映画感想(ネタバレもあったり)

映画コラム/映画イラスト

新作映画『さがす』ラストシーンネタバレあり 清水尋也の怪演! 

2021-11-30 | ネタバレあり
さがす(2022年製作の映画)
上映日:2022年01月21日製作国:日本
監督 片山慎三
脚本 片山慎三
出演者 佐藤二朗 伊東蒼 清水尋也

目次

  1. 四コマ映画『さがす』 
  2. 同監督の名作映画『岬の兄妹』(2018)もちょっとそんな感じでしたかね。
  3. 今作『さがす』と『岬の兄妹』の比較
  4. 佐藤二朗のスター感はやはりすごい。
  5. 佐藤二朗の奥さん役が成嶋瞳子。
  6. このラストシーンはすごいですよ。


四コマ映画『さがす』 



「初めて見た。ホントに死にたい人」


ブラックコメディってのは日本ではあんまり浸透していなくて。

思いつく邦画のブラックコメディは『葛城事件』とか『生きちゃった』とか。
目も当てられないほど悪い方へ悪い方へ行ってしまう人物の様子を描いていると、なんか笑けてきちゃう、という映画。


****


同監督の名作映画『岬の兄妹』(2018)もちょっとそんな感じでしたかね。


四コマ映画『岬の兄妹』→ http://4koma-eiga.jp/fourcell2/entry_detail.htm?id=2268


人生詰んだ状況から微かに見えた光明をつかもうとするんだけど、残念ながらどんどん悪い方へ流れていっちゃって…という話。

微かな光明を掴もうとする人間のエネルギー。

そこからさらに堕ちた時に光だす人間の根源のエネルギー。
のようなものを描いた映画で、『岬の兄妹』も名作ですので、ぜひ。

****



今作『さがす』と『岬の兄妹』の比較


前作と比較して
●血のつながりのある男女が主役
●割と人生が危機的状況
●笑っていいのか不安になるコメディ感
●中2男子レベルの下ネタ
●微かな光明を掴もうとするも逆に堕ちていってしまう

などが共通項かと。


佐藤二朗と伊東蒼のダブル主演(と言っていいでしょう)で、ネクストブレイク俳優の清水尋也が重要人物として出てくるわけですから、
かなりの商業映画なわけです。

商業化によって失われたものを確かにあると思います。
『岬の兄妹』のザラザラ感ギトギト感ウ○コ感はちょっと弱まってしまっています。
が、
猟奇サスペンス描写がなかなか残虐で変態チックなので、かなり興奮します。




佐藤二朗のスター感はやはりすごい。


佐藤二朗が演じるとどんなにクソでも愛せるし、「実はめっちゃくちゃ怖い人なのでは…」って感じもあるので、善悪揺れ動くこの映画にはバッチリのハマり役。

****

佐藤二朗の奥さん役が成嶋瞳子。

なんか見たことある女優さんだなと思っていたら、橋口亮輔監督の『恋人たち』に出てた方。
俳優さんって「ただそこにいる演技」っていうものを目指してたりしてますが、成嶋瞳子は「いない」。

そこにいないくらいの演技。だいぶ前に死んでるんじゃないかってくらいの雰囲気。

こんな空気出せる俳優さんっていないんですよ。唯一無二。
今作『さがす』での役は、もうすでに死んでる人感がピッタリで、、、見ていて怖いし、絞り出すような咆哮が悲しすぎる。
悲しすぎると同時に、
生への希求というか人間の根源のエネルギーを見せられたようで、
やはりこの映画が露悪的なだけじゃない、プラスのエネルギーを発した映画になっていると思います。


****



このラストシーンはすごいですよ。

「どうやって撮ったんだろう」というのも含めて結構長く語り継がれる名ラストシーンだと思います。


ラストシーンのネタバレは以下に。



ラストの卓球ラリー。球はCGだそうです。




映画『片袖の魚』 トランスジェンダー女性が希望のひかりを見つけるラスト

2021-11-22 | 映画感想
片袖の魚(2021年製作の映画)上映日:2021年07月10日製作国:日本上映時間:34分
監督 東海林毅
脚本 東海林毅
出演者 イシヅカユウ 広畑りか 黒住尚生 猪狩ともか 田村泰二郎 原日出子


東海林毅監督作は初見です。


勝手な先入観でビジュアル重視の難解なアート作なのかと思ってたけど、
ストーリーテリングもわかりやすく人物の感情の流れも複雑だけどたっぷりと伝わってくるドラマ映画でした。

上映時間34分ですが60分くらいの情報量、物語の展開でした。
短くて物足りないと思う人はとても少ないのではと思います。

***

この『片袖の魚』(2021)はトランスジェンダー役をトランスジェンダー俳優が演じています。

『ミッドナイトスワン』(2020)の翌年に公開されたということこがまた痛快だし、希望の光ですね。

***

「トランスジェンダーの役はトランスジェンダーの俳優に」


「トランスジェンダーの役はトランスジェンダーの俳優に」というスローガンが上がるほど、
現状は機会の不均衡があり、それが悪循環を産んでこの不均衡が固定化されてしまっています。

