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介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

やっと3食食べられるようになりました

2013-02-28 12:25:00 | 日記
母が救急で搬送されて、容態が急変して死亡した22日(金)から1昨日の26日(水)までの間、叔母や従兄弟が持ってきた色々な食べ物(海苔巻き、おにぎり、パン、お菓子、カステラなど)や、通夜振る舞い、精進落としの弁当を食べておりましたが、『自宅で独りだけの時はご飯が喉を通らない』と言う状態になってしまいました。

悲しいかな、泣いて居てもおなかは当たり前に空腹を訴えます。
無理してでも食べなければ死んでしまうと思い、私が好きな「お赤飯のおにぎり」等をコンビニで購入したり、から揚げを作ったりしたのですが・・・口に持っていこうとすると嗚咽が始まり食べることが出来ません。
ご飯物や揚げ物がいけないのかとおもい、以前利用していたパン屋でパンを買ってみましたが結果は同じ。
だから、26日には、出勤途中のバスの中で『岩窟王(モンテクリスト伯)の中で、「父親は餓死で死んだのではなく、息子が獄中で死んだ悲しみで死亡したんだよ」と言う下りが有ったけれど、今ならそれが真実に近い事が判るな~』と考えて居りました。

でも、どこかで心の整理が付いたのでしょうか?それとも、昨日書いた耳の違和感を治療するために耳鼻科から渡された薬【注】を飲まなければならないという別の理由があったせいなのか?
27日の夕食は、誰も居ない自宅で自作の「野菜炒めもどき」(大皿1枚)を食べることが出来、本日28日の朝食は多少寝坊した(とは言え、5時半起き)のでゆで卵を3個と頂いたカステラを数切れを食べたから、この状態が継続できれば1日3食食べられる精神状態に戻ったといえるのではないでしょうか?[平日の昼食は会社で食べています]。

【注】精神的ショックによる低音部難聴も考えられるが、メニエール症を何度も発症しているという既往歴から、メニエール症に対する薬と、耳の神経を修復するためのビタミンB12が処方されました

右耳が!

2013-02-27 08:27:15 | 日記
昨日
 午後8時過ぎから両耳に軽い閉塞感(トンネルに入った時などに起きる症状)を感じ、同9時には右耳は「キーン」といった耳鳴り状態。
 これで回転性の目眩を起こせば持病の「メニエール」と思いながら就寝。

本日
 朝起きたら、左耳は普通の感じに戻っているのですが、右耳は何か綿が詰められているかのような違和感(閉塞感)。


多分、一過性のものだと思うのですが・・・もし、一過性で無かったらどうしよう。

結局どうなったの!

2013-02-05 18:37:54 | 日記
前回で書いた介護用ベッドですが、母に話しがチグハグなので・・・一寸イラついています。
 1/29(火)
 帰宅後、ケアマネージャーとの話し合いがどうなったのかを母に聞いた所、「暫らくの間はこのままの料金で大丈夫」「担当医に証明書を書いてもらうから、そのままで使い続けられる」との返事。私は、母の誕生月までは『介護2』で利用できるので、『要支援2』となった後も継続して使うために医師の証明が必要なのだと勝手に解釈

 1/30(水)
 この日、母は整形外科の診察日。そこで、帰宅後に『昨日言っていた証明書は書いてもらったの?』と尋ねると、「ケアマネージャーが(病院へ直接)話して、書いてくれる」との返事。
 大丈夫なんだな~と安堵したら、「証明書を書いてもらってもベッドは返すから」との発言。昨日の説明と違うからどういうことなのか問いただすと、「ベッドは全額自己負担だから返す」と言う趣旨の話しに変わってしまいした。だったら、何のために医師の証明書が必要なのかと畳み掛けると、今度は「ベッドの借り賃を安くするため」との回答。矛盾していると突っ込んだら、「頭がパニックになってなんだか判らない」と逃げる始末。
 で、ケアマネージャーに尋ねようと思い、『Aさんは明日は出勤かな~』と独り言を言ったら、「ケアマネージャーは変わったから。名前は・・・忘れた」と言う始末。

 2/1(木)
 なんだか私も意地になってしまい、この日もベッドの事を尋ねる。すると、なんだかぶつくさ言っており良く聞き取れないのだが、「どこぞにベッドがあるから、それを借りてくれ」みたいなことを言っている。介護用ベッドではなく普通のベッドをレンタルしてほしいということなのか?思い当たることはあることはあるが、医師の証明書の正確な使い道が判らない。

正直『もう、どうにでもなれ!』と言う気分です。

母 認定更新

2013-01-28 08:21:29 | 日記
先週、母の介護保険の認定書類が届きました。
今度は「要支援2」
病院入院中に認定の面接を受けた前回が「要介護2」ですから、程度が2つ軽くなってしまいました。

「軽くなってしまいました」と書くと、『軽くなってよかったじゃないの。何がいけないの?』とお思いの方がいると思いますが、「要支援」と「要介護」では介護保険による介護サービスの単位が違うために受けることの出来るサービスのメニューが異なります。
明日、ケアマネージャーが我が家に来て、母と介護計画について話す予定ですが・・・先ず、転倒防止のためにレンタルしている介護用ベッドが全額自己負担となるので、返却することになるでしょう。
 ⇒居間及び寝室は、3方が「襖」「障子」なので、立ち上がったり、伝い歩きするための手すりは設置できない。ベッドやコタツテーブルがあるからどうにか立ち上がれるのに・・・これから1年間、母は畳の上に敷いた布団に倒れ込み、這ってトイレに行くことになる。

母が歩けなくなる

2013-01-22 07:51:10 | 日記
以前から「ふらつく」と言って、あまりで歩かなくなった母ですが、先週の3連休を境にして自力で立ちあがるのが困難となりました。
だからと言って、『ベッドで寝たきりで垂れ流し』と言うことは無く、私が会社に行っている日中は、トイレには這って行っております。しかし、お風呂は一人では無理。
で思うに、次のようなことが原因ではないかと?
 ・寝ている時間が増えたので、足の筋力が更に落ちた。
 ・寝ている時間が増えたので、腹筋が弱ってきた
  [施設の療法士が、父が前のめりになりやすい理由の1つとして斯様な説明【※】をしていた]
 ・寒さで筋肉が萎縮してしまい、自力で体を支えるだけの能力が発揮できない。

さて、こんな状態の母ですが、私がいない間にこんな無謀なことをしています。

15日(火)
 病院の診察日だからと言って、昨日降り積もった雪が大量に残る道を200メートル歩いてバスに乗ろうと、家を出る。
  ⇒私が朝3時から雪かきを行ったので、玄関から表通り近くまでは歩けたのですが、そこから先は無理でした。その上、前のめりに転んでしまい両膝を擦りむいています。
  ⇒勿論、私は病院へ行くことを止めましたが、「どうしても行く」というので、福祉タクシーを予約しました。でも、私が出かけた後にタクシーの到着が遅れるとの連絡が入ったらキャンセルしてしまいました。
  ⇒結局、母は近くに住む従兄夫婦の携帯へ何度もコールし(1時間近く行ったといっています)、どうにか捕まった従兄に送迎してもらう。

17日(木)
 デイサービスの日なので、いまだ雪の残る道を歩いて表通りまで行こうとする。
 ⇒玄関から出ることも出来ませんでした。施設送迎バスの運転手が背負ってくれたそうです。
   

【※】
療養士が父のリハビリを行いながら新人に説明(だいぶたってからの追記なので、最後の方は記憶がいい加減です)。
 ・腹筋が弱っているので、上体が支えられない。だから、体を前に倒す[後ろに倒れるのを無意識で避ける]。
 ・重心が前方に移るので、倒れないようにするために腰を屈める[お尻を後ろに突き出す]。
 ・最後にバランスを取るために、膝を屈める。
 ・だから、膝を伸ばしたり、腰を支えたりすると、前に倒れやすくなるからダメです。

