介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

10/18の出来事-その1(通夜 直前)

2012-11-26 08:02:34 | 日記
18日は「お通夜」でした。
天候は、朝方はウス曇、お昼前辺りから小雨

◎午前6時ごろ
 何時もよりは遅い朝食を済ませる。
 母は自信有り気に「今日は必ず町会の人が来るからね」と言っている。

◎午前8時チョット前
 17日のお昼前に「供物・生花」の申込用紙を持って帰った従兄が、(父方の)親族からの注文を記入した用紙を持参して、我が家に来る。
 申込用紙が揃ったので、祭壇に陳列する順番を従兄を含めた3名で決める作業を開始。当初、母と従兄は母方から見た縁の近さで順番を指示するので、疑問に思いながらも素直に書いて行ったのだけど、『此れって、お父さんから見た順番が正しいんじゃないの?』と疑問を投げかけたら、順番を大幅に入れ替える事になる。

◎午前8時20分頃
 前日、葬儀社の方が「リストはFAXして頂くか、私がお伺いした時にお渡しください。明日は9時30分頃に参ります。」と言っていた気がしたので、一応、葬儀社に電話を入れ、出た方にリストが完成した旨を言付ける。
 電話をしている間に、母は従兄に尋ねたようで、町会の人は来ないことが判明。

◎午前9時ごろ
 通夜と告別式の時に受付に立ってくれる人が二転三転して中々決まらなかったが、母方の親族の方で各日1名確保。
 これまで、父方(アンドご町内)は葬儀に呼ばれた際には、私は何度も受付を経験させられたのに、我が家に対しては誰も協力してくれないと言う事実にはビックリ。

◎午前10時ごろ
 葬儀社の方が大荷物を抱えて我が家に来た。大荷物の正体は組立て式の祭壇[白木・3段]であり、そういえば、昨日の打合せの際に頼んだ事を思い出す。祭壇は仏壇の前に設置してもらう[その後、生活に支障が生じるので隣の部屋に移動]。
 従兄が「受付の人間は1名確保できたけれど、其方か1名出してもらうことは可能だと言っていましたよね。お願いできますか」と葬儀社の方に言うと、葬儀社の方は少し困った顔をして携帯で何処か電話を掛ける。電話の相手は、話しぶりだと常務さんらしく、何となくOKと言うことに。
 葬儀社の方は、祭壇の設置とリストの内容確認(主に漢字と連名にする人の組み合わせ)を済ませると「本日は午後6時から告別式になっておりますので、喪主とご家族の方は午後4時にホールに来てください」と言って帰られる。従兄は町内の用事を片付ける序に、葬儀に参列する人の家に「葬儀案内」(A4横)の紙を持参して、日時の間違いが無い様にしてくれることになり、我が家を後にする。

◎午後1時チョット前
 銀行に出向いて定期預金を解約する為に家を後にする。
 言われた駅に着いて見ると、改札口は1箇所だけであり、母の話しに出てくる「M駅方面の改札口」という物が無い!仕方なく改札を出て、「M駅方面行きの線路のすぐ脇にある線路に沿った道」を探すが、駐輪場に至る道しかない。少し先にある幹線道路に十字路があるので、ダメモトで幹線道路を歩いていくと、道が右に曲がって線路を横断している。『此れが母の話しに出てきた踏切なのかな~』と思い道の先を眺めると、銀行の看板が見えた!
 銀行の窓口のお嬢さんに母の名前で書いた解約用紙を渡す際に、解約の理由を述べて私の身分証明書を提示。理由が理由だけに上役の方々我が家に電話をして確認することになったのだけど、我が家は諸般の事情で5年以上前に電話番号を変更していた!チョット、ヤバイ状態?
 どうにかお金を受け取り、駅を目指したときにやっと理解いたしました。母が話していた道順は正確では無いけれど間違いではない。正しくは「1つしか無い駅の改札を出たら左側に曲がり、2つある階段のうちM駅側の方を下りる。線路に沿って歩くと踏み切りの所で別の道と出会うので、出合った道を右に進む」

◎午後2時過ぎ
 自宅最寄り駅に戻る。
 バスを待っている間に悪戯心から付近を観察すると、我が家の葬儀案内が何箇所かに掲示(貼付)されていた。駅から迷う人は稀だろう。

