絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

会計監査(PTA)

2006年04月06日 16時33分00秒 | 子ども
監査の作業が終わった。収入支出が通帳と合っているのか見るだけで
(領収書の金額と合っていて)
どうってことはないけど、本来ならその支出が適正かどうか
見るのまでが監査のお仕事なんでしょう。

幼稚園も見るが、実際は目くら判と同じだ。
(内容がわかっていないのだから)
幼稚園は1年しかなく、通帳をゼロにしていくので
小学校と比べ派手である。(つまり会費を使い切っていく)
親子して、食べたり飲んだり、最後は卒業記念品まで出して
使い切っていく。

会計のことは、厳密に言えば追求されるようなことがあるが
みんなが「なーなー」でやっている時に正義を語ってどつぼに落ちてから、
よっぽどおかしいことでないと指摘しないようになってしまった。
見てみぬ振りのできない私は、こういうものに関わり合わないほうが
四方八方しあわせなのだ。。。

いよいよ明日から

2006年04月05日 13時21分27秒 | 子ども
明日から新学年が始まる。もう、高学年の5年生…
中身はいつまでたっても幼稚園の時のままのような気がするのに。

上の子どもと11歳違うので、同じ小学生の親でも
ずいぶん違うことを考えるようになってきたと思う。
それが果たして、いいことなのかどうかはわからないが
年とった分だけ、物事に対し、ある種距離感を持って受け止めるように
なった気がしている。

最初の子のときは、初めて「担任」から『評価』をつけられる
そのことが、非常に重要で、かつ客観的なことと信じていた。
こころの底では「うちの子はそんなことはない」と思いつつ
担任の述べるわが子像に愕然とするのだった…
また、先生の意見に対して自分の子を擁護するという
『無駄な抵抗』をすることもできなかった

今はどう考えているかというと、
自分の見ている子ども像を第一義とし、そこに学校生活での様子を
付け加えてわが子の全体像を明らかにし
それを担任の先生と共有できるよう努力しようと思っている。

教師の資質として重要な要素のひとつである「洞察力」を
備えている先生はごく一握りで、大半は「われは生活者」と
胸張っているんだから、親たちもひるむことはないのである。
(利己主義は困るが)
先生も親も、背中に目はないのだから、
お互い協力し合って、不足しているところを補い合うことが必要だ。

なごり雪

2006年03月30日 23時37分23秒 | 子ども
ほんまに寒い(ぶるぶる)。今日は昼間屋根には雪が積もりました。
3月も末になっての雪…「春の雪」というよりホンマもんと言ったほうがよい。
灯油もぐんぐん減っていく。。。また買いに行かなくちゃ…

学校も塾ももうすっかり次年度のことで頭がいっぱいだろう。
最近は少子化のせいなのか、塾なども4月始まりではなく
3月始まりのところが多くなってきた。
少しでも早く始めて、よそにお客さんをとられないように
するためなのだろう。

上の子のときと比べて、ほんとに子どもにお金がかかるようになって
きたと感じるが、違うのだろうか?
小学校も、子どもたちが他で習ってくるのを前提としているような
面もある。(スイミングスクールや書道など)
中学も、英語などがそうらしい。(なんでやねん)
むかしむかしの英語と違い、いきなり会話文から始まって
文法的な体系立ってはいない学習っちゅうのは
結構頭に入りにくいんじゃないかと心配する。
(ま、若いからいいのかな)

いづれにしろ、まだまだおちびがいるので先は長いのだが
学習をみてやるにも、こっちの頭がはやぼけて来てる
たかが小学生の乾電池の接続やら発芽の実験やらもう
面倒くさくて…これじゃ先が思いやられるわ…
まだ、算数のほうがさっぱりしてるって。。。
あ、そんなことないわ、和差算とかあったなぁ…