他人事では無いな~

2013-01-08 13:38:26 | 日記
先ずは、プログをサボってしまったことをお詫び申し上げます[喪中だから新年の挨拶は自粛]。

いや~ ↓のニュースを読んでビックリ。
救急車、2軒隣の同姓別人宅に…通報者は死亡(読売新聞) - goo ニュース

今からウン10年前の私が子供の頃、氏名データの管理は1バイトのカタカナだと言うこともあり、私と同姓同名の方が町内に少なくとも2名居ました(以前書いたかもしれません)。
お一人は、これまでにも偶に出てきた「近くに住む遠縁の親戚」の方の父親。何度も郵便物や来客で間違われたのですが、2年前に物故。
もう一人の方はお会いした記憶が無いので、どうなっているのか不明。で、もしもこの方の漢字表記が私と同じであり、今も同じ町内に居住しているのであれば・・・私にもありえる話ですよね。

考えすぎ?

香典の後払い

2012-12-10 13:15:50 | 日記
相変わらず、父の葬儀の話が途切れたままですが・・・

四十九日の法要の際、ご住職は祭壇に区別して置いておいた「お布施」(協定により3万円)や「塔婆代」(1本5千円×11本)等を持っていきませんでした。
勿論、私が良く確認もせずに居たのがいけないのです。
そこで「どうしようか?」と悩んでいたら、翌日の月曜日、ご住職から自宅へ電話が入り、「お布施」等をどのような形で寺に届けるのかは檀家総代と相談して下さいとの依頼。
ご住職の方も他所での法要が詰まっていたために、祭壇に用意されていたのに受け取るのを忘れて事を後で気づいたそうです。

そこからが大変。
電話を受けた母はお寺の住所を知りませんし、持ち回り制の檀家総代の家の所在地も知りません(町内の方なので、名前は知っています)。勿論、私も。
で、檀家総代の住所を確認するために香典帳を開いて、住所を確認したのが火曜日の夜。

水曜日
 母は『檀家総代』の家へ赴き、相談する心算だったけれど、訪ねる家を間違ったと言うことで水曜日はそこで終了。

木曜日
 家に戻るとテーブルに解読困難な文字で書かれたメモが1枚あり、台所に居る母は「それが住所だから」との事。
※解読困難な例として
 フロ ⇒ 石   ロ- ⇒ 日
[実際には、『フロ』はフとロがくっ付いていますし、『ロ-』はロの真ん中から横棒が出ています]
母に確認したら「白石田1234」だと言うのですが、私が『白石田は何県何市なの』と尋ねると、10数秒間に亙り母はダンマリ。出てきた言葉は「当然、市内だと思うけれど」だったので、『だったら、住所は「市内白石田」で出すけれど』と言いながら、自宅にある電話帳及び郵便番号帳で寺の名前や地名の郵便番号を調べ、どちらにも載っていないことを示したら、市外であることをしぶしぶ納得。

金曜日
 改めて檀家総代に問い合わせ母の新たなメモには『白井市 白石田1234』(←白井市は実際に存在いたしますが、架空の住所です)

本日(12/10)
 郵便局で現金書留封筒を購入し、書き始めたら郵便番号を調べていなかった。一旦、会社に戻ってネットで検索したら・・・正しい住所は『白井市 タ1234』
 そうです、母は、電話先の檀家総代が「イロイシ タ 1234」と言っていたのを「シロ イシ タ 1234」と解釈したのです。

物がなくなっている

2012-12-10 08:10:02 | 日記
先週の四十九日法要の際、我が家へ20名以上の方が集まると言うことで、前々日の10月31日と前日の11月1日に叔母2名が居間及び玄関にある荷物等を箱に入れたりして片付けてくれたのですが・・・1週間かけてある程度以前の状態(物の配置)戻せたのですが玄関内に置いてあった幾つかの物が見当たりません。
見当たらない物は微々たる物ですが、父が使っていた「剪定ばさみ」2丁、釘入れ(目的別に)5個、母が入院する時などに持っていっていたスリッパ・サンダルが数足。

柄が壊れた「高切りバサミ」と、未使用の安い「剪定ばさみ」は、確かに私の一存で叔母に差し上げましたが・・・どこに仕舞ったのか?それともゴミの中に紛れてもしてしまったのか?

今回の教訓

法要の1週間前には玄関と居間だけは綺麗!

四十九日終了

2012-12-05 17:48:43 | 日記
遅々として進まない父の葬儀ネタ。
急に最近に飛んでしまいますが・・・昨日が四十九日。
実際には日曜日に四十九日の法要と納骨を執り行いましたが、それまでの間に母の考えが二転三転してチョット母が面倒な常態が発生しておりました。

