映画感想(ネタバレもあったり)

映画コラム/映画イラスト

映画『凱里ブルース』ネタバレあり 40分長回し!ビー・ガン監督最高! 

2022-02-28 | 映画感想
凱里ブルース(2015年製作の映画)
路邊野餐/Kaili Blues
監督 ビー・ガン
脚本 ビー・ガン
出演者 チェン・ヨンゾン




面白いっ!


ノスタルジックな中国の田舎の物語かと思いきや、
なんとトリッキーなっっ!

***

前半の場所は凱里(カイリ)。

凱里は中国のめちゃくちゃ内陸の町。
監督の出身地だそう。

カメラはビッタリと固定。
完璧でひたすら美しい構図の連続。

後半は蕩麦(ダンマイ)という不思議な町。

主人公が移動し始めると、ぬる〜っとした手持ちカメラでの撮影に。
挙句、画面には主人公さえいなくなり、カメラは途中で登場した女性を追う。
そうこうしてるうちにまた主人公が現れて過去を話し出す。

何かと思えば、これ長回しだ!!!

中盤の40分が長回し!

しかもめちゃくちゃ移動する。
すげー夢みたい!
しかも夢と過去と未来が混在した世界なのか!
表現したいことと手法と、完成した映像がバッチリ合致してる!

映画マジック!!
ありがとう!


**

2回目観てやっとわかったけど
前半でも過去と現在がワンカットで交互に描かれてますね。

シューイン(ボスの息子の指を切らせた女)のシーン。
雨漏りするテーブルを映してる間に恐らくチェンはカメラの後ろで着替えてるんだよね。

で、
弟(ウェイウェイの父)との喧嘩シーンへの切れ目なく続く。

**

ネタバレは以下に。







チェンは、奥さんが病気なったがその治療費を払えない。
以前世話になったボスから金を借りるも、いざこざに巻き込まれて殺人を犯してしまう。
逮捕。9年の刑期を過ごし出てきた時には奥さんは既に亡くなっていた。
というところからスタート。
映画始まる前に起きたことで一本映画撮れるくらいに話がパンパン。
この映画は続編のよう。
**
開始は20分あたりでウェイウェイが壁に描いた時計の針が少し動く。
ここでウェイウェイの未来の姿が生まれたのかな。
そしてそのあと、壁に映写機で写された列車が延々と走る。
未来のウェイウェイはこの列車に乗って蕩麦(ダンマイ)という不思議な町に移動したんだろうか。
**
弟はそんなに悪い人だろうか。
もちろんウェイウェイに対して酷すぎるけどシングルファーザーは大変そうだし
家を守ることと老いた母の世話は大変だったのでは。
しかも家を奪われて。
弟は恐らく「あんな奴(ウェイウェイ)売り払ってやる」と本気とも嘘とも判別つかないことを言ったのでしょう。
それを聞いた子供好きのホワ(チェンの父?)がウェイウェイを鎮遠連れて行って保護した。
チェンはウェイウェイを迎えに鎮遠に行こうとする。
老女医は、鎮遠に行くんだったらってのことで昔の恋人が鎮遠にいるから服とテープを渡すようチェンにお願いする。
**
チェンは列車で鎮遠に向かう。
列車は蕩麦(ダンマイ)という町までしか行かない。
そこからバイクタクシーと船で鎮遠に行く。
列車乗り中、回想シーンはじまり。
刑期を終えて出てくるチェンを弟分が迎えにくる。
その車中で
・チェンの母が家をチェンに譲ろうとしていること
・ボスはチェンに大金を授けようとしていること
・母はその金で診療所を買うように言っていること
・弟はチェンに家と一緒にウェイウェイの面倒を見ろと言っていること
・チェンの奥さんが既になくなっていること
を知る。
**
【ここから】
蕩麦(ダンマイ)。
バイクタクシーの青年に乗せてもらう。
のちにこの青年が未来のウェイウェイだと知る。
シャツのボタンが取れたチェンは途中で仕立て屋に寄るよう青年に頼む。
仕立て屋の女性ヤンヤンと青年は知り合い。
ヤンヤンは凱里出身。凱里の観光ガイドを目指して勉強中。
チェンは、ボタンを付け直してもらっている途中で老女医から預かった服を着て、散髪屋に入る。
ヤンヤンは船に乗り対岸のポップスライブを聴きに行く。
(ボタンは!?)
そして船で対岸に渡るかと思いきや、船はぐるっと180度回転しさっきまでいた岸に帰ってくる。
凱里の観光ガイドのセリフを暗唱していると
同じく観光ガイドのセリフを暗唱している青年(未来のウェイウェイ)と声が重なる。
岸についたヤンヤンは露天商の女性から風車を買う。
風車は1秒も回らない。
(ここでは時間が進まない?)
岸では青年(未来のウェイウェイ)が待っている。
「風がないと風車は回らない」
ライブを聴き行くと言ってヤンヤンと未来ウェイウェイは、こんな橋絶対嫌だと思うボロい吊り橋を渡って対岸へ行く。
対岸では、チェンが洗髪を受けている。さきほどの散髪屋。
(チェンがいたのは元の岸のはず。空間がねじれてる。)
チェンの友人の話として自分の過去を散髪屋の女性に話す。
(チェンは老女医の元恋人の服を着ている。)
海が見たいと言っていた奥さん。
近くには青い池があったが、そこは水銀の混じった危険な池。
泳ぐはずはないが、チェンがたびたび思い浮かべる映像では青い水の中に女性ものの靴が浮遊している。
ポップスライブに行く。
チェンは君に歌うよと散髪屋の女性に言ってから、バンドと合流し歌い始める。
奥さんとその散髪屋の女性は似てるのかもしれない。
もしかしたら出会う前の奥さんかもしれない。
女性はまぶたがピクピクすると言って涙を流しながら歌を聞く。
〜僕のジャスミン 陽が登ったら会いにくるから〜
チェンは老女医からもらったテープを女性にあげる。
未来ウェイウェイ「ヤンヤンが言ったんだ。時を戻せたら凱里に戻ってくると。凱里に向かう石炭輸送列車があるんだ。その車両の全てに時計を描けば時が繋がるはずだろ。それを彼女に見てもらうんだ。」
チェン「君の名は?」
未来ウェイウェイ「ウェイウェイ」
チェン「これは夢か」
【ここまで40分長回しっ!!】
**
ミラーボールのある部屋でチェンがタバコを吸う。
向かいには女性。散髪屋の女性。奥さんか。過去の記憶の映像か。
**
未来ウェイウェイ「チェンさん、お元気で!」
チェンは野人を倒す用の棒を2本持たされている。
**
船に乗り鎮遠に到着。
ホワ登場。
ホワはチェンの父だろうか。
ホワ「おれの今の暮らしを知らないだろ。おれは子供たちの送り迎えをしている。おれは子供が好きだ。
おれは心臓病だ。お前の昔流した血が俺を病気にした。」
チェンはウェイウェイをホワに預けたままにするっぽい。
下校する幼いウェイウェイを遠くから見るチェン。
未来ウェイウェイからもらった双眼鏡で幼いウェイウェイを見る。
老女医の元恋人は亡くなっていた。
列車で帰るチェン。
車窓には時計が写っている。
針は逆時計回りに進んでいる。