公立校でどこまでできるか

2006年03月08日 11時30分14秒 | 子ども
今週は国立大学の前期日程の結果発表がある。
後期日程は定員が極端に少ないので、ほとんどの子どもが
この前期日程に賭け、あとは私立などの滑り止めで
決着しようと思っているだろう。

下の子の小学校がひどい状態になってきているのは
前に書いたが、東京に居たとき(10年ほど前)すでに
隣接する小学校がいまのうちの小学校のような状態で
保護者が当番制で学校に見回りに行っていた。
(うちもそのうちそうなるだろう)

都市部では(特に東京)早くからみな公立校を見放し
中学は当然のことながら、小学から私学へ行く人も多いと思う。
皆、満員の電車に揺られて学校に行く…

一方、今自分のいる地域は、公立志向がいまだ根強く
地方では有名校といわれている男子私立校の編入などは蹴って
公立高校へ進むといわれている。

しかし、いつまでもは続かないだろう。
うちの地域は、まだまだいい地域と言われていたが、
全くこれがマシというなら他はどうなっているのだ?

こんな公教育の救世主か!?と思っていた「陰山英男」も
来春から立命館小学校の副校長になるという。
もっと自由な立場で、教える側(教師)の研修に取り組みたい
ということらしかった。
(立命館小というのは今春から開校する。この陰山氏就任予定が
 小学校の募集時期に合わせて発表されたのは何故か?)
驚くなかれ、この陰山氏がいるからという事で
校長をしている「土堂小学校」に県下から続々子どもが転入してきていたのだ。
(廃校寸前の小学校が、にわかに大所帯になった)
その人たちは、彼がいなくなってこれからどうするのだろう?
注:陰山英男さんは例の「百マス計算」の人

さまざまな問題が山積だ。
マスコミも責任大有りである(保護者の意識をカクランする)。
全国どこでも(多少の差はあれ)公立の小中高と普通に学習して
その先の選択肢が多々あるというのが好ましいと思うのはわたしだけなのか?
受験でいうと、国立大学を例にとれば、中学校で相対評価でオール3ならば
合格の可能性ありと考える。(私見です)
その際の鍵は「数学を捨てない」ということである。


読み聞かせ

2006年03月06日 08時29分22秒 | 子ども
今週は学校のほうの「読み聞かせ」があるので
読む本を探してこないと・・・
わたし自身は、子どもの本との関わりは長男出産前からなので
もう、20年を越える。(古い本しかわからない)
絵本や、児童文学もほんとに様変わりしていくけど
やっぱり、時の洗礼を受けても残っていく本が
人間の真実を描いているということなのだろう。
子どもの本もほんとに数が多く、
どの本がいい本なのか?なんてわかりにくいだろう。
「声に出して読んで、すんなり読める本」というのが
結構重要な判断基準になる。




旅立ち

2006年03月01日 13時22分21秒 | 子ども
今日は、高校の卒業式の日ですよね。
三月は、いろんな人の旅立ちの時期。。。
わたくしめは自分のことより、子どもたちの旅立ちの頃のことを
よく思い出します・・・(老化現象進行中

東京にいた時の幼稚園では、卒園の記念に
(普通は園児だけの文集だと思いますが)
親も卒園の感想を書く文集作りがありました。
何を書いていいかわからず、ある日の子どもとのやりとりを載せる事に・・・

幼稚園児って、ほんとに大人では考えないようなことを聞いてきます。
そのときは、卒園を前に「将来何になりたいか?」ということを
文集に書いていたようで、子どもは、当然のように
「じゃ、おかあさんは大きくなったら何になるの?」ときた

う、、、(もう充分大きいんだけどなー
でも、真剣に聞いているので、こっちもまじめに答えなければ・・・

そこで、小さい頃からの自分の「夢の変遷」を話しました。
でも、主婦になってからは、子育てさえアップアップで
日々の生活の中に「夢を持ち続けて」なんかいませんでした。
最後にこれからどうしたいかを答えたように思いますが
なんていったのか、思い出せません。
(人間都合悪いことは忘れるんですね。。。私だけかも

