「お荷物は、わたしがお持ちします」
「いや、これくらいだったら俺が」
「いえいえっ、貴明さまにそのようなことをして頂くわけには参りませんからっ」
そう言うなり、普段のシルファからは考えられないくらい強引な手つきで、買い物袋をぶんどられた。
「それでは参りましょうっ、事故にあわないように気をつけて、すみやかに帰宅ですっ」
さすがにスキップしたりはしなかったが、シルファは弾むような足取りで歩き出す。
最高の笑顔で、チャームポイントのおさげを揺らし、短いスカートの裾が際どいところまでまくれあがっている。
すごいハイテンションだった。
ていうか、キャラ違くないか?
「……ねえ。あれ、どうしたの?」
傍らを歩く瑠璃ちゃんに耳打ちしてみるが無言。
瑠璃ちゃんは少し前からバツの悪そうな顔を浮かべている。
三人で買い物に行くことになり、出かけてきたのが一時間ほど前の話。往路では変わったところは見受けられなかったのだが、ちょっと本屋を覗いてこようと思い、二十分ほど別行動をして再集合したときには、既にシルファはこんな感じになっていた。瑠璃ちゃんが冴えない顔をしているのもそのときからだ。
まあ、シルファは別に落ち込んでいるわけではないし、浮かれているぶんには微笑ましいだけなのだが、瑠璃ちゃんの表情が気にかかるんだよな。
「俺がいない間になにかあった?」
もう一度、瑠璃ちゃんに訊ねてみる。
と、
「……あったといえばあった、というか」
「……ナンパでもされた?」
「ちゃうわぼけ。そないなことされたら蹴り飛ばしてしまいや。第一、それでシルファがあんなんなるわけないやろ」
「たしかに」
ナンパなんてされたら、シルファは人見知りだからハイテンションになるどころか怯えてローテンションになりかねない。
「……シルファにはナイショやで」
瑠璃ちゃんは深刻な口調で前置きして語り始める。
「ちょっとな、貴明がおらへんときに、ウチらふたりで雑貨店に入ったんや」
「雑貨店っていうと、駅前にある『良』い『品』ばかり置いてある、あの『印』が『無』いお店?」
「せや。特別欲しいもんがあったわけちゃうけど、暇つぶしにぶらぶら歩いとったんや。そしたら――」
「そしたら?」
「衣類コーナーで、シルファが"カップ入りキャミソール"を見つけおった」
「……なにそれ?」
聞き覚えのない単語に首を傾げる。
瑠璃ちゃんはどこか遠い目で、前を歩くシルファを見つめながら、
「早い話が胸パット入りのキャミソールや。家ん中でまでブラつけとると疲れるやろ? せやから楽に過ごせるように、そういうのが出とるんや」
「……はあ」
生返事をしつつ、ちょっとだけ赤面。
瑠璃ちゃん――というか女の子からすると当たり前のことなのかもしれないが、男の俺からしてみれば「ブラつけてると疲れる」というのが実感できないわけで。
だから生返事しかしようがないというか、そういう赤裸々な話を聞かされると照れるというか。
しかしながら、
「で、シルファがそれを見つけると、どうしてあんな風になっちゃうわけ?」
買い物袋を両手に、ついにスキップを始めたシルファの背中を、親指で指し示す。
正直なところ、パット入りのキャミソールが存在するという話と、ハイテンションなシルファは、俺の頭の中ではまったく繋がらない。
瑠璃ちゃんは、俺の言葉を受け、苦虫を噛み潰したような顔をして、
「……シルファは勘違いしとるねん。あのキャミソールは、あくまでも楽をするためのもんで、バスト底上げするもんやない」
ハッとする。
「――まさか」
まさか、そうなのか? そういうことなのか?
瑠璃ちゃんは、俺の瞳に理解の色を見たのか、重々しくうなずいて、
「……シルファは言いおったで。安心したみたいに、『ちっちゃい胸で悩んでるのってわたしだけじゃなかったんですね』ってな……」
「そんな……」
絶望した。
なんという悲劇。
なんという神のいたずら。
密かに(バレバレだが)自分の胸が小さいことに悩んでいるシルファにとって、"カップ入りキャミソール"は希望の光だったのだろう。
同じ悩みを抱えている者がいるという事実は人を勇気づけるし、なんだったら自分で"カップ入りキャミソール"を使おうと考えたのかもしれない。
だが、だが、そうじゃないのだ。
"カップ入りキャミソール"は、控え目なバストを上げ底にするためのアイテムでは決してない。
むしろ、"ある"者のために用意されたアイテムであって、それを"ない"シルファがありがたがるというのは、あまりにも残酷ではないか。
「そんな……、そんなのって」
「……わかっとる。シルファのことを思うなら、ウチがほんまのことを喋らなあかんかった。でも……言えへんかった」
「瑠璃ちゃん……」
「だって……だって……地獄の底で菩薩を見たような顔するんやもん……あれを見たら……ウチ……なにも言われへん……」
「……うん。瑠璃ちゃんは、悪くないよ」
「貴明ぃ……」
そっと瑠璃ちゃんの肩を抱く。
そう。
誰も悪くないのだ。誰かが悪いはずがないのだ。
瑠璃ちゃんはもちろん、シルファだって悪くない。
だって、ここにあるのは、たったひとつの優しい嘘だけなんだから。
「――貴明さまっ、瑠璃さまっ」
金色の軌跡を残し、シルファが振り返る。
夕日を背負っているので見えないが、シルファはきっと笑顔を浮かべている。
だから、俺は笑った。
瑠璃ちゃんも、笑った。
俺たちは、歩き続ける。
大丈夫。
貧乳はステータスだと、偉い人も言っていた。
――優しいこの子たちに、幸あれ。
*****
後日。
ミルファの口から語られた真相を聞き、シルファが部屋に閉じ籠もってしまったりしたのだが、それはまた別のお話。
END
「アルバムの見せ合いっこしませんか?」
ことの起こりは、優季のそんな一言だった。
どうやら優季は初めからそのつもりだったようで、アルバムを持参していたのだ。
「いいかもね」
こちらとしては、特に否定する理由も見当たらない。
ふたりで話し合って、ゴールデンウィークはのんびり過ごすことに決めたのだが、ぼーっとしているだけというのも芸がないと思っていたところだ。
というわけで、屋根裏部屋からアルバムを引っ張り出してきて、俺の部屋で懐かしい思い出話に花を咲かせることになったのだが、
地雷を踏んだかもしれない。
傍らに身を寄せる優季の横顔を見て、俺はなんとなくそう思った。
「……これも楽しそうですね」
「……あ、あー……どうだったかな? それほどでもなかったような、気が」
「あ、この写真の貴明さん、すっごく楽しそうに笑ってますね。こんなに可愛い子が近所にいたら、私連れ帰っちゃうかもしれません」
「……それはさすがにどうだろう」
冷や汗が頬をつたう。
優季の口調は穏やかで、いつもと変わった様子なんて、これっぽちも見受けられない。
が、先ほどからぴしぴしと肌に刺さるようなプレッシャーを感じているのは気のせいではなく、きっと俺は追い詰められているのだと思う。
初めは和気藹々とした雰囲気だったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
つい数分前は、
「これはいつ撮ったんですか?」
「うーん、小学校にあがる前だったと思うよ。確かこのみがイルカと握手したいってだだこねて、俺も付き合わされたんだよなあ」
とか。
「こっちは?」
「ああ、これは小学一年のときのやつ。このみが俺のランドセルを離してくれなかったんだよ。わたしもコレ欲しいーとか言ってさ」
とか。
「あ、これも……」
「……えっと、それは旅行に行ったときのやつかな。温泉ではしゃぎすぎて、のぼせてるこのみ、だなあ」
そう。
このあたりから、ちょっとマズイ気はしていた。
「……またこのみちゃんと一緒に写ってますね」
「……それは庭で砂遊びしてるのかな、はは」
徐々に、徐々に、優季の声が沈んでいくのに、さすがの俺も気づいていた。
なんていうか、俺のアルバムには、このみとのツーショット写真が圧倒的に多いのである。
もっと親父もお袋も気を遣ってくれよと突っ込みたくなるくらい、このみと一緒に写っている写真ばかりだったのだ。
いやまあ、このみは幼馴染みだし、柚原さんちとは家族ぐるみの付き合いだから、こういう写真が多いのは理屈としては納得できる。
しかし理屈ですべてを解決できるなら、この世のもめ事は激減しているはずで、
「……あ、これ、一緒に寝ちゃったんですね。ふたりとも寝顔が可愛いです」
少なくともその理屈は、隣の優季には通じない。
ふたり、のあたりにアクセントがくるのがちょっと怖い。いや、実はかなり怖い。
優季と肩を寄せ合って密着しているというのとは、別の理由で鼓動が早くなる。
やはり地雷を踏んだのかもしれない。
フォローした方がいいのかな、とも思うが、余計なことを言ったらかえって悪いかな、とも思う。
というか、フォローしようにも何と言えばいいのかまったく思いつかない。
過去を消すことはできないし、「こういう過去がありました」と確認するのがアルバムを見るという行為なのだから、俺にはどうすることもできないに決まっている。
どうにかして部屋の中に充満する重苦しい空気を取り除けないかと頭を捻っていたら、
「――あ、」
アルバムをめくっていた優季の手が止まり、唇からほう、と吐息が漏れた。
「ど、どうしたの?」
「……貴明さんも、この写真持っていたんですね」
「え?」
「私も……持ってます、この写真」
優季はそう言うと、大切な宝物を扱うような手つきで写真の表面を撫でる。
写真には、見るからに小生意気そうなガキと、将来有望といった感じの可愛らしい女の子が並んで写っていた。
言うまでもなく、小生意気そうなガキが俺で、可愛らしい女の子は、まだ「高城さん」だったころの優季である。
「貴明さん、覚えてます?」
「――ああ。うん、覚えてるよ」
正確には、思い出した、だ。
小さいころの思い出なんてすっかり忘れてしまったものだと思っていたのに、不思議なことに写真を見るとおぼろげながら思い出せる。
このみとの思い出がそうであるのと同様、「高城さん」との思い出だって思い出せるのだ。
「春の遠足のときの写真だよね、これ」
「はい。集合写真以外で、唯一貴明さんと一緒に写っていた写真です」
それは知らなかった。
たぶん、このころの俺は、自分が写っている写真の番号を片っ端からチェックしただけだったのだろう。
その中の一枚が、たまたまこれだったというだけなのだろう。
でもきっと、少しくらいは考えていたはずだ。
仲が良くて、可愛くて、足の速い女の子と一緒に写ってる写真があってラッキー、とか。
そんなマセたことを考えていたであろう過去の自分を、このときばかりは褒めてやりたい気分だった。
「ふたりで同じ写真を持っていたっていうのも」
優季はまだ閉じたままの、自分のアルバムをちらりと見てから、
「――運命的、かもしれませんね」
本当に幸せそうな微笑みを浮かべながら、こちらに顔を向けた。
「そう……だね」
目が合う。
まつげが長い。
鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離。
元々顔を寄せ合ってアルバムを眺めていたのだから、優季が振り向いたらこうなるのは道理だった。
一瞬で顔に血液が集まったのが分かる。
妙に照れくさい。
もっとすごいことなんていくらでもしているくせに、普段とは違うシチュエーションが普段とは違う回路を刺激している。
それは優季も同じようで、俺たちは永遠とも思える数秒を見つめ合いながら共有していた。
優季の顔は、これまで見たこともないくらい真っ赤に染まっている。
「――あ、あのっ、お茶、もう一杯いかがですか?」
先に硬直が解けたのは優季の方で、
「う、うん」
「その、ポットが冷めちゃったので淹れ直してきますね」
「よ、よろしく」
しどろもどろになりながらも、慌ただしくドアを開けて部屋を出て行った。
階段を降りる足音が聞こえ始めたあたりで、閉じたドアを凝視していた俺は、
「――参ったなあ」
つぶやく。
ついさっきまでは、幸か不幸か「ふたりきり」というシチュエーションを意識せずにいられたというのに。
せっかく密着状態でいられたというのに。
よさげな雰囲気だったというのに。
ひょっとしなくても、惜しいことをしたかもしれない。
まあ、休日はまだ残っているし、ゴールデンウィークはまだまだこれからだし、あまりがっつくのもよくないような気がしないでもない。
心を落ち着かせようと、カップを手に取り、ぬるくなった紅茶を口に含み、カラカラになった喉に流し込み、
「ラヴコメしとるのう、少年」
ブゥ―――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!
「ごほっ、げほっ、ごほっ!」
気管に入った。死ぬかと思った。
「どうしたたかりゃん。盛大に紅茶を吹き出したりして。今流行りの水芸ってやつ?」
「……っ、……っ!」
あんたのせいだ、あんたの。
傍若無人という言葉が形を成した存在が、前触れもなく出現した。
まーりゃん先輩こと、朝霧麻亜子。
最凶にして最悪、ゴッデス・オブ・卑怯の異名を持つコレが、なにゆえ俺の部屋に。
「んー、しっかしあれやね。他人の色恋ほど端から見てて面白いものはないやね。見つめ合ったままホホ染めちゃってさー、もうまーりゃんやってらんねー」
「……色々と言いたいことはありますけど、とりあえず帰ってください」
「えー、なんだよたかりゃん。つれないこと言うなよ」
「今日は構ってる暇ないんです。すみませんけど」
「ちちくりあってる暇はあっても、あちしの相手はしてやんねーってか? 冷たいねえ、ああ冷たいねえ」
無視だ、無視。
まーりゃん先輩を相手にするときは、無視するのが唯一の対処法なのだ。
ここは冷静に、残りの紅茶を、
「――運命的、かもしれませんね」
ブゥ―――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!