おわり

そうか、ラストの社葬の時計は未来ウェイウェイが描いてくれたものか。
そのおかげでチェンは元の時間に戻ることができたわけね。


中国映画『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』 後半60分長回し ネタバレあり

2022-02-28 | 映画感想
ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ(2018年製作の映画)
地球最后的夜晚/UN GRAND VOYAGE VERS LA NUIT/Long Day's Journey into Night
監督 ビー・ガン
脚本 ビー・ガン
出演者 タン・ウェイ ホァン・ジュエ


ビー・ガン監督最高!大好きだ!


『凱里ブルース』を観て
ビー・ガン監督最高!大好きだ!と思って
今作『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』も
好きだ!最高だ!と思いながら見ました。

が、観終わってしまうと『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』はちょっとそうでもなかったかな、、と。

***

中国映画ってそんなに多く観ていなくて、ディアオ・イーナン監督の『薄氷の殺人』『鵞鳥湖の夜』が思い浮かぶくらい。

あとは台湾映画とか韓国映画、香港映画が出てきちゃう。

僕がなんでこんなにビー・ガン監督に興奮してるのか、何がそんなにいいのかがよくわからないんですが、、

画の美しさとか強さとか、丁寧さとか、ふざけ感とか、キザすぎるかっこよさとか、SFか?ってくらいの時空のねじれとか、それらと同居する素朴感とか。かな。

***


ネタバレは以下に。





ただ今作はちょっとイマイチだったかな〜。最高ではあるんだけど。。
観てる時は前半も後半の長回しも大興奮でしたけど、
やっぱシンプルに話がわからなさすぎるし、、
夢のまま(長回しのまま)終わらないで欲しかったんよね。

行ったら帰ってきて欲しいかな。
行きっぱなしだと「あぁ…」ってなっちゃったな。

一応、主人公になってこの物語にライドしていた(特に3Dワンカットはそういう意図でしょ)ので、
ラストは現実に戻ってもらわないと連れていかれっぱなしになっちゃって、、
てことは逆に連れていかれてなかった感が増しちゃうっていうか、
「何勝手についてきたの?ただ映画見ればよかっただけなのに…。お前は単なる観客だよ。」って言われそうで。

***

まぁ今作は『凱里ブルース』よりはハマらなかった、というだけの話です。
観てる間は最高だったので!

***

以下、観ながらのメモ。

着信音が中島みゆき。
愛の物語を信じる?
本の扉の呪文を唱えれば
恋人たちの家は回り出すの。
映画と記憶の最大の違いは、
映画は必ず虚構でシーンをつないで作っているが
記憶は真偽が曖昧でふいに眼前に現れる点だ。

コブラ!!

どうやって飛ぶのかと思ってたら!ドローン!

どうやって家を回すのかと思っていたら!台に男女二人乗せてカメラも固定して回転させると家の方が回転してるように見える(見えないけどね)!

