7回観ました。好き過ぎる。
(7回観たことによってあるポイントが気になっちゃって、、−0.5といたしました。1回なら完全に5です♪)
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何をどっから褒めりゃいいやら。。。
ものすごく哲学的な話を、未熟だからこそ希望を秘めた17歳たちが体当たりで教えてくれます。
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結構宗教の話なんですよ。
学園のマドンナであるアスターは教会に通っている、美人でおしゃれで真面目で完璧なレディー。
教会では、アスターの父でもある牧師が
「悪魔は私たちに何をするのでしょうか。悪魔は囁くだけなのです。悪魔は言葉を耳元で囁き、我々に疑問を持たせます。悪魔に耳を貸さないようにしましょう」的なことを説教します。疑問を持って自分で考えちゃいけないんです。
この説教が行われる頃には、この映画の主人公3人はすでに出会っています。
愛とは、夢とは、人生とは、自分とは、死とは、、10代なら誰しもが必要以上に悩みこむこれらの命題を、この3人は(結果的に)力を合わせて、悩み抜き、答えを導きます。
誰かに教わるのでもなく、すでに誰かが本に書いたことをまるっと信じるのでもなく、自分の少ない体験と知識と想像力で、自分の頭で考えます。
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すでに誰かが本に書いたことをまるっと信じれば、考える必要はないんです。
でもこの3人は、自分で立ち向かい、考え、ぶつかり、失敗し、傷つけ、傷つけられます。目の前の人間に心を開くことで、3人は自分を知り、他人を知り、人生を知っていきます。
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もう、、この3人が美しくて。。まぶしくて。。
「2〜3年後に会おう」というセリフがあるんですが、あぁいいなぁと。。
彼らはきっと2〜3年経ったら別人のように成長してるんでしょうね。。
おじさんはもう2〜3年じゃほとんど成長しませんよ。。
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ネタバレ書かずに感想かくの難しいので、
ネタバレは以下に。
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エリーは「愛とは面倒臭くて大胆なこと」と答えを導き出します。
実はポールは最初から愛そのものだったんですね。
ポールの実家は老舗のソーセージ屋。おばあちゃんの黄金レシピがあって、それが美味しいし人気。
それを作っていればたぶん安泰だし、家族の誰も新しいメニューを望んでいない。
でもポールは新しいメニュー「タコスソーゼージ」の開発に乗り出す。
家族を傷つけるかもしれないと二の足を踏んでいたけど、エリーパパの力を借りて開発する。
それはまさに、エリーとアスターが絵画の筆捌きについて考察して出した「名作を生み出すためには、全体を壊してしまうかもしれないかもしれないけど、大胆な筆捌きが必要」という答えと一致。
また、ポールはすでにとても優しい人物であり、3人の中で突出した「大胆さ」も持っている。
ラブレターの代筆を頼むこと自体も、今まで全然知らなかった文学や映画の世界に飛び込むことも(しかも結構ちゃんと楽しんでる)、最後にはエリーにキスしちゃうとこも。
ラブレターを代筆してもらっているとき、どういうわけだかエリーが運転する自転車を走って追いかけるわけですが、
そのおかげで彼はアメフトが強くなっていきます。
それまでは「アメフトの練習中にアスターのこと考えちゃう」くらいに実はそんなにアメフトに情熱がなかった。
愛について考えて大胆に実行していくことで、いろいろぬるかった彼も成長しました。
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学園のマドンナといえば聞こえはいいけど、学園の〝トロフィー〟だったアスター。
実は誰も彼女のことをちゃんと見てないけど、「アスターと仲間である」というトロフィーが欲しいがためにアスターに近づいている。