◎午後3時ごろ
 母と二人、出かける準備を開始。
 小雨だけどタクシーを呼び、着替えやお金を持って、葬儀会場へ。

10/17の出来事-その2(午後編)

2012-11-13 08:25:39 | 日記
では、17日の午後の出来事。

昼前に到着した母方の叔母(以降、仮称「松江オバ」)が途中で買ってきてくれた「海苔巻き」等で軽い昼食を済ませる。


◎午後1時頃
 父方の叔母2名(適当な仮称が浮かばないので、仮に「一之瀬」「双海」)が弔問を兼ねて我が家へ来てくれた。
 私達親子はどちらかと言うと父方の親族の受けはよくなかった【注1】ので、何やかにやを言われるのでは無いかと覚悟していたら、寧ろ「結婚してからは家族に負担をかけて、いい兄貴で無かったけれど、最後まで面倒見てくれて・・・ご苦労様。」と言って労ってくれたので、拍子抜けした。
 私からの説明を一通り聞き終わると父方の叔母達は、「供物・生花」の申込用紙に印刷された罫線を無視して勝手に記入を開始し、叔母達4名のみ(一之瀬、双海、三ツ和、吉野)が参列する旨を言い残して我が家を後にする。
 愚痴っていいですか?焼香に来る程度の事はできそうな物なのに、父の血筋の甥姪がホボ欠席って何??もしかして・・・「同じ市内に住んでいても、親や兄弟が出席していれば、オジ・オバの葬式には一切顔を出さなくても良い」ってのが、世間の常識なんですか?


◎午後2時頃
 母方の従兄(以降、仮称「茂兄さん」)が未だ来ない。
 現時点での懸案事項は2つ
  1 通夜及び告別式で受付をやってくれる人を見つける。
  2 信金へ行って定期を解約するか、最寄り駅まで出て
   「当座のお金」【注2】を引き出す。
 1番の方は、松江オバが「茂ニイの所の長男が家で暇しているから(プーでは有りません。今年は通年講座を持っていない大学の非常勤講師)、茂ニイが来たらお願いしてみよう。うちの幸太郎も出させるから。」といって、ある程度解決しそう。
 一方、2番の方は、その茂兄さんが来ないので、私が「出るに出られず」状態。最悪は、通夜当日にチョット寄り道して「当座のお金」を引き出せば何とかなる。


◎午後2時30分頃
 未だ茂兄さんが来ないので、松江オバが確認の為に電話を入れると、まもなく家を出る予定だった。
 茂兄が来るまでの間に、「茂ニイが来たら一応、相談するけれど、文句は私が引き受けるから」と言って、松江オバが誰の名前で「供物・生花」を出すのかをあらかた決めてしまう。
 こりゃ~銀行にいけないわ。それになんだか眠くなってきた。


◎午後3時頃
 茂兄とその嫁さんが到着し、松江オバが決めた内容を茂兄さんに説明する。
 その途中で会社から「そろそろ、社内書類を書いてfaxしたいので、葬儀の予定等を教えて」と電話が入った。何時もは私がその役目を負っていたから、項目を問われる前に「死亡した者の氏名及び年齢」「従業員との関係」「通夜及び告別式の時刻」「通夜お詫び告別式を執り行う場所の住所・名称・電話番号」を通知し、足りない項目があるかどうかを逆に問う。
 電話を切ると、松江オバが決めた内容よりも多くの「供物・生花」を出すことで決定していた。
 どういう話の流れでそうなったのか思い出せませんが、茂兄の乗ってきた車で父の荷物を受け取りに施設へ行くことに。先方の都合もあるので、先ずは電話を入れてみると、何時でもokとの事。施設へに到着すると「ただ今、事務手続きの書類を持って係りの者が参ります」と言われてしまい、どうしようかと思っていると事務室の奥から理事長(町内の人間)が出て来られ、何度目か判らない父の死亡の経緯を改めて説明。途中で梶さんが来られて、横で傍聴。こちらからの話が一通り終わると、梶さんの案内でオープンテーブルへ移動。係りの人とは「梶さん」の事だった。
 「梶さん」から渡された書類は、「16日付で入所契約を解消する」と言う書類と、「身の回りの物は全て返却を受けました」と言う書類の2種類。書類を書き終わる頃に、大きなダンボール(1辺45センチ程度)2箱が台車に載って到着。恥ずかしながら、午前中寄った時点では、まさかこんな大荷物だとは思って居なかった【注3】ので『後で自転車に乗って取りに来れば良いや』と考えており、それを実行したら大変な目にあっていたでしょう。茂兄さんも「車で来て良かっただろう」と言っておりました。
 施設から戻り、先ほど決めた「供物・生花」の内容を依頼用紙に記入し始めたけれど、一人だけ正しい漢字が判らない(母から見て兄嫁。その兄は既に物故)。その漢字を知っている人間は、この時間では会社で仕事中なので、茂兄さんが夜になったら聞いておいてくれる事に。
 因みに、この「供物・生花」を誰が出したのかという事で、後々、父方の叔母達から文句が出ましたね。