ドキュメンタリー映画『ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い』激動のウクライナ 

2022-02-27 | 映画感想
ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い(2015年製作の映画)
Winter on Fire
監督 エフゲニー・アフィネフスキー

政治家は戦争を起こすけど自分は隠れてんだよね。。
戦争したいなら自分が先頭に立てばいいのに。
政治家は部屋の中。

**

「人間はたくさんの戦争を繰り返してきたのに
まだ殺し合いで問題を解決しようとしている」

**

〝尊厳の革命〟とも呼ばれる2014年ウクライナ騒乱のドキュメンタリー。
親露派のヤヌコーヴィチ大統領の独裁政権を倒し市民が自由と尊厳を取り戻す平和的なデモ。

めっちゃカメラ回ってる。
めちゃくちゃ映像残ってる。。

警察による市民への水平射撃のシーンとかあるし、、
撃たれてるし。。
独裁政権怖い。。

かなりショッキングな映像が次々と映されますので、、体調と相談の上ご覧くださいな。
結構、え、、、これ映していいの??
すごい瞬間見ちゃったんだけど、、
ってなシーンが出てきますので。。

**

「ウクライナはヨーロッパだと示して明るい未来を手に入れたい。若者や子供たちのために」

「警察隊がプラスチック製ではなくではなく鉄の棒で殴ってきた。」

「もう2度とこの国の子供たちを傷つけさせない」

市民によるデモ隊は平和的な行進だったが
警察はデモ隊の中に扇動者を潜入させていた。
その扇動者が警察を攻撃し、警察はデモ隊への攻撃の口実を作った。
警察は赤十字にも射撃してきた。
ゴム弾には意図的に実弾が混ぜられていた。目玉を失う人が多く出た。
初の死者が出た。

「奴らは人間なのか。どうして同じ国の人間にそんなことができる?」

デモ隊は
権力分立の徹底や大統領選の実施などを要求した。

しかし丸腰の市民デモが警察に攻撃を受ける。

「一体どう育ったらあんなことができるの」

怪我人を運び出そうとする人を撃つ。
聖職者さえも撃つ。

撃たれた人が次々と救護所に運ばれてくる。
蘇生している間にも次々と来る。
「助からないと見切って次の人の手当てをする時が1番心が痛んだ」


**

2014年2月22日、親露派のヤヌコーヴィチ大統領は失踪。
ウクライナでは大統領選が行われた。

市民を攻撃していた特殊警察(ベルクト)は永久解体。

「新しい国家の誕生と言っていい」

**

指名手配されるもロシアに亡命し、プーチン大統領が受け入れた。

親ロシア派を支援してロシアは軍を送り、ウクライナの東側クリミアを併合。
ウクライナ東部でも親ロシア派の勢力は拡大。

2021年3月からロシアとの間で緊張度が高まり、2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が開始された。



映画『私の帰る場所』 第94回アカデミー賞短編ドキュメンタリー映画賞にノミネート作 

2022-02-27 | 映画感想
私の帰る場所(2021年製作の映画)
Lead Me Home
監督 ペドロ・コス ジョン・シェンク



「毎晩50万人のアメリカ人がホームレスを経験している」

コロナによる失業で家賃を払えなくなる人が続出。
支援はあるが期間は限られているし、
仕事ついて働き始めたとしても
食費と生活費を賄えるだけの収入を得られるとわかると
支援は切られ家賃が払えなくなりまたホームレスに戻る。
怖い話でした。

全然他人事じゃない。

一度家をなくすと戻るのは本当に大変。
子供がいるならなおさら。

**

第94回アカデミー賞短編ドキュメンタリー映画賞にノミネート作。

ロサンゼルス、シアトル、サンフランシスコで3年に渡って撮影されたもの。
多くのホームレスの方々の生の叫びが辛い。

障害があったり、家庭環境が劣悪だったり、近親者から暴力を受けていたりと事情は様々だけど、
元の生活に戻りたいと願っている人たちに相応の支援が行き届いていないのは辛い。

映画『アンモナイトの目覚め』ネタバレあり 愛の前に〝個〟である 

2022-02-27 | 映画感想
アンモナイトの目覚め(2020年製作の映画)
Ammonite
監督 フランシス・リー
脚本 フランシス・リー
出演者 ケイト・ウィンスレット シアーシャ・ローナン

「暖かいわ。去年の今頃は雪が降っていた」byメアリー

すわいこう(最高)のセリフ!

**

メアリー(ケイト・ウィンスレット)のコミュ障っぷりがかわいい。

**

良いラスト!どこで終わるんだろうと思ったらあそこで終わった!
最高!
そしてエンドロールで微かに聞こえるさざなみの音。

**

同監督の『ゴッズ・オウン・カントリー』同様、同性を愛すること自体には苦悩しないのがいいですね。

すでに乗り越えているのか、そもそも苦悩ではなかったのか。
どちらの映画も終盤ふたりは壁にぶち当たるけど、それは同性同士だからではない。
差別を受けているからでもない。

相手への尊重が足りなかっただけ。

それは性別も恋愛さえも関係ない、生命同士の根本的なもの。
かといって「同性愛だって異性愛と同じくらいステキだよね!」って言いたい映画ではない。

そんなことは当たり前のことで、より先を照らす映画。
未だに「異性愛と同じだから同性愛を認めてよ/認めてあげようよ」といってるLGBTQ映画と世界を蹴散らす。
とくにこの『アンモナイトの目覚め』はとても開かれたラストでしたね。





