10月26日 熊本市にある熊本城は震災の被害が大きく天守は見ることが出来たが、城内には崩落した石垣の石が並んび、修復作業のプレハブやクレーンなどがあり、歩ける場所は制限されていました。
熊本城 別名「銀杏城」
慶応6年(1601)室町時代に築かれた千葉城や隈本城のあった茶臼山一帯に加藤清正が築城、慶応12年(1607)に完成した。本丸には大天守や小天守を建て各曲輪には宇土櫓をはじめ三重天守に匹敵する五階櫓を5基も建て並べた。加藤氏改易後は細川氏が入り明治維新を迎えた。明治10年(1877)の西南戦争では本丸の大部分が焼失したが、立てこもった新政府軍を西郷軍が攻めたが落城出来なかった。なお宇土櫓をはじめ12基の櫓や清正流と称される石垣も完全なかたちで残った。大天守と小天守は昭和35年(1960)に鉄筋コンクリートで再建され、のちに西出丸の櫓や門が復元され、平成20年には本丸御殿の復元も完成した。しかし2016年4月14日の熊本地震により石垣の数か所が崩落し、長塀が100mに渡り倒壊し、天守櫓の屋根瓦や鯱も落下してしまった。現在は復元修復工事が行われている。
大天守 令和3年(2021)春に天守閣の復旧が完了。地下1階地上6階の内部が一新されて展示。
本丸御殿大広間(闇り通路)全国的にも珍しい地下通路
ダンパーを供えた耐震補強
内部展示 1階~2階(加藤時代~細川時代)3階~4階(近代~現代)5階(通路)
6階(展望フロア)
大天守(右)小天守(左)宇土櫓(中)
二様の石垣
戌亥櫓は再建中
西大手櫓門
未申櫓
数寄屋丸二階御広間 (今も石垣が一部崩れている)
熊本城全体の復旧は天守閣や長塀など、まだ2~3割程度が終わった程度で復旧が完了するのは2037年頃とされています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます