絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

三年前の3月末

2006年03月28日 14時01分01秒 | Weblog
三月末といって思い出されるのは、なんといっても、
今度4年生になる長男の大学入学のときのバタバタだ。


うちの坊主は、前期第一志望のK大を落っこちて
それまで「燃え尽き症候群」と言っていたのに、急にしゅんとなってしまい
予備校に次年度の選考資料をもらいに行ったりしていた。
K大受験の帰りには、ご丁寧に不動産やに下宿のパンフなど
もらって帰ってきていたので、ことさらショックが大きかっただろう。
体育会系の部活に入るつもりだったから、伝統のボート部や野球部など
夢は膨らんでいたのだったが…。

前期の入試が終わってから合否の発表まで、たしか10日程あったと思う。
しかし受かったつもりの坊主は浮かれて、もしものときの勉強を
ひとつもやっていなかった!本当に「青ざめた親を見よ」となってしまった。
もう、そこから先は、思い出しても心臓がどきどきする。。。
H大に後期の願書を提出しておいて救われた。
本人は後期の受験もしょうがなく出かけて、あまりの寒さに衝撃を受け
やっぱり、もう一年!とのたまっていたが、
インターネットで合格者に自分の番号を見つけたとき
もう、受験勉強を終わりにしたくなったのだろう。
北の国に行く決意をしたようだった。


後期合格のこどもは、下宿探しも時間がなく、親との挨拶もそこそこに
準備やらなにやらで、あわただしく入学となる。
あれから三年。それまで家族のだれも北海道に行った事がなく
親類縁者もまったくなしの地で、今までやったこともないラグビーを
自らはじめて、うまくもないが投げ出さずによくやってきたと思う。
最後の1年、就職という重大な選択をしなければならないときがきた。
入試のときのようなバタバタにならないことを、切に祈る。





曲の理解は・・・

2006年03月28日 01時13分14秒 | 一絃琴
「鴛鴦」にしろ「今様」にしろ
演奏する曲について、内容とか作曲された時代のことや
作者の心情などについては、結局自分自身で模索するしかないようだ。
しかし、実際にどのようなところから
曲の理解を深めていけばよいのだろうか…

一絃琴のCDなどは、ほとんどないので
もし、見かけることがあったら即買いしないと
次はどこで出会えるか到底わからない。
書籍についても同じことが言える。
ほとんどが自費出版なので、重版されることはまずないからだ。

ということで、数少ない音源や書かれた物などを読み込み
自分のイメージを膨らませていくようにしているが、
やっぱり、一番の深まりは練習の中から生まれてくるように思う。
お琴を何度も何度も弾いているうち、
あるとき、ふと、そのメロディが「いつか聞いたことのあるもの」に
変身する。。。
急にその曲が、自分の中から聞こえて来る感覚が…
そんな瞬間が訪れることがある。
それは、高校生の頃「蜻蛉日記」を読んでいたとき
突然すぐそばに作者が現れ、直に自分に話しているかのごとき錯角に
陥ったことと酷似している。(恥ずかしながら)

たとえば「鴛鴦」を練習していると(一絃琴に造詣の深い先輩諸氏が
「冬の寒い夜の情景」と解説しておられるが)
この曲の音律から滲み出てくるものは、決してそれだけではないと
言っているように私には聞こえてしまうのだ。
なぜなのか、それはわからない。
前に書いた記事には、理屈を載せたけれども、
それもある種の直感を頼りに、この曲に秘められたものを
手繰り寄せようとした、ひとつの仮説なのである。