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介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

最近

2013-05-28 07:50:21 | 日記
母の49日が終わってから1ヵ月半近く経ちますが、ここ最近、両親が夢枕に立ちます(どちらか一方のときもある)。
で、今朝(午前5時ごろ)は、母が夢枕に立ったのですが・・・夢だから荒唐無稽でしたね。
[以降、全て夢の中でのやり取り]

母(クローゼットを探っている)
私「お母さん、何しているの。もう死んでいるんだから出てきちゃだめでしょう」
母「そうよね」(クローゼットから通帳を見つけだす)
私「なに?それ」
母「解約していなかった定期預金」
 (通帳がすごく横長で、昔の郵便局の通帳の色とマークが付いてる)
私「印鑑は」
母「死ぬ前に渡しておいたカードで引き出して」
私「あれは、銀行のカードでしょう。それって郵便局の通帳じゃないの?」
母「そういうことだからよろしくね」
(ここで目が覚める)

目が覚めてからクローゼットを探したかと言えば・・・探しません。
既に遺品整理で中のモノは適切に処分済みですから・・・隠し扉があるとは思えませんしね。

脳死と言われても

2013-05-20 21:48:03 | 日記
母の死亡経緯を辛抱強く読んで下さり、有難うございます。m(__)m

今回、医師は脳死状態だから「何も聞こえていない」「何も感じていない」と言っておりましたが、母は周りの声が聞こえていたのでは?と、思えてしまいます。

多分これは 感情的な物で有り、医学的は医者の言っている通りなのでしょうが………難しい。

脳ドック 結果が届きました。

2013-05-11 15:58:51 | 日記
先程、結果報告書が郵便で届きました。

判定
 特記すべき所見はありません。'12/02/18と比較して変化はありません。

説明
1)脳内には、脳出血、脳梗塞、脳腫瘍などの異常は認められませんでした。
  加齢性の信号変化は認められません。
2)頭部/頸部MRA検査では、動脈硬化などによる血管の閉塞や狭窄などの異常は認められません。
  動脈瘤を疑う所見もありません。

注意事項
 今回の検査では、異常は検出しませんでしたが、これで全てではありませんので、不調を感じたときは、医療機関を受診してください。


先ずは一安心ですが・・・だったら、ここ1ヶ月の間に何度も起きた頭部左側の偏頭痛は何が原因なの?やはり風邪?

お団子

2013-05-07 08:16:37 | 日記
昨日、流し台の下を整理していたら、手付かずの上新粉[賞味期限は確認済み]が1袋有ったので、団子を作ったのですが…団子で思い出すのが、母が呼んでいたところの「送りの団子」「土産の団子」を知らない方って居るんですね。

1 母の葬儀の準備をしている際に叔母が「みたらし団子」を買ってきて供えてくれたのですが・・・通夜の時にも同じ物を買ってくると言ったので、すかさず『こういうときには、何も掛かっていない白団子をここでは供える風習なんですよ』と話しました。すると、「お団子屋に頼んで白団子をいっぱい持ってくるから」と請け負ってくれたので助かったのですが・・・母と同じく育った筈なのに、他所の土地に嫁ぐと忘れてしまうのだと諦めムード。
  翌日、叔母が持ってきてくれたのは、私が教わった通りの「白団子」が5個。叔母曰く、お団子やさんに話したら、「◎◎さん、こういうときのお団子は大凡の大きさが決まっています。数も5個なんですよ」といわれたとの事。さすがに本職は違うな~と感心しました。
2 一方で、初七日から七七日(四十九日のこと)までは、七日毎に白団子5個を供えるのですが・・・該当する日が木曜日と言うこともあり、会社の近くの和菓子屋を数件当たった所、「この場所で生まれ育ったけれど、そんな団子は作った事がない」「××県育ちだから昔からの風習は知っているけれど、そんなことしてませんよ」と言われてしまいました。まるで、私の住んでいる場所が超ド田舎見たいな感じ。
3 でも、葬儀社の方は団子を作るための上新粉を下さっているんですよね。で、その上新粉の袋を見た父方の従姉F(私の5つ年上)は、同じ町内で育ったのに「これ何に使うものなの?」と聞いてました。そこで母から教わった慣わしと、上新粉での団子の作り方を話すと、「えっ、そんなことしなくっちゃいけないの。知らなかったわ。おばあちゃん(嫁ぎ先)の時、やっていないわ。出来ない嫁って思われてしまったかも」と慌て始める始末。
 序に、失礼なのがいつも軽口をたたく気さくな性格の持ち主であるその夫。従姉Fが「それじゃ~◎◎チャンは一人でお団子作れるから大丈夫ね」と言ったら、「作り方を知っているからって作れる訳じゃ~無いぜ」だって。私の得意料理は「白玉粉」だけど、その次が「上新粉の団子」なんですよ。別にけんかを吹っかけてきているわけではないから、笑ってごまかして流したけれど、今になるとムカつく。

因みに、母から教わった慣わしは
「通夜および告別式の際に備えた団子と同じ粉(大抵は「上新粉」か「白玉粉」らしいが)を1袋購入し、それを7等分して団子を作りなさい」


脳ドックにいってきました

2013-05-01 12:12:54 | 日記
本日、メディカルスキャニング様で「脳ドック(頚動脈 付き)」を受けてきました。
 ⇒メディカルスキャニング様のパンフレットに書かれている表示を書くと
  「○ 32脳MRI,MRA,DWI+頚動脈MRA」
 ⇒今回も「ここカラダ」を通じての予約を行ったので、特別割引料金。
受付から診察終了(会計およびCD受取)までの所要時間は約40分

診断書(報告書)は2週間以内に届くのでどのように書かれているのかが楽しみ。

で・・・私の勘違いかもしれませんが、1年前と比べてサービスが更に良くなっています。
 1 事前に医師との面談がある。
 2 医療ミス防止の為に、都度、本人確認が為される。
 3 技士(?)の方が、撮影した画像の種類について簡単な説明をしてくれる。[医師による説明は別料金]。
   ⇒昨年、ブログにUPした画像に見られる白い丸は、やはり血管でした。
   ⇒以前から「血管の画像」フォルダーが3つありましたが、1つは頚動脈で、
    残りの2つは脳の血管画像だ教えてくれました。