❶無名のトランスジェンダー俳優より人気実力共にあるスター俳優がトランスジェンダー役を演じた方が、興行的にもいいし、賞レース的にもいい。

❷トランスジェンダー俳優が演じる機会が増えない。

この1と2をグルグルと回っているのが現状。

「トランスジェンダーの役=トランスジェンダーの俳優」に固定しようということではなく、
現状の機会不均衡を是正しようという意味で、僕も賛成です。

***

トランスジェンダー俳優をどう扱ったらいいのか


東海林監督は主役のイシヅカユウさんに映画の中で役として学ランを着せるシーンを撮るにあたって
撮影前にイシヅカさん自信が「学ランを着る」ことに苦しまないかどうかを危惧して
マネージャーさんやご本人に確認を取ったりなど、撮影前から慎重に準備をされていたとのこと。

この気遣いは映画を撮る対象に対してとても誠実な姿勢であり、必要だと思いますし、それは映画のクオリティ上げ深さを増すものだと思います。

特に今は「トランスジェンダー俳優をどう扱ったらいいのか」という懸念ばかりが湧いていて
なんかめんどくさいし怒られたら嫌だからシスジェンダー俳優を起用しとこ、という流れにもなっていると思います。

なのでやはり、
トランスジェンダー俳優起用の機会を均等にして(ちゃんとチャンスがある状況にして)
お互いの経験値を上げていけば今よりももっとスムーズに進められるようになるでしょう。

***

ちなみに、東海林監督の「イシヅカさん、学ラン着ることで苦しまないかな」というこの気遣いは杞憂だったでした。

イシヅカさんには中学時代に実際学ランを切るのが嫌すぎた〝こともあって〟あまり中学には行かなかった、という過去があったとのこと。

ただ、その時に学ランと決別してしまっていたことがちょっと引っかかっていて、
今回学ランを着ることで和解できたと感じられたそう。

しかも、学ランは服としてカッコいいものだと思えるようになっていたし、撮影時には学ランを着た自分の姿を何枚も写真撮ってもらったそう。


***

トランスジェンダーではない僕らが勝手に想像して固定化した「トランスジェンダー像」ではない


このような、他人からでは想像が及ばない本人の心の変容。
もしかしたら本人も大人になった今「学ラン」と対峙することで初めてこの心の変容に気づいたのかもしれませんが。

これは役と同じ属性を持った俳優ならではのオリジナリティだし、
対象に誠実に丁寧に撮影したからこそ出てきたことだと思います。

トランスジェンダーではない僕らが勝手に想像して固定化した「トランスジェンダー像」ではない、
リアルでディテールに富んだ人物像がこの映画には映っていたと思います。

「どうせ観客はここで泣くんだろ」みたいなシーンの羅列映画とは雲泥の差で
豊かな人間性を描いたシーンが繋がった映画になっていました。


***



爽やかで力強く明るいラスト



この映画の主役〝ひかり〟も辛い目には遭います。

だけどそれは暴力を振るわれて人前で服を破かれて胸を露わにされたり(しかもどういうわけだかそれを隠させてももらえない)、
血だらけ傷だらけの姿がスクリーン全体に映し出されるような露悪的なものではありません。

トランスジェンダーとして普通に生きていて(むしろ比較的優しい人たちに囲まれて生活できている)、
特段悪人というわけではない人たちの本人としては悪意のない言葉に
チクチクグサグサと傷ついていく、というとてもリアルで繊細な描写です。

これを観たシスジェンダーの観客はおそらく誰もが「あ、やっちゃってきたかも…」と自分のことを省みるでしょう。。

で、ここまでディテールにこだわって繊細な映画にしていくと
トランスジェンダーに限らずいろんな「少し生きづらい人たち」をも掬い上げるような広く大きな映画になりますね。

「トランスジェンダーは悲惨なのだ!!」ってことをひたすら強烈に繰り返す映画では、これはできない。
単なる毒映画にしかならない。
(すみませんね、僕あの映画死ぬほど嫌いなんです…)

ひかりも辛い目には遭いますけど、
あることをきっかけに自分の中の希望を信じてまた歩き始めます。
爽やかで力強く明るいラストです。


****



イシヅカユウさん、広畑りかさん素晴らしい演技


さて、長々と書きました。そろそろ映画の中身のことを。
(早く上記のことを長々と書かずに済むようになりますように。)
イシヅカユウさんの演技素晴らしかったです。
モデルの写真で勝手にイメージからこれまた勝手にイメージしていたのはクールでツンケンした感じだったんですが、、
ひかりはすごく親しみが湧くどこにでもいるし、
自分の中にもいるようなキャラクターでした。
多くの人がひかりを好きになるんじゃないでしょうか。
助演の方たち皆さん良かったですが、特に広畑りかさん!
存じ上げなかったのですがグラビアアイドルの方なんですね。
どこかの劇団で長年舞台を中心に活動していてとんでもない力をつけた状態で遂に映画界に進出してきた女優さんかと思ってました。
知らなかったけどこんなに存在感もなめらかさもある女優さんいたんだ!と思ってました。
これからバンバン女優として活躍されますよ!


