絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

井手の花、考

2007年01月17日 13時07分39秒 | 一絃琴
この前聞きに行った演奏発表会でこの曲が演奏されました。

井手へとは 思ふものから 道遠み
植ゑてわが見る 山吹の花 折りかざす 春の暮

《井手は有名な山吹(花)の名所、京都の井手町》

山吹の花で有名な井手(の玉川)に、花を見に行きたいと思うけれど
井手は遠く(思いはかなわない)、せめて自分の庭に植えた山吹の花を愛で
その花の一枝を折り取り、髪にかざしてみたことだ。
山吹の咲き乱れるこの晩春の夕暮れに。

まあ、こんな感じの意味だと思いますが
この曲は、いったい何を思って歌ったものなのでしょう?
ただただ山吹の名所にいきたい、ということでしょうか?
あるいは、一度行ったことがあり、ふたたびそこへ行きたいのだ
というようなことでしょうか?

今もこの井手は山吹の名所らしくて
川の土手に沿って山吹の花が咲き乱れる、というような
感じらしいですね。(何年か前に行った人の話でなんですが)

この言葉だけのものにメロディがつきますと
いっきに感じが変わります。
私にはこの曲がなんといいますか、すごくアンニュイ?で
過ぎ去った井手の山吹の思い出に浸っているような、
そんな感じに聞こえるのです。

【以下、独断と偏見の解釈です】
もう初夏がすぐそこまできているようなそんな季節、
夕暮れに庭に出てみると、山吹が咲き乱れている。
その花をみるとかつて訪れた井手のことが思い出されて懐かしく
(あるいはそこで出会った人のことが思い出され)
遠い井手へは行けないけれど、せめて花を折り取って髪にかざしてみる
のだった。。。

このように考えますと、ただ名所に行きたいなあという解釈とでは
おのずとこの曲の歌い方も変わってくるのではないかと思ったりします。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。