ラストについては以下に。


まずはラストについて。

夫(男)の庇護の元で暮らすことが幸せ(当たり前)と思ってるシャーロットは、メアリーを自宅に住まわせようと企てる。

驚愕のアイデアですよ。夫と不倫相手(メアリー)と私の3人で住もうっつってんだから。

シャーロットは元来の上流階級イズムが抜けていなくて、使用人を同じ人間だと思ってないくらいの人だから、自分が夫(男)という〝金の籠〟に閉じ込められていることに気づいていない。

「大丈夫。単なる使用人よ。」というシャーロットの発言ダメでしたね。
上流階級感戻っちゃってるよ!
人を人と思ってないヤな感じが出ちゃってるよ!と。

「え〜何言ってんの?マジで。私の自由は?しかもライムレジス離れろって、私の採掘を認めてくれてなかったの?」とメアリーは残念な気持ちに。
メアリーはひとり博物館で、12歳の自分が見つけた恐竜(まだ当時は恐竜の存在が広く知られていなかった)の化石を見る。博物館の中でも特等席に飾られている。

誇らしい気持ちもありつつ、化石自体はこんなにスポットライト当たってんのに私自身は正当な評価を得られていない悔しさもあるのかも。
目の前にシャーロット現れる。

メアリー、化石、シャーロットの構図。
自分、自由、愛。この3つは等価である、と。

〝個〟なのであると。

誰かに庇護されたり仕えたりする立場にならずとも私たちは〝個〟として向き合えるはずなのでは、と。

**

映画冒頭に戻って。

映画冒頭では、女性の掃除婦が床を雑巾掛けしている。博物館の床。
掃除婦は、男たちによって運び込まれた化石に押しのけられる。人を人とも思ってない対応をされる。

その化石はメアリーが採掘したもの。
メアリー自身も古生物学者でありながら「女性であることで本や論文を許されなかった」。
同じく苦しむ女性であるメアリーと掃除婦は、男たちの手を介して傷つけあってしまう。悔しいシーン。

**

シャーロットは、子作りする気分じゃないと夫から夫婦生活を拒絶される。
逆さにされたガラスのコップに閉じ込められた蛾。(終盤のメアリーのセリフ「金のケージに閉じ込められた鳥」)

「明るく元気で賢い妻に戻ってほしい。ライム・レジスは保養地にぴったりだ」by夫。

夫は妻と一緒に出歩くことをメアリーに頼む。夫はひとりで考古学ツアーを継続。メアリーとメアリーの母、シャーロットの3人の生活が始まる。

ゲオルゲ様主催の音楽会。ゲオルゲ様はメアリーのことが好きっぽい。

あ、ゲオルゲ様ってのは『ゴッズ・オウン・カントリー』のゲオルゲ様。

ゲオルゲ様によるセルフのスライドショーとチェロの独奏。

うつ病とはいえ社交界で生きてきたシャーロットはすぐ場に馴染み初対面の人たちと仲良く会話しはじめる。

輝くシャーロットの背中を見つめながらメアリーは自分の気持ちに確信を持ってしまう。

ほぼ怒りのような情愛。
「もうこんな気持ち必要ないのに!」と思っていたかもしれない。
メアリーは雨の中、音楽会をひとり抜け出す。

シャーロットに向けたポエムをしたためる。

メアリーの前でシャーロットはそれを読み上げてから、
「あなたは今夜1番綺麗だった」byシャーロット

翌日、でかい化石を発見し2人で力を合わせて運ぶ。
その夜、2人は一線を超える。

2人は心も体も結ばれたことで、今まで何にも感じなかった(むしろ軽く地獄だった)日常風景が輝き始める。

『ゴッズ・オウン・カントリー』のよう。
彼らもまた愛し合える人と出会えたことで牧場の風景を愛し始めた。

**

夫に手紙で呼び出されてシャーロットはすぐに帰宅することに。
出迎えの馬車に乗ったシャーロットにメアリーが言う。


「暖かいわ。去年の今頃は雪が降っていた」byメアリー
さすがに別れのキスをするわけにもいかないし、熱い抱擁しちゃったら別れが辛くなるしってことで上記のセリフ。

あなたのおかげで私は近年稀に見るほどホットな時を過ごせたわ、と。

メアリーのことを「雷みたいな人」と言うシーンがあるけど
あれはメアリーが15ヶ月のとき雷に打たれて、同時に雷に打たれた3人は亡くなったけどメアリーだけが唯一生き残り「彼女の才能は雷に打たれたから」という迷信が生まれたことから来ているんですね。

実在の人物であるメアリー・アニングが同性愛者であったという確固たる証拠はないんですね。

しかしメアリーが生涯独身であったこと、メアリーとシャーロットは文通もして年齢や階級を超えた友情あったことは事実とのこと。
証拠もなく同性愛者として描くことに戸惑う人もいるだろうけど、
かといって当然のように異性愛者として描くことには全く罪がないのか。
はたして。

映画『ゴッズ・オウン・カントリー』ネタバレあり こんな幸せな映画だったのか!

2022-02-27 | 映画感想
ゴッズ・オウン・カントリー(2017年製作の映画)
God's Own Country
監督 フランシス・リー
脚本 フランシス・リー
出演者 ジョシュ・オコナー アレック・セカレアヌ



「それで幸せになれるのか」by父

**

なんとなく暗そう?何もなさそう?キャッチできなそう?な予感があって観ていなかった『ゴッズ・オウン・カントリー』。

友達が最近見て激ハマりして勧められたので
観てみましたらびっくり傑作!
何この完璧な映画!

**

前の晩飲みすぎて朝ゲロ吐いて祖母にネチネチ言われるシーンからスタート。
どういうわけだか、もう良い。
すでに良い。

撮影が素晴らしいし
田舎の閉塞感もやめてくれってレベルに伝わってくる。

**

ジョニーの幼稚性がいいですね。

目も当てられない幼稚さ。
同族嫌悪が湧き上がってきて見ていて恥ずかしくなる。
ナルチシズムに満ちた幼稚性(大人になりきれない俺的な)、ではなく
ただただ恥ずかしい幼稚さ。
良いねえ、最高。

**

牛や羊の出産とか皮剥ぎも俳優2人が実際にやっているとのこと。
リアリティの圧がすごい。
羊飼いとか牧場とかに対するメルヘンな幻想をことごとく破壊してくるリアリティ。
死産の子羊の毛皮をササっと剥いで
健康に産まれた別の子羊にその毛皮を着せてやる。
そんな中、
死産の子羊の毛皮をササっと剥いで
健康に産まれた別の子羊にその毛皮を着せてやる。
羊皮のジャケットを着た子羊が母羊に寄っていくのが可愛い!
ゲオルゲ様!やっぱメルヘン!

しかし、死産して皮を剥がれた子羊の母羊がそれをワナワナと見ている。
それを抑えているジョニー。
やっぱリアリティ!怖い!

**

フランシス・リー監督自身が牧場で育ったとのこと。

監督はあの景色(神に恵まれた土地『ゴッズ・オウン・カントリー』)が好きだったし
牧場経営の家族に対して愛や畏敬の念があることも
エンドロールで伝わってきますね。

**

ジョニーとゲオルゲがセクシュアリティに苦悩する描写が極端に少ないのがいいですね。

少ないっていうかゼロ?
セクシュアリティの苦悩よりも
男性優位思想に囚われている父や祖母の苦悩の方が強そう。
父は自分の肉体的な強さを失うことで
祖母は自分の息子の強さがなくなっていくことで
男性優位思想から自由になっていく。

そして、
ジョニーと父、祖母の3人には和解の空気が流れ始めるわけだけど
それは父の「それで幸せになれるのか?」という問いがすべてなわけよね。
幸せならそれでいいはずなんよね。

**

ラストネタバレは以下に






ゲイ映画っていっぱいあるし傑作もあるけど
やっぱブルーな気持ちで観終わるものが多い。
良い感じで終わるゲイ映画ってあんまないんだけど
この『ゴッズ・オウン・カントリー』はすごいね。

すごい多幸感。
未来の開け方がすごい。

R15指定なので16歳になったらみんな観て。
ゲオルゲの住所メモはバアちゃんがゲオルゲが出て行く時に聞き出したものだったの!
バアちゃんナイスプレー!
バアちゃん、2人のことわかってたのね!
なんて幸せな映画なのさ!


公開中 映画『リング・ワンダリング』 バトル漫画描いてる笠松将さん

2022-02-21 | 映画感想
リング・ワンダリング(2021年製作の映画)上映日:2022年02月19日製作国:日本上映時間:103分
監督 金子雅和 脚本 金子雅和 吉村元希
出演者 笠松将 阿部純子 片岡礼子


http://4koma-eiga.jp/fourcell2/entry_detail.htm?id=2795


バトル漫画描いてる笠松将 さん

どじょう鍋勧めてくる 安田顕 さん

犬探す 阿部純子 さん

ダメージジーンズ知らない 片岡礼子 さん

ニホンオオカミ狩りたい 長谷川初範 さん

ズバッと 増田修一朗 さん

歩いて県境越え 田中要次 さん





映画『ボブという名の猫2 幸せのギフト』 ホームレスに猫を飼う資格はない?

2022-02-11 | 映画イラスト
四コマ映画『ボブという名の猫2 幸せのギフト』→ http://4koma-eiga.jp/fourcell2/entry_detail.htm?id=2803

ボブという名の猫2 幸せのギフト(2020年製作の映画)
A Christmas Gift from Bob 上映日:2022年02月25日製作国:イギリス
上映時間:92分
監督 チャールズ・マーティン・スミス
脚本 ギャリー・ジェンキンス
原作 ジェームズ・ボーエン
出演者 ルーク・トレッダウェイ クリスチーナ・トンテリ=ヤング



社会からドロップアウトを繰り返していた青年と 彼に懐いて離れなかった野良猫ボブとの奇跡の"実話"(2016年)。

の続編!

