
マダムと女房(1931年製作の映画)
上映日:1931年08月01日
製作国:日本
上映時間:56分
監督 五所 平之助
出演者 渡辺篤 田中絹代 市村美津子
目次
- 日本初の本格的トーキー映画『マダムと女房』(1931)を観て気になったこと
- トーキー映画の歴史
- 黎明期のトーキー映画の存在感
- 映画『マダムと女房』の録音
- 映画『マダムと女房』のあらすじとおもしろセリフ
- 映画『マダムと女房』の当時の批評
日本初の本格的トーキー映画『マダムと女房』(1931)を観て気になったこと
一つはトーキー映画の歴史です。
どういう風に生まれどう席巻していったのか。
それを調べていたら知らない単語がいっぱい出てきて無理ゲーだったので以下にメモしました。
どういう風に生まれどう席巻していったのか。
それを調べていたら知らない単語がいっぱい出てきて無理ゲーだったので以下にメモしました。
二つ目はつまんなくない?ってことです。
この『マダムと女房』はキネマ旬報ベスト10で当時一位になってるんですよ。
ほんとに?と。初の本格的国産トーキー長編映画ってことが強く評価されたのでは?内容はつまんなくない??
当時の批評がどうだったのかを知りたくて、調べました。以下に。
この『マダムと女房』はキネマ旬報ベスト10で当時一位になってるんですよ。
ほんとに?と。初の本格的国産トーキー長編映画ってことが強く評価されたのでは?内容はつまんなくない??
当時の批評がどうだったのかを知りたくて、調べました。以下に。
トーキー映画の歴史
【1857年】音声を波形図に変換して記録する装置フォノトグラフ発明
【1888年】ルイ・ル・プランスが映画用カメラと映写機を兼ねた16レンズ機器を発明
映画用カメラが発明された頃からずっと人間たちは「音も録りたい!映像と同時に音を再生したい!」と欲望していたようですが、なかななか難しかった模様。
映画用カメラが発明された頃からずっと人間たちは「音も録りたい!映像と同時に音を再生したい!」と欲望していたようですが、なかななか難しかった模様。
【1926年〜】ヴァイタフォン方式……撮影現場の音声を録音したレコード版を映画上映時に同時に再生する。安価なので便利さが受けたが、〝撮影現場でレコード盤に音声を録音するため、撮影後の音声編集がいっさいできない。
また上映時にもそのレコードを再生するため、上映中にいちど音声が映像とずれてしまうと、映写技師がレコードの針を動かして音声をシンクロさせねばならなかった〟。
また上映時にもそのレコードを再生するため、上映中にいちど音声が映像とずれてしまうと、映写技師がレコードの針を動かして音声をシンクロさせねばならなかった〟。
【同1926年】元々無声映画だった『ドン・ファン』に同時音楽をつけて公開。効果音や音楽はつけられたが、会話は収録されなかった。

『ドン・ファン』(1926)
【同1926年】マックス・フライシャーがセリフと映像を完全にシンクロさせた短編トーキーアニメーション映画『なつかしいケンタッキーの我が家(原題:My Old Kentucky Home)』を公開。

『なつかしいケンタッキーの我が家(原題:My Old Kentucky Home)』(1926)
【1927年】『ジャズ・シンガー』がヒット。こちらも会話は撮影時の録音ではないが、アル・ジョンソンの歌唱シーンとセリフはセットで録音されたもの。
このヒットはアル・ジョンソン人気によるものであり、〝初の部分的同期音声映画〟という点が寄与したものではなかったそう。
このヒットはアル・ジョンソン人気によるものであり、〝初の部分的同期音声映画〟という点が寄与したものではなかったそう。

『ジャズ・シンガー』(1927)
【同1927年】日本初のトーキー映画として『黎明』制作されたが技術的な問題で公開されなかった。(前編トーキーではなく部分的な〝発声映画〟だった模様)
【1928年】アメリカで初の完全トーキー長編映画 『紐育の灯』が制作費の50倍のヒット。

『紐育の灯』(1928)
【1929年】イギリス初の長編トーキー映画と言われており、ヨーロッパ映画のトーキーで初めて成功した『恐喝』が公開。監督は当時29歳のアルフレッド・ヒッチコック。