◎午後4時
 そろそろ、松江オバも茂兄さん達も帰るという段になって、私以外の者は大事な事を忘れている。そう、受付に立ってくれる人間の手配です。私が母と松江オバにそれとなく小声で話を振ったのですが、自分達のお喋りに気をとられており、私の話しは頷くだけ。
 翌日になってから松江オバが大騒ぎをしてどうにかなるのだけど・・・その場を仕切ってくれている親族が居ると心強いけれど、何かと言い出しにくいのも難点かな~


◎午後5時
 ひと段落が着き、早目の夕食。
 母に「結局、町会の人は来なかったね。明日は、お金を下ろさなければならないから・・・午後一番に家を出ないとダメでしょう」と皮肉を含めてダメ押しをする。


◎午後9時ごろだったかな~
 母の事が心配だったので、昨日に引き続き、私も母屋で寝る事に。


◎午後11時だよ!
 突然の電話で飛び起きる。
 『こんな非常識な時間に、どこのどいつが・・・』(我が家では午後8時以降の電話は控える。午後10時以降は非常識と考えて余程でなければこちらからは電話を掛けない。)と思い、寝ぼけたまま電話に出る。
 最初は寝ぼけていたので誰だかわからなかったけれど、電話を掛けてきたのは、日ごろから用件を一方的に話す従姉。用件は、漢字が判らなかった兄嫁(掛けてきた従姉から見れば実の母)の件での電話だった。ご丁寧にも「母の名前はナギサで、漢字は『草冠にキジ』でナギ、『人偏に左』でサ。キジは「ケンケン」と鳴く鳥のキジだから、偏が「弓矢の矢」よ。あと、私の名前は・・・で、偏は・・・になっていて、歴史上の人物の・・・と同じ時(知っております。漢字もね)。それと、生花だけど、私と妹の連名でお願い。妹の名前は・・・(知っております。漢字もね)」と間違いようの無い説明。
 一通り漢字の説明が終わると「もしかして寝ていた?ごめんね。」と来たもんだ。はい、ぐっすり寝ていましたよ。


【注1】
 別に、父方の親族が行う葬儀等に対して「あなた達の遣っていることは可笑しいからこうしなさい」見たいな意味で言ったことは無いのですが・・・どうも行き違いがあったようで・・・例えば母が「お婆ちゃん(叔母達の母親)の法要に塔婆を出しますよね」と叔母達に相談したら、「兄さん(叔母と父の兄)、○○の所が言うから顔を立てて塔婆を出すことにしてあげるわよ。」と今は亡き伯父に言ったために、伯父は「嫌々出す塔婆なんかいらない」と癇癪を起こして、親戚内で険悪な状態が数年続きました。
 母は伯父に対して経緯を話し、そのときには我が家からは塔婆を出してもらい、その後は、母の方から叔母達に事前相談をすることは止めました。

【注2】
 先日、計算書と一緒に葬儀社の方が置いていった諸経費の説明メモによれば、お通夜及び告別式で支払う「当座のお金」は10万程度で足りる予定
 大凡の内訳は
  互助会入会金 50,000円
  火葬代     4,000円
  喪主が出す「供物・生花」代 4万円程度(選択した内容により異なる)