貧困問題や新しい家族の形にもにも切り込む。


前作→ボブという名の猫 幸せのハイタッチhttps://filmarks.com/movies/64489

***



「薬物依存症にもなってしまったホームレスの青年が、野良猫を飼い始めること責任感と愛情を知って、行政やビッグイシューの手を借りながら更生して社会生活に戻れた。」

という実話が本になり、青年と猫は有名人に。
そして、映画化(ボブという名の猫 幸せのハイタッチ(2016))もされた。

今作はそれの続編。
「良かったね!最高だよね!」の続編、というとても難しい案件だったと思います。

***

しかし割とストレートにこの問題を乗り越えてますね。

「現在の自分」は幸せな状態(ほんとに個人としての幸せがどうかはわかりませんが)だけど
「過去の自分」は当然幸せな状態ではなかったし、
「過去の自分と同じ境遇にいる人」も幸せな状態ではないので、

今回の題材は「過去の自分と、過去の自分と同じ境遇に現在いる人」。

ホームレスだった自分だけが幸せになったよ良かったよ!
から
自分以外の人に目を向けようという話になっています。

変なことをしない、無理なことをしない、ことでちゃんと続編として成立させていると思います。

***

ライトなハートフルコメディという仕上がりは前作と変わりないですが、
ホームレス排除問題や根本的な貧困問題、家族の問題などを取り上げていますね。

映画『誰かの花』ネタバレあり うちの母もあの服着てる 

2022-02-07 | 映画感想
誰かの花(2021年製作の映画)上映日:2022年01月29日製作国:日本上映時間:
監督 奥田裕介
脚本 奥田裕介
出演者 カトウシンスケ 吉行和子 高橋長英 和田光沙 上穂乃佳 篠原篤 太田琉星



僕はだいたい映画はラスト近くになると「早く終われ今終われ」と思いながら観ちゃうんですが、、
この映画は「うおっ!ここで終わり!?」とさすがにビックリ。

モヤモヤは残るんだけど、このモヤモヤは主人公家族がこの後数十年抱え続けるモヤモヤと同じわけよね。


***



冒頭から画面がすごく綺麗でした。安定した構図。

そうしてたら不穏なカットが挿入されて、斜めの不安定な構図も増えてきて、いよいよ事件が起こり、さらに不穏カットの頻度が増えていく。

エレベーターも嫌ですねえ。
あの狭いエレベーターが一番怖い。
エレベーターの使い方がうまかった!

エレベーターを使って人物の性格や状況を描写してる。
あのエレベーターでしか自分の気持ちを吐露できないあの女性キャラが悲しい。


***



カトウシンスケさんの演技の隙が素晴らしくて。それも「観客に想像させるため」に引き算の演技をしてるってわけでもなくただ野村孝秋という人物を演じた結果そうなってるのがいい。

孝秋の「受け取らなさ」「動かなさ」がすごい。到底映画の主役にはならない人物。

確かにこの事件の主役って、妻(和田光沙)とか息子(太田琉星)何ですよね。

***

あすなろ会のメンバーもすごかったですね。。マジの当事者かと思いましたが、、あれは演技なんですよね。台本もあったのでしょう。

あのリアリティ。平穏な人生に現れた真っ暗な落とし穴に落とされてしまった方々。そしてそれは誰にでも起こりうること、という恐怖。

妻(和田光沙)の「私ここに来るレベルなんだ…」なリアクションがまた強烈に悲しい。

***

てか、和田光沙さんすごいっすね。
『岬の兄妹』で爆誕!って感じでしたがそれ以降ものすごい数の出演作で、ここにも和田光沙!また和田光沙!って感じでよくお見かけします。

今回の役での「なんかコントみたいで恥ずかしいなって」というリアルで悲しいセリフも最高でした。

***

両親の衣装。

特に母親の。
あの何色でもない色。
あの色のテロテロのスラックス(ていうんですか)。

あれと同じ服をうちの母親が着てますよ。あのコーディネートと全く同じものを母が着てます。

父もそう。あの上下と同じの着てます。

で、あの歩き方。あの老い方。あの明るさ。あの「近づかなさ」。

ほんとに俺の親か!ってなくらい同じで。怖かったです。。





てことで、ネタバレは以下に。











野村一家はもしかしたらほんとに事件には1秒も関係していないかも知れない。
なのに、母も孝秋もとにかく「危なそうなことに近づかない」から問題は解決せずにずっと「本当は加害者かも…」というモヤモヤを抱えてあと数十年生きることになる。

***
この映画にはたくさんのポイントがありますが、
自分の小さな幸せ(平和な家庭)を守るためならどれほどまで倫理を無視できるか、というポイントが僕は一番刺さりました。
母親(吉行和子)も次男(カトウシンスケ)も家族の平和を守るために積極的に悪に手を染めるわけではないし、積極的に倫理を踏み躙っていくわけでもない。
ただ単に「積極的には真実を明かそうとしない」だけ。
そもそも父親が事件に関わっているという確信があるわけでもないし、
「あの日、窓が開いていた」とか「手袋が土で汚れていた」などの諸々の違和感があるだけだし、
警察もちゃんと動いたんだろうだし。
母と次男は一向に「積極的には動かない」わけだけど、それが一体どれほど倫理に触れることなのだろう、と思う。

***
ただ一方で向かいの男(篠原篤)の地獄の苦しみも知ってしまった次男がやはり動かないこと、
母は一貫して明るく振る舞うだけで真実(?)に近づこうとしないこと、
は倫理的にどうなの?とも思う。
***

この映画はものすごくリアルだし、主演のカトウシンスケさんの演技が観客が吸い込む魅力と隙があるので、観客は自分のこととしてこの一連の事件の当事者になってしまう。
映画を見ながらおそらく今まで自分がしてきてしまった「倫理を無視した行為」「積極的には動かなかったこと」などを思い出して、
向かいの男(篠原篤)のような苦しみを誰かに与えてしまっているのではないかと逡巡すると思う。

