絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

鴛鴦(オシ)つづき

2006年03月16日 15時27分39秒 | 一絃琴
【さゆる夜に 寝覚めて聞けば鴛鴦(オシ)ぞ鳴く 鴛鴦ぞ鳴く
  上毛(うわげ)の霜や 払いかぬらん】

 凍てつく夜、ふと目覚めると遠くで鴛鴦の鳴き交わす声がする
 上毛に降りた霜を払いかねているのだろうか・・・

これが「鴛鴦」の歌詞である。作者不詳、作曲は眞鍋豊平(江戸末期)である。
曲調は、鳥の鳴き声かと思われるような短い旋律の繰り返しがあり
歌は、短歌形式であるがどちらかといえば詩吟の吟詠のようである。
先生からは、この曲はオシドリの鳴き声をあらわしている、とだけ
教えていただいた。

(ここからは私見です)
東京の愛知一紅さんや京都の大西一叡さんの書かれたものをみると
「オシドリへの暖かな気持ち」とか「寒さがひどくて・・・」という
解説になっている。ほんとうにそうなのか?
この歌は、いわゆる「本歌取り(元歌のアレンジ)」であるから
その本歌でオシドリがどのように歌われているか、
それがこの曲の解釈の重要な要素になってくる。
万葉集や古今和歌集などオシドリが取り上げられている歌は大変多い。
この鳥がつがいで生涯添い遂げるというのが
一般的な解釈で結婚式の祝辞にもよく使われる(いわゆる鴛鴦の契り)。

では、この歌を詠んだ作者は鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)を
結んだ相手と添うているのか?
答えは否で、だからこそ、一人寝のわびしさと夜更けの凍てつくような寒さが
凍った夜に寄り添うオシドリの鳴き声に重ね合わさって
切なく胸に迫ってくるのである。

この「鴛鴦の契り」の語源は
中国(春秋時代)の宋の国王によって仲を裂かれた韓憑とその妻が
死して二つの墓に葬られたところ、一夜にしてその墓から二本の梓の木が生え
二つの木は寄り添い絡まってまるで一本の木のごとくなった。
そしてその樹上には、二羽の鴛鴦がつがいで棲みつき、
悲しげに鳴き交わしていたという。これをして「鴛鴦の契り」といい
この木のことを「相思樹」という。(相思相愛の語源でもある)

江戸時代の文人墨客たちがこの康王の話を知らないはずはない。
であるなら、単にひとり身のわびしさを歌う以上の思い入れが
この曲には込められているということになる。

そんな作者の心情を思いながらこの琴を弾ずれば
遥かいにしえの人の気持ちが、まるで自分のことのように感じられるだろう。



送別会

2006年03月16日 02時17分04秒 | Weblog
今日は広島に転勤する友人のささやかな送別会だったので
「鴛鴦」のことを書いてられませんでした。

今度の発表会は、毎年この時期にする「定例会」みたいなもの
なのですが(いつも2社中合同でやります)、なんか今回
大正琴のグループも一緒に発表するというのです。
もちろん合奏ではないですが…
なんか、めちゃくちゃ不愉快な気分。(大正琴が嫌いだからではない)
大正琴は、一絃琴からヒントを得て、改良したものですから
(いまでは全然音楽性が異なりますが)
無縁なものではないですが、一緒にその場でやるものではないと
正直思います。アンプを使う電子音です。あとで演奏されたとしても
一絃琴のそれまでの演奏の雰囲気はたぶんぶち壊しになるでしょう。
もう、やる前からわかっているようなことを何故するのか、
全然理解できない…
ホント、ついてけません。。。