【注3】
 過去にも書いていますので、覚えている方も居ると思いますが、この特養施設は父が入所した3番目の施設。ですので、これまでに2回移動したわけですが、そのどちらの時にも私がリュックサックを背負い、大きな袋を1つ肩に掛けて荷物を持ち出しておりました。
 その経験が『自転車で・・・』と思わせたわけですが・・・今考えると、特養に入所してからは、季節ごとの衣類の入れ替えは行いましたが、自宅への持ち帰りは行っておりませんでしたので、「合物」「夏物」「冬物」が一遍に返却された訳ですね。あとでダンボールはこの中を整理したら、入所中に購入した雑貨も入っておりました。

10/17の出来事-その1(午前編)

2012-11-08 12:06:46 | 日記
一夜明けて、葬式の手配です。

◎午前8時
昨日、霊安室で待って居る間に、母が「お寺の電話番号が判らない。町会で決めた戒名代など値段表も・・・」と言っていたので、8時ごろに従兄が電話番号を書いたメモを持って来てくれた。
 ⇒笑い話になりますが・・・値段表は昭和50年代に決めたままで
  変更していないとの事。
  そこで、母が仏壇の引き出しからA4の紙を取り出すと、お寺の
  電話番号を書いたメモも挟まっていた。
昨日も、葬儀社の方に「お寺さんと葬儀の日程を話され、決まりましたらご連絡ください」といわれていたので・・・本当は経験のある筈の母か従兄にやってもらいたかったのだけど・・・私がお寺へ電話を入れる。
  寺(お爺ちゃん?) 「はい、△△寺です」
   私 『○○町に住む、檀家の****(父の名前)です。
     葬式をお願いしたいのですが?』
  寺 「チョット待ってね・・・あれ?見当たらないな
    (ガサガサ音がしていたので、過去帳が何かを見て居たのだと思う)
    住職が未だ来ていないので・・・伝えておきますから、
    住所と世帯主名、死んだ人の名前、喪主の名前、
    葬儀の日取りを教えて」
   私 『住所は・・・。世帯主は・・・。死亡したのは世帯主。
     喪主は(母と従兄の方を見ると私を指差している)○○です。
     葬儀の日程ですが、18日に通夜で、19日に告別式で
     大丈夫でしょうか?』
  寺 「葬儀の日程はこちらが決めるのではなく、葬儀社と
    話し合って決めてください。こちらはそれに従います」
   私 『(暇な寺なんだな~)
     葬儀社の方からはお寺さんの都合を聞いて下さいと
     いわれているのですが?』
  寺 「うぅ~ん。
    18日と19日ですね・・・こちらは大丈夫です。
    葬儀社と連絡を取りますから、名前を教えて」
   私 『(私の名前と又聞いて来ていると言うことはないよね)
     葬儀社は***です。葬儀の場所は△△ホール。』
ここで一先ず、従兄は退場。
今決まった日程を母が叔母に電話で伝えると、叔母はこちらに来るとのこと。


◎午前8時30分頃
 母が「押入れから座布団出して」「座布団を10枚借りてきて」というから、取りあえず押入れのどこに座布団(何時も使っている来客用ではないというから)が入っているのかを聞いて、座布団を4枚取り出す。梱包はしていたけれど、包装紙が破けており、座布団カバーが汚れていたので、今度は座布団カバーを探し出す。汚れた座布団カバーは洗濯機に放り込み、座布団本体は廊下で虫干し。
   ⇒座布団を借りて来るのは面倒に感じていたので、無視。
   ⇒この時点では何でそんなに座布団が必要なのか理解していなかった。
 次に、「町会の人が何人も来るから、テーブルと電気ポットをここ(納戸)から出して」というので、座布団を10枚以上用意する理由が判明。母は常々「いつかは世に出る」と言って、何れは使うであろう物品を納戸・押入れや物置小屋に押し込むから、「多分、ここら辺にある」と言う指示しか出来ない。手前に積んである物を片付けながらどうにかテーブルと電気ポット(多分未使用)を取り出す。
当然、その次に要求されたのが「お茶とお茶菓子を買ってきて」。で、父が死んだことは施設に連絡していないので、スーパーに買い物に行った帰りに立ち寄る旨を行って、私一人が自転車で何時ものスーパーへ。
 スーパーの帰りに施設に立ち寄り、出て来た事務員に父が死んだことを伝えると・・・事務所内が騒然。そりゃ~、14時間前には大丈夫だろうと言う報告をしたのだから。医療に強いと思われる職員に問われて、死亡原因「慢性腎不全の急性増悪」を伝えると、慰めてくれる心算だったのか?「それってよくあることなんですよ。病院の方はある程度判っていたから、昨日電話を入れたんですね。」と解説してくれた。