牧師である父の教えもあり(イタリア語喋っていたのでイタリア移民という設定でしょうね)、ひたすら大人しい良い子に固まってしまった女性。あそこまでバカな彼氏(価値観も合わない)と付き合って、結婚しそうになるほど、もはや自分の人生もどうでも良くなっている。
でも、森の中の温泉見つけてそこを自分の秘密の場所にするほど、内面にはいろいろモヤモヤを抱えていた。
それが、エリーの言葉によって、蓋をしていた自分の思いに気付いてしまう。絵を描きたいという自分の情熱に気づいてしまう。
こんな欲望なければ、苦労することなく頭使わずに暮らしていけたのに。
でも、真っ直ぐであたたかいポールや、他人に迎合しないエリーと接する中で次第に彼女も変わっていく。
最終的には、今まで着たことのないデニムのジャケット、中には膝丈の真っ赤なワンピースを着て、道路の真ん中に仁王立ち。
喋り方も結構ぶっきらぼうになって、エリーに感情をぶつける。
「見てなさいよ、2〜3年もしたら私も強くなるんだから」とアスター。
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一番固い殻に閉じこもっていたのはエリー。
アメリカの保守的な町で、中国系で生きるのはたぶん結構辛いはず。
父もなんか生きてるんだか死んでるんだかわかんない感じなっちゃってるし、学校でも友達いないし、一見優しいような国語教師もエリーの気持ちを親身に聞いてあげたりなどしない。
知識もあるし、考えることも好きだけど、自分の将来について考えることは苦手。
というか希望を持つことが怖い。それは母の死も原因でしょう。
それがポールとアスターによって変わっていく。
「価値観が合う同年代と出会ったらどうしたらいい?」とエリーは教師に問う。
しかし教師は「大学に行けばたくさん出会えるわよ」と、またしても答えになっていないことを言う。
この人に聞いても無駄だと秒で踵を返すエリー。
大人はアテにならない。自分でぶつかっていくしかないと気づいたエリーは、ポールの無謀な計画に乗ることで勉強以外のたくさんの経験を重ねていく。
今まで他人と(ポールにでさえ)一線を置いて接してきたエリーがラストでは、
道路のセンターラインを超えてアスターにキスをする。
女性が好きな自分を自分自身で受け入れ、他人にぶつけた瞬間。
そして「2〜3年後会おう」
アスターも笑顔。
この2人、どうなるのでしょうね。
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ラストシーンが良かったですね。
発車した電車を追いかけるシーン。
エリーはこれが嫌いだった。
「追いつくわけないのになんで走るの?」とバカにしていた。
でもポールの走る姿を見て
追いつかないことを知っていても走るのが愛なんだと気づく。
また、その姿を見て嬉し涙を流す自分の中にもポールに対する愛がある。
で、ふと周りを見回すと
そんな自分たちの青臭い青春なんて遠い昔って感じの大人たちが静かに座っている。
ぼんやり外を眺めたり、新聞を読んだり。
あの人たちにも大胆にぶつかって失敗した青臭い青春があったんだろう。
そのあとも仕事や恋愛や結婚やらいろいろと経験して、それでも何もなかったかのように今は静かに座っているのだろう。
その姿は自分の未来だ。
私たちの人生、面白いのはこれからだ。
おわり。
あ〜〜〜いい映画!
ラストまで見るとまた頭から再生したくなるんよ!
そしたらまだ成長前の3人に会えるのさ!
だから何回も見るのさ。
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で、何回も見たことによって気になったのは、、
あまりにも周囲の人をバカに描きすぎってことです。
あれはたぶんエリーの視点ですね。エリーの偏見。
エリーは「自分以外みんなバカ」「関わるだけ時間の無駄」と思っている。そうやって自分を保っている。
そういう視点なので、教会もアスターの彼氏も彼氏にまとわりつくガールズたちも本当に馬鹿として描いてる。
あまりにもバカにしすぎなので、1回目は笑えたし、ちゃんとその意図も汲めたんですけど、何回も見てると流石に「酷すぎない?」と同情しちゃう。。
ここまでバカにしなくても、、と。