今回は「上腹部」を加えたパッケージプランが無かったから、お財布に余裕が出て来たら「上腹部」の撮影をしたいですね。

母死亡の経緯 その8-そしてモニターは

2013-04-25 12:32:12 | 日記
相変わらず2月22日の出来事の続きです。


・午後8時10分ごろ
 母に対する「脳死」宣告を聞いた従兄Cは自分宅へ電話するために一旦病室を出ていたが戻ってきた。
 そこで入れ替わりと言うわけではないが、今度は私が病室を出て、午後6時に駅で別れた叔母宅へ電話を入れる(別れた駅からであれば1時間30分~2時間で叔母宅へ着く)。だが、未だ帰宅していなかったので、一旦電話を切り、仕事に出かけているその息子である従弟Eの携帯に電話を入れ『お母さんの携帯電話の番号を知らないので、伝えて欲しいのだけど・・・今、病院から呼び戻された。連絡できる状態になったら私の携帯電話(仕事用なんだけどね)に電話を入れて欲しい。』と伝言を依頼。
 病室に戻ると、モニターに映し出されている「呼吸」(と推測していた)の波形がイビツになっていたので、『しっかり呼吸してね。ユックリとでいいからね。いびきみたいな音は出さないでよ~』と声を掛けながら、リズムを取りやすいように母の左肩を軽く叩くと、身内の贔屓目かもしれないが波形が多少綺麗な振幅を描き始めたが・・・長くは続かず、波形がフラットになる瞬間も何度かあった。


・午後8時40分だったかな?
 連絡が取れなかった叔母が病室に駆け込んできた。
 私から午後6時30分以降の出来事を聞き終えた叔母は母の枕元へ行き「何で、ここで頑張らないの」と声を掛けるが・・・モニターに映し出される波形は乱れたまま。
 一寸落ち着きを取り戻した叔母は、病院へ戻ってきた経緯を話してくれた。私が午後7時一寸前に連絡した従兄Bが叔母へ連絡をしてくれ、叔母は総武線の亀戸駅に到着する寸前に連絡が来たので、直ぐに電車を乗り換えて駆けつけた。又、従兄Bと従弟Eが夫々の仕事が終わり次第こちらに来ることになっていることも教えてくれた。


・午後9時 一寸前
 主治医が再び病室を訪れ「脳CT画像の読解が未だ出来ておりません。(瞳孔反応を確認して)やはり脳死状態と判断できますので、残念ですがお母様は何も感じておりません。」とのダメ押し。
 主治医が病室を出て行った後・・・叔母のみが見ていたのですが・・・母の目から一筋の涙が流れ、これを境にしてモニターに表示される数値および波形はドンドン悪化。


・午後9時10分
 ハートマークの表示値が「ゼロ」に。
  ⇒右手の人差し指につけていたセンサーで拾っていた脈拍数です。
 多分「心電図」と思われる波形が右下がりの直線を描いてフラットに。
  ⇒「突然にフラットになって『ピー』と音がする」ということは
   生じませんでした。
 私が『あっ!死んじゃった』と言ったら、モニターを見ていた叔母がモニターの表示が何を示しているのかを理解して、「◎◎チャン、何しているの医者を呼んで来て」と取り乱す。
 多少躊躇していると・・・ナースステーションから看護師が来て「主治医を呼んでもよろしいでしょうか?まだ来ていない方が居られるのでしたら、主治医を呼ぶのは後ほどにいたしますが?」と淡々と説明。
 従兄B達がこちらに向かっている筈なので、死亡宣告は1時間ほどずらしてもらう事にした。
 もうこの病室でやるべき事は無くなったので、社長へ電話を入れて母が死亡したことを伝える。
 叔母は息子(従弟E)へ「もう病院へは来なくてもいい」と連絡を入れる。


・午後9時30分ごろかな~
 突然に従兄D夫婦が病室に来た。仕事用の携帯電話に従兄Bからの連絡が入ったので、仕事(造園業)を切り上げて来てくれたとのこと。
 少ししてから従兄Bも到着。


・午後9時54分
 医師による死亡宣告。


・午後10時30分ごろ
 連絡を入れておいた葬儀社が到着したので、全員で病院を後にして我が家へ。


・午後10時50分ごろ
 自宅近くのコンビニで信号待ちをしていたら、ふと『1日前のこの時間、ここを通っていたけれど・・・その時は生きていたんだよ』と言うなんとも表現できない想いが頭に浮かぶ。


・午後11時一寸すぎ
 母無言での帰宅。
 葬儀社の方々が母を介護用ベッドに安置する準備をしているのを居間で見ていたら、ふと40年以上前、私の一番下の妹が死亡した日の夜の光景を思い出す。
 遺体安置作業中に従弟Eが我が家へ到着。
 

母死亡の経緯 その7-早く、そして速く・・・飛んで行きたい

2013-04-12 19:31:27 | 日記
暫らく間が開いてしまいました。

未だに2月22日です。

先ずは、取って付けたような事を追加記載いたしますが・・・一寸、時間を戻して午後6時05分頃~30分迄の間は電車に乗っていました。
乗っている最中に『今夜が生死の分かれ目だよな~。今回は無事に乗り切れるかな~。大丈夫だよ。ウン、大丈夫と信じよう。』等と考えていましたが、悪い事は言い当てる物ですね。


・午後6時30分
 電車が自宅の最寄駅に到着したので電車を降りると、それを待っていたかのように携帯電話が突然なる。ディスプレーに表示された電話番号は知らない番号だけど、一応、出て見たら病院からだった。
 病院 「××病院ですが、◎◎さんですか?」
 私  『はい、そうです』
 病院 「少しお待ち下さい。今、病棟の看護師と代わります」
 病院 「お母様の容態が変わりました。これから来ることはできますか?」
 私  『今、××駅ですから(どのくらいかかるかな)』
 病院 「そうすると1時間くらいで来れますね」
 私 『はい、電車が△△分にこの駅を出ますので、そのくらいで着けると思います』
 病院 「では、夜間受付口からそのまま3階に上がって、ナースに声をかけてください」


・午後6時33分頃
 電話を切って、改めて電車の時刻と到着予想時間を確認していたら、別の考えが頭に浮かびました。
  『もしかして一刻を争う事になるかもしれない。』
  『だったら、電車を待っているよりは車の方が早い?』
  『でも、道は混んでいるからどうなんだろう?』
 グタグタ思い悩んでいる場合ではないので、先ずは近所に住む従兄C(早朝、私が叩き起こそうとした相手)へ電話を入れる。
 父の死亡の経緯を読んでくださった方は覚えていると思いますが、従兄Cは持病があるために薬を飲んでしまうと眠気が生じるので自動車の運転できないのですが・・・病院からの電話の内容を伝えると、車を出してくれる事になった。
 今居る場所は地下のホームなので、とりあえず電場状態がよいであろう地上に出る。