◎午前9時00分頃
 母がしつっこく「座布団を借りてきてよ」と言うので従兄宅へ向かうと、従兄がこちらに歩いてくる。従兄側の要件は何だったのかは思い出せないが(葬儀社の方が来る時間を聞いてきたのかな~)、これ幸いと、座布団を貸してくれるようにお願いする。


◎午前9時30分頃
 葬儀代等が幾ら必要なのか不明なので、母名義の定期預金を解約して準備しておこうと言うことになり、「定期預金証書」「印鑑」を準備。母の定期預金は地元の信金に預けてあるが、信金自体の合併や支店の統廃合でにより、私はその信金の場所を知らない。そこで母に信金までの行き方を尋ねたが、「降りたら線路に沿って歩いて、踏切を渡る道に出たら右に曲がる」として説明してくれない。降りるべき駅の周辺を走っている主要道路は知っているけれど、東西南北のどちらを目指すのかが不明ですから『線路に沿ってっていっても、どっちの駅に向かって歩くのか教えてくれなかったら判らない』と言うと、母は考え込んでしまった。そこで『乗った電車から見て、進行方向にあたるM駅方面?それとも来た方向に当たるK駅方面?どっち方面に歩くの』と問い方を変えたら、「改札を出たら右に曲がると線路に沿った道があるから・・・M駅方面に歩いていくと踏み切りのところで道が曲がっているから踏切を越えて右に歩くと信金がある」と言う、当初に比べたら具体的な説明が帰って来た。私は早めに手続きしたいので・・・お昼を済ませたら解約をしにいきたいといったのだけど・・・母は「町会の人が来た時に施主不在なのは困るから家に居て欲しい」と矛盾する要求を言い始める。
   ⇒思うに・・・ボケとか父の死亡にショックを受けて
   思考停止になっているのではなく、私も日常的に
   経験することがありますが、行うべき事柄が多すぎて
   優先順位が付けられない状態になっている。
 従兄宅でも座布団を虫干ししていたので、10時チョット前に従兄の嫁が座布団4枚持ってきてくれた。後ほど、追加で4枚持ってきてくれたので、計8枚借りる。