『恐喝』(1929)
【同1929年】Photoplay 誌(1929年12月号)に「ハリウッドではそれから逃れられない」とのキャッチコピーが表紙に掲載される。ハリウッドでは無声映画時代のスター俳優たちが、トーキー映画で「強い訛り」や「顔に合わない声」などの〝欠陥〟を理由に活躍の場を映画界から演劇界へと追いやられた。

Photoplay 誌(1929年12月号)
【1930年】『西部戦線異状なし』上映。
【同1930年】中国初の長編トーキー『歌女紅牡丹』がヒット(フィルムは現存してないっぽい)。しかし、そのセリフと歌は蓄音機のシリンダーに録音され、上映中に映画と一緒に再生されたため、サウンド・オン・フィルム技術を使用した『春の舞台』(1931年)が中国初の長編トーキーという説も。

『歌女紅牡丹』(1930)
【1931年〜】土橋式フィルムトーキーシステム・土橋式松竹フォーン(サウンド・オン・フィルム方式)……光学録音によって録音された録音帯を映画フィルムの縁につけたもの。
映像と音声の同期に問題はないが、フィルムに音を焼き付ける「サウンド・オン・フィルム方式」はレコード盤に録音し上映時に同時再生する「サウンド・オン・ディスク方式」より高価だった。
また、「サウンド・オン・ディスク方式」の方が音質が良かった。
映像と音声の同期に問題はないが、フィルムに音を焼き付ける「サウンド・オン・フィルム方式」はレコード盤に録音し上映時に同時再生する「サウンド・オン・ディスク方式」より高価だった。
また、「サウンド・オン・ディスク方式」の方が音質が良かった。
【1931年〜】「土橋式」による全編にわたって音声の流れる日本初の本格的トーキー映画『マダムと女房』公開。(脚本の初稿段階では仮題は『隣の雑音』)

マダムと女房』(1931)
【1938年】日本でのトーキーの製作はかなり早かったが、映画全体がトーキーに完全に移行するのに要した期間は西洋よりも長かった。
1938年になっても日本では3分の1の映画が無声映画だった。日本で無声映画の人気が持続した背景には活動弁士の存在がある。人気のある活弁士は自身がスターだった。
黎明期のトーキー映画の存在感
『発声映画脚本の作り方 : 実例と理論』 著者仲木貞一, 吉田正良 著(昭和10)より以下〝〟内引用。
〝トーキー映画は決して無声映画プラス音楽ではない。従来の映画が無言的構成であったとすればトーキーは近代演劇的構成を持つと解釈して差し支えないであろう〟
〝トーキー映画は決して無声映画プラス音楽ではない。従来の映画が無言的構成であったとすればトーキーは近代演劇的構成を持つと解釈して差し支えないであろう〟
そもそも無声映画であっても上映時に楽手が音響や音楽を付随させていたし、日本では弁士がセリフをつけたりもしていた。
〝トーキーがそれらの仕事を機械的に変えたに過ぎぬであろう〟
〝トーキーがそれらの仕事を機械的に変えたに過ぎぬであろう〟
〝かつてある人は言った。「トーキーはあまりにうるさすぎる。僕はサイレントの方に魅力を持つ」と。〟
とはいえ演劇や歌舞伎は存在していたんだけど…。
〝ただしこれは現在のトーキー技巧を評しているに過ぎぬ。今日のトーキー作品には未だ意思の力が不足している。
ただ興味本位に過ぎぬ。芸術的には小児である。
トーキーの本質は未来において発揮されるものではなかろうか、今の作品の中に未熟なものを発見すればするほどその感を深くするものがある〟
ただ興味本位に過ぎぬ。芸術的には小児である。
トーキーの本質は未来において発揮されるものではなかろうか、今の作品の中に未熟なものを発見すればするほどその感を深くするものがある〟
そもそも映画というものが〝小説と演劇の間〟に生まれた新しい技術であり、
無声から発声へと変化する際に「無声こそ映画だ!」と古いものにしがみつくのはナンセンス。
無声から発声へと変化する際に「無声こそ映画だ!」と古いものにしがみつくのはナンセンス。
とはいえ、黎明期のトーキー映画は質がちょっとね…。今後に期待っ!!というノリだった模様。
映画『マダムと女房』の録音
◼️当時の録音技術で周囲の音が入ることを防ぐために、セット撮影は全て夜中行われた。
◼️セットは1ヶ月かけて防音工事をした「トーキー専用セット」が作られた。
◼️ロケでは、豆腐屋の笛の音が邪魔になるため毎度豆腐を大量に買って音が鳴らないようにしてもらっていた。食べきれず家に持ち帰ることもあった。
映画『マダムと女房』のあらすじとおもしろセリフ
「マダムと女房」は、本格的トーキーということ
で、音をテーマに取り入れています。
で、音をテーマに取り入れています。
話は、初のタイトルが『隣の雑音』であったことでわかるように、郊外の住宅地に住む売れない作家が、隣家のマダムやその友人たちの演奏する賑やかな音楽に悩まされて原稿が書けず、女房にとっちめられるというストーリー。
***
「エロ100%でしょっ」
「飛行機にでも乗って落ちたらどうする?俺は男鰥だ」
「そりゃ死ぬ時はアンタと一緒よ」
「俺も一緒に乗るのか」
「モチよ!」
「そりゃ死ぬ時はアンタと一緒よ」
「俺も一緒に乗るのか」
「モチよ!」
エロとかモチなどの言葉が1931年にもう使われてたのか。
映画『マダムと女房』の当時の批評
◼️「音を得た嬉しさから、必要以上に音を使用し、セリフの数も必要以上に多いことは認められる」
◼️「人物の微細な心理の動きなどの描写が疎かにされ、歌のための、ジャズのための画面になりがちな危険性はある。」
朝日年鑑(昭和7年)には
「日本のトーキーには東亜の『別れの悲曲』、松竹の『隣の雑音(マダムと女房)』、ミナトーキー『もの言はぬ花』等等があるが、遂に記録するに足るべきものがない。
これは日本映画では無声がまだ行き詰まったところまで行っていないゆえでもあるが、完全なトーキー設備なく、またこれに耐えるほどの資金を有していないからである。
しかし引き続き輸入せられる外国トーキーの好編は、我映画事業者の無関心を許さない状態に置いている。
『西部戦線異状なし』『ラブパレード』『モロッコ』『嘆きの天使』『パリの屋根の下』『最後の中隊』『ハンガリアン・ラプソディ』『世界のメロディ』等等、この期はトーキーの芸術的地位を確保した問題の映画が豊富に封切された。」と書かれている。
「日本のトーキーには東亜の『別れの悲曲』、松竹の『隣の雑音(マダムと女房)』、ミナトーキー『もの言はぬ花』等等があるが、遂に記録するに足るべきものがない。
これは日本映画では無声がまだ行き詰まったところまで行っていないゆえでもあるが、完全なトーキー設備なく、またこれに耐えるほどの資金を有していないからである。
しかし引き続き輸入せられる外国トーキーの好編は、我映画事業者の無関心を許さない状態に置いている。
『西部戦線異状なし』『ラブパレード』『モロッコ』『嘆きの天使』『パリの屋根の下』『最後の中隊』『ハンガリアン・ラプソディ』『世界のメロディ』等等、この期はトーキーの芸術的地位を確保した問題の映画が豊富に封切された。」と書かれている。
***
まぁやはり、「内容はそんなに面白くないよ」というのが正直な批評だったのでは。
好評の理由としては「国産初の長編トーキー映画ってのはすごいよね!」ってことだったみたい。
好評の理由としては「国産初の長編トーキー映画ってのはすごいよね!」ってことだったみたい。
ただ前述の「エロ」とか「モチ」などおそらく最先端の言葉を使ってみたり、
お淑やかだった女房がラストでは髪結いがちょっと洋風になっていたりと、
時代の最先端走ってまんねん!感が溢れていて
その痛快さ、楽しさをまっすぐキャッチできたら痛快で楽しいんだと思われます。
お淑やかだった女房がラストでは髪結いがちょっと洋風になっていたりと、
時代の最先端走ってまんねん!感が溢れていて
その痛快さ、楽しさをまっすぐキャッチできたら痛快で楽しいんだと思われます。