それらのやり取りを書いた文の題名は「ドリームズ カム トゥルー」・・・
いくつになっても「こうありたいと思う気持ち」を忘れない、
そんなことに気づいた春でした(負うた子に教えられ

「ゆとり教育」は今はじまったわけではない

2006年02月25日 14時55分21秒 | 子ども
うちの子どもは小学4年生なので、ちょうど1年生入学の年から
新指導要領が導入されました。
この4年の間、喧々諤々さまざまなことがマスコミを通じて報道されてきました。
そのキーワードは「ゆとり」でした。
しかし「ゆとり教育」自体は、もう30年近く前からその取り組みが始まっていました。
それは何かというと、当時問題が表面化してきた「登校拒否」や「校内暴力」の原因が、
学力重視の<偏差値教育>であるという批判であります。
詰め込み教育はいけない、というマスコミの大合唱を受けて、
(アメリカとの戦争に負けた資源のないこの国の建て直しを
「人材育成」に求めていった感のある)
それまでの教育政策が、その見直しを迫られていったわけです。

新聞というのも、時間の制約の中で書くわけですから
フリーのジャーナリストのように、とことん取材し研究して
というわけにはいかないでしょう。
しかし、今目の前にある現象だけを捉えて、
薄っぺらな教育観をかざした記事を読むたびに、
またそれに乗せられて、ころころと変わっていく教育の犠牲者は子どもだ!
と思わざるを得ません。

具体的な話をしますと、「自ら考える」「自分で調べ、実行する」
などなど、りっぱな文言が並ぶ今の学校教育でありますが
何かを調べたり考えたりするその基本が、学校の勉強だけでは全然身につかない
という現実があります。(これはうちの地域だけではないようですよ)
基礎学力のないままに、それ以上のレベルである「思考する」学習なぞ
もし、できる授業があったら、是非みせてもらいたいです。

教科書内容が削られたら、なぜか、宿題もすくなくなり
「読み書きそろばん」とかつて言いましたが、計算も定着するほどドリルもやらせず
(ドリルも問題がものすごく少ない)
このままほうっておけば、学習定着率の非常に低いまま中学に行くのが
目に見えています。
これって、どういうことなんでしょうか?

さまざまなことが「自己責任」といわれ、
<ボヤボヤしてた自分が悪い>式な今の日本ですが、
この教育の現状も「公教育がやばいと思うなら私学へ行け」
ということなのでしょうか?
各自、家庭で勉強は定着して下さいってことなのでしょうか?
(義務教育なのに、自己責任?)

ほんとに、言い出したらきりがないくらいですが
教職員を他の公務員と同等にする「週休2日制」が
さらに学校教育をだめにしたことは、紛れもないことです。
そして、この制度によって失われた授業時間数を
「土曜復活」ではなく「夏季休業日の短縮」等で補おうとする
全く持って「付け焼刃」な所業が、一部で既に始まっているのでした。
(末期的症状

現実

2006年02月25日 08時23分03秒 | 子ども
荒川静香の荘厳な美しさに、国民が酔いしれた昨日
わたくしめの現実は、子どもの授業参観日でした。

午前中の4限のどれを観てもらってもいいですよ、というスタイルでした。
で、1,2限とそのあとの20分休みの様子をみて、帰りました。

いろいろ教育問題を取り扱った番組が放映されますが、
やはり、インパクトのあることばかりセンセーショナルに取り上げられて
本当のところはどうなんだ!?と(地域によっても違うので)
みな、思っているのではないかと思います。
あるいは、当事者である、義務教育を受けている子どもの保護者たちは
案外、特別何も考えていないのかもしれないな、などとも思います。
親たちは、漠然と子どもも自分の歩いてきた道と同じ道でいいのだと
あるいは、漠然と自分の子どもの頃と同じような勉強をしていると
考えているのかもしれない。現実は全く!違う・・・