・午後6時37分よりは後
 従兄Cが自宅からこの駅前まで来るのには10分~15分程度掛かると判断。悪い予想が当たっていたら大変なので、待っている間に今日来てくれた親戚へ電話を掛ける。
 ◎叔母
  普通に考えて、今は電車の中。
  それに携帯の電話番号を知らなかったからパス。
 ◎従姉A
  「今日はご苦労様でした。明日は病院に行って付き添いをするからね。」
   (私が、病院から呼び出されたことを言うと)
  「えっ!急にどうなっちゃったの?ゴメンナサイ、おばあちゃんの面倒を
   見てくれる人が居ないから、今日は行けないのよ。
    ⇒明日来てくださると言っていたので、とりあえず連絡だけは入れておこうと
     思って電話をしたと言うことと、来られない事情は判っているので気にしないで
     下さいと言って電話を切った(と思う)。
 ◎従兄B[奥さんが電話に出て来た]
  「お疲れ様でした。おばさんの容子はどうですか?今、お父さんは作業小屋の方に
  行っているから、携帯の方に電話すれば出ますよ。」
  (掛け直していられないので、病院から呼び出されたことを伝えると)
  「えっ・・・直ぐ、お父さんに話しに行きますから。」
    ⇒もしかしたら大した事ではないかもしれないけれど、私はこれから病院へ
     向かう事を伝えて電話を切る。


・午後6時50分
 従兄Cから「今から、駅に向かう。10分程度で着く。近くまで来たら又電話を入れる。」との連絡が入る。
 スイマセンがこれを聞いて心の中で『何やってるんだよ!(ピィ~)』と思ってしまいました。冷静に考えれば、携帯電話に連絡を入れたのだから自宅に居たとは限りませんし、農作業で汚れた服を着替えたりと色々とあるのだから、15分経過での自宅出発は頑張ってくれた方なのだと思います。


・午後7時00分 ~10分経過してるよ~
 駅前のロータリーは送迎バスや送迎の車でごった返していますが、駅に至る道は空いています(見渡せる範囲内では)。どこかで見たような車[乗用車で来るのか、軽トラで来るのか不明なので]が到着する度に、私の姿が確認できるように近寄りますが・・・別の方を送迎するための車です。


・午後7時20分頃
 やっと電話が来ました。
 ロータリーでの待ち合わせ場所を確認。
 「あと数分で着く」と言っていましたが・・・到着したのは7時35分


・午後7時50分
 従兄Cは裏道を使って走ったので、乗ってから病院へ着くまでに要した時間は信じられないほど短かったです。
 救急の受付前に居る警備員に事情を話して、入館手続きをせずに病棟へ上がり、ナース詰め所に声を掛けると「いま、お母様は病室に戻られていますから、そのまま病室へ入ってください」と、こちらの期待もあったと思いますが明るい声で看護師が教えてくれた。そこで、従兄Cと二人で病室に入ると、母は酸素マスクをしているけれど規則正しい呼吸(モニターを見ると)をして寝ています。『な~んだ。処置が上手く行って、大丈夫なんだ』と安堵していると、別の看護師が・・・「お母様の状態が急に悪化しましたので、お電話を入れました。(ナンタラ カンタラ)。今、先生をお呼びしていますのでお待ち下さい」との説明に来る。


・午後8時00分ごろ
 主治医から脳死の宣告。
  ⇒正確には、「ただ今、脳CT画像データを脳の専門の先生に見てもらい、
   脳死かどうかの判断をしてもらうように依頼しています。
   しかし、瞳孔の反応が無いので、脳死だと考えてください。」
 意外にも『このやぶ医者!』とは、思わなかった。寧ろ、医師も言っていましたが『このままユックリと何も感じることなく死んでいくんだ。心臓が止まるのを待っているだけなんだ。やっぱりあの時が最後の別れだったんでね』と納得していた。

今日も遅くなってしまったので(ただ今、勤務先)、ここで一旦終わりにします。

ご無事でしょうか?

2013-04-08 12:54:52 | 日記
先週の土曜日から今週月曜日にかけて日本列島を吹き荒れている暴風および雨。
皆様はご無事だったでしょうか?

わがボロ家はどうにか無事でしたが、降雨が土曜日の夕方~夜半だったため、暴風による砂埃が家の中に入ってきてしまいました。
次の日曜日には四十九日の法事で親戚がこのポロ家に集まるので、何も無ければ2日間掛けて大掃除を行う心算でしたが・・・「どう致しましょう」状態です。

母死亡の経緯 その6-やっと終わった「治療中」

2013-03-27 08:02:10 | 日記
唐突ですが、母の死亡原因は「脳幹梗塞」です。
それを踏まえて前後の記載内容を読み返すと、母の反応が緩慢となっていったのは、果たして「薬が効いている」からなのかが疑わしく思えるのではないでしょうか?

・ ~午後5時頃
 午後4時過ぎに治療室で母との面会をし、医師から「治療は終了しました。病棟へ上げる準備が出来るまでロビーで待っててください。」と言われて待っていたが、一向に声がかからない。
 さすがに1時間近く待たされると何か聞き違いがあったのかと心配になる。従姉Bも「待っていてねと言ってたわよね。19時までは家に帰らないと」と時間を気に出した。
 午後5時ごろ、私には見慣れている「入院のご案内」と書かれた冊子を持って看護師がロビーで待つ私に入院手続きの説明をしに来る。一連の説明が終了すると、「先に◎◎階(救急病棟)で上がり、エレベーター横にある談話ルームで待っていてください」との案内。
 やっと病棟へ行くのだと思い、3名で言われた談話ルームへ移動。直ぐにでも母が上がってくるのかと思ったら、ここでも10分程度待たされる。


・午後5時25分ごろ
 母が病棟に到着するが、私達はそのまま待たされ状態。
 病棟看護師の案内で病棟の廊下を4分の3周してICU室へ。
 母と会話をするが、午後4時に面会した時に比べて更に反応が鈍い。この時も私たちは軽く考えており、例えば、叔母は処置室内で自分だけが聞いた「腰が痛い」と言う訴えをしていないから、母に「薬が効いて眠いの?」と声を掛けておりました。
 私が発見してから12時間半近くが経過し、この病院での治療時間も9時間を要していますから、余り長く喋っても母の負担となりますので、早々に帰ることにいたしました。
 帰りしな、他の親戚に話すために病室の番号をみると「315号室」。既に書いた事ですが、ふと浮かんだ語呂合わせが『サイゴ』。嫌な予感はしましたよ。