◎午前10時頃
 従兄が再び我が家へ。昨日渡したメモに書いてある家には葬儀の事は伝えたとの事。
 従兄を含めた3名で葬儀社の方を待っていると、10時チョット過ぎにに来られた。
 ここで聞かれたことは
  1 互助会に入っている場合には葬儀費用が安くなるから、加入しませんか?
    ⇒加入することにしました。5万円です。
    ⇒後述するパッケージ料金表を見ると、10万円以上安くなっている。
  2 参列者の予定人数
    ⇒従兄の概算だと、町内及び父方の親戚で30名
     母方の親戚は10名
     私の勤め先からは・・・今年は従業員の親族が既に2名亡くなっているけれど、
    参列したのは「社長」と「専務」の2名だから・・・大量には来ない
    ⇒結論として50名前後
  3 パッケージで発注するか、個別に必要なサービスをチョイスするか
    ⇒細かい説明は忘れましたが、パッケージを選択すると
    昨日の寝台車の代金や、遺体を保管してもらった代金は
    タダになる。
    ⇒取りあえずパッケージ料金表(サービス一覧表)を眺めて見ると、
    一番下が「30名程度用」で、次に「70名程度用」となっていたから
    「70名」で発注。
  4 祭壇のイメージ
    ⇒見本の写真を10枚ほど見て決めた。
  5 「香典のお返し」の内容と準備する個数
    ⇒葬儀社が鞄から取り出したカタログを見る。
     母は私に任せると言いながらも「『お茶』と『海苔』の
    セットが普通よね」と押したが、私は思う所があり、
    「クッキー」が入っているセットに決めた。
     今回は選ばなかったが、「梅干し」とか「生菓子」の入ったセットもあった。
    ⇒「会葬の礼状」は返品が利かないが、「香典のお返し」は
    返品が利くということなので、70個で発注。
  6 「通夜振る舞い」の人数
    ⇒料理のカタログを見たのかどうかを思い出せないが、
    これを書く当たり書類を見たら10名×4セットで依頼。
  7 火葬場での食事【注1】
    ⇒火葬が済むまでの間、会葬者に対する食事を
    『施主が独自に用意』『葬儀社で用意』のどちらにするのかを
    決めなければならないので、葬儀社に依頼。
    ⇒「軽食」から「豪華弁当」まで色々と載っているカタログが登場。
     火葬の時間が「11時30分から1時間程度」だったので、
    2段重ねのお弁当にする。
    ⇒用意する数は仮の数字で30名分としておき、通夜振る舞いの時に
    最終決定することに。
  8 ホール(葬儀場)までの送迎バスの有無【注2】
    ⇒昨日、私が第一希望として挙げたホールが取れており、
    そのホールは「町内を通っている路線バス(1時間に4~6本)で、
    最寄り駅まで約15分」「最寄り駅(2つの私鉄が通っている)から
    徒歩3分」と言う好条件なので、不要。
  9 告別式の日にホールから火葬場へ移動する際に使うバスの規模【注3】
    ⇒おおよそ30名が載れる中型を往復で予約。【注4】
    ⇒通夜の振る舞いの時に、大凡の人数を確認しておくようにと
    葬儀社から依頼された。
  10 受付の人の手配
    ⇒一応、受付を行ってくれる人を2日間で延べ4~5名は
    手配しておいて欲しいと葬儀社から言われた。
    ⇒心当たりがない場合には、葬儀社から社員を有料で
    各日1名程度は出せるかも知れないが、それでも責任者は
    施主側から各日1名は手配しておかなければならないとも言っていた。
  11 遺体の化粧
    ⇒遺体に対する化粧にもランクがある。
    ⇒どの程度の違いが生じるのかは詳しくは聞かなかったが、
    見苦しくない程度にはしたかったので、下から2番目でお願いした。
  12 棺おけの種類と色、あと「畳を敷きますか?」
    ⇒これもカタログを見せられたが、今となってはどんな物が
    載っていたのか思い出せない。色は『白』
    ⇒代金追加で棺おけの中に畳を敷いて貰う。
  13 霊柩車
    ⇒「霊柩車」と言われた時に多分多くの方が思い浮かべるであろう、
    あの『金ぴかな車』では無く、無難に『黒のセダンタイプ』を選択。
  14 位牌の手配
    ⇒他に頼むのも面倒なので、葬儀社に頼むことに。
     葬儀社の方は既に我が家の仏壇に置いてある位牌の寸法を確認し、
    カタログを開いて物の説明を開始。まあ~戒名が決まってから正式
    発注すると言うことに。
他にも話した事柄はあったと思いますが、思い出せるのはこの程度。
この時点での費用概算が「葬儀代110万円程度で、料理等を含めて150~160万円」と聞いた母はレベルダウンを要求したけれど、半値にはならないからそのままの内容で依頼。
次に遺影に使う写真及び故人を偲ぶスペースに展示するための写真数枚が必要と言うので、アルバムを取り出す。
   ⇒笑いを取る心算もあり、例えば次のような写真をセレクト
    ・青年会の旅行で行った熱海での写真
    ・偶々、従兄の嫁の父親と写っている写真
    ・結婚式で母が恥じらんで居るように見える写真
    ・私の七五三[3歳]の時の写真
このあと、「供物・供花」のカタログ1部と申込用紙2枚が渡され、翌日の午前10時30分に申込用紙を取りに来ると言って、葬儀社の方は約10枚の写真を持って帰る。
従兄も申込用紙の1枚を持って自宅へ戻り、(父方)親族からの注文を取りまとめてくれることに。
あぁ~そうだ!この時、「蓮華塔」なる物を購入することを勧められました。


◎午前11時30分頃
 叔母が到着。
 母方の従兄の中で一番年上の方から「お昼を済ませたら、お前の所へ行くから」との電話が入る。


これが17日の午前中の出来事。

【注1】
 話し合いの際には、母と従兄も横で聞いており、アドバイスをしてくれていたが・・・この時には「『精進落とし』をかねた昼食」と言うことでお弁当を発注したのだけど・・・当日になって「慣わしに反するよ」と言うことになってしまった。
 ホールを借りている時間について話すことは無かったので、どうなるのかは疑問が残りますが、結果としては、火葬場では「軽食」を提供し、ホールに戻ってから「精進落とし」にしなければだめだと言う事。

【注2】
 私が第二希望として挙げたホールは「町内を通っている路線バス(1時間に2本程度)で、ホールまで30分(渋滞で遅れることを考えると)」「最寄り駅から徒歩10分」と場所であり、一昨年に父方の親戚が利用。
 この時、送迎バスの手配に行き違いがあり、火葬場からホールへ戻ってきて解散となった時に、ホールから町会までの送迎バスが用意されていなかった。
 送迎バスの手配をする場合には、想定される移動のタイミング毎にバスが必要なのかを何度も検討し、「○○日は、××時に△△で人を◎◎名程度乗せて、**へ」を良く確認しておく必要があると思う。

【注3】
 喪主等は別の車で移動する慣わしがあるが、今回は喪主等もバスの人数の中にカウントしておいた。
 尚、喪主等が別の車で移動する場合に発生し易いトラブルがいくつか在るので、代表的な物を挙げておく。
 1 車の運転を頼んだ相手が会社の人間だったので、火葬場までは送ってくれたが火葬場に到着したら仕事に行ってしまった。
 2 慣わしによって異なると思いますが、私が教わった常識では、火葬場へ行く時には「仮位牌」と「遺影」を持つ人が同じ車に乗るので2名。だが、帰りは「遺骨」を持つ人が増えるので3名が同じ車に乗る。このことに気づかず、『運転主が遺骨を持つから運転できない』とか、『遺骨を持つ人が別の車に乗ろうとしてしまう』等の間違いが生じる。

【注4】
 注2か注3で書くべき事なのかもしれませんが、例えば「火葬場で解散」となると、帰りの足を考えておくのが喪主の礼儀ではないでしょうか?

16日の出来事-その3(葬儀社手配から帰宅まで)

2012-11-06 09:39:14 | 日記

 葬儀社の電話番号を調べるために1階に降りるエレベーターの中で、従兄が「おばさんの前では聞けなかったけれど、『切り刻む』って話しだったよね」と確認を求めてきた。直ぐには理解できなかったけれど、「某国立大学医学部への献体」の事だと気付いたので、『叔母さん達の了解も取れていないから、このまま普通に火葬する事にする』[注1]と返答。

 1階に到着したら・・・エレベータの後ろのドアが開いてしまい、従兄と2名で軽いパニック。階数のボタンを良く見たら「前方用」と「後方用」の2列があったので、何気なく「後方用」1階ボタンを押したのだと思う。一旦、エレベータを2階まで上げて、改めて「前方用」1階ボタンを押して、無事1階に到着。
 指定場所に行き、従兄が自宅で留守番している長女に「おじいちゃんの時に使った葬儀社の電話番号を調べて」と携帯で依頼。携帯を切ってから数分待っていると「多分、時間が掛かると思うから、ここにある電話帳で調べてみたら」と言って、私にタウンページを渡すので・・・調べてみたら・・・当たり前ですが載っていたので、直ぐに公衆電話からTEL。
 今振り返ると、少なからずショックを受けていたためなのか?この時にどんなやり取りをしたのか良くは覚えておりません。ですので、実際のやり取りとは異なっているかもしれませんが・・・
  私「すいません、父が死んだので葬式等をお願いします」
 葬儀社(以降「S社」)「それはご愁傷様でした。」
  私 「何から話せばよいですか?」
 S社「かしこまりました。幾つかご質問させてください。」
   「先ず、亡くなられた方と、今お電話くださっている方のお名前を」
  私 「死亡したのは****。電話をしている私は****。」
 S社「次に、今お電話くださっている方と死亡なされた方とのご関係を教えてください」
  私 「死亡した者から見た場合であれば子供です。喪主予定者です。」
 S社「では、死亡なされた方の住所と電話番号をお教えください」
  私 「α宇宙域セクター001のテラ星系第3惑星。電話はカステラ1番電話は2番3時のおやつは食べませんです」(勿論、これは冗談で書いています)
 S社「ご遺体は今どこに安置されておりますか?」
  私 「病院です」
 S社「病院の名前を教えてください」
  私 「○○病院です」
 S社「葬儀を行うご希望のホールはどこですか」
  私 「××ホールか、△△ホールが良いのですが・・・出来れば、××ホールの方で」
 S社「ホールの予定を確認してみます。ご遺体は別のホールでもお預かりできますので・・・」
  S社「かしこまりました。今から50分後に病院へお伺いいたします。病棟の看護師の方に弊社の社名と50分後に到着する事をお伝えください」

