絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

霧が晴れる

2007年01月08日 00時34分16秒 | 一絃琴
一絃琴を習い始めて3年が過ぎました。
2年過ぎたくらいから、自分のなかにいろいろと課題が生まれ
なかなかそれが解決しませんでした。
邦楽の一音曲であるはずなのに、基本的なことが全然なっていないような
気がするけれども、自分自身その勉強をしたこともないので
それに対する答えも持ち合わせていないのでした。
いろいろとその答えを見つけるべく、他の演奏会を聞きに行ったり
能や狂言も見に行ったりしましたが、やはり、わかりませんでした。

もうおとといになりますが、土曜日、ある筝曲・地歌演奏家の方に
いま自分が悩んでいることについて、お話を伺いアドバイスを
いただく機会がありました。
いろいろと、邦楽全般や筝曲、地歌三味線について
また一弦琴、二絃琴についても説明してくださり
他の楽器との共通点や唄の有り様やら
私がもっとも悩む唄について、
非常にわかりやすく、かつ具体的に話してくださいました。
そのお話には、自分が今まで抱いていた疑問に対しての
すべての答えが存在していたと言っても過言ではありません。
それは「霧が晴れるように」と言う表現がぴったりな
感覚でありました。

以前ある先生から、「一弦琴を深めるためには、他の邦楽を勉強して
そこから類推して演奏に生かすしかない」というようなことを
お聞きしたことがあり、やはり一弦琴だけを習っていても深まらない
ということは気づいていましたが、結局そういうことなのでした。

また、あらためて自分自身のへたさ加減にがっくり来るとともに
これからの目標がはっきりしてきたので、まじめに?頑張れるような
そんな気がしてきました。

「○○さんは、どんな演奏をなさりたいのですか?」
と問われて、
自分は一弦琴には他の邦楽楽器のような華やかさや重層さはないが
なにかしら聞く人の精神的なものに迫るような、そんな特性を
持っているように思うのだけれども、いまの奏者の方たちは
どちらかというと聞く人への気持ちより、自分たちの気持ち優先
なので、もっと聞く人の共感を呼ぶようなそんな演奏をしてみたい
というようなことをおこがましくも述べたのでありました。。。
(まあ、それは夢ではありますが・・・)

聞く人に共感されるような演奏、というのは実に難しいことで
それはいわば「プロ」ということであります。
いや、お金をとってる人でも難しいかもしれない。
いまのような、趣味の世界でいいんだもん、みたいなことでは
すでに「廃れた」と邦楽の本に書かれているようなこの琴だから
どのみち消えていくのかもしれません。
まず、聞いている人に何を歌っているのかわからないもごもご歌や
かそけき音色をやめて、そういう「風情」だけの演奏が
本来のものなどという思い込みを捨てることから
はじめないといけないのではないかと思います。
つまり、はっきりした邦楽的発声と弦楽器の基本的演奏方法
ということです。(言うは易し、行うは難し)

だからなんなのだ、といわれても返す言葉はありませんが
まあ、一弦琴の持つ本来の性質、というようなものが
いまこの現代に蘇ってほしい、そんな気持ちでいるわけですね。
それは何も江戸時代の武士の気持ちが蘇ってほしい、ということではなく
日本人のもつ優れた感性、日本的な感受性、
そういうものが、一弦琴の唄と演奏で表現できたらいいなあ、と
思うだけのことなのです。

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