「これこれ、たかりゃん、二度ネタは感心しないぞ?」
「そうじゃないだろ! 優季の真似すんなよ!? っていうかどこから見てやがったんですかアンタは!?」
「アルバムの見せ合いっこしませんか?」
「うわあ! 最初からかよ! 俺のプライバシーはどこにあるんですかー!?」
ダメだ。
突っ込んだら負けだと分かってるのに、どうしても突っ込んでしまう。
この人「何でもアリ」だから、気にしたらオシマイなのにな……。
「まあまあ、そんなカリカリすんなよー。お詫びといっちゃなんだけど、これあげるからさー」
と言いつつ、まーりゃん先輩は何の脈絡もなく紙切れを差し出してくる。
怪しげな香りを感じつつも、しぶしぶ受け取ると、手のひらサイズのその紙には何かが印刷されていた。
「……はあ……一体なんなんですか……っ!? こ、こここここここれって!?」
胃がひっくり返りそうになる。
俺が手に持っているそれ。
まーりゃん先輩から手渡されたそれは写真だった。
写真には「高城さん」が写っている。
ただし、
裸同然の格好をしていた。
ほとんど紐みたいなローライズのショーツと、半分以上前が空いたネグリジェ? っていうのか? これ。
明らかに年齢制限がありそうな――いや、別に着る分には何歳でも構わないんだろうけど、でも犯罪的な香りがするというか、むしろこんなの小学生に着せたら犯罪だろっていうか俺は何を言ってるんだ?
どうしてこんなものがあるのか。
どうして「高城さん」がこんなものを着ているのか。
もう、何もかもワケが分からなかった。
あられもない姿の「高城さん」の写真を握り締め、呆然としていると、まーりゃん先輩はまるで悪の親玉みたいに俺の肩に腕を回してくる。
「どうかね? まあたかりゃんのその顔を見れば、気に入ってくれたってのはよーく分かるけどさ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! なんで……、なんでまーりゃん先輩がこんなものを持ってるんですか!」
まーりゃん先輩は、すっくと立ち上がり、
「ふっふーん」
ベッドの上で仁王立ちの格好をすると、
「こんなこともあろうかと!」
びしり、と俺に人差し指を突きつけ、
「ゆーきちゃんのアルバムから手頃な写真パクってスキャンしてコラった。速攻で作ったにしては良い出来っしょ?」
やはりこの人は最悪だった。
「他人の思い出台無しにするなよ!? アンタマジで何考えてるんだ!?」
「ちなみに身体の方は、あ、ち、し、の写真を使ったんだけどね。欲情すんなよ、べいべー。俺に惚れたら火傷すんぜ」
「違和感なくてビックリだな!? ていうかそんなの聞いてないし知りたくもねえ! うわー! もうどこから突っ込んでいいのか分からねえー!」
「突っ込む突っ込むって、たかりゃんって見かけによらず意外と……ぽ」
「頬を染めるな! 恥じらうなー!」
無視することもできず、まーりゃん先輩を止めることもできず、俺はただただ絶叫するしかない。
間もなく、ドアの外から階段を駆け上がる足音が聞こえてきて、
「貴明さん!? どうしたんです……か?」
息せき切って部屋に飛び込んできた優季が目にしたのは、いかがわしいコラージュ写真(しかも幼い優季の)を握り締める俺の姿だった。
「た、貴明さん……それ……」
「ち、ちがっ、違う! こ、これは、その、まーりゃん先輩が……!」
「まーりゃん先輩……?」
「――って、もういねえ!? まさか窓から逃げたのかよ!? ホントに何でもアリだなあの人!」
「貴明さん……」
「優季!? そんな目で俺を見ないで!」
めちゃくちゃ傷ついた。
人が人を殺すためには、言葉はいらない。
きっと視線だけで十分なのだ。
「まーりゃん先輩の……まーりゃん先輩の、ド外道――――――――――ッ!!」
――その後、誤解はすぐに解けたが、俺の心には深い傷が残りましたとさ。
END