***
母が父の汚れた手袋をグワ〜〜ッと洗うシーン、あれ怖かったですね。。
「たった小さなこの家族の平和を守るのが何が悪いの!」とでも叫んでいるかのような表情で洗う。
あんな母親見たらそりゃ止められないし、
自分がもしあの母と同じ立場なら手袋急いで洗ってすぐ捨てるんだろうな。同じことするだろうな。。
***
この映画の大きな魅力である「不確かさ」「もやもや感」がハマる人にはハマるだろうし、
「じゃ、つまり何だったんだ」と確実な一つの答えが欲しくなっちゃう人にはハマらないかも。
変な言い方だけど、この映画がポーランド映画だったりメキシコ映画だったらもっとストレートに評価を受けると思う。不思議な魅力のある映画として。
日本映画の感動ミステリーだとラストには
「アレがこうでコレがそうで」とばっちりパズルが組み合わさって
「深い愛によって引き起こされた犯罪。本当に悪いのは誰でしょうか」みたいな終わり方をするんだけど、
この映画はそうではないので
見終わった後に「え、何なんの!?どうこと!?」と慌てふためく人が少なくない数いると思う。

***

僕は見終わった後にトークショーがあってそこで監督や出演者さんの話を(多分30分くらい?)聞けたので、
なるほどそういう野心的な意図があるわけね、というところである意味腑に落ちることが出来ました。
アフタートークがなかったら延々と「え、だってパンジーの鉢は隣の部屋にあったわけでしょ。。」とかずっと考え続けちゃったと思う。

***

現実世界はミステリー作品ではないのでそんなにばっちりと答え合わせ離されない。
めちゃくちゃ大きな事件なら警察やらマスコミが動いて、詳細まで解明するんだろうけど。
そうではないレベルで、警察もマスコミもそんなに興味持たないレベルで、当事者たちも真実に近づこうとしない場合は
結局この映画のように「もやもやしたままの何かを抱えながらあと数十年生きる」ことを選ぶでしょうね。
選ぶっていうか選ばないっていうか。
それは見ないようにするっていうか。

映画『コーダ あいのうた』ネタバレあり ろう者、ろう文化、聴能至上主義、ヤングケアラー 

2022-02-07 | ネタバレあり
コーダ あいのうた(2021年製作の映画) CODA 上映日:2022年01月21日製作国:アメリカフランスカナダ上映時間:112分
監督 シアン・ヘダー
脚本 シアン・ヘダー
出演者 エミリア・ジョーンズ フェルディア・ウォルシュ=ピーロ マーリー・マトリン トロイ・コッツァー ダニエル・デュラン ダニエル・デュラント ジョン・フィオーレ



目次

  1. 字幕では毎回「聾唖者」になってた
  2. Wikiの〝聾唖について〟の「2」がまさにそうだと思う。↓
  3. 「ろう文化」や「オーディズム( 聴能至上主義)」などの言葉から感じられる自由さと力強さ
  4. ヤングケアラーについてもちゃんと問題だというスタンスで描かれていたと思います。
  5. まず、ろうの俳優さん3名。
  6. 兄が囚われるマチズモ(男性優位主義)
  7. ラストネタバレは以下に。



字幕では毎回「聾唖者」になってた

映画自体は良かったけれど、
Deafは「耳が聞こえない」という意味なのに、
字幕では毎回「聾唖者」になってたのはずっっとひっかかりながら観た。。

■「聾(ろう)」は、耳が聞こえない人のこと(医学的な基準では両耳の聴力100dB以上の最重度聴覚障害のことを言うよう)。

■「唖(あ)」は、発声や聴覚の器官の障害によって、言葉を発することができないこと。 音声による話ができないこと。

Deafは唖かどうかを問わない単語のはずなのに、この映画字幕では全編に渡って「Deaf=聾唖者」になっていたのは、どう言う意図なのか。
理由があるなら本当に知りたい。


***


Wikiの〝聾唖について〟の「2」がまさにそうだと思う。↓



***


ろう者に声を出せる人は多い。
この映画でもろうの男性キャラクターは発話してましたよね。
その時点で「唖」ではないじゃん。
なので聾と唖を必ずセットにして「聾唖」と呼んでしまうことは、とても雑。


****

また、
聴者のレベルでしゃべることのみを「しゃべる」と呼び、
そのレベルに達していないことを「しゃべれない」として障がい者認定するのであれば、
ろう者が聴者レベル音声発話ができるような教育環境・社会環境にまずすべきだと思う。

少なくとも、聴者が音声発話を獲得する教育・社会環境と同じくらいのレベルに整えてから初めて聴者レベルでしゃべることをろう者に求めるべき。
(というか求めるべきことではないはず)

