておられたら、教えてください。


67年前に布野にキッチンカーが来ていた。

2023-06-13 09:53:04 | 昔の布野村から

昭和31年12月号の村報の記事です。びっくりですね。当時からキッチンカーの名称があったとは。

この中でじゃじゃめんとは、普通聞かない料理の名前です。ジャージャー麺なら、聞いたことはあるし、食べたことも数回あります。中国料理です。

調べてみると、じゃじゃめんはジャージャー麺によくにた麺料理で、盛岡が有名だそうです。平打ち麺に肉みそ、キュウリなどをかけて食べる料理のようです。

ギョウザにしろ、じゃじゃめんにしろ当時ですから、これらを食べた高校生のほっぺは落ちたことでしょう。


入り会いの森:2

2023-06-09 13:57:32 | 昔の布野村から

昭和43年12月の村報からです。入り会いの森の除幕式のことが書かれています。碑の裏に書かれてある文も載っています。

画像は、丸川新一組合長です。

この碑もできて、50年以上半世紀たちました。このあたり、伐採は全然ないため、まったく変わっていません。この後の50年も変わらないのでしょうね。

50年後、グーグルマップの航空写真みれば、またわかります。(笑い)