昨日のうちの小学校の現実をみると、
本当に「公教育は崩壊寸前」と言われても仕方ない様相を呈していました。
子どもの学年は大丈夫のようでしたが(いつもは騒がしいと子どもは言っています)
隣接する教室の3年生は、ひどいことになっていました。
担任ひとりでは抑えきれず、補助の講師?が2人も付いていた!
そして、2限目には授業中何人かが逃げ出し、それを補助の人が追いかけていた。
(それは、日常茶飯事のようだった、だから補助をつけたと先生がおっしゃっていた)

おととしは、チャイムが鳴っても教室になかなか戻ってこない子どもが多く
(PTAでよく学校に行っていた為、目に付いた)
「いつもこんなのですか?こんなんでいいんですか?」と教頭に言ったら
「そういうのが何クラスかある」という返事で、<きまりを守らせる>ということを
徹底させる姿勢そのものの欠如を目の当たりにした。
だから、いまのこの状況が唐突なことではないのだった。

これは、生活面のことですが、勉強面に至ってはさらに「すごい」ことになって
いるのですが、それは次書くことにします。
ちなみに、うちの地域は県下では有数な文教地区と呼ばれている地域です・・・
(もう、違うんじゃないの???)

グループ送迎

2006年02月22日 23時45分52秒 | 子ども
子どもが犠牲になる事件があとを絶たない。
つい先日の「グループ登園」時に起こった事件だが
新聞に続報が載っていた。
ずっと、引っかかっていたのだが
そもそも、何故に送迎が「グループ」なのか?
東海三県では、大半が個別送迎となっていた。
(ちなみにうちの地域は違って、行きは小学校と一緒に集団登園、
帰りはかってに幼児だけで降園=さらにこわいでしょ~~~)

滋賀県だけは、ずっとこのグループ登園を実施してきたというのだ。
年少児は個別で、年中年長はグループっていうのだが
ちょっと待ってくださいよ、
確か、6年前かに道路交通法か改正になって
6才未満の子どもを乗せるときは「チャイルドシート」が必要でしょ?
それってどうなってたの?
車に何人も乗せてくるのに、いちいちシート持って順番に送迎してたの?
(そんなわけないですね、どう考えたって…)
滋賀県はじゃあ公然と交通法破りを奨励してた、
いや黙認してたって事なの?わかんないな~~~

それに、もし、事故になったら責任はどうなるの?(今回は酷すぎるけど)
また、歩きの場合でも同様の責任問題というか
もしものときが、当然考えられるのに、どうしてそんなことしていたのだろう?

そしてあんな悲惨な事件が起こったばかりなのに
個別登園に変更になった朝の親の言い草が…
「毎日は大変」ですと…
つまり、送迎が「面倒」ということなのか

でも、ちょっと待って、ひょっとして
もともとはうちの地域のように、勝手に園児だけで登降園していたのが
それでは危ないから、ということで、
個別送迎にすると親の文句が出るので(大変とか言って)
それで、中とって「グループ送迎」にしたんだか?

この論法でいくと、事件の起こった地域より
うちの地域の方がもっと「子ども放置」ということなのかも
幼稚園児だけで帰ってくるなんて、マジ「連れ去っていいよサイン」
出してるようなものだもの。おそろしや~~~~

愚痴の言いどころ

2006年02月21日 15時45分44秒 | 子ども
今日は午前中にさまざま雑用と家事をやっつけ(やっつけ仕事なのか
午後から、子どもの帰りまで絶対に寝よう!と思っていた。
(ムカムカ感も出てきてしまった)

さあ、出かけるそのときに、電話あり。
近所の友だちからだった。
(電話せず、ぞうりで来てしまえる近さの人なのだが)

