4月16日 滋賀県長浜市にある。
小谷城は大永年間(1521~28)浅井亮政が琵琶湖を一望する伊吹山系の小谷山に築城、戦国大名浅井亮政・久正・長政3代の居城であった。3代目の長政は永禄10年(1567)織田信長の妹、お市を妻に迎え同盟を結んだ。しかし長政は元亀元年(1570)朝倉攻めに出陣した信長に反旗を翻し、そのため信長は浅井討伐に矛先を転じ、姉川で朝倉・浅井の連合軍を破ったが、小谷城を落とすまでは至らなかった。しかし信長は小谷城攻略をあきらめず天正元年(1573)小谷城は信長によって落城した。城の建物遺構などは全く残らないが、現在は半ば崩れかけているものの石垣や空堀・土塁などが残っている。
小谷城戦国歴史資料館は火曜日は休館日のようで、そこから本丸を目指してしばらく登ってみたが本丸まで2600mの標識を見て諦めて戦国ガイドステーションの方から車で登ってみた。
戦国ガイドステーションから車で登って見る
出丸跡
出丸跡から本丸のある山並み
ここから歩いて本丸へあと400mの所で「クマ出没注意!」の看板が、一人では危険なので登って行くのをやめました。