『死霊館 悪魔のせいなら、無罪。』 実際の判決は?事件の真相と家族の証言。 ネタバレあり

2021-11-19 | ネタバレあり
死霊館 悪魔のせいなら、無罪。(2021年製作の映画)
The Conjuring: The Devil Made Me Do It
監督 マイケル・チャベス
脚本 デイビッド・レスリー・ジョンソン=マクゴールドリック
出演者 パトリック・ウィルソン ベラ・ファーミガ

四コマ映画『死霊館 悪魔のせいなら、無罪。』











以下時系列順
⓪『 The Nun(死霊館のシスター)』以前
①1952年『 The Nun(死霊館のシスター)』
②1958年『 Annabelle: Creation(アナベル 死霊人形の誕生)』
③1970年『 Annabelle(アナベル 死霊館の人形)』
④1971年『The Conjuring(死霊館)』
⑤1972年『Annabelle Comes Home(アナベル 死霊博物館)』
⑥1973年『 The Curse of La Llorona(ラ・ヨローナ〜泣く女〜)』
⑦1977年『 The Conjuring 2(死霊館 エンフィールド事件)』
⑧1981年『 The Conjuring: The Devil Made Me Do It(死霊館 悪魔のせいなら、無罪。)』

死霊館ユニバースまとめ(2021)
→ 
http://4koma-eiga.jp/fourcell2/entry_detail.htm?id=2775




宗教映画


マイケル・チャベス監督(『ラ・ヨローナ~泣く女~』も同監督)も「これ信仰の映画。」と発言している通り、この映画は宗教映画。

さらに「ウォーレン夫妻は悪魔の存在を信じていたと思う」とも言ってるので、この映画はウォーレン夫妻側から一方的に描いたものだとわかります。

  • ❶弁護士「殺人事件を悪魔のせいで無罪にしたいなら法廷で悪魔の存在を証明しなさい」
  • ❷ウォーレン夫妻「悪魔は存在する。なぜなら聖書に書いてあるから。」
  • ❸弁護士「法廷で聖書は通用しない。」
  • ❹ウォーレン夫妻「宣誓する時聖書が使われている。聖書は法廷で信じられている」
↑この流れは面白かった。

悪魔がやったなんて法廷で通用するわけないじゃん、と思っていたら、悪魔が存在している書かれた聖書を法廷も使っているじゃないか、と。

宗教が法に入り込んでいるわけですね。
宣誓には聖書を使っておいて悪魔の話になったらいきなり聖書を否定するなんて通用するのか!?という。

これは面白い。「宗教と法」の正しいあり方とはなんだろうと興味を持ちました。
と思ったんだけどこの部分は解決もされないし、問題提起もされないし、冒頭以外この話は出てきません。。

残念無念。。



やっちまったな!


映画のウォーレン夫妻は実際の夫妻とはかなりイメージが違うようにキャラ設定されています。

そもそも『死霊館』や『死霊館 エンフィールド事件』くらいでしかウォーレン夫妻はしっかり描かれてこなかったわけですが、
この2作ではウォーレン夫妻は冷静でした。

僕はオカルトが別に好きではないのであんまり本気でオカルトを信じさせようとしてきたり、それと商売を結びつけていると、引く。

その点、前作までのウォーレン夫妻はギリ良かったんです。

「本当に悪魔って存在するのかも知れな〜い!」とホラーエンタメとして楽しめていました。




実際の事件「アルネシャイアンジョンソンの裁判」



1980年にアメリカで起きた殺人事件がこの映画の元となっています。

悪魔に取り憑かれたことで殺人を犯したってことで裁判で無罪を主張したという事件。

この事件について書かれたロレイン・ウォーレンと作家のジェラルド・ブリトルによる著作「コネチカットの悪魔」を原作としています。

一番最初に悪魔に取り憑かれたとされたデビッド・グラッツェル(当時11歳)の父と兄はこの「コネチカットの悪魔」を「完全な嘘」と言っています。

父と兄は(息子、弟である)デビッド・グラッツェルはそもそも悪魔に取り憑かれていなかったと主張しています。

さらに、殺人事件が起きたすぐ後からこの事件を書籍化&映画化することを計画していたウォーレン夫妻のことをデビットの父と兄は不審に思っていました。
のちに「ウォーレン夫妻が利益を得るために家族が利用された」と訴えている。

当時映画の制作も始まりましたがそれは頓挫。
しかし1983年に「コネチカットの悪魔」として書籍化。物議を醸す。

2007年の同書が再販れてる時に、デビットの父と兄は、プライバシー、名誉毀損、および「精神的苦痛の故意による精神的苦痛」に対する権利を侵害したとして、著者と本の出版社を相手に訴訟。



「この映画は実話である」


「この映画は実話である」と映画冒頭結構大きな文字で出てきましたね。
This movie is based on true story.のフォントのサイズは法で規定されてないだろうし、
真実と創作のバランスが7:3だったらThis movie is based on true story.って表記していいけど6:4だったらダメとかの決まりもないし、
This movie is based on true story.の日本語訳は「事実を基にした映画」にすべきという決まりもないのでしょう。

This movie is based on true story.の映画を見た後にどこまでが実話だったのかを調べる観客はそう多くないでしょうし、それが義務だとも思わない。
映画がそんなにめんどくさいものであってはいけないと思います。