そういえば、この前、お琴の直前も電話もらったのだった。
そのときも、かなり、あれこれ話したが
まだ、全部、話しきれてない様子なのだ。

これこれで、いまから用事いくんだ、と言っても
なんか、電話切れない感じ。それから、延々、
終わったら12時になっていた。

PTAを3年目も引き受けたが、
なかなか思うように行ってくれない悩みのようだった。
絡まった紐を、いったいどこからほどけばいいのか
わからないぞ!というのが、今の公教育の実態なのだ。

PTAなんて関係ないじゃないかって?
そんなことないんですよ。
小学校の場合、学校は保護者の協力を前提に成り立っている部分が
大いにあるんです。(これは、田舎に限らないと思います。)
公幼稚園ほどではありませんが・・・

そして、PTAで密接にやればやるほど、
学校内部のことが見え過ぎて「徒労感」にさいなまれます。
昔はこれこれでよかった、なんて言ってる場合じゃないんです。
カリキュラムの大変更もさることながら、
それ以前の問題として、教師のあり方、教育のあり方というのが
ものすごく、ものすごく、変わってきているのです。

時代と共に、教師の意識も変化せざるを得ないでしょうが
やはり、変わって欲しくないのは、
教育が「人を育てる、大切な、他事と代えがたい重要な仕事である」
という認識です。
この認識を失ったなら、
こどもから「先生」と呼ばれる資格はないとさえ思ったりします。
でも、「学校を少しでも良くする」とか「子ども第一に考える」よりも
『現状維持』『波風立てず』『勤務時間厳守、あとはプライベート』で
この姿勢というのは、Pがギャーギャー言ったくらいでは
到底変わるものではないのです。

では、わたしたち微力な親たちは、いったいどのようにこの現状を
変えていったらよいのでしょうか?

そのあたりで、今日の彼女も悩むところなのだ。
言わんとするところがわかるので
どうしても、「じゃ、用事あるから」とは言えないのであった。

冬なのに・・・

2006年02月10日 22時31分11秒 | 子ども
4,5日前から、子どもの口角の横っちょに
小さい赤いできもの?が出来ていた。
あまり気にしてなかったが、オロナインくらいは付けといた。

昨日の夜、あまりこの小さなおできが治っていかないので
よ~くよ~~く、見た。さらに、見た。
そして、発見した!
鼻の穴の周りも赤いのを!!!

こ、こ、これって、とびひ~~~~~~

すっかり忘れていたけど、
まぎれもなく、鼻の穴の周囲が赤くなってるのは
とびひの特徴だよーーーーーサイアク

夏場に流行るけど、冬もあるんです。
原因は、スイミングかなあ。
よくよくシャワー浴びてこないからか?
それとも、やはり、きちんと「手洗い」しないからか?

うちは、外から帰ったら、必ず「うがい」「手洗い」は
することになってるのだが(本人は励行しているつもり)
この間、手洗いしてるのをちらっとみたら、
「手を濡らして」いるだけだった
どおりで、冬なのに「とびひ菌」もらってくるはずだ


受験

2006年02月07日 08時23分55秒 | 子ども
大学入試にしろ、高校入試にしろ
今の時期、受験生をかかえた家は
神経ピリピリでしょうね。(中学入試はもう終わっている?)
もし、「なるようにしかならない」と言える親御さんがいたら
その方は、きっと釈迦の生まれ変わりかなんかでしょう(失礼)

自分があれこれできるわけではないけど
それゆえに、よけいハラハラどきどきしてしまう…
それが、ほんとのところでしょう。

大学入試はとくにお金がかかりますから
自然、家庭の経済状況に縛られた選択になっていかざるを得ないですが…

友人にも、いま受験真っ只中の人がいます。
4月以降、開放?されるのを夢見て
毎日子どもさんのお世話をしてるそうですよ。
受験生の親は、みな同じ思いでしょうね。
泣いても笑ってもあと少し、
「辛抱する木に花が咲く」ってね。
幸運を祈ります。



