福乃丸おじさんの遠足

福乃丸が飽きるまでちょこっと城めぐり!

名護屋城

2022-11-06 08:11:36 | 城めぐり

10月24日 

名護屋城

天下統一を果たした豊臣秀吉は、大陸出兵を目指すようになった。その足がかリとして朝鮮半島に近い東松浦半島北端に築かれたのが名護屋城である。波戸岬の丘陵を中心に17万㎡に渡り築かれた平山城である。五重天守や御殿が建てられ、城の周囲には戦いに集まった大名たちの陣屋がおかれ、一時は「京をしのぐ」賑わいであったと言う。秀吉の死後は戦いは終結し、名護屋城は廃城となった。現在の城跡は各曲輪を巡る石垣が残る。

大手口 城の正面玄関口で右手に大規模な櫓台があり、ここから南に向かって唐津に通じる「太閤道」と呼ばれる道がのびている。

太閤道

東出丸 城の東側の警護を行っている場所

ここから呼子大橋が見える

三の丸 大手口から本丸に通じる重要な曲輪で本丸周辺を警固する侍が詰めていた所。

本丸大手門 三の丸から本丸への入口に二層の豪壮な門が築かれていた。

本丸 本丸の広さは東西130m南北125m、この西北の隅に天守が置かれていた。

青木月斗句碑

天守台 玄界灘の眺望は素晴らしく壱岐・対馬も望見出来る。

二ノ丸 本丸の西側にあり武器、兵糧などを納めた建物があったといわれている。

遊撃丸 文禄2年(1593)に明国から講和使節として来日した沈維敬(遊撃将軍)の宿舎となったことから、この名前が付けられたと言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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