つまり映画製作者がどれだけ誠実であるかが問われているわけです。

「こんなに創作混ぜといてThis movie is based on true story.とは表記できないよね〜」という誠実さ。

この誠実さを悪意なく越えてくるものがあります。それが信仰。

片方が悪魔に取り憑かれていなかったと主張している状態であっても主役側の意方的な見方で「悪魔は存在する」とした映画にThis movie is based on true story.と表記できちゃうのは、信仰心があってこそ。

それが実行されているので、この映画は極度の宗教映画。




「そのための能力じゃない!」


ロレインに透視能力があることを警察に証明するために、殺人事件で使われた武器を選んだシーンありましたね。
あれがホントだめでしたね。今までのウォーレン夫妻だったらやらなかったと思いますよ。

警察に自分の力を信じてもらうために透視能力を使ってみるなんてことしなかったはず。

それくらい慎重さを持っていたし、その能力の崇高さを本人たちこそが感じていたはず。

警察に透視能力を見せつけて信じて貰えば話が早いけど、それは信念を曲げることになるので、できない!

遠回りしてでも別の手段で問題解決を急ごう!っていう流れだったら、良かったのに。

一応夫が「そのための能力じゃない」と阻止しようとしたけど、
ロレインはサッと透視能力使っちゃったもんね。。

信仰ってそういうことなのかね。信じてもらうためにサッと奇跡を起こしていいものなの?



裁判結果


実際の裁判では「悪魔のせいにするのは流石に無理っぽい」って思った弁護士は「正当防衛」路線に変更。

結果、過失致死罪で有罪判決を受け、10年から20年の刑を言い渡される。
模範囚だったので5年で釈放。

映画では短い刑期で出でられたことがまるで結局悪魔のせいだって認められたからみたいな雰囲気でやってましたけど、実際は模範囚だったから。

この事件を映画化したのは失敗だったと思います。
やめといたほうがよかった。
もしくはもっと公平な視点で描くべきだった。

エンドロールに実際のウォーレン夫妻の写真が出てくるのもどういうつもりだったんだろうか。映画で描かれる人物像と全然違いそうな雰囲気だったけど。。。



エンドロール担当者がせめて一矢報いたかったのかなぁ。。



映画『僕の家族のすべて』心配という支配

2021-11-19 | 映画感想
僕の家族のすべて(2019年製作の映画)
All in My Family 製作国:アメリカ上映時間:39分
ジャンル:ドキュメンタリー




面白い。


ハオとエリックはゲイの中国人カップル。

彼らは代理出産で赤ちゃんを授かる。
ハオの姉や姉の夫は理解があるが、父や母には強い葛藤が生じる。
祖父に至っては恐ろしくてカミングアウトすることすらできない。
そこに従姉妹たちも加わって「普通じゃない」「理解できない」「聞いた日は眠れなかった」など、大混乱。



「お前がゲイだったことは私の夢には大きな打撃だった」

同性愛者など間違っている、不幸になるに決まってる。
ましてや子供を持つなんてさらに間違っている、不幸になるに決まってる。
心配だ。心配だ。
と彼らは繰り返す。
「心配だから」と言う大義名分(?)で、スラスラと長々と差別発言が連発されていく。。

**

100歳の祖父が孫に言った言葉
「お前がゲイだったことは私の夢には大きな打撃だった」
しかもこの祖父は笑顔で言う。
この孫がインタビュアーとなってカメラを構えてる前で、
笑顔でお前は打撃だと言う。
「子供は純血がいい。男系がいい。」
「友達や知り合いにも隠しなさい」

ここで箇条書きするのも憚られるほどの差別発言のオンパレード。
不思議なことに彼らは笑顔で言う。。

**

「僕の家族の愛情表現は〝心配すること〟。
心配だから支配する。
僕はそこから逃げたかった。」by ハオ。

わかるわぁ、、、僕も母からの心配という名の支配から逃げたかったもん。
逃げたけどね。
でもいくら逃げても心配が終わるまで物理的に逃げても、精神的には「心配=支配」は続いた。

**

「僕が親から得られなかった無条件のサポートを子供に授けたい。
〝同性愛者じゃなければ〟受けられたはずの親からのサポート。」by ハオ

ハオとエリックはとても柔和で知的な感じの男性。

この激しい家族の中でよく育ったなぁと思うほど。
それだけ苦しかったのでしょう。

ハオは落ち着いているけど怒ってる。

根元には怒りがあるように見えました。
なぜ自分は否定されなければならないのか。

この人たちは自分の息子よりも何を大切にしているのか。



カミングアウトされる側の苦悩

今までは「カミングアウトする苦悩」が多く描かれてきたけど、
近年は「カミングアウトされる側の苦悩」を描く映像作品をよく見かけるようになってきました。

物語がそちら側に移行していってる。
これは良いことだと思う。

される側も大変だとは思うもん。
サポートがあって然るべきだと思う。
(ありますので。調べてね。)



ホラーかオカルトのようだった

男系最高!
内孫最高!

という呪縛に取り憑かれてるといかに差別発言がスラスラ出てくるか、
その様子が面白かった。

自分の子供や可愛い可愛い孫にでさえ、スラスラと呪いの言葉が言えてしまう。
ホラーかオカルトのようだった。

ものすごく強烈なドキュメンタリーでした。

ハッキリとした答えを出さずに、混濁したまま置いておかれるラストも素晴らしい。

映画『ドライブ・マイ・カー』コミュニケーションの難しさと希望

2021-11-18 | 映画イラスト
ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
監督 濱口竜介
脚本 濱口竜介 大江崇允
原作 村上春樹
出演者 西島秀俊 三浦透子 岡田将生 霧島れいか

目次

  1. 無理
  2. 情報量よ
  3. 四コマ映画『ドライブ・マイ・カー』
  4. ただ単に そういう人だったと 思うことは無理ですか
  5. コミュニケーションの難しさと希望



無理

濱口竜介と深田晃司は無理なんです。

素晴らしさに飲み込まれてしまって無理なんです。言葉にできない(オフコース)。

大体の映画は強く感動しても流石に数日経てば落ち着いてきて、文章化できる状態になるんですけど、この2人の映画は無理。

ずっと飲み込まれた状態のままだし、この状態のままいたいという気持ちもある。




情報量よ


この『ドライブ・マイ・カー』は描く物語の量も多いし、手法の数も多い。

ものすごくたくさんのことをそれぞれじっくり時間をかけてやってる。だから179分。
でも飽きない。話がどんどん展開していくから。



四コマ映画『ドライブ・マイ・カー』







鏡の演出も多かったですね。

鏡に映った自分を他人に見られてる時の顔って、
他人に見られることを想定していない角度の自分の顔なんすよね。





ただ単に そういう人だったと 思うことは無理ですか



ドライバーの渡利みさきのセリフ「ただ単に そういう人だったと 思うことは無理ですか」が好き。

何が好きなのかもよくわかんないんだけど、「自分以外の人のことをそんなにわかろうとすんなよ」的な感じが好きなのかも。

●●をするその人も○○をするその人もその人の中では矛盾がないんじゃないですか 的なセリフに続いていくのもいい。

その人の中にも矛盾があるけどその矛盾もそのまま受け入れましょうよ、ってことじゃなくて
その人の中では矛盾はないかもしれないですよ っていうのが好き。

結局他人のことは何にもわからないんですよ ってのが嬉しい。




コミュニケーションの難しさと希望

この映画が描いていることの一つは、コミュニケーションの難しさと希望だと思います。

手話をも含んだ多様な言語での演劇を通してコミュニケーションについて考察しているんですが、
どうにか他人とのコミュニケーションを成立させようとすることと同時に上記のセリフのように「他人を理解するなんて無理だよ」という両輪が同時に回ってる感じ。

できないことはわかってるけど近づこうとする希望とか、
できないってわかっているからこそ近づけるのではという希望とか。

 分かり合うとか話し合うとかは絶対に死ぬほど大事なんだけど
「結局わかんないよね」「実際無理だよね」って思っておくことも密かに大事だよな、と。


***

あ〜長々書いてしまった。。恥ずかしい。。。

劇場版「きのう何食べた?」 息子が連れてくのが「嫁」ならいいけど「男」は無理 

2021-11-15 | 映画感想
劇場版「きのう何食べた?」(2021年製作の映画)
上映日:2021年11月03日製作国:日本上映時間:120分
監督 中江和仁
脚本 安達奈緒子
原作 よしながふみ
主題歌/挿入歌 スピッツ
出演者 西島秀俊 内野聖陽 山本耕史 磯村勇斗



近年の邦画はほんとに傑作が多くて新しい光を発している中、この映画ももしかしたら…と思ったのですが。。。

*****

連続ドラマが大ヒット。深夜ドラマなので視聴率は高くて3%でしたが熱狂的なファンを獲得し、
正月のスペシャルドラマを経て同時に劇場版制作の宣伝もして、秋に劇場版公開!という流れ。

ファンサ(ファンサービス)映画でした。ファンサービス映画。

西島秀俊の好青年っぷりと内野聖陽の可愛さを愛でたり、
2人がいちゃいちゃしたり仲違いするのを見たり、
ベテラン俳優2人が楽しそうにアドリブしているのを見たり、
笑って泣いてほっこりした気分になりたいんだろうから、そうしてあげよう、という映画。

もちろん、それでウィンウィンの関係が結ばれたのならいいですよ。

全体的にはコメディですから
スッキリと笑ってもらおうと思って作った映画を見て
ファンがスッキリ笑ったのならば、それはそれでいいと思います。
しかし、この映画を見てスッキリ笑えましたか?


目次

  1. 美容室の新人男性スタッフの人としてやばいレベルの言動→かっこいい
  2. ハゲいじり
  3. アドリブ多すぎ
  4. キスしない問題
  5. ★★★以下はネタバレ含みます★★★
  6. ホームレスの男性が殺人の罪で9年の懲役を食らった問題。
  7. 息子が連れてくのが「嫁」ならいいけど「男」は無理問題
  8. 2人が幸せなんだから多くを求める必要はない問題
  9. 回避できたと思いますよ
  10. 「男に戻ります」発言



美容室の新人男性スタッフの人としてやばいレベルの言動→かっこいい

「漫画だったら成立する(もしくはスルーできる)んだろうな」というシーンが多かったです。

漫画は自分のペースで読み進められるしコマのサイズや吹き出しの大きさなど漫画ならではの手法でバランスを保つことができると思います。

特にこの漫画はセリフが長いので、それを俳優さんにそのまま長々と喋られるとウンザリ度が高まってしまう。

美容室の新人男性スタッフが人としてやばいレベルの言動を繰り返すのが漫画でなら我慢できても、映画できっちりやられると辛い。。

しかもこの男が「かっこいい!」「優しいんだね」と周りから評価される流れは、僕以外の観客の多くも「え?」っていうリアクションでしたよ。



ハゲいじり

全体的には俳優さんたちが皆さん素晴らしいのでそれなりのレベルに達してしまうのですが、ハゲいじりのシーンは今なかなか成立させるのは難しいでしょう。。

「息子が連れてくるのが「嫁さん」ならいいけど「男」は受け入れられない……」というのがテーマになっている中で、
主人公側がハゲの人を目の前にして「あんな風になりたくない!」っつって笑いをとるのは、流石に引きましたよ。

「これどうなの??」と引っかかってしまう時点でスッキリとは笑えない。
笑っていいのかわかんないけど笑っちゃうっていうブラックなコメディもあるけど、この映画はブラックコメディじゃないですよね。

泣いて笑ってスッキリほっこり映画なのだろうから差別で苦しんでる側が差別的発言して笑いを取ろうとするのは、ちょっと難しい構造でしょう。

それともブラックコメディだったのかな。。



アドリブ多すぎ

アドリブ、笑いましたよ、楽しかったですよ。

西島の素の表情とか、内野さんのSっ気とか、楽しかったです。
しかし多すぎ。他のとこがちゃんとできていたなら良かったかもしれないですけど、取りこぼしているとこ掬いきれていないとこも多いのに、このアドリブ笑いの量は多すぎ。

真剣に作っているように見えないんよね。
他がきっちり誠実にできていたならよかったと思いますが。



キスしない問題

ゲイを描くときに濃厚なセックスシーンが必須だとは全然思わないし、
「ゲイ」と「エロ」を離した描き方をしたものがあってもいい。

濃厚セックスシーン=ゲイを描けているって訳でもないので。

で、この2人はキスしない。契約書に書かれているのか知りませんが絶対にしない。

屋外でキスしないのはわかりますよ。
史朗は特に人目を機にするタイプだし。

ただなぜ家の中でも絶対拒絶なのだろう。。

花見のシーンで、50歳の男性2人がレジャーシート広げて仲良く隣に座ってイチャイチャすることには一切抵抗なさそうなのに、
(↑これの方がだいぶ勇気いりますよ。。)
そこでもキスだけは絶対に拒絶。。。

男同士のキスってそんなにヤなの?って思っちゃう。

そんなに嫌がること?
そんなに画面に映しちゃいけないこと??
と思っちゃう。


★★★以下はネタバレ含みます★★★








ホームレスの男性が殺人の罪で9年の懲役を食らった問題。

本人は仲間のホームレス男性が池に落ちたのを助けようとしたと主張しているし、他のホームレスたちもそれを証言したけれども、「誰もホームレスの言うことなんて信じない」ってことで、結局殺人の罪で懲役9年。

判決を受けた男性は控訴しても無駄だろうからと控訴しないことを希望している。
修は「控訴しましょう!」と推している。

史朗はそもそもこの事件に対してそんなには頑張っていなかった(そういうシーンが無かった)し、
この判決が出た後も「まぁしょうがないよね」的な発言をする。

それを修に「法律に携わるものとしてその発言はどうなんすか!」的なことで叱られてからやっと
「声を上げることは無駄じゃないことを示さないとな!」的なことを史朗は言って、「もうちょっと頑張ろう!」ていう流れになる。

被差別者であるホームレス男性は「声をあげても無駄(どうせ聞き入れてもらえないから)」と言っているのに対して、
同じく被差別者であるゲイ男性(史朗)が「声を上げることは無駄じゃない」って言うのは良い展開。

が、しかし、この後この事件一切映画に出てこない。。
頑張っているシーンなどない。
控訴することになりました、も何もない。。

しかも最悪なことにその後のエピソードが史朗が賢二を尾行するってやつだから、
「もうちょっと頑張ろう!」とか言っていたのに
サッサと仕事を切り上げて恋人を尾行するコントシーンが連続するので、引く。

史朗は割と傲慢なキャラではあるんだけど、あまりにも酷く映ってしまう。冤罪で9年懲役くらった事件の後に一切そのリカバーがなく、尾行コントされてもついていけない。。

主人公が無計画に悪く映ってしまっているので失敗です。
「声を上げることは無駄じゃない」ってセリフが口だけになっているのでこれも失敗です。



息子が連れてくのが「嫁」ならいいけど「男」は無理問題


この映画の主題ですね。

久栄(史朗の母)は結局賢二を拒絶したまま終わりましたね。すごいね。やっぱブラックコメディなのかな。
きっと漫画はまだ続くんだろうし、映像作品も続きを作るつもりなんだろうけど、この映画はこの映画だけなんだからもうちょい明るい未来を指し示すようなラストにしてよ。

