「今様」とは、当世風な、という意味で歌詞は七五調、
曲調は越天楽(平調)を基にしているようだ。
それぞれの時代の流行り歌を、越天楽の調べにのせて歌う
つまり替え歌のようにして、神社などで披露されていたのだろう。
本文は長いので、春の部分だけ書いておく。
春の弥生のあけぼのに 四方の山辺を見渡せば
花盛りかも白雲の かからぬ峰こそなかりけれ
この歌の旋律は、黒田節とほとんど違わない。
上の歌を、黒田節の「さあ~けえ~わ~、のお~めえ~のおめえ~」に
当て嵌めてみるとすぐわかる。
黒田節があって、今様になったのではなく
筑前地方の民謡として歌われた<筑前今様>が黒田節のルーツであり
そのようにして各地で当世風の歌が歌われていたということのようだ。
一絃琴の歌と演奏は、他の邦楽の伝統のように何百年と濃密に
引き継がれたものとはいいがたいが、
ルーツをさぐり、その変化の歴史をたどってみるのは結構楽しい。
演奏会などで、自分たちのへたな演奏を棚に上げ、
「一絃琴は他人に聴かせるものではなく、自らの心に向かうものである」
などと、解説しているのをきくとがっくりきてしまうが
基本的に、弾いて自らのこころの中を旅する、ということには異論はない。
曲調は越天楽(平調)を基にしているようだ。
それぞれの時代の流行り歌を、越天楽の調べにのせて歌う
つまり替え歌のようにして、神社などで披露されていたのだろう。
本文は長いので、春の部分だけ書いておく。
春の弥生のあけぼのに 四方の山辺を見渡せば
花盛りかも白雲の かからぬ峰こそなかりけれ
この歌の旋律は、黒田節とほとんど違わない。
上の歌を、黒田節の「さあ~けえ~わ~、のお~めえ~のおめえ~」に
当て嵌めてみるとすぐわかる。
黒田節があって、今様になったのではなく
筑前地方の民謡として歌われた<筑前今様>が黒田節のルーツであり
そのようにして各地で当世風の歌が歌われていたということのようだ。
一絃琴の歌と演奏は、他の邦楽の伝統のように何百年と濃密に
引き継がれたものとはいいがたいが、
ルーツをさぐり、その変化の歴史をたどってみるのは結構楽しい。
演奏会などで、自分たちのへたな演奏を棚に上げ、
「一絃琴は他人に聴かせるものではなく、自らの心に向かうものである」
などと、解説しているのをきくとがっくりきてしまうが
基本的に、弾いて自らのこころの中を旅する、ということには異論はない。