◎先ずは発端となった「四十九日の法要を何日に執り行うのか?」
 告別式を終わらせて家に帰宅した際に私は『真面目にやると四十九日は火曜日になるけれど、その前の土曜日(12/1)か日曜日(12/2)に行うことは出来ないの?』と母に尋ねると、当たり前のように「一周忌や三回忌だったら前倒しできるけれど、四十九日の法要は絶対に変更できない」と諭される。
 そういう決まりがあるのであれば仕方ないと思っていたら、10/27(石屋の墓の相談をした日)になって突然「12月1日の土曜日に四十九日の法要を行うから」と母が言い出す。その後、いつの間にか「12月2日の日曜日」に変わってしまった。
◎だったら「お寺にお願いしないとね」
 法要&納骨日がコロコロ変わるので、確か11月4日(日)に私は『四十九日の法要を行う日をコロコロ変えるけれど、お寺と相談したの?前倒ししてもいいのかという事と、法要を行う日時をお寺と相談して決めておいてよ』と母に言って於いた筈なのですが・・・11月18日(日)になって母は「早くお寺と相談しないと・・・お坊さんも忙しいんだから、2日に法事が出来ないわよ」と言って、寺との交渉は私に任せているつもりになっていた。
 最終的には母が寺に電話をする事となり「2日の午後3時」に決定したのですが、電話をした際に「午後3時しか空いて居ない」と言われたことで、本人曰く「パニック状態」に突入。
◎そういえば「香典返しの品!」
 私としては早い段階から準備を開始する心算だったので、これも確か11月4日に『香典のお返しを送る人のリストと品物を決めないと』と母に相談したのですが・・・母は「ナニそれ?葬儀の来た人に渡しているから要らないのよ」と変な事を言う。
 別の日に同じ事を尋ねると「四十九日の法要に呼ぶ人にお土産を用意すればいいの。来ない人には葬儀の時に渡しているから二重で渡す必要は無いの」と言う返事。さすがに私は『可笑しいよ。「香典のお返し」だよ。葬式の時に渡したのは「会葬御礼の品」って言うんじゃないの?今年は会社の同僚で親が死んだ人が2名いるけれど、その人たちからは四十九日を過ぎた辺りで物を貰ったよ。四十九日の法要に呼んだかどうかは関係ないでしょう。「風習に反するからダメだ」というのならば、会社で恥じをかけば良いだけだけど、やっぱり可笑しいよ』と反論。暫らくすると、母は急に理解したようで「それは「香典返し」って言うの。最初からそう言いなさい。」と私を叱る。
 で、告別式が済んだ際に葬儀会社の方が運んでくれた荷物と一緒渡されたカタログをめくって、品物を決めることになるのですが・・・母の思っている品物(海苔とお茶のセットで1,000円程度)が載っていない!次に書く個数の問題を解決した11月20日に「海苔3本セット」ということで落ち着く。
◎「香典返しの数は?法要で呼ぶ人の数は?」
 私が「お寺」や「会場(宴会場)」などの手配を行わなかった原因は、これに関する数値の確認・確定手順を母は理解してくれなかった為です。
 母の頭の中には法要が最優先の様なので私が要求した手順は次の3つ。
  1 法要に呼ぶ家の数
    →会場に持っていく「香典返し(お土産)」の数の確定に必要
  2 法要に来てくださる方の人数
    →当たり前ですが、会場の手配の際に必要。
    →各家から1名が当たり前のように考える方も居ますが、これまで出席した
     法要の経験を振り返ると、夫婦で来られる方も居ます。
  3 香典を頂いたけれど「香典返し」を渡さない(送付しない)方のリストアップ
    →私は頂いた方全てに「香典返し」を渡す物と考えておりましたが、
     母は「送らなくてもいい人」が居ると言うので
 これが決まったのが11月20日の夜で、またもや私に連絡しろと言うから拒絶し、カタログにセロテープで貼り付けてある名刺を指差して母に電話を入れるように依頼。11月23日の午後1時に係りの人が来てくれることになった。
◎「ほかの物も詰め合わせるんじゃないの?」
 11月23日に予定よりも1時間早く(つまりは正午)来てくれた。リストの記載内容を確認した係りの人が「袋の大きさは同さりますか?」と尋ねたので、私はこの5週間ほどの間に何度も母が「法要に来てくれた方へのお土産には「缶詰」と「饅頭」、そして祭壇にあげてある「砂糖」を入れるから」と言っていたので、『ちょっとした物を別に入れるので』と伝えた所・・・母は小さな声で「余計なことは言うな」「そんなことは黙っていなさい」と私を叱る。係りの方が帰った後に、何で叱るのかを母に理由を尋ねたら「お饅頭はどうしようか迷っているから、係りの人に話すのは余計なことになる」との事でしたが・・・でもね~そのことを伝えたから大きな袋を用意して貰えたのでは?
◎だったら「何で明日になったら饅頭の手配に行こう」というの?
 11月初旬から「お饅頭の手配は早めにやって置くから。」「他人には任せられない」等と言っていた母ですが、体調の関係などで手配をせずに11月22日の夜を迎えるに至って、私に「明日、和菓子屋まで連れて行け」と言います。
 香典返しの手配をした日でもある11月23日の天気は「雨」でしたが、午後2時ごろ一時的に雨があがったので、自転車の後ろに乗せてお店を目指す。あと100メートル程度と言う所で再び雨が落ち始め、目指す店のすぐ近くのコンビニで雨宿り。後は道路を横切って10数秒と言う距離なのに、母は「帰る」の一言。二人して雨に濡れながら来た道を帰る。
 で、どうするのかな~と尋ねたら、今度は「明日(24日)、洋菓子店へ連れて行ってくれ」との事。24日に洋菓子店へ連れて行くと「このカステラを10個、今すぐ用意できますか?」とムチャ振り[小さな店なので、カステラは受注生産]。
◎結局、何のために購入するの?
 発注しなかった「お饅頭」も、洋菓子店にムチャ振りしている「カステラ」も、四十九日の法要に来てくれた方へのお土産だと聞いておりました。だから私は『1週間後でも間に合うよね』と水を向けたのですが、母は「明日(25日)には使う物なの!1週間では間に合わないでしょう」とお小言。
 洋菓子店側は「急げば翌日のお昼前に用意できます」というので、25日に受け取りに行くことにしましたが・・・カステラは、法要に呼ぶ町内の方への挨拶に使うためだと後で説明がありましたが、話がいつの間にか変わっていませんか??
◎どの家に配るの?
 そして25日(日)の午前10時、カステラを受け取りに行くと・・・「焼きあがっているけれどさめていない」と言う状態なので、洋菓子店が併設しているカフェでケーキセット(サービスでした)を頂きながら30分待ち。
 さて、ご町内を10軒回れということで、自転車の後ろに乗った母のナビゲートで走り回ったのですが・・・母は下を向いて周りを見ていなかったり、私の問いかけに正しく返答しないため、違う家(先祖を辿れば親族)に声を掛けてしまいました。受け取った人も怪訝に感じていたと思います。

10/18の出来事-その1(通夜 直前)

2012-11-26 08:02:34 | 日記
18日は「お通夜」でした。
天候は、朝方はウス曇、お昼前辺りから小雨

◎午前6時ごろ
 何時もよりは遅い朝食を済ませる。
 母は自信有り気に「今日は必ず町会の人が来るからね」と言っている。

◎午前8時チョット前
 17日のお昼前に「供物・生花」の申込用紙を持って帰った従兄が、(父方の)親族からの注文を記入した用紙を持参して、我が家に来る。
 申込用紙が揃ったので、祭壇に陳列する順番を従兄を含めた3名で決める作業を開始。当初、母と従兄は母方から見た縁の近さで順番を指示するので、疑問に思いながらも素直に書いて行ったのだけど、『此れって、お父さんから見た順番が正しいんじゃないの?』と疑問を投げかけたら、順番を大幅に入れ替える事になる。

◎午前8時20分頃
 前日、葬儀社の方が「リストはFAXして頂くか、私がお伺いした時にお渡しください。明日は9時30分頃に参ります。」と言っていた気がしたので、一応、葬儀社に電話を入れ、出た方にリストが完成した旨を言付ける。
 電話をしている間に、母は従兄に尋ねたようで、町会の人は来ないことが判明。

◎午前9時ごろ
 通夜と告別式の時に受付に立ってくれる人が二転三転して中々決まらなかったが、母方の親族の方で各日1名確保。
 これまで、父方(アンドご町内)は葬儀に呼ばれた際には、私は何度も受付を経験させられたのに、我が家に対しては誰も協力してくれないと言う事実にはビックリ。

◎午前10時ごろ
 葬儀社の方が大荷物を抱えて我が家に来た。大荷物の正体は組立て式の祭壇[白木・3段]であり、そういえば、昨日の打合せの際に頼んだ事を思い出す。祭壇は仏壇の前に設置してもらう[その後、生活に支障が生じるので隣の部屋に移動]。
 従兄が「受付の人間は1名確保できたけれど、其方か1名出してもらうことは可能だと言っていましたよね。お願いできますか」と葬儀社の方に言うと、葬儀社の方は少し困った顔をして携帯で何処か電話を掛ける。電話の相手は、話しぶりだと常務さんらしく、何となくOKと言うことに。
 葬儀社の方は、祭壇の設置とリストの内容確認(主に漢字と連名にする人の組み合わせ)を済ませると「本日は午後6時から告別式になっておりますので、喪主とご家族の方は午後4時にホールに来てください」と言って帰られる。従兄は町内の用事を片付ける序に、葬儀に参列する人の家に「葬儀案内」(A4横)の紙を持参して、日時の間違いが無い様にしてくれることになり、我が家を後にする。

◎午後1時チョット前
 銀行に出向いて定期預金を解約する為に家を後にする。
 言われた駅に着いて見ると、改札口は1箇所だけであり、母の話しに出てくる「M駅方面の改札口」という物が無い!仕方なく改札を出て、「M駅方面行きの線路のすぐ脇にある線路に沿った道」を探すが、駐輪場に至る道しかない。少し先にある幹線道路に十字路があるので、ダメモトで幹線道路を歩いていくと、道が右に曲がって線路を横断している。『此れが母の話しに出てきた踏切なのかな~』と思い道の先を眺めると、銀行の看板が見えた!
 銀行の窓口のお嬢さんに母の名前で書いた解約用紙を渡す際に、解約の理由を述べて私の身分証明書を提示。理由が理由だけに上役の方々我が家に電話をして確認することになったのだけど、我が家は諸般の事情で5年以上前に電話番号を変更していた!チョット、ヤバイ状態?
 どうにかお金を受け取り、駅を目指したときにやっと理解いたしました。母が話していた道順は正確では無いけれど間違いではない。正しくは「1つしか無い駅の改札を出たら左側に曲がり、2つある階段のうちM駅側の方を下りる。線路に沿って歩くと踏み切りの所で別の道と出会うので、出合った道を右に進む」