・午後6時00分
 3人で乗った路線バスはターミナル駅に到着。
 駅から徒歩5分の場所に住む従姉Bは、別れ際、私が病院から渡された「毛布」と「バスタオル」(共に自宅からの搬送時に体をくるむために使用したやつです)を「洗濯して、乾いたら病室に持って行っとく」と言って持っていてくれた上、「明日からは私が看護に行くから、アナタは家で休んでいなさい。」とも言ってくれた。
 叔母は、何時もであれば「一緒晩御飯でも?」と誘ってくれるのですが、今日は「息子達に何も言わずに出てきたので、おかずを買って帰る」と言って、東武デパートへ。
 急にひとりとなってしまった私は、乗車券を買うために駅コンコースの向かい側にあるJR券売機へ。


・午後6時30分
 電車が自宅の最寄駅に到着したので電車を降りると、それを待っていたかのように携帯電話が突然なる。
 ディスプレーに表示された電話番号は知らない番号だけど、一応、出て見る事にした。

母死亡の経緯 その5-どこまで続く治療中

2013-03-26 20:54:57 | 日記
今回の文章の時系列は2月22日の午後です。

・午後0時~午後1時30分ごろまで
 駆けつけてくれた叔母との昼食を済ませた後、特に何もやれる事はないので二人で雑談。
 この頃になると病院からの説明[注1]や、叔母が横に居る事から、私も大分落ち着きを取り戻しており、改めて叔母に発見の顛末を説明すると、叔母曰く「何で一人でお風呂なんか入っちゃったのかね~。お母さんが勝手な事をしたためなんだから、◎◎チャンは悪くないのよ。」
 他には・・・病名は忘れましたが叔母が20年ほど前に「一時的な記憶喪失」[注2]に複数回なった話をしておりました。
[注1]
 そうそう!叔母と二人だけのこの時間中にも医師からの説明がありました
  ・これから整形外科を呼んで、左足の脛の傷の処置を検討する
  ・どこまで治療を行うのかと、延命措置は行うのかを決めておくように
  ・ここはご承知のように救急患者の受け入れ病院なので、状態が安定するまでしか
  入院できない。
  ・ここでの入院期間が終了したら、継続治療を受けるためにどこかの病院へ
  転院してもらいます。主治医としては自宅に戻す事はできませんので、今から
  考えて於いてください。
   ⇒これは、これまでも医師のいうことを聞かなかったという
    前歴も災いしております。
[注2]
 最初の発症の時には、出かける準備をしているのに、どこに出かけるのかが判らない状態になってしまい、玄関先で座っていたそうです。そのとき、偶々、近所の方が尋ねてきて声を掛けた所、「私、出かけなくちゃいけないの」「だからゴメンナサイ」「ところで私、どこに行こうとしているのかしら」をひたすら繰り返していたので、異常に気づき、家族が戻って来るまで付き添ってくれた上、翌日は病院へ行く際にも同行してくれて経緯を話してくれたそうです。医師もそこまで詳しい話が聞けたおかげで診断が楽だったとの事です。


・午後1時30分ごろだったと思うけど・・・
 処置室から医師が出てきて、症状が安定したので面会してもよいといわれた。
 処置室内の母は意識は明瞭だが多少言語不明状態なので、最初は何と言っているのかわからなかったが、「トイレ入っている?」と言っていることが判った。暫らくその意味を考えていたら、尿バック(カテーテル)が入っているのかということだと気づき、私が『おしっこの管だったらはいっているよ』と答えると、「そう。だったらいい」と返事。
 何で呼び出されたのか思い出せないけれど、私だけが呼び出されて処置室から外に出ていた間に、母は腰が痛いからどうにかして欲しいと叔母に話し、それを聞いていた看護師が腰の辺りに折りたたんで敷いていたタオルを外したとの事。又、痛がると言うことはよい兆候だと医師にいわれたとも言っていた。
 外に呼び出された要件を済ませて再び処置室に戻って1分もしないうちに、モニターを見ていた看護師が医師を探しに行き、面会は一旦終了。


・午後2時ごろ
 院内をぐるっと回りこんで救急受付窓口に来た女性を見て叔母が「あらっ?」と言うので私も叔母の視線の先を見ると・・・どこかで見たような感じ・・・私も叔母も気を使って連絡をしていなかった従姉B(私から見て)です。
 私が朝8時の段階で「浴槽の中で血を流して倒れていた」「体温が危険な状態で、いつ心臓が止まっても可笑しくない」と叔母に話した為、叔母が従兄Aに「××チャン(中略)来れるようになったら直ぐにいらっしゃい」と電話をし、それを受けた従兄Aから従姉Bに「お~い、△△姉ちゃん[注3]が(以下 略)」と電話が入ったので、従姉Bは自宅で介護している母親の見守りをする人(要は留守番)をどうにか探し出して、今、駆けつけてくれたのである。
 早速、現在までの状況を話すと・・・「絶対に家に引き取っちゃダメよ。とにかく療養型施設を見つけないと、あなたの方が先に可笑しくなるからね」と、甘い考えをしないように釘を刺されてしまった。
[注3]
 母より15歳程度年下の従兄Aや従姉Bは、母の事を「伯母さん」とは呼ばずに
「姉ちゃん」「姉さん」と呼んでいる。


・午後2時30分ごろ
 整形外科の医師からの呼び出しで、別室で治療の説明を受ける[これまでは、ロビーの長いすに座った状態できいていたのに]。
 説明の内容は
  ・整形外科とは、怪我などで生じた変形を治療する科です。
  ・[私に1枚目の写真をみせて]
   皮が剥けてから大分時間が経過しており、且つ、大きく剥けている。
  この為、むけた皮の先端部分(△の突端部分)は血液が流れておらず、
  壊死が始まっている。
  ・老人なので皮が薄く、もう少し深かく抉れていたら筋肉や神経を切って
  しまい、それだけで歩行は無理な状態になる所だった。
    ⇒私は中学生の時にカマイタチで右足の脛がパックリ切れたことがあり、
    その時に脂肪層や筋肉と骨らしき白い物を見たことを話したら、医師の
    雰囲気がよくなった気がした。
  ・[私に2枚目の写真を見せて]
   縫合は難しかったが、このように縫合した。
   荒く縫合している理由は***です(説明内容を忘れました)。
  ・皮膚がくっ付くかどうかは、3日から1週間程度で判ります。
   もし、皮膚が壊死した場合には皮膚移植を行います。
  ・現在、循環器の先生と相談して抗生物質を投与しておりますが、
  既に感染症が発生しているので、化膿する可能性があります。
 この説明を聞いて疑問だったのは、朝見つけたときに白い突起物らしき物が見えたが、2枚の写真を見る限り骨折している箇所は見当たらないと言う点。そこで母の左大たい骨骨折を治療したのはこの病院の整形外科だったので『足は骨折していないのでしょうか?発見した時には白い突起物が見えたので、開放性骨折をしているのかと思いましたが』と尋ねると、骨折はしていないとの明確な返事が帰って来た。
 