 電話を切り、病棟へ上がるためにエレベーターに乗ると、二人して「ボタンに注意しないと」と言って、薄ら笑い。
 看護師に葬儀社の手配ができた事を伝えると、看護師の方も霊安室へ移動でする準備が整ったとの事。但し、この病棟での夜間勤務をしている看護師はこの方1名だけなので、別の病棟(?)から1名来るまで待つことに。その間、看護師が「こちらに最初に上がって来た時間は9時30分過ぎですよね」というので、従兄に尋ねてみると「9時20分頃だろうとおもうよ」ということで、チョットした齟齬が発生。多分、日誌に書く都合があるのだろうと思い、『30分と言うことで構いませんよ』と決着をつける。

 留守番(?)してくれる方が来られたので、ストレッチャーに乗った遺体と共に私達4名と看護師、看護補助者(?)の計6名(この場合7名と書くべき??)で1階の霊安室に移動。
 看護師と看護補助者の2名でストレッチャーから遺体を霊安室の遺体安置台へ移動。焼香をしてくれた後、「葬儀社の方が来られたら、内線427番に連絡ください。あと、この書類は死亡届けを出すときに必要な物ですから、葬儀社の方に渡してください」と看護師からの説明。その後、看護師と看護補助者の2名は病棟へ。
 残された4名は葬儀社待ち。従兄の嫁が母の横に座って慰めているけれど、母が何やら別のことをモゴモゴ言っており、従兄も何やら私に話しかけてきたが、どちらの話しも聞き取れない。
 意味不明の呟きなどの事は端折って・・・従兄が「町内等で誰に声を掛けるの?近所付き合いとか親戚付き合いしている家を教えて」と母に尋ねると10件挙がって来た。私がメモを取って従兄へ渡す。
 当たり前のことですが、霊安室は寒い。だから、結果として一人ずつトイレに行く事となったのですが、最後になった私がトイレから出ると車のライトらしき物が横切ったので『葬儀社が到着したのかな?』と思い、急いで霊安室へ。

 案の定、葬儀社の方が2名来られていた。
 内線で呼び出した看護師が、葬儀社の方と何やら事務的なやり取り。それが済むと、葬儀社の方が「ご遺体は、ご自宅と弊社ホールのどちらへ」と尋ねてきたので、迷わず『そちらのホールで預かってください』[注2]と即答。
 で、当初は「私が葬儀社が用意した寝台車に同乗してホールへ向かい、父をホールに預けたら葬儀社の車で自宅へ」「残りの3名は従兄の嫁が運転する車で帰宅」という事でしたが、葬儀社の方が「寝台車には2名乗れますから、お母様もご一緒ホールまで来られて、そのままご自宅へお送りいたしますよ」というので私と母の2名が寝台車に乗車する事に。乗車後に「先に自宅(近く)まで行き、お父様だけをホールへ」という事になり、図らずも父は自宅近く(数メートル手前)まで戻ることが出来た。
 従兄達も直ぐ後から到着(寝台車を駐車した場所は従兄宅の農作業小屋前のスペース)し、留守番をしていた従兄の長女を含めた5名で父とのしばしの別れを惜しむ。
 葬儀の仔細は翌日の午前8時30分から行うことにして、寝台車はホールへ。

やっと16日のことが書き終わりました。



[注1]
 約25年ほど前に、今は亡き伯父(母の一番上の兄)が「俺が死んだら・・・」と献体の申し込みを行いました。そのことを聞いた母が、勝手に夫婦で献体の申し込みをしてしまいました。
[注2]
 本当は家に帰してあげたかったけれど・・・常々、「介護ベッドや酸素の機械があるから、お父さんが(生死に関係なく)家に帰って来ても寝る所が無い」と母はこぼしており・・・まあ~他人にとやかく言われたくないこちらの都合というものがあるんですよ。