偶然と想像(2021年製作の映画) wheel of fortune and fantasy 上映日:2021年12月17日製作国:日本上映時間:121分
監督 濱口竜介
脚本 濱口竜介
出演者 古川琴音 中島歩玄理(玄里) 渋川清彦 森郁月 甲斐翔真 占部房子 河井青葉
監督 濱口竜介
脚本 濱口竜介
出演者 古川琴音 中島歩玄理(玄里) 渋川清彦 森郁月 甲斐翔真 占部房子 河井青葉
目次
- ①魔法(よりもっと不確か)
- ②扉は開けたままで
- ③もう一度
- ②扉を開けたままで、のラストネタバレ
①魔法(よりもっと不確か)
古川琴音の役は、同じく橋口監督の『寝ても覚めても』の唐田えりかの役に似てますね。
欲望の動力が無限エネルギーの人。自分や相手が傷つこうがお構いなしで、火の玉のような欲望や自我が、箱も扉もなくガッバガバで暴れまくってる。
スマホ画面長押ししてたらアプリのアイコンがぶるぶる震えて出てきた(−)マークを押すとそのアプリを消せますけど、コイツをそうやってこの映画から消したかったもん。
ほんと消えて欲しかったし、止めてあげたかった。誰も幸せにならない暴走を見てるのが辛かった。
でも同時に痛快でもあった。普通思ってることをあんなにもストレートに言えないし、相手もポンポンリズム良く芯食ったこと言い返してくれないもんね、現実世界では。
ぶつかればぶつかっただけの展開があるのは、映画の中の世界。
そしてさらにこの映画では「if」という現実世界では使えない技も使ってましたね。
ラストの喫茶店のシーンで3人同席するとき「みんな私と同じように不幸にな〜れ!」みたいなノリで幸せそうな新カップルを破壊しにかかったんだけど、あれは「if」でしたね。
しかもifの世界で男は女友達を追いかけた。(こないだ男は私をおいかけてこなかったのに)
ifは終了し、現実世界では彼女は「先帰るね、私はそんなに野暮じゃない」と去ってカップルを2人にしてあげた。
カップルはうまく行きそうな雰囲気。
彼女は生まれ変わろうとする渋谷の街の中で自撮り。(自撮りでしたよね、スマホのアップルマークが渋谷の街並みの方向いてましたよね)
身体的な自傷行為じゃなくても、精神的に自分を傷つけて相手を傷つけることでしか自分の存在を確かめられなかった彼女が、ちょっと成長する「if」という魔法。
現実世界でも使えますね、if。
「もしこれ言っちゃったらどうなるかなぁ」と想像することで。ちゃんと相手を独立した人間だと認識して尊重することで。
映画の中のifよりももっと不確かだけど。
②扉は開けたままで
俳優パワーで言うと三本中1番強い渋川清彦を有り得ないくらいの棒読みにさせている。感情をとにかく抑えた演技体。
面白いのは「扉を開けている」ってことは実は感情は抑えなきゃいけない状況だということ。
外から聞かれ見られるかもしれない状況はむしろ閉じられた状況。
主役の女性には小さな娘も夫もいる。若いセフレもいる。
何かを獲得したくて大学に入った。フラ語を取ってる。どうやら他人を見下しがちな女性らしくて友達ができない。自分の空っぽさにコンプレックスがありそう。
ラストがちょっとね、僕は理解できなかったかな。受け入れられなかったかな。ネタバレは下の方に書きます。
③もう一度
笑ったぁ。最高の一本。
結局この2人は本人とは一切会ってないし1秒も会話してない。
夏子は恋人だった女性と会えてないし質問もしてないし答えも聞いてない。
あやものぞみと会ってない。
でも擬似的に相手がその人物になることで(演じることで)、実際には会ってないんだけど(ifの状態)、この擬似体験を経ることで確実に自分の中に変化は起こる。
セラピーのようなワークショップのような、奇跡のようなシーンでしたね。本人ではない誰かを演じてる人を自分の鏡にすることで自分が少し変化する。ほんとは現実世界は1ミリも動いていなくても。
僕は彼女たちがやってのけた奇跡のような変化を、〝映画を見る〟ということに求めているのかもと思いました。
うまく言葉にできませんが、「演じてるってわかりながら演じている人を見る」「脚本に書かれたセリフを話してるのを聞く」っていう実は結構複雑な何重かの構造の表現。
実際に自分が抱えている問題や過去のトラウマと真正面からぶつからなくても、「演じている誰か」を観ることで何かふわっと好転できるような気がする。それを期待して僕は〝映画〟を観てきた気がする。
それに気づかせてくれた素晴らしい1本。
②扉を開けたままで、のラストネタバレ
②扉を開けたままで、のラストはなんであんなに不幸な展開になったんでしょうか。。
メール誤送信しちゃうわ、離婚しちゃうわ、教授も飛ばされるわって。。
ちょっとほんとにわからなくて、、あんなに不幸にならないで欲しかったなぁ。。