◎午後2時過ぎ
 自宅最寄り駅に戻る。
 バスを待っている間に悪戯心から付近を観察すると、我が家の葬儀案内が何箇所かに掲示(貼付)されていた。駅から迷う人は稀だろう。

◎午後3時ごろ
 母と二人、出かける準備を開始。
 小雨だけどタクシーを呼び、着替えやお金を持って、葬儀会場へ。

10/17の出来事-その2(午後編)

2012-11-13 08:25:39 | 日記
では、17日の午後の出来事。

昼前に到着した母方の叔母(以降、仮称「松江オバ」)が途中で買ってきてくれた「海苔巻き」等で軽い昼食を済ませる。


◎午後1時頃
 父方の叔母2名(適当な仮称が浮かばないので、仮に「一之瀬」「双海」)が弔問を兼ねて我が家へ来てくれた。
 私達親子はどちらかと言うと父方の親族の受けはよくなかった【注1】ので、何やかにやを言われるのでは無いかと覚悟していたら、寧ろ「結婚してからは家族に負担をかけて、いい兄貴で無かったけれど、最後まで面倒見てくれて・・・ご苦労様。」と言って労ってくれたので、拍子抜けした。
 私からの説明を一通り聞き終わると父方の叔母達は、「供物・生花」の申込用紙に印刷された罫線を無視して勝手に記入を開始し、叔母達4名のみ(一之瀬、双海、三ツ和、吉野)が参列する旨を言い残して我が家を後にする。
 愚痴っていいですか?焼香に来る程度の事はできそうな物なのに、父の血筋の甥姪がホボ欠席って何??もしかして・・・「同じ市内に住んでいても、親や兄弟が出席していれば、オジ・オバの葬式には一切顔を出さなくても良い」ってのが、世間の常識なんですか?


◎午後2時頃
 母方の従兄(以降、仮称「茂兄さん」)が未だ来ない。
 現時点での懸案事項は2つ
  1 通夜及び告別式で受付をやってくれる人を見つける。
  2 信金へ行って定期を解約するか、最寄り駅まで出て
   「当座のお金」【注2】を引き出す。
 1番の方は、松江オバが「茂ニイの所の長男が家で暇しているから(プーでは有りません。今年は通年講座を持っていない大学の非常勤講師)、茂ニイが来たらお願いしてみよう。うちの幸太郎も出させるから。」といって、ある程度解決しそう。
 一方、2番の方は、その茂兄さんが来ないので、私が「出るに出られず」状態。最悪は、通夜当日にチョット寄り道して「当座のお金」を引き出せば何とかなる。


◎午後2時30分頃
 未だ茂兄さんが来ないので、松江オバが確認の為に電話を入れると、まもなく家を出る予定だった。
 茂兄が来るまでの間に、「茂ニイが来たら一応、相談するけれど、文句は私が引き受けるから」と言って、松江オバが誰の名前で「供物・生花」を出すのかをあらかた決めてしまう。
 こりゃ~銀行にいけないわ。それになんだか眠くなってきた。


◎午後3時頃
 茂兄とその嫁さんが到着し、松江オバが決めた内容を茂兄さんに説明する。
 その途中で会社から「そろそろ、社内書類を書いてfaxしたいので、葬儀の予定等を教えて」と電話が入った。何時もは私がその役目を負っていたから、項目を問われる前に「死亡した者の氏名及び年齢」「従業員との関係」「通夜及び告別式の時刻」「通夜お詫び告別式を執り行う場所の住所・名称・電話番号」を通知し、足りない項目があるかどうかを逆に問う。
 電話を切ると、松江オバが決めた内容よりも多くの「供物・生花」を出すことで決定していた。
 どういう話の流れでそうなったのか思い出せませんが、茂兄の乗ってきた車で父の荷物を受け取りに施設へ行くことに。先方の都合もあるので、先ずは電話を入れてみると、何時でもokとの事。施設へに到着すると「ただ今、事務手続きの書類を持って係りの者が参ります」と言われてしまい、どうしようかと思っていると事務室の奥から理事長(町内の人間)が出て来られ、何度目か判らない父の死亡の経緯を改めて説明。途中で梶さんが来られて、横で傍聴。こちらからの話が一通り終わると、梶さんの案内でオープンテーブルへ移動。係りの人とは「梶さん」の事だった。
 「梶さん」から渡された書類は、「16日付で入所契約を解消する」と言う書類と、「身の回りの物は全て返却を受けました」と言う書類の2種類。書類を書き終わる頃に、大きなダンボール(1辺45センチ程度)2箱が台車に載って到着。恥ずかしながら、午前中寄った時点では、まさかこんな大荷物だとは思って居なかった【注3】ので『後で自転車に乗って取りに来れば良いや』と考えており、それを実行したら大変な目にあっていたでしょう。茂兄さんも「車で来て良かっただろう」と言っておりました。
 施設から戻り、先ほど決めた「供物・生花」の内容を依頼用紙に記入し始めたけれど、一人だけ正しい漢字が判らない(母から見て兄嫁。その兄は既に物故)。その漢字を知っている人間は、この時間では会社で仕事中なので、茂兄さんが夜になったら聞いておいてくれる事に。
 因みに、この「供物・生花」を誰が出したのかという事で、後々、父方の叔母達から文句が出ましたね。


◎午後4時
 そろそろ、松江オバも茂兄さん達も帰るという段になって、私以外の者は大事な事を忘れている。そう、受付に立ってくれる人間の手配です。私が母と松江オバにそれとなく小声で話を振ったのですが、自分達のお喋りに気をとられており、私の話しは頷くだけ。
 翌日になってから松江オバが大騒ぎをしてどうにかなるのだけど・・・その場を仕切ってくれている親族が居ると心強いけれど、何かと言い出しにくいのも難点かな~


◎午後5時
 ひと段落が着き、早目の夕食。
 母に「結局、町会の人は来なかったね。明日は、お金を下ろさなければならないから・・・午後一番に家を出ないとダメでしょう」と皮肉を含めてダメ押しをする。


◎午後9時ごろだったかな~
 母の事が心配だったので、昨日に引き続き、私も母屋で寝る事に。


◎午後11時だよ!
 突然の電話で飛び起きる。
 『こんな非常識な時間に、どこのどいつが・・・』(我が家では午後8時以降の電話は控える。午後10時以降は非常識と考えて余程でなければこちらからは電話を掛けない。)と思い、寝ぼけたまま電話に出る。
 最初は寝ぼけていたので誰だかわからなかったけれど、電話を掛けてきたのは、日ごろから用件を一方的に話す従姉。用件は、漢字が判らなかった兄嫁(掛けてきた従姉から見れば実の母)の件での電話だった。ご丁寧にも「母の名前はナギサで、漢字は『草冠にキジ』でナギ、『人偏に左』でサ。キジは「ケンケン」と鳴く鳥のキジだから、偏が「弓矢の矢」よ。あと、私の名前は・・・で、偏は・・・になっていて、歴史上の人物の・・・と同じ時(知っております。漢字もね)。それと、生花だけど、私と妹の連名でお願い。妹の名前は・・・(知っております。漢字もね)」と間違いようの無い説明。
 一通り漢字の説明が終わると「もしかして寝ていた?ごめんね。」と来たもんだ。はい、ぐっすり寝ていましたよ。


【注1】
 別に、父方の親族が行う葬儀等に対して「あなた達の遣っていることは可笑しいからこうしなさい」見たいな意味で言ったことは無いのですが・・・どうも行き違いがあったようで・・・例えば母が「お婆ちゃん(叔母達の母親)の法要に塔婆を出しますよね」と叔母達に相談したら、「兄さん(叔母と父の兄)、○○の所が言うから顔を立てて塔婆を出すことにしてあげるわよ。」と今は亡き伯父に言ったために、伯父は「嫌々出す塔婆なんかいらない」と癇癪を起こして、親戚内で険悪な状態が数年続きました。
 母は伯父に対して経緯を話し、そのときには我が家からは塔婆を出してもらい、その後は、母の方から叔母達に事前相談をすることは止めました。

【注2】
 先日、計算書と一緒に葬儀社の方が置いていった諸経費の説明メモによれば、お通夜及び告別式で支払う「当座のお金」は10万程度で足りる予定
 大凡の内訳は
  互助会入会金 50,000円
  火葬代     4,000円
  喪主が出す「供物・生花」代 4万円程度(選択した内容により異なる)

【注3】
 過去にも書いていますので、覚えている方も居ると思いますが、この特養施設は父が入所した3番目の施設。ですので、これまでに2回移動したわけですが、そのどちらの時にも私がリュックサックを背負い、大きな袋を1つ肩に掛けて荷物を持ち出しておりました。
 その経験が『自転車で・・・』と思わせたわけですが・・・今考えると、特養に入所してからは、季節ごとの衣類の入れ替えは行いましたが、自宅への持ち帰りは行っておりませんでしたので、「合物」「夏物」「冬物」が一遍に返却された訳ですね。あとでダンボールはこの中を整理したら、入所中に購入した雑貨も入っておりました。

10/17の出来事-その1(午前編)

2012-11-08 12:06:46 | 日記
一夜明けて、葬式の手配です。

◎午前8時
昨日、霊安室で待って居る間に、母が「お寺の電話番号が判らない。町会で決めた戒名代など値段表も・・・」と言っていたので、8時ごろに従兄が電話番号を書いたメモを持って来てくれた。
 ⇒笑い話になりますが・・・値段表は昭和50年代に決めたままで
  変更していないとの事。
  そこで、母が仏壇の引き出しからA4の紙を取り出すと、お寺の
  電話番号を書いたメモも挟まっていた。
昨日も、葬儀社の方に「お寺さんと葬儀の日程を話され、決まりましたらご連絡ください」といわれていたので・・・本当は経験のある筈の母か従兄にやってもらいたかったのだけど・・・私がお寺へ電話を入れる。
  寺(お爺ちゃん?) 「はい、△△寺です」
   私 『○○町に住む、檀家の****(父の名前)です。
     葬式をお願いしたいのですが?』
  寺 「チョット待ってね・・・あれ?見当たらないな
    (ガサガサ音がしていたので、過去帳が何かを見て居たのだと思う)
    住職が未だ来ていないので・・・伝えておきますから、
    住所と世帯主名、死んだ人の名前、喪主の名前、
    葬儀の日取りを教えて」
   私 『住所は・・・。世帯主は・・・。死亡したのは世帯主。
     喪主は(母と従兄の方を見ると私を指差している)○○です。
     葬儀の日程ですが、18日に通夜で、19日に告別式で
     大丈夫でしょうか?』
  寺 「葬儀の日程はこちらが決めるのではなく、葬儀社と
    話し合って決めてください。こちらはそれに従います」
   私 『(暇な寺なんだな~)
     葬儀社の方からはお寺さんの都合を聞いて下さいと
     いわれているのですが?』
  寺 「うぅ~ん。
    18日と19日ですね・・・こちらは大丈夫です。
    葬儀社と連絡を取りますから、名前を教えて」
   私 『(私の名前と又聞いて来ていると言うことはないよね)
     葬儀社は***です。葬儀の場所は△△ホール。』
ここで一先ず、従兄は退場。
今決まった日程を母が叔母に電話で伝えると、叔母はこちらに来るとのこと。


◎午前8時30分頃
 母が「押入れから座布団出して」「座布団を10枚借りてきて」というから、取りあえず押入れのどこに座布団(何時も使っている来客用ではないというから)が入っているのかを聞いて、座布団を4枚取り出す。梱包はしていたけれど、包装紙が破けており、座布団カバーが汚れていたので、今度は座布団カバーを探し出す。汚れた座布団カバーは洗濯機に放り込み、座布団本体は廊下で虫干し。
   ⇒座布団を借りて来るのは面倒に感じていたので、無視。
   ⇒この時点では何でそんなに座布団が必要なのか理解していなかった。
 次に、「町会の人が何人も来るから、テーブルと電気ポットをここ(納戸)から出して」というので、座布団を10枚以上用意する理由が判明。母は常々「いつかは世に出る」と言って、何れは使うであろう物品を納戸・押入れや物置小屋に押し込むから、「多分、ここら辺にある」と言う指示しか出来ない。手前に積んである物を片付けながらどうにかテーブルと電気ポット(多分未使用)を取り出す。
当然、その次に要求されたのが「お茶とお茶菓子を買ってきて」。で、父が死んだことは施設に連絡していないので、スーパーに買い物に行った帰りに立ち寄る旨を行って、私一人が自転車で何時ものスーパーへ。
 スーパーの帰りに施設に立ち寄り、出て来た事務員に父が死んだことを伝えると・・・事務所内が騒然。そりゃ~、14時間前には大丈夫だろうと言う報告をしたのだから。医療に強いと思われる職員に問われて、死亡原因「慢性腎不全の急性増悪」を伝えると、慰めてくれる心算だったのか?「それってよくあることなんですよ。病院の方はある程度判っていたから、昨日電話を入れたんですね。」と解説してくれた。


◎午前9時00分頃
 母がしつっこく「座布団を借りてきてよ」と言うので従兄宅へ向かうと、従兄がこちらに歩いてくる。従兄側の要件は何だったのかは思い出せないが(葬儀社の方が来る時間を聞いてきたのかな~)、これ幸いと、座布団を貸してくれるようにお願いする。


◎午前9時30分頃
 葬儀代等が幾ら必要なのか不明なので、母名義の定期預金を解約して準備しておこうと言うことになり、「定期預金証書」「印鑑」を準備。母の定期預金は地元の信金に預けてあるが、信金自体の合併や支店の統廃合でにより、私はその信金の場所を知らない。そこで母に信金までの行き方を尋ねたが、「降りたら線路に沿って歩いて、踏切を渡る道に出たら右に曲がる」として説明してくれない。降りるべき駅の周辺を走っている主要道路は知っているけれど、東西南北のどちらを目指すのかが不明ですから『線路に沿ってっていっても、どっちの駅に向かって歩くのか教えてくれなかったら判らない』と言うと、母は考え込んでしまった。そこで『乗った電車から見て、進行方向にあたるM駅方面?それとも来た方向に当たるK駅方面?どっち方面に歩くの』と問い方を変えたら、「改札を出たら右に曲がると線路に沿った道があるから・・・M駅方面に歩いていくと踏み切りのところで道が曲がっているから踏切を越えて右に歩くと信金がある」と言う、当初に比べたら具体的な説明が帰って来た。私は早めに手続きしたいので・・・お昼を済ませたら解約をしにいきたいといったのだけど・・・母は「町会の人が来た時に施主不在なのは困るから家に居て欲しい」と矛盾する要求を言い始める。
   ⇒思うに・・・ボケとか父の死亡にショックを受けて
   思考停止になっているのではなく、私も日常的に
   経験することがありますが、行うべき事柄が多すぎて
   優先順位が付けられない状態になっている。
 従兄宅でも座布団を虫干ししていたので、10時チョット前に従兄の嫁が座布団4枚持ってきてくれた。後ほど、追加で4枚持ってきてくれたので、計8枚借りる。


◎午前10時頃
 従兄が再び我が家へ。昨日渡したメモに書いてある家には葬儀の事は伝えたとの事。
 従兄を含めた3名で葬儀社の方を待っていると、10時チョット過ぎにに来られた。
 ここで聞かれたことは
  1 互助会に入っている場合には葬儀費用が安くなるから、加入しませんか?
    ⇒加入することにしました。5万円です。
    ⇒後述するパッケージ料金表を見ると、10万円以上安くなっている。
  2 参列者の予定人数
    ⇒従兄の概算だと、町内及び父方の親戚で30名
     母方の親戚は10名
     私の勤め先からは・・・今年は従業員の親族が既に2名亡くなっているけれど、
    参列したのは「社長」と「専務」の2名だから・・・大量には来ない
    ⇒結論として50名前後
  3 パッケージで発注するか、個別に必要なサービスをチョイスするか
    ⇒細かい説明は忘れましたが、パッケージを選択すると
    昨日の寝台車の代金や、遺体を保管してもらった代金は
    タダになる。
    ⇒取りあえずパッケージ料金表(サービス一覧表)を眺めて見ると、
    一番下が「30名程度用」で、次に「70名程度用」となっていたから
    「70名」で発注。
  4 祭壇のイメージ
    ⇒見本の写真を10枚ほど見て決めた。
  5 「香典のお返し」の内容と準備する個数
    ⇒葬儀社が鞄から取り出したカタログを見る。
     母は私に任せると言いながらも「『お茶』と『海苔』の
    セットが普通よね」と押したが、私は思う所があり、
    「クッキー」が入っているセットに決めた。
     今回は選ばなかったが、「梅干し」とか「生菓子」の入ったセットもあった。
    ⇒「会葬の礼状」は返品が利かないが、「香典のお返し」は
    返品が利くということなので、70個で発注。
  6 「通夜振る舞い」の人数
    ⇒料理のカタログを見たのかどうかを思い出せないが、
    これを書く当たり書類を見たら10名×4セットで依頼。
  7 火葬場での食事【注1】
    ⇒火葬が済むまでの間、会葬者に対する食事を
    『施主が独自に用意』『葬儀社で用意』のどちらにするのかを
    決めなければならないので、葬儀社に依頼。
    ⇒「軽食」から「豪華弁当」まで色々と載っているカタログが登場。
     火葬の時間が「11時30分から1時間程度」だったので、
    2段重ねのお弁当にする。
    ⇒用意する数は仮の数字で30名分としておき、通夜振る舞いの時に
    最終決定することに。
  8 ホール(葬儀場)までの送迎バスの有無【注2】
    ⇒昨日、私が第一希望として挙げたホールが取れており、
    そのホールは「町内を通っている路線バス(1時間に4~6本)で、
    最寄り駅まで約15分」「最寄り駅(2つの私鉄が通っている)から
    徒歩3分」と言う好条件なので、不要。
  9 告別式の日にホールから火葬場へ移動する際に使うバスの規模【注3】
    ⇒おおよそ30名が載れる中型を往復で予約。【注4】
    ⇒通夜の振る舞いの時に、大凡の人数を確認しておくようにと
    葬儀社から依頼された。
  10 受付の人の手配
    ⇒一応、受付を行ってくれる人を2日間で延べ4~5名は
    手配しておいて欲しいと葬儀社から言われた。
    ⇒心当たりがない場合には、葬儀社から社員を有料で
    各日1名程度は出せるかも知れないが、それでも責任者は
    施主側から各日1名は手配しておかなければならないとも言っていた。
  11 遺体の化粧
    ⇒遺体に対する化粧にもランクがある。
    ⇒どの程度の違いが生じるのかは詳しくは聞かなかったが、
    見苦しくない程度にはしたかったので、下から2番目でお願いした。
  12 棺おけの種類と色、あと「畳を敷きますか?」
    ⇒これもカタログを見せられたが、今となってはどんな物が
    載っていたのか思い出せない。色は『白』
    ⇒代金追加で棺おけの中に畳を敷いて貰う。
  13 霊柩車
    ⇒「霊柩車」と言われた時に多分多くの方が思い浮かべるであろう、
    あの『金ぴかな車』では無く、無難に『黒のセダンタイプ』を選択。
  14 位牌の手配
    ⇒他に頼むのも面倒なので、葬儀社に頼むことに。
     葬儀社の方は既に我が家の仏壇に置いてある位牌の寸法を確認し、
    カタログを開いて物の説明を開始。まあ~戒名が決まってから正式
    発注すると言うことに。
他にも話した事柄はあったと思いますが、思い出せるのはこの程度。
この時点での費用概算が「葬儀代110万円程度で、料理等を含めて150~160万円」と聞いた母はレベルダウンを要求したけれど、半値にはならないからそのままの内容で依頼。
次に遺影に使う写真及び故人を偲ぶスペースに展示するための写真数枚が必要と言うので、アルバムを取り出す。
   ⇒笑いを取る心算もあり、例えば次のような写真をセレクト
    ・青年会の旅行で行った熱海での写真
    ・偶々、従兄の嫁の父親と写っている写真
    ・結婚式で母が恥じらんで居るように見える写真
    ・私の七五三[3歳]の時の写真
このあと、「供物・供花」のカタログ1部と申込用紙2枚が渡され、翌日の午前10時30分に申込用紙を取りに来ると言って、葬儀社の方は約10枚の写真を持って帰る。
従兄も申込用紙の1枚を持って自宅へ戻り、(父方)親族からの注文を取りまとめてくれることに。
あぁ~そうだ!この時、「蓮華塔」なる物を購入することを勧められました。


◎午前11時30分頃
 叔母が到着。
 母方の従兄の中で一番年上の方から「お昼を済ませたら、お前の所へ行くから」との電話が入る。


これが17日の午前中の出来事。

【注1】
 話し合いの際には、母と従兄も横で聞いており、アドバイスをしてくれていたが・・・この時には「『精進落とし』をかねた昼食」と言うことでお弁当を発注したのだけど・・・当日になって「慣わしに反するよ」と言うことになってしまった。
 ホールを借りている時間について話すことは無かったので、どうなるのかは疑問が残りますが、結果としては、火葬場では「軽食」を提供し、ホールに戻ってから「精進落とし」にしなければだめだと言う事。

【注2】
 私が第二希望として挙げたホールは「町内を通っている路線バス(1時間に2本程度)で、ホールまで30分(渋滞で遅れることを考えると)」「最寄り駅から徒歩10分」と場所であり、一昨年に父方の親戚が利用。
 この時、送迎バスの手配に行き違いがあり、火葬場からホールへ戻ってきて解散となった時に、ホールから町会までの送迎バスが用意されていなかった。
 送迎バスの手配をする場合には、想定される移動のタイミング毎にバスが必要なのかを何度も検討し、「○○日は、××時に△△で人を◎◎名程度乗せて、**へ」を良く確認しておく必要があると思う。

【注3】
 喪主等は別の車で移動する慣わしがあるが、今回は喪主等もバスの人数の中にカウントしておいた。
 尚、喪主等が別の車で移動する場合に発生し易いトラブルがいくつか在るので、代表的な物を挙げておく。
 1 車の運転を頼んだ相手が会社の人間だったので、火葬場までは送ってくれたが火葬場に到着したら仕事に行ってしまった。
 2 慣わしによって異なると思いますが、私が教わった常識では、火葬場へ行く時には「仮位牌」と「遺影」を持つ人が同じ車に乗るので2名。だが、帰りは「遺骨」を持つ人が増えるので3名が同じ車に乗る。このことに気づかず、『運転主が遺骨を持つから運転できない』とか、『遺骨を持つ人が別の車に乗ろうとしてしまう』等の間違いが生じる。

【注4】
 注2か注3で書くべき事なのかもしれませんが、例えば「火葬場で解散」となると、帰りの足を考えておくのが喪主の礼儀ではないでしょうか?