****

そもそも手話は言語の一つなので(手話言語条例)、
その言語が使えている時点である意味「しゃべれている」。

「しゃべれてない(発話が聴者レベルではない)」ことを問題視すること自体どうなのだ、という考え方もあるし、理解できる。

「耳が聞こえない=障害者」と言うイメージもろう者の中では違和感を感じる人が多いとのこと。

「耳が聞こえることが正しい」という聴者の価値観で判断されたくない、という気持ちもわかる。

****
「ろう文化」や「オーディズム( 聴能至上主義)」などの言葉から感じられる自由さと力強さ
確かに昔は、耳が聞こえない人のことを聾唖者と呼んでいました。

僕はそう習っていました。

聾は耳が聞こえないって意味で、
唖はしゃべれないって意味で、
ああそうか聞こえない人はしゃべれないもんな、と理解しちゃってました。

それが現在では「ろう者」という言葉が多く使われるようになっています。
また、「ろう文化」「オーディズム( 聴能至上主義)」などの言葉から感じられるのは自由さと力強さです。

ろうにはろうの世界があり、それは聴者の世界と対等だし、そもそも根本的に分けられていない、という力強いメッセージがろう文化から発信され始めてきていると思います。

そんな中またこの映画(の字幕)によって「聞こえない人のことを聾唖者と呼ぶことを初めて知りました」と、、、、古い認識が広がってしまう〝としたら〟大変残念。。


****


ヤングケアラーについてもちゃんと問題だというスタンスで描かれていたと思います。


(もっと明確に問題として扱うべき!という人がいてもおかしくないとも思います)

****


さてさてさて、映画の話。


字幕問題(Deafを全部「聾唖者」にしてた問題)以外は、とても良かったと思います。
まず、ろうの俳優さん3名。


さすがですよね。
聞こえないということ以前の大きな個性を発しているこの3名。
演技もすげーし存在感も、そして人間として愛せる豊かさが尋常ではない。
ろうの俳優が活躍する場がすでにあったから、こうしてバーンと出るときに力のある俳優が3人も出てこれるんですね。
さすがですよ、ほんとに。
マイノリティの俳優にもちゃんと役が回ってきて現場を多く踏んで、脚光を浴びてこれたからこそのこの3名の輝き!!!

特に父親役のトロイ・コッツァーは助演賞を受賞したり、候補になっていたりします。


マーリー・マトリン 


トロイ・コッツァー 



***


兄が囚われるマチズモ(男性優位主義)


耳が聞こえない3人と聞こえる1人が家族で一緒に暮らしている、ということでの摩擦がこの映画の肝ですけど、
個々のキャラクターの個性はそれだけに留まっていない。
それに縛られていない。

父も母も普通にヘンな人だし、
兄もかなり複雑な感情を妹に持っている人。

聞こえる聞こえない関係なくあんな父親が実際いたら毎日イラっとするし(僕はね)、
母親も明るさもありつつも割と毒親感もあるというなかなか怖いキャラ。

お兄さんは、「長男である俺がこの家を支えるべき(なのに聴者である妹に頼るしかない…)」というマチズモに囚われている男。あの筋肉はその象徴に見える。

母親はついに娘から「ママが酷い母親なのは聞こえないからじゃない」と言われる始末。

***


障がい者は大人しく健気な人物像で描かれることが多いけど、3人ともそこそこヤバイってのがとても面白い。
さらに、なのに3人ともとても愛せる人物として描かれているところが素晴らしい。

****

後半大体泣いてました。
ええ、泣きましたとも。
泣くよね、そりゃ。
父親の「GO!」なんか泣かずにいられるわけないじゃんね。

***

ただ、、、僕の好みとしてはあと8分早く終わって欲しかった。。(「GO!」のシーンなくなっちゃうけど。。)



ストネタバレは以下に。






オーディションの歌のまま終わって欲しかった。
あの歌のままエンドロールに入って良かったと思う。
音楽大学に受かるかどうかはどっちでも良くね?
ていうかなんで受かったの??
あれで受かるものなの??
「あぁ受かるパターンなんだ…」と思っちゃった。
ハリウッドっぽいなぁと思いましたよ。
音楽大学以外にも歌の道はあるわけだから、落ちても良かったし、落ちさせるのが嫌だったのならやっぱオーディションの歌でそのまま終わりが、余韻もあって良かったかな〜。

***

ラスト。
娘が居なくなったあと、母も父も長男も外部とうまくコミュニケーションが取れるようになった様子で終わったけれども、、ちょっと都合の良い良すぎない??
「娘がいなくなったら困る」という問題は解決されてないはずなのに。
両親と兄が「壁を作らずに聴者の世界に飛び込もうと気持ちを新たにして飛び込んだ結果聴者ともスムーズにコミュニケーションが取れるようになった良かった」ってことなんだと思うけど、
何のトライ&エラーもなくいきなりそれが実現しちゃうってなかなかのパラダイス描写じゃない??
しかも兄はもともと漁師仲間と飲み行ったりしてて聴者とコミュニケーション取ろうと頑張ってたじゃん。
それまではうまくいかなかったのに、いきなりラストは成功しちゃう。
せめて、ろう者と聴者のコミュニケーションのトライ&エラーがありつつも希望が持てるラスト、なら良かったかなと。
聴者側の反省がなかったのもどうかと思うね。
漁師仲間たちが少しくらい手話覚えててもいいじゃん。
「お前はクソだな」って手話で話してくる漁師仲間に怒りつつもちょっと嬉しい長男の表情とかあってもよかったよね。