久栄はこの映画の最初から最後まで何も変わってないからね。。賢二を拒絶するとこからスタートして拒絶したまま終了。

「あなたはあなたの家族を一番に考えて」って名台詞っぽい言い方で言うけど、そりゃそうでしょうよ。

「あなたはあなたの家族(嫁&子供)よりも実家のことを考えて」なんてセリフは毒親以外は言わないでしょうよ。
「あなたはあなたの家族を一番に考えて」なんて普通のことを名台詞っぽく言わないでほしい。




2人が幸せなんだから多くを求める必要はない問題

「性的マイノリティをめぐる社会問題に切り込んでいかない」という選択はいいとしても
その結果として「社会はいろいろあるけれど2人が幸せならそれで十分だよね」っていうオチは危険。

先ほど「声を上げても無駄、無駄じゃない」問題が放置(ていうか遺棄)されていたのもあって、
「2人が幸せなんだから多くを求める必要ないよね」感がありすぎるラストで、すごく問題。

実際劇場出た時に観客の1人が「あんなにいい彼氏がいれば十分だよね」と言っていた。

性的マイノリティの差別問題が「贅沢な悩み」「権利権利うるせーな」になっちゃうので、ほんとやめてほしい。




回避できたと思いますよ

久栄が賢二をスッキリと完全に受け入れられない状態であっても、何か少し融和するような形で終われたと思うし、

ホームレス男性の控訴問題を誠実に扱うことで、
「2人で幸せであることは、社会問題に声を上げることの妨げにならない」ってメッセージに繋げることができたと思います。

全体的にもっともっと誠実な作りにできたと思います。




「男に戻ります」発言

賢二は男なのに、ドラマクランクアップの時に内野聖陽が「男に戻ります」と発言した問題。

この映画がちゃんとしていればある程度は取り返しがつくのではないかと思っていましたが、残念無念。

製作陣の考えが浅いことが、この映画でむしろはっきりとわかってしまいましたね。

僕はもしかしたらこの映画は、50歳超えの人気俳優2人がゲイカップルを演じる映画として、連続ドラマよりもネクストレベルに達した映画になるのでは、と期待していたのです。

『ミッドナイトスワン』とそんなに遠くないレベルで時代を逆行する映画になってしまっていると思いますよ。

近年の邦画はほんとに傑作が多くて新しい光を発している中、この映画ももしかしたら…と思ったのですが。。。

映画『shari』シャリシャリシャリ!

2021-11-14 | 映画感想
Shari(2021年製作の映画) 上映日:2021年10月23日製作国:日本上映時間:63分
監督 吉開菜央
出演者 吉開菜央


今年はこういう映画が沁みるしエネルギーをもらえる。

映画作ろう!という気持ち自体も自由で
映画を作る体制も自由で
出来上がった映画自体も自由。

賞狙いのうま〜い作りの映画とかは「はいはい、わかりました。参りました」ってな気分になるけど
この自由さを見せてもらうと、心がパーっと明るくなってエネルギーをもらえる。

***






***

撮影場所は北海道の北端の町、斜里町。

厳しい自然や気候変動もあるし、経済状況も厳しいであろう土地。

自然と人間の暮らし。
境界線をパッキリ引くことのできない混濁した暮らしと、そこに生きる人々が映されています。

完全に監督がインタビュアーとなって現地の人々にインタビューしていきます。
劇映画の作りではないです。

でもそこに〝赤いやつ〟という、ポスターの真ん中で仁王立ちしてる赤いやつが現れるのです。

パン屋さんからパンをもらったり(餌付けのように)、
小学校に乱入して子供たちの相撲をとったりする。

怖くもあり可愛くもある〝赤いやつ〟が人間界にやってくるととても異質で不安になるんだけど、
この赤いやつってのは、
血とか臓物とか熱とかのイメージで、人間の内面そのもの。

一皮剥けば全員赤いやつなわけで、それは自然界も同じ。
動物の中身も赤いやつ。地球の中身も赤いやつ。

境界線がひかれ、分断されているように見えるけど、実は全員赤いやつ。

こいつがいることで分断されそうな世界をギューッと繋ぎ止めてくれてる感じがする。

社会に生きてロボットかプラスチック人形のようになった人間の「野生性」を気づかせてくれて
〝自然〟と繋げてくれる、赤いやつ。


*****


ぜひ!見て!
うっかりしてると公開終わっちゃいますので。
チェケラッ!

劇場情報 https://theaters.jp/8261

***



佐藤二朗主演 映画『さがす』 微かな光明を掴もうとする人間の悲しさ可笑しさ

2021-11-07 | 映画感想

さがす(2022年製作の映画) 上映日:2022年01月21日 製作国:日本
監督 片山慎三
脚本 片山慎三
出演者 佐藤二朗 伊東蒼 清水尋也 森田望智 石井正太朗 松岡依都美 成嶋瞳子 品川徹




日本にはあまりないブラックコメディ

ブラックコメディってのは日本ではあんまり浸透していなくて、実際観るとブラックコメディと呼べるものなのに売り方としては「猟奇サスペンス」とか「感動ミステリー」などになっている場合が多いかと。