・午後2時45分ごろ
 整形外科の医師からの説明が終わり、ロビーに戻ると従兄A夫婦が到着していた。
 従兄Aは元警察関係の人間なので、私が喋ったこれのでの経緯を聞き終わると、私が直ぐに救急コールした上に、日ごろの母の生活の様子から推測する自己の経緯説明が出来ているから、消防も病院も警察に通報しなかったのだと教えてくれた。その後、大怪我をした家族を見つけてパニックになってしまい変な行動をしたために警察が調べに来た事例[注4]などを話してくれ、「とにかく、救急車を呼ぶことが、あらぬ疑いを避ける」とも教えてくれた。
 確かこの時、従兄Aに「一旦、家に戻って待っていたらどうだ」と言われたけれど、電車とバスで片道1時間強を要するので、家に戻って入院の準備を直ぐに済ませたとしても、単純に考えて往復3時間以上[従兄は車で来ていたのに、この時だけは送ってくれるとは言わなかった]。なぜなのか、入院の準備をする必要は無いと考えて、その提案には乗らない事にした。


・前後から考えて午後4時には、なっていなかった筈
 処置室から循環器科の医師が出て来て、別室にて治療内容の説明をするから来て下さいとのこと。
 先程の整形外科の時には私一人だけで聞いたので、今回も私だけの心算でいたら、少し間をおいて、叔母や従兄達が付いて来ていた。そんな事に気づかなかったので、医師と二人だけで部屋に入り説明を開始すると、看護師が扉を開けて叔母達を案内。
 医師は、デスク上に病状やそれに対する治療方法、そしてその治療に伴うリスクが書かれたA4用紙を置いて、改めて私達に説明開始。
 これまでにも入院するたびに医師からのリスク説明は効いてきたけれど、今回は「心臓は大分弱っているので強心剤は効かないから、延命治療は出来ません」と書いてある部分の説明に漠然とでは有るけれど、何時もとは違うことは感じ取れた。
 一方で、理由不明ながら、血栓が飛ぶリスクや内臓全般の感染症に関する説明には危機感を感じていなかったのも事実。


・午後4時00分前後
 用事があるので従兄A夫婦は帰ることになり「夫々に家庭の事情もあるだろうから帰るのであれば序に途中まで送ろうか?」と叔母と従姉Bを誘ったが、二人は残ってくれた。
 従兄A夫婦が帰ってからそれほど経たない時刻に、再び母との面会が出来た。薬が効いているのか、先程より意識が朦朧としている。
 「これから病棟に上げますから」と言われ、面会時間は今回も数分程度で終わる。
 この後、午後5時までロビーで待つことになる。


時間も遅いので、今日はここまでにします。

母死亡の経緯 その4-治療開始

2013-03-21 12:00:01 | 日記
いまだ22日の朝の時点です。

・午前8時00分頃
 医師から第1回目の説明がある。
 「普通の方法では体温が測れなかった。直腸温度で27℃と言う非常に危険な状態です。どれほど危険な状態なのかといいますと、いつ心臓が止まっても可笑しくなく、仮に心臓が止まったら蘇生は出来ません。現在、体温を上げて行く処置をしておりますが、急減に体温を上昇させる事はできないので、その処置だけで3時間から6時間は必要です。」
 頭の中では何を根拠としてなのか『それは正しい行為だ』と判断したので、ユックリと体温を上昇させるという処置は納得できていた。
  ⇒後日、落ち着いて考えたら、吹雪の中での遭難者に対する救命方法として三浦綾子先生のエッセイで読んだ事を思い出した。


・午前8時10分頃
 医師の説明を聞いて、受付横にある公衆電話機を使って何箇所かに電話を入れ始める。この辺りから、何かにつけてへんなことを考え始めていた[注]ので、どこかで母の死を感じていたのだと思う。
 1 後で来てくれると言っている従兄弟(農家)
  別の病院へ転送された事と、体温を戻すための治療で最大6時間必要である事を伝える。
  「そっちにいこうか?」と言ってくれたが、来て貰っても何か出来る訳ではないし、畑仕事に支障を来たしてしまったら悪いので、状況が変わったら又電話するので来てもらうことは遠慮してもらった。
 2 社長[携帯]
  改めて状況を話し、本日は休む事と、本日中に行わなければならない仕事などがあることを伝える。
  社長が携帯電話から発信していない事を訝っていたので、現在貸与されている携帯電話は電池の消耗が激しいので受信専用にしたい事を伝える。
 3 会社の同僚
  昨年10月から入った同僚の携帯へ電話。留守電になっていたので、『本日は休む。詳しい事は後で電話を入れるけれど、概要は社長から話を聞くように』とのメッセージを残す。
 4 叔母
  父の時の様に誰も死に目に会えなかったら嫌なので、最も動き易い叔母へ母が救急搬送された事を話す。
  何から話そうかと考えた結果、『先ず、お母さんは生きています。意識もあります。』と切り出し、朝5時に浴槽の中で血を流して倒れていた事や、体温が危険領域でいつ死んでも可笑しくない事と、体温を徐々に上げていく処置に6時間は掛かるかもしれない事を伝える。


・午前8時40分頃 だったかな~
 叔母への電話が終わりかけた頃に、循環器科の医師がロビーで私を探している。叔母には医師が呼んでいるから電話を切る旨を述べて、医師の元へ。
 医師の用事は「私が発見した経緯説明」(既にプログに書いているのでここでは省略)。私の説明を聞くと「ストーリーとしては合っていますね。状態から考えて、それに似た事が起こったのだと思います」とのコメント。又、貧血状態等に対する治療として「輸血」を行う事の承諾を求められる。
  ⇒後ほど、看護師が承諾書を持ってきて、サインした。

 
・午前9時00分頃
 時間的に丁度よさそうなので、再び電話を掛ける
 1 ケアマネージャー
  事務所の場所と担当者が替わった事だけは知っていたので、ダメモトで名刺フォルダーから取り出した名刺に印刷されている電話番号へ。
  電話番号は合っており、出てくれた方が偶然にも前担当者[話した内容は同じなので割愛]。
  明日にでも改めて私から電話を入れると約束する。
 2 同僚[会社の固定電話]
  本日の午後3時に某信用金庫の担当者が定時訪問で来社する。その際に行員へ渡す書類の在り処や手続きを依頼[過去に1回だけ横に座らせて見学させておいたので]。
 3 社長[会社の固定電話]
  この時点で私が考えていた最悪な状態(看護の為に数日の休暇)になった場合、月末の支払いが出来ないから、支払先[90%が材料購入先]へ『振込みが3月10日、手形の期日は延ばさないが、発送が3月5日ごろ』になる事を承認してもらうよう、しかるべき社員達から連絡して欲しいと頼む。
   ⇒責任を取りたくない役員がごねたおかげで・・・
    忌引きが取れなかった事は既に書きましたね。
    今思い出してもムカムカする。