「気」が大事

2006年01月26日 08時31分49秒 | 子ども
先週から、自身のことでこまごまいろいろなことがあり、
少々、気が滅入っている。
どうでもよいことばかりなので、流してしまえばよいのだが
こころの中に小さいとげがひっかかっているように
感じるときもある。

占いの嫌いな自分だが、「気」については少々「気にする」。
「風水」の異常に好きな友人がいるが、それほどではない。
「病は気から」とか「気合い」とかいろいろ使われるが
運気の向上している人には一種のオーラのようなものを感じるのは
誰しも経験することだろう。

先週、小学校の読み聞かせに行った。
6年生のクラスで、この日程が決まったのが直前だったので
じっくり選書できなかったが、2冊本を読んだ。
一つは「おれはなにわのライオンや」
もう一つは「ちいさなきのねがい」

「おれは・・・」の方は、さねとうあきらの作品で
大阪の動物園の動物が戦時中毒殺された話だ。
最後は悲しいが、ライオンと飼育係のやり取りを通じて
日々精一杯生き、愛されていたことが切々と伝わってくる作品である。
それだけに戦争のむなしさが胸にぐっとくる。
語り口はとても軽快なので、聞いてもらうのに適していると思う。
子どもたちは、とても真剣に聞いてくれた。
この集中している静けさというのは、「ピーン」と張り詰めた感じで
読み手と聞き手の間に一つの「気」が生まれる感じがする。
読み終わると一気に緊張がとけ「ほ~~」という雰囲気になる。

これだけでは、あまりに朝から辛いので、
緩和する一冊「ちいさなきのねがい」を読んだ。
これは、外国の作品だが、詩のように短い絵もかわいらしいものだ。
ちいさな木が、草花のすぐ花をつける様子をうらやましく思うのだが、
時間がかかっても、自分だけの花をさかせたいんだ、と願い
最後にたくさんの花を咲かせるというものなのだ。
もうすぐ卒業していくこの子たちが、それぞれの花を咲かせてね、
という気持ちをこめて読んだ。
そうすると、不思議なことに、聞いてくれる子どもの口元も微笑んでいる。
読み終わったわたしも、にっこりする。
穏やかな一日の始まりとなった日であった。
(そんな日ばかりじゃないけどね・・・)

冷えるはず・・・

2006年01月23日 08時40分01秒 | 子ども
昨日の夜は、めちゃめちゃ冷えました
冗談抜きに寒かったです。
夜といっても、深夜2時頃でしょうか・・・
もう、雪が降り始めていたんですね。
うっすら、積もりました。

子どもが登校する時は、積もったさらさらの雪が
風に舞っていました。
こなあ~~ゆきぃ~~、こころまでしぃ~ろくぅ~・・・
と、歌いながら出かけていきました。
(子どもは雪の子!)

またまた雪もよいの空

2006年01月05日 08時26分50秒 | 子ども
三が日過ぎて、お仕事モードに入った途端
お天気怪しくなってますね~

昨日は子どもにせがまれて映画「チキンリトル」を観に行った。
アニメって、ほんとやかましいので真剣に眠れない!?
予想に反して劇場は親子連れでほぼ満席
お父さんと子どもという組み合わせの方も多かった。

子どもは、映画の予告をみて、また次何みるか考えている様子。
小4でそんなにいろいろみなくていいって!と内心思ったりする。
でも、「ライオンと魔女」の映画化されたのはちょっとみたいな

近年、児童文学から映画化ってのが結構多い。
CGが良くなってから、ファンタジーが作りやすくなった
からかしら。特に冒険もの・・・
20年前には「ひとの空想でしか描けなかった」世界が
映画館のなかにある・・・良いんだかいけないんだか・・・


今日もすっきりしないようなお天気です。
でも、家事突入しなきゃ(意欲低下中・・・)!
洗濯干しても、トレーナーなど分厚いものは乾かないよ~~