16日の出来事-その3(葬儀社手配から帰宅まで)

2012-11-06 09:39:14 | 日記

 葬儀社の電話番号を調べるために1階に降りるエレベーターの中で、従兄が「おばさんの前では聞けなかったけれど、『切り刻む』って話しだったよね」と確認を求めてきた。直ぐには理解できなかったけれど、「某国立大学医学部への献体」の事だと気付いたので、『叔母さん達の了解も取れていないから、このまま普通に火葬する事にする』[注1]と返答。

 1階に到着したら・・・エレベータの後ろのドアが開いてしまい、従兄と2名で軽いパニック。階数のボタンを良く見たら「前方用」と「後方用」の2列があったので、何気なく「後方用」1階ボタンを押したのだと思う。一旦、エレベータを2階まで上げて、改めて「前方用」1階ボタンを押して、無事1階に到着。
 指定場所に行き、従兄が自宅で留守番している長女に「おじいちゃんの時に使った葬儀社の電話番号を調べて」と携帯で依頼。携帯を切ってから数分待っていると「多分、時間が掛かると思うから、ここにある電話帳で調べてみたら」と言って、私にタウンページを渡すので・・・調べてみたら・・・当たり前ですが載っていたので、直ぐに公衆電話からTEL。
 今振り返ると、少なからずショックを受けていたためなのか?この時にどんなやり取りをしたのか良くは覚えておりません。ですので、実際のやり取りとは異なっているかもしれませんが・・・
  私「すいません、父が死んだので葬式等をお願いします」
 葬儀社(以降「S社」)「それはご愁傷様でした。」
  私 「何から話せばよいですか?」
 S社「かしこまりました。幾つかご質問させてください。」
   「先ず、亡くなられた方と、今お電話くださっている方のお名前を」
  私 「死亡したのは****。電話をしている私は****。」
 S社「次に、今お電話くださっている方と死亡なされた方とのご関係を教えてください」
  私 「死亡した者から見た場合であれば子供です。喪主予定者です。」
 S社「では、死亡なされた方の住所と電話番号をお教えください」
  私 「α宇宙域セクター001のテラ星系第3惑星。電話はカステラ1番電話は2番3時のおやつは食べませんです」(勿論、これは冗談で書いています)
 S社「ご遺体は今どこに安置されておりますか?」
  私 「病院です」
 S社「病院の名前を教えてください」
  私 「○○病院です」
 S社「葬儀を行うご希望のホールはどこですか」
  私 「××ホールか、△△ホールが良いのですが・・・出来れば、××ホールの方で」
 S社「ホールの予定を確認してみます。ご遺体は別のホールでもお預かりできますので・・・」
  S社「かしこまりました。今から50分後に病院へお伺いいたします。病棟の看護師の方に弊社の社名と50分後に到着する事をお伝えください」

 電話を切り、病棟へ上がるためにエレベーターに乗ると、二人して「ボタンに注意しないと」と言って、薄ら笑い。
 看護師に葬儀社の手配ができた事を伝えると、看護師の方も霊安室へ移動でする準備が整ったとの事。但し、この病棟での夜間勤務をしている看護師はこの方1名だけなので、別の病棟(?)から1名来るまで待つことに。その間、看護師が「こちらに最初に上がって来た時間は9時30分過ぎですよね」というので、従兄に尋ねてみると「9時20分頃だろうとおもうよ」ということで、チョットした齟齬が発生。多分、日誌に書く都合があるのだろうと思い、『30分と言うことで構いませんよ』と決着をつける。

 留守番(?)してくれる方が来られたので、ストレッチャーに乗った遺体と共に私達4名と看護師、看護補助者(?)の計6名(この場合7名と書くべき??)で1階の霊安室に移動。
 看護師と看護補助者の2名でストレッチャーから遺体を霊安室の遺体安置台へ移動。焼香をしてくれた後、「葬儀社の方が来られたら、内線427番に連絡ください。あと、この書類は死亡届けを出すときに必要な物ですから、葬儀社の方に渡してください」と看護師からの説明。その後、看護師と看護補助者の2名は病棟へ。
 残された4名は葬儀社待ち。従兄の嫁が母の横に座って慰めているけれど、母が何やら別のことをモゴモゴ言っており、従兄も何やら私に話しかけてきたが、どちらの話しも聞き取れない。
 意味不明の呟きなどの事は端折って・・・従兄が「町内等で誰に声を掛けるの?近所付き合いとか親戚付き合いしている家を教えて」と母に尋ねると10件挙がって来た。私がメモを取って従兄へ渡す。
 当たり前のことですが、霊安室は寒い。だから、結果として一人ずつトイレに行く事となったのですが、最後になった私がトイレから出ると車のライトらしき物が横切ったので『葬儀社が到着したのかな?』と思い、急いで霊安室へ。

 案の定、葬儀社の方が2名来られていた。
 内線で呼び出した看護師が、葬儀社の方と何やら事務的なやり取り。それが済むと、葬儀社の方が「ご遺体は、ご自宅と弊社ホールのどちらへ」と尋ねてきたので、迷わず『そちらのホールで預かってください』[注2]と即答。
 で、当初は「私が葬儀社が用意した寝台車に同乗してホールへ向かい、父をホールに預けたら葬儀社の車で自宅へ」「残りの3名は従兄の嫁が運転する車で帰宅」という事でしたが、葬儀社の方が「寝台車には2名乗れますから、お母様もご一緒ホールまで来られて、そのままご自宅へお送りいたしますよ」というので私と母の2名が寝台車に乗車する事に。乗車後に「先に自宅(近く)まで行き、お父様だけをホールへ」という事になり、図らずも父は自宅近く(数メートル手前)まで戻ることが出来た。
 従兄達も直ぐ後から到着(寝台車を駐車した場所は従兄宅の農作業小屋前のスペース)し、留守番をしていた従兄の長女を含めた5名で父とのしばしの別れを惜しむ。
 葬儀の仔細は翌日の午前8時30分から行うことにして、寝台車はホールへ。

やっと16日のことが書き終わりました。



[注1]
 約25年ほど前に、今は亡き伯父(母の一番上の兄)が「俺が死んだら・・・」と献体の申し込みを行いました。そのことを聞いた母が、勝手に夫婦で献体の申し込みをしてしまいました。
[注2]
 本当は家に帰してあげたかったけれど・・・常々、「介護ベッドや酸素の機械があるから、お父さんが(生死に関係なく)家に帰って来ても寝る所が無い」と母はこぼしており・・・まあ~他人にとやかく言われたくないこちらの都合というものがあるんですよ。