・午前9時20分~30分
 院内のコンビニが開店しているハズと思い、救急受付に『上のコンビニへ行って食事をしてきます。30分以内で戻る心算です』と声を掛けると、職員は「少し待ってくださいね」と言い置いて処置室の中へ。
 処置室から出て来た職員からOKとの返事が帰って来たので、コンビニで朝食。
 早々と食事を済ませ、戻った旨を救急受付に申し出る。


・午前10時00分ごろから
 叔母がこの病院まで来るのに必要な時間は2時間程度なので、駅からのバスが到着したり、タクシーが救急の入り口に止まるたびに、降りてくる人を見に表へ出る。
 ロビーの長いすに座って、コンビニで買ってきたマンガ雑誌を読んでいるだけなのに、やけに喉が乾くので・・・叔母が来るまでに救急入り口の脇に設置されている自販機で500mlのペットボトルを5本も購入する事となる。
 血液センターから何度か血液が搬入される。通常の搬入だと思いたいが、母のために使う分が届いたのであれば、何本の血液パックを使っているのか心配に感じる。


・時間不明だけど午前11時よりは前
 医師から「感染症(泌尿器、内臓)に罹っているので、抗生物質の点滴を行う。心臓が弱っているので、何が起こるのかは予断が許さない」との3度目の説明。
 毎回、説明に来る医師が異なるので、母の状態がどのようになっているのかが判らない。そこでこのときに、『母の体温が危険なほど低いので徐々に上げていく処置をしていると8時ごろに聞きましたが、状況はどうなっておりますか』を尋ねたところ、「既に34度まであがっています」と当たり前のように言われてしまった。口調から34度と言うことは危険領域から脱しているのだと勝手に解釈したが、後刻、それは正しいと言うことをおそわる。
 

・午前12時近く
 叔母が到着。私からの電話を切った後に背中の筋を痛めてしまい、ここに来るのが遅くなったとの事。来て下さったことだけでうれしいし、心強い。
 私は、電話をした後の情報を伝える。
 叔母が駅前で海苔巻きを買ってきてくれたので、二人で昼食。
 

今日は取り敢えずここまでにします。


[注]
先ず、入院した時の準備の一環として、何故か『衣服の用意』を思いつく。
 ⇒死亡となるのであれば別だけど、退院時までに持って来れば良いのだから、
  この時点では不要。
次に、六曜を携帯のカレンダーで確認したら、翌日(土曜日)は『友引』。葬儀には不向きというか・・・忌避方法は聞き知っているが、常識レベルで六曜を気にする方はこの日に葬儀は絶対に避ける。
他にも、後の方で書きますが、病室の番号が「315」なので、語呂合わせで「サイゴ」と読んでしまった。
  

母死亡の経緯 その3-とにかく搬送

2013-03-19 20:45:21 | 日記
2月22日の午前5時30分頃から話しは続きます。

・午前5時30分頃
 狭い救急車の中では隊員A(主にモニターの数値や母の意識レベル等を確認)、隊員B(受け入れ先を携帯で探している)、隊員C(私から状況等を聞きだしている)の3名が頑張ってくれておりました[三山救急隊の皆様ありがとう御座います]。
 母は隊員Aの問い掛けに対して返事を返していますが、声が小さくて聞き取れません。でも「右手を開いて」「左手の手のひらをグーにして」と言う指示には明確に反応を返しており、意識レベルは高い方に評価されていたとおもいます。しかし、体温計は「L」と表示されたままで数値表示ができないので、疑問符を頭に浮かべていました。
 私が病院名を言ったのが先だったのか?それとも緊急通報システムにより既に情報が渡されていたのか?或いは状態から判断してなのか?隊員Bは一番最初に母の掛かり付け病院へコール[要求により隊員Cを通じて診察券を渡しました]・・・しかし、あいにくドクターカー出動により治療を担当できる医師が不在。次にかけた先は少し山間部にある病院・・・ここも何か有ってダメ。複数の病状があるために幾つもの病院で断られてしまいましたが、1件だけ10分後に再コールする約束の病院に希望を託してコール・・・ダメです。事ここに至り、私に対して『取り敢えず「外科」による治療受け入れで当たります。それでいいですね』と念押し。やっと最寄駅近くの第1次救急病院が受け入れを受諾。
 この間、隊員Cは母の氏名、生年月日、病歴、発見までの経緯を私からヒヤリング。途中で従兄弟が乗り込み、私の横で状況を静観[甥っ子とは言え、余り口出しは出来ないもんね]。従兄弟は病院が決まると救急車を降りて『後から行くから』言ってくれた。
 

・午前6時ごろ
 救急病院へ到着。
 救急車から降り、母を載せたストレッチャーの後に付いて行き、処置室へ。隊員が処置室に備え付けて計量計でストレッチャーごと母の体重を量ると20kg台であることことから。計測間違いを疑っていたが、母の体重はその程度。医師も別におかしくないと言ってくれた。
 医師から母の飲んでいる薬又はお薬手帳を聞かれ、ふと手にしている袋を見ると・・・湿布薬である事に気づいた!そういえば、この袋を手にしたときに『何時もとは違う場所になんで薬を入れているビニール袋が有るんだろう』とおもったよな~と後悔しながら、『心臓の大動脈弁を15年前の平成10年に置換したので「ワッファリン」か「バファリン」を飲んでいます』と答える。袋の中に何か紙があるので、一応取り出すと、偶然にも循環器科から処方された薬のリスト表だったので、医師にそれを渡す。
 一応、私からのヒヤリングが済んだのか?私は看護師の指示で、処置室から出て廊下の長椅子で待つ事に。待っている間に持ってきた母のバッグを漁るとお薬手帳が底の方に入っていた。今更だが、又尋ねられた時のために、お薬手帳はバッグから出しておく。


・午前6時30分ごろ
 CT撮影等の為に母が処置室から出てくる。
 思う所があり、場所を移動して社長に連絡。
 処置室前の長椅子に戻ると、別の看護師が私に入院のための書類を渡すので、この病院で治療が続くのだと思うと、根拠も無いが一安心。このとき、健康保険証と、お薬手帳を看護師に渡す。


