絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

愚痴の言いどころ

2006年02月21日 15時45分44秒 | 子ども
今日は午前中にさまざま雑用と家事をやっつけ(やっつけ仕事なのか
午後から、子どもの帰りまで絶対に寝よう!と思っていた。
(ムカムカ感も出てきてしまった)

さあ、出かけるそのときに、電話あり。
近所の友だちからだった。
(電話せず、ぞうりで来てしまえる近さの人なのだが)

そういえば、この前、お琴の直前も電話もらったのだった。
そのときも、かなり、あれこれ話したが
まだ、全部、話しきれてない様子なのだ。

これこれで、いまから用事いくんだ、と言っても
なんか、電話切れない感じ。それから、延々、
終わったら12時になっていた。

PTAを3年目も引き受けたが、
なかなか思うように行ってくれない悩みのようだった。
絡まった紐を、いったいどこからほどけばいいのか
わからないぞ!というのが、今の公教育の実態なのだ。

PTAなんて関係ないじゃないかって?
そんなことないんですよ。
小学校の場合、学校は保護者の協力を前提に成り立っている部分が
大いにあるんです。(これは、田舎に限らないと思います。)
公幼稚園ほどではありませんが・・・

そして、PTAで密接にやればやるほど、
学校内部のことが見え過ぎて「徒労感」にさいなまれます。
昔はこれこれでよかった、なんて言ってる場合じゃないんです。
カリキュラムの大変更もさることながら、
それ以前の問題として、教師のあり方、教育のあり方というのが
ものすごく、ものすごく、変わってきているのです。

時代と共に、教師の意識も変化せざるを得ないでしょうが
やはり、変わって欲しくないのは、
教育が「人を育てる、大切な、他事と代えがたい重要な仕事である」
という認識です。
この認識を失ったなら、
こどもから「先生」と呼ばれる資格はないとさえ思ったりします。
でも、「学校を少しでも良くする」とか「子ども第一に考える」よりも
『現状維持』『波風立てず』『勤務時間厳守、あとはプライベート』で
この姿勢というのは、Pがギャーギャー言ったくらいでは
到底変わるものではないのです。

では、わたしたち微力な親たちは、いったいどのようにこの現状を
変えていったらよいのでしょうか?

そのあたりで、今日の彼女も悩むところなのだ。
言わんとするところがわかるので
どうしても、「じゃ、用事あるから」とは言えないのであった。

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