絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

調弦について

2006年12月13日 00時04分56秒 | 一絃琴
うちの社中では、開放弦を「D♯」で合わせているけれども
そうでない社中もあるかと思います。
このことは前にも書いたことがあります。
(「D」で合わせておられる先生もみえます。)

習い始めの頃、この音で「三」以下の音を歌うのが
めちゃめちゃしんどい!?(苦痛な)ことでした。
とにかくわたしには低すぎて、もう、唸っているようにしか
聞こえないような状態でした。
ごくごく初期に「須磨」をやるので、この曲は初心者が入門した
途端に弾くには難しいのではないかと思ったりしました。
特に歌いだしの部分が出にくく、「三」からいきなりは出られないので
「わくらば」の「わ」を「二~三」(わ~)というふうに
歌って、やっとこさ歌い出せた記憶があります。

開放弦の音を何にするのか、というのは
たとえば社中全員で合奏するとか、何人かでアンサンブルのように
弾くとか、そういうことがあるので必要なのかもしれませんが
一絃琴の有りようからすれば、弾く人の声にあわせればいいのであって
何でなければならない、というのはナンセンスな気がします。

また、譜面をみて思うのは「譜面に縛られないようにしよう」
ということです。いま、目の前にある譜面は覚え書きのひとつである
と思うようにしています。これはたぶん邦楽の基本なのではないかと
いまでは思います。
何故って、「確実なる伝承」というのは実は存在せず
むしろ、断絶した琴を戦後60年近くかけて諸先生方が再興して
こられたと思うからです。
では、何を根拠にすればいいのか?ということですが
譜面どおりに教えてもらった後に、自分の解釈が生まれるまで
練習を重ねる、ということしかないのではないかと思います。

いろいろと考えてもどうしようもないのですが
邦楽を深く知る、あるいは体得することが、
すなわち一絃琴を知ることに繋がることではないかと
今は考えています。




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