・午前7時 一寸前
 母は既に処置室に戻っている。看護師が処置室に来るように私を呼ぶので、処置室の中に入り、医師の説明を聞く。
 医師は開口一番、「今、検査結果が順次上がってきていますが、血液検査の結果は極度の貧血状態です。息子さんからお聞きした話から考えて、この貧血は今回の足からの出血による物ではなく、かなり前からの症状と考えられます。他にも心臓が弱っておりますから、ハッキリ言ってお母様は今すぐに死んでも可笑しくない状態となっております。そのような方の治療をする病院は第3次救急病院であり、ここは第1次救急病院なので、急変する可能性の高い患者さんを看護する体制が整っておりません。ここでは治療を続ける事はできません。」との説明。これを聞いて私は茫然自失です。
 続けて医師は「そこで、お母様は第3次救急病院は継続治療を受けていますので、そちらと話したところ受け入れてくれる事となりました。転送しますがよろしいですね」と説明。それに対して拒否も出来ないので承諾の意思表示。この時、母は危篤状態だというのに内心は『やった!あっちで治療してもらった方が助かるぞ』と根拠も無い安堵感を覚えました。
 そこで再び私は治療室から長椅子へ。


・午前7時 一寸過ぎ
 看護師が先程渡した保険証とお薬手帳を返してくるのと同時に、会計に持って行く書類を私に渡し、会計が済んだら声を掛けて欲しいといって、処置室の中に消えていく。
 会計に書類を出して治療費を精算して長椅子に戻ると、こちらが声を掛ける前に処置室から看護師が出てきて「救急車が到着しましたので、荷物を纏めて中に入ってきてください」との事。


・午前7時20分ごろ
 再び救急車に乗って、通いなれた病院を目指す。先程の病院の医師(別の方)も同乗。救急車の中で母は救急隊員からの問いかけに対して反応しているが、体力がなくなっているのか?それとも先程受けた何らかの治療が効いており意識がぼやけているのか?何か喋っているけれど聞き取れない。
 朝の通勤で道が混んでいるのもあるけれど・・・他の車両は路肩に避けて通してくれるのに、救急車の前をチンタラチンタラと1キロに亙って走り続けている車に対しては、当初は強い怒りを感じたが、他の車が路肩に避けているために、避けるためのスペースが無かったのだと気づいたら、逆に悪い事をしてしまったような気がしてきた。


・午前8時 一寸前
 第3次救急病院へ到着。
 隊員の案内で、救急受付窓口へ行き、健康保険証と診察券を提出して、ロビーの長椅子で待機。
 日中であれば20分程度の道のりを、その倍の約40分を掛けての搬送となった。道路の混雑具合から考えれば早く着いた方だけど、再び先程のチンタラチンタラ自動車に対して不満が湧いてきてしまった。

母死亡の経緯 その2-事故?

2013-03-13 07:45:08 | 日記
私のことだから、途中で途切れてしまう可能性が大。

そこで、一寸わき道へ
母が死亡する原因となった諸々の症状が起きた原因。或いは夜間に何があったのか?の推測を書きます。

今後の書き込みでは以下に書く事柄は省く心算ですが、救急隊員や医師から何度も同じ事を尋ねられました。今思うと、私が疑われていた(事件性アリ)のだと思います。

 1 当人は早朝に入浴することはあるのか(早朝の入浴が慣習となっているのか)?
  これはNoです。
  足が冷たいと眠れないと言って、就寝直前に入浴は行います。

 2 発見までの経緯は?発見まで何時間?何時間浴槽に浸かっていた?
  ・前回書きましたように、木曜日の深夜(ホボ金曜日の午前0時)に帰宅⇒私は別棟で就寝⇒(朝4時に起床し母屋へ。部屋の異常に気づかずにうたた寝)⇒5時に浴室で発見
  ・発見までに5時間。
  ・よって、入浴時間は最大で5時間。
   但し、早朝入浴の習慣が無く、食事の用意(茶碗・お箸・おかず)がなされていたことから、4時間が濃厚。

 3 日常、一人でトイレや入浴が出来ていたのか?
  これはYesです。
  但し、今になって思い出しましたが、入浴中に立ち上がる事ができなくなり、私を呼んだことが・・・ここ1年間に確か1回~2回程度。

 4 左足の脛の傷は?
  脛の傷は私もどうして出来たのかが理解不能。
  皮膚の剥がれ方が△(ヒザ側が頂点で、脛側が底辺。底辺だけが足とつながっている)である事から考えて、足を上げたときに何かに引っかかり、皮膚が剥がれたと思われるのですが・・・浴槽内で引っかかる物といえば、丸い「給排水口(1穴タイプ)」。もしこの給排水口に左の足を引っ掛けたとすると・・・『母は洗い場を背にして浴槽の左端中央付近に立ち、手を浴槽のヘリに着いて、前かがみ(若しくは後ろ支え)の格好で風呂から出るために左足を上げた』という不自然な格好とか思いつきません。
   ⇒足腰が弱い事から後ろ向きで浴槽から出るとした場合、浴槽の
   ヘリ(洗い場側)に手を着き、一方の足を浴槽内に残して、他方の
   足を曲げてることになる。この状態で足を滑らして浴槽に落ちた
   場合、おでこを浴槽(壁側)のヘリか壁にぶつけてしまいます。
 最近思い出しましたが、以前、部屋の中で転んだ拍子にテレビ台等の角にぶつかり左足の脛の皮を広範囲で剥がれたといっておりました。多分、その傷が未だ治っていなかったのではないかと言うのが正解?
  追記:3月20日にヘルパーさん2名(現在の担当者と以前の担当者)が、
   焼香の為に我が家に来てくれた。その時に「足の傷はカサブタになって
   大分治って来ている」と母が言っていたと話してくれました。

以上のことなどから、次のような段階を踏んだと考えるとストーリーに齟齬が生じない??

第1段階
 0時10分頃、私が別棟で就寝。
 母は私の話しを無視して台所で食事の用意。
  ⇒何時もの事です。

第2段階
 0時20分頃、食事の用意を済ませた母が、何時ものように、ほうきの柄で別棟の壁を叩いて起こそうとしますが、幾ら叩いても私が起きて来ないので落胆(もしかすると、体がふらついてしまい、叩くこと自体が出来なかったかも)。
 寒いので入浴をするが、風呂から上がろうとした際に貧血か何かで浴槽内で転ぶ。
   ⇒治療の後半で「腰が痛い」と言っていた事からの推測
 その際、給排水口か浴槽の筐体にカサブタ状態或いは微量に出血状態であった脛の傷口を引っ掛ける。

第3段階
 足掻いたかどうかは判らないが、浴槽のフタによっかかり、溺れる危険を避けながら私を待ち続ける。
 この間に給湯器のスイッチをいじっていたかどうかは不明だが、『保温』『足し湯』『温め直し』は行って居なかったと思われる。この為、「出血多量」「低体温」へと進み始める。