墓石の手配

2012-10-29 17:23:45 | 日記
順番に書くつもりでしたが、チョット最近のことに飛びます。

10/27(土)
 我が家は約30年前に町内の共同墓所を購入済み[注1]なので、常々、私と母の二人で「後は墓石だけ」と話しており、100万円程度は用意して母方の従兄の知人が仲介してくれる石屋に頼む心算でした。これまでは色々とあり、その話は宙を浮いておりましたが、父の死去により、急遽、石屋を紹介してもらうこと。
 余計な途中経過は省いて・・・その石屋(社長さんが応対してくれました)は霊園も経営しており、石の現物の他に、色々なタイプの墓を見せて下さったおかげで次のように仮決定。
  ・和風
  ・石の色は白系統
  ・母が高齢なので、階段は無し
  ・墓石(正式には、あの角柱を指すそうです)には座布団[注2]
 ここで決まらないのがお値段。墓地の広さもありますが、こちらの方で予算と言う物を考えていなかった。カタログを見ながら私が言いよどんでいると、同行した従兄が「この前やってもらった○○家は、通常だとどのくらい?」と聞いてくれ、250万円との回答。これを聞いて内心『えぇ~、そんなに金を予定していないよ』と思ったのが顔に出ていたのか、石屋から「色々と△△(従兄のこと)さんにはお世話になっておりますので、こちらも勉強させていただきますから、今のところ無理の無い金額を言ってください」とか「長い方は10年程度のローンを組んでいますよ」と言ってくれたので、『定期預金で150万円程度有るから、200万円までで出来ますか?』と、金額提示。
 最初は石屋さんが単独で確認して図面を持ってくる話しになっていましたが、話しの流れで、このまま現地確認をすることになる。
 *** で、場所が変わって共同墓地 ***
 関係者立会いの下での現場確認って大切と痛感させられました。というのも、覚えているだけでもこれだけのことを現場で決めました。
 1 墓地の広さ及び境界の確認。
  昔のことなので境界の石や杭は見つからなかったけれど、我が家の墓地は角地だったので、「多分この範囲内」ということに。その上で測ってみたところ、1坪程度(6尺四方)だと思っていたら「7尺×7尺」と、予想以上に広かった。斜め向かいの墓は「幅6尺」、横の墓は「幅6尺欠け」とか「6尺5寸」と言う感じでバラバラ。我が家が広いのは40年前の権利買取の際に、道として大きくとられそうな話しを母が「仏の頭に掛かってしまうから」と言って、道として取られる部分を少なく抑えた結果だと思う。
 2 基礎の高さ
  墓所内の道は整備されていないので、土がむき出しの凸凹状態。隣の墓と高さを合わせると、道より低い箇所から土や水が浸入してくるので、基礎は道の最も高い位置に合わせることに決定。
 3 墓石の大きさと色合い
  くどいようですが、和風の場合に「○○家」と大抵は縦に彫られている角柱の部分を業界では「墓石」と呼びますが、この墓石を何寸にするのか?
  廻りの状況と、次に書く墓地の広さなどからバランスを考えて・・・確か8寸か9寸に決定。色合いは「白」。
 4 墓の向き
  角地なので「西向き」でも「北向き」でも可能な状態だったから迷っていると、石屋が「私達のようなお墓に携わる家の者は、子供の頃から西向きに作る物(拝む人は東に向くことになる)と教わっています」とアドバイスしてくれた。そこで「西向き」。
 5 墓を掘り起こす際の確認(骨の掘り起こし)
  仏が1体埋まっていることから、「骨上げ」が必要なことは双方で確認済みなので、「どの程度まで掘るのか?」と言う点と、40年前に埋めたので「地層(地盤)の移動によって仏が移動しているかも知れないから他の場所まで掘るのか?」の2点。特に「他の場所」となると市の許可が面倒らしい。
  で、改めて「何年前に埋めたか」ということで話していると、母がすごい勘違い[注3]をしてくれたおかげで、「多分、もう骨は出てこないだろう」となり、墓地内を掘り起こすだけで決着。小さな骨壷を用意し、もしも骨が出てきたら納めるし、出てこなかったら土を入れることになる。
 6 工事日程
 ソモソモ、現地確認を直ぐに行う事になった原因の1つは、「49日(12月1日)に納骨するから間に合わせて欲しい」と言う母の一言。
 今回は1箇月未満で仕上げてくれる事となりましたが、余裕を持って2箇月以上前に発注した方がよいのではないかと思った。

10/28(日)
 お昼を済ませてボ~としていると、昨日の石屋から「墓の図面が出来たので、今からお伺いしても宜しいでしょうか」との電話が入った。
 10分も経たずに石屋が尋ねてきて、図面を広げて説明と確認(本来であれば、CADを使ってきれいな図面を書くのだけど、今回はこちらが急がしたので昔ながらの製図らしい)。
 1 今回作る墓の大きさは、外柵付き「幅6尺8寸 × 奥行7尺」
   ⇒境界が明確ではないし、何かあった際に隙間があったほうが良いので、
    左右を1寸ずつ空けておくことにした。
 2 石は白御影石で、土の部分は残さない。
   ⇒玉砂利を敷く方も居るが(私もそうしたかった)、母が高齢であるから
    草むしりをする手間を省くために。
 3 墓石等は3段座布団つき。
 4 カロート(納骨スペース)の床も御影石
   ⇒見えない場所と言うこともあり、基礎のコンクリートをそのまま使う業者や
    建立者(墓の発注者)が居るが、コンクリートは地下水により劣化が早いので、
    こまめに掃除しないと泥水で汚れてしまうからとの事でした。
 5 基礎の高さは、前日に話したとおりに。
 6 墓の形は↓に似た感じで、入り口に段差は無い。
   入り口の奥行きは1尺8寸取ってあり、滑り止めの加工もしてある。
    
 7 納期は11/27を予定
 8 墓の門には・・・
    向かって右には「家名(縦書き)」
    左には「家紋」を彫ってもらう。
 9 墓誌への彫り込みは、「死亡日順」や「続柄順」等があるが、今回は次のようにした。
    「××家 先祖代々」
    「父」
    「子」
 10 家紋は「墓石」「中台」「花立」の何れに彫るのか?ということに対して、「中台」に彫ってもらう。
 11 墓石の裏には彫る建立者名は私
 12 震災などによる破損や一部倒壊に対しては、無料で補修
なんだか、家格に比べて立派過ぎのですが・・・値段を落とすと空きスペースが増えてみすぼらしくなるから、『これでお願いします』ということに。で、「お値段は、税込み155万円ですが・・・」というのでその安さ(相場がわかっていない)にビックリ。因みに、今回添付した写真はフジタ石材様[http://www.fujitasekizai.co.jp/boseki/100/110/index.html]の物を勝手に使っておりますが、参考価格190万円です。

28日 別の話し
 葬儀に依頼していた父の位牌が完成しました。

※教 訓※
 1 お墓とお金の準備は早めに!
 2 常識程度に予算を伝えましょう


[注1]
 それより前は、持ち回り制の「墓守役」に手間賃程度を支払って、共同墓所内の好きな場所に土葬していた。
[注2]
 墓石とその下の中座との間に『蓮の花』等を模った石が挟まっていることがありますが、それを「座布団」と呼ぶそうです。
 http://www.fujitasekizai.co.jp/boseki/stone03.html
[注3]
 我が家の墓地と背中合わせに親戚(父の妹宅[2軒合葬])の墓地があるのですが、そこに入っている仏は今のところ1体だけで、私が保育園(2年保育でした)に入る前に死亡。そして我が家の仏は私が小1の時に死亡。でも母は、向こうの方が後で死んだと勘違い。その間違い訂正の中で、両家共に死んだのは乳児だということを石屋は初めて知る。
 成人とは異なり乳児は40年も経てば骨は無くなっている事が多いとの事。母も昔は「もう土に還っているから骨は出てこない」と言っていた。