思いつく邦画のブラックコメディは『葛城事件』とか『生きちゃった』とか。
目も当てられないほど悪い方へ悪い方へ行ってしまう人物の様子を描いていると、なんか笑けてきちゃう、という映画。



同監督の『岬の兄妹』もちょっとそんな感じでしたかね。


人生詰んだ状況から微かに見えた光明をつかもうとするんだけど、残念ながらどんどん悪い方へ流れていっちゃって…という話。

微かな光明を掴もうとする人間のエネルギー。
そこからさらに堕ちた時に光だす人間の根源のエネルギー。

のようなものを描いた映画で、『岬の兄妹』も名作ですので、ぜひ。




今作『さがす』

前作と比較して
●血のつながりのある男女が主役
●割と人生が危機的状況
●笑っていいのか不安になるコメディ感
●中2男子レベルの下ネタ
●微かな光明を掴もうとするも逆に堕ちていってしまう
などが共通項かと。

佐藤二朗と伊東蒼のダブル主演(と言っていいでしょう)で、ネクストブレイク俳優の清水尋也が重要人物として出てくるわけですから、かなりの商業映画なわけです。

商業化によって失われたものを確かにあると思います。『岬の兄妹』のザラザラ感ギトギト感ウ○コ感はちょっと弱まってしまっています。

が、
猟奇サスペンス描写がなかなか残虐で変態チックなので、かなり興奮します。

佐藤二朗のスター感はやはりすごくて。佐藤二朗が演じるとどんなにクソでも愛せるし、「実はめっちゃくちゃ怖い人なのでは…」って感じもあるので、善悪揺れ動くこの映画にはバッチリのハマり役。



唯一無二 成嶋瞳子

佐藤二朗の奥さん役が成嶋瞳子。
なんか見たことある女優さんだなと思っていたら、橋口亮輔監督の『恋人たち』に出てた方。


俳優さんって「ただそこにいる演技」っていうものを目指してたりしてますが、成嶋瞳子は「いない」。そこにいないくらいの演技。だいぶ前に死んでるんじゃないかってくらいの雰囲気。

こんな空気出せる俳優さんっていないんですよ。唯一無二。
今作『さがす』での役は、もうすでに死んでる人感がピッタリで、、、見ていて怖いし、絞り出すような咆哮が悲しすぎる。

悲しすぎると同時に、
生への希求というか人間の根源のエネルギーを見せられたようで、
やはりこの映画が露悪的なだけじゃない、プラスのエネルギーを発した映画になっていると思います。


素晴らしいラストシーン

このラストシーンはすごいですよ。


「どうやって撮ったんだろう」というのも含めて結構長く語り継がれる名ラストシーンだと思います。


劇伴。。。

これは好みなんでしょうけど、劇伴が臭い。。
ピアノが美しい旋律を奏でるんだけど、全然好みじゃない。。

「感動してよ〜〜」って感じがして引いちゃう。。

感動するかどうかは俺に決めさせて〜と思う。


映画『BLUE/ブルー』キャラが全員愛おしい

2021-11-02 | 映画感想
BLUE/ブルー(2021年製作の映画)
監督 吉田恵輔
脚本 吉田恵輔
出演者 松山ケンイチ 木村文乃 柄本時生 東出昌大 守谷周徒 吉永アユリ 長瀬絹也 松浦慎一郎 松木大輔 竹原ピストル



昭和なスタートでしたが。。



男がケンカして怪我して
美少女が擦り傷に赤チン(的な消毒)塗って
男が「イテテテテッ!」
っていう昭和なスタートだったのでかな〜り心配しましたが
面白い!

すぐにハマって目が離せなくなりましたよ。
すごい。

瓜田、楢崎、小川のキャラが描かれていって関係性が徐々に変わっていって、
話が加速度的に面白くなっていく。

わぁ面白いずっと面白いなぁと思ってたら終わってしまった。
ずっと面白かった。


**


キャラを好きになる


瓜田がいないとこでみんなが瓜田の噂話してるだけで、泣けてきてしまう。。
瓜田を好きになっちゃうし、瓜田に自分を重ねる人は多いでしょう。

そこまでキャラクターが深く描かれているわけではないんだけど
それぞれのキャラをあたたかく映すカメラに沿って
観客も彼らを好きになって追いかけちゃう。


**


ボクシング映画に欠かせない松浦慎一郎さん


敵の比嘉選手を演じた松浦慎一郎さんがまた良いですね。

楢崎にジャブを打たれて、「ナイスジャブ!」と声をかけた瓜田を「あ?」ってな感じでイラッと睨むシーン。

こういうディテールが面白いです。

『百円の恋』のコーチ役でもふとした感情のディテールで目を引きましたし
『アルキメデスの大戦』での艦砲射撃隊員も印象的でした。



↑この写真は『百円の恋』。

**

ボクシング映画なので熱すぎてエネルギー浴びまくっちゃう映画かと思ってましたが、
キャラクターもストーリーも描きこみすぎない上品でライトな映画でした。

でも俳優さんたち全員の演技が深くて熱くて面白くて、
ボクシングシーンもちゃんとストーリーになっていたし、
めっちゃ面白かったです。

試合のシーンの劇伴がちょっと、、あの、、ダサかったのが、、ちょっと。。。