第4段階
 4時00分頃、私が母屋に来た事に気付いたのかは不明だけど、給湯器のスイッチをいじる。
 私はその行為を気に留めてなかったので、「出血多量」が更に進む。

第5段階
 5時00分頃、私が発見して、浴槽から出して洗い場に座らせる。
 「出血多量」の状態の方は程度が進んだかどうかはわからないが、ある事情から窓は常に少し開けた状態のままであり、私は窓を閉めるという単純な行為さえできなかったので「低体温」が更に進み、救急車の体温計でも体温が測れない状態となる。

第6段階
 5時20分頃、救急隊員により簡易止血が行われ、体温の低下も止まる。

母死亡の経緯 その1「発見」

2013-03-08 17:48:51 | 日記
話しは2月21日(木)から始まります。

21日(木)
 会社の福利厚生として公会堂で2ヶ月毎に開催される「落語会」を聞きに言ったのがソモソモの間違い(因みに、落語会を聞きに行ったのは、私、社長、常務、お客様の4名)。
 私の予想通りに落語会は21時に終了。社長が気を利かせて「帰らなくても大丈夫か?」と尋ねるので、一瞬考えたけれど『今日は遅くなるから、先に寝ていてね』と言って出て来たので、そのまま「お食事会」へ。
 日付が変わる直前に帰宅すると、私を待ち疲れた母が居間で、うたた寝中。私が帰って来たことに気づくと食事の用意を始めようとするから、『もう遅いから、食べずに寝る。お母さんもすぐに寝てね。本当に寝てしまうから、決して一人でお風呂に入っちゃダメだよ』と言い置いて、自室(別棟)へ。


22日(金)
・午前4時

 目覚ましが鳴ったので、何時ものように起きて母屋へ
 今になればどうして気づかなかったのかが不思議ですが、「居間の電気が点いている」「テレビが昨夜と同じチャンネルで点いている」「ストーブが点いている」「朝食の用意(茶碗とおはし)」といった、何時もとは異なる状態。でも、給湯器のスイッチを入れた旨のメッセージが流れたので『気を利かせて、朝食の準備(汁物)を作っているんだ』と思い込んで・・・ついウトウトしてしまいました。


・午前5時
 ふと気づくと、時計は5時を少し回っています。母屋の様子は4時と変化ナシ。相変わらず給湯器のスイッチを操作しているアナウンスに、寝ぼけめの頭でも『異常』だという事に気づく。
 『もしや』と思い、お風呂場を開けると・・・上半身を浴槽のふたに預けた状態で母が浴槽でぐったりとしている!そして浴槽の中はドス黒!
 スイッチを押しているのだから死亡してはいないだろうとのかすかな望みを持ちながらも、『脳梗塞や脳溢血だったら揺り動かしてはダメ』と言う刷り込まれた注意事項を思い出して声をかると反応あり。
 その後の行動が正しかったのかは私には判りませんが・・・母を浴槽から出して、洗い場のスノコの上に座らせ、バスタオルで体を包む。だけれど、体を支える事ができずに左側(浴槽の逆側)へ倒れてしまう。急いで助け起こし、バケツをひっくり返して体の左側に持っていくと・・・どうにか体を支えているようなので、「緊急コールボタン」でコールセンターを呼び出す。コールセンターと話している途中に母は再び左側に倒れて・・・会話を終了させたらすぐに助けお越しに風呂場へ。
 救急車が来る前に先ずは自分が着替え、持って行くべき物(財布、診察券、後期高齢者の保険証、障害者手帳、お薬手帳、薬を入れているビニール袋)を用意
  ⇒動転していたのですね。準備した薬は湿布薬でした。
 ここでハタと思い至りました。母は高齢とは言え女性であり、裸の状態です。緊急時だとは言え、このままでは恥ずかしいのでは? そして家には私一人しか居ない。どうやって着替えさせようか? お向かいさんを叩き起こしてもいいのだけど・・・数件先に住んでいる従兄弟を頼る事。呼び鈴が無いので、玄関を有る程度強めに叩くと奥のほうからくぐもった声で返事が返ってくる。とにかく急いで来て欲しいし、母を浴槽から出した際に左足のすねに白い突起物が見えたから、骨折している?可能性も有るから、とにかく急かしたけれど・・・向こうも着替えとかがあるからすぐには起きれなかった(後日、当人達からの談)。
 救急車のサイレンも近づいているし、従兄弟も着替えたら着てくれるので、一旦家に戻って懐中電灯を手にして表通りへ。


・午前5時20分ごろ
 従兄弟もご近所も誰も出てこない中、救急隊員を誘導して自宅へ。
  ⇒以前、ご近所さん(お向かい)は寝巻のまま飛び出してきた
 浴室を見た隊員は、状況にビックリしたのか?緊急度が思ったより高かったのか?血まみれでスノコに横たわっている母を見て暫しフリーズ状態。
 隊員の一人が居間に敷いてある昼寝用布団から毛布を引っこ抜いて母を包み、急ぎ、救急車へ。
 隊員が困ったのは「外傷(左足脛の皮膚が剥離層まで剥離)」「低体温」「大量出血」「心臓病を持っている」の全てを受け入れてくれる救急病院を見つける作業。掛かりつけ病院は運悪く「ドクターカー出動」で無理。色々あって、「外傷」で受け入れ病院を探し当てたのは午前6時近く。

忌引きなのに~

2013-03-06 10:21:16 | 日記
会社の信用(注)を守るために葬儀が終わった翌日である2/26から出社しておりましたが、幾らなんでも色々な手続きが後回し状態なので、2/26の時点で3/5~6の2日間にわたり「忌引き」をすることを申し出た上、考えられる手続きは全て終わらせておいたのに・・・購買部門が1万円の振込を自腹で立替えるのが嫌だという理由で役員に泣きついて、何故かただ今会社に居ります。
振込の内容を確認したら、2週間後に必要な部材の購入代金前払い。相手は以前からスポット買いをして居る業者なので、既に在庫及び納期は確認済。
何でこんなことで役員から呼び出されなければならないのかと思うと不満が溜まってしまいます。

(注)
私が引き続き忌引きで休むと、月末の事務(最終承認など)が止まってしまう。
『月末付け振り出しの手形が約束の日に発送されない件と、振込みが数日延びる件を購入先等へ連絡するのは簡単だか、あらぬ噂が立つから・・・』と社長と役員が懇願するので。
でもね、過去に何度も販売先からは当たり前に「経理担当者が入院して・・・」「経理部長が自殺して・・・」と言う理由で支払日がズレる旨の申し出があり、私に相談も無く勝手に承諾の返事をする人たちなんですよね。
わが社って信用が無いのかな~。