介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

母死亡の経緯 その3-とにかく搬送

2013-03-19 20:45:21 | 日記
2月22日の午前5時30分頃から話しは続きます。

・午前5時30分頃
 狭い救急車の中では隊員A(主にモニターの数値や母の意識レベル等を確認)、隊員B(受け入れ先を携帯で探している)、隊員C(私から状況等を聞きだしている)の3名が頑張ってくれておりました[三山救急隊の皆様ありがとう御座います]。
 母は隊員Aの問い掛けに対して返事を返していますが、声が小さくて聞き取れません。でも「右手を開いて」「左手の手のひらをグーにして」と言う指示には明確に反応を返しており、意識レベルは高い方に評価されていたとおもいます。しかし、体温計は「L」と表示されたままで数値表示ができないので、疑問符を頭に浮かべていました。
 私が病院名を言ったのが先だったのか?それとも緊急通報システムにより既に情報が渡されていたのか?或いは状態から判断してなのか?隊員Bは一番最初に母の掛かり付け病院へコール[要求により隊員Cを通じて診察券を渡しました]・・・しかし、あいにくドクターカー出動により治療を担当できる医師が不在。次にかけた先は少し山間部にある病院・・・ここも何か有ってダメ。複数の病状があるために幾つもの病院で断られてしまいましたが、1件だけ10分後に再コールする約束の病院に希望を託してコール・・・ダメです。事ここに至り、私に対して『取り敢えず「外科」による治療受け入れで当たります。それでいいですね』と念押し。やっと最寄駅近くの第1次救急病院が受け入れを受諾。
 この間、隊員Cは母の氏名、生年月日、病歴、発見までの経緯を私からヒヤリング。途中で従兄弟が乗り込み、私の横で状況を静観[甥っ子とは言え、余り口出しは出来ないもんね]。従兄弟は病院が決まると救急車を降りて『後から行くから』言ってくれた。
 

・午前6時ごろ
 救急病院へ到着。
 救急車から降り、母を載せたストレッチャーの後に付いて行き、処置室へ。隊員が処置室に備え付けて計量計でストレッチャーごと母の体重を量ると20kg台であることことから。計測間違いを疑っていたが、母の体重はその程度。医師も別におかしくないと言ってくれた。
 医師から母の飲んでいる薬又はお薬手帳を聞かれ、ふと手にしている袋を見ると・・・湿布薬である事に気づいた!そういえば、この袋を手にしたときに『何時もとは違う場所になんで薬を入れているビニール袋が有るんだろう』とおもったよな~と後悔しながら、『心臓の大動脈弁を15年前の平成10年に置換したので「ワッファリン」か「バファリン」を飲んでいます』と答える。袋の中に何か紙があるので、一応取り出すと、偶然にも循環器科から処方された薬のリスト表だったので、医師にそれを渡す。
 一応、私からのヒヤリングが済んだのか?私は看護師の指示で、処置室から出て廊下の長椅子で待つ事に。待っている間に持ってきた母のバッグを漁るとお薬手帳が底の方に入っていた。今更だが、又尋ねられた時のために、お薬手帳はバッグから出しておく。


・午前6時30分ごろ
 CT撮影等の為に母が処置室から出てくる。
 思う所があり、場所を移動して社長に連絡。
 処置室前の長椅子に戻ると、別の看護師が私に入院のための書類を渡すので、この病院で治療が続くのだと思うと、根拠も無いが一安心。このとき、健康保険証と、お薬手帳を看護師に渡す。


・午前7時 一寸前
 母は既に処置室に戻っている。看護師が処置室に来るように私を呼ぶので、処置室の中に入り、医師の説明を聞く。
 医師は開口一番、「今、検査結果が順次上がってきていますが、血液検査の結果は極度の貧血状態です。息子さんからお聞きした話から考えて、この貧血は今回の足からの出血による物ではなく、かなり前からの症状と考えられます。他にも心臓が弱っておりますから、ハッキリ言ってお母様は今すぐに死んでも可笑しくない状態となっております。そのような方の治療をする病院は第3次救急病院であり、ここは第1次救急病院なので、急変する可能性の高い患者さんを看護する体制が整っておりません。ここでは治療を続ける事はできません。」との説明。これを聞いて私は茫然自失です。
 続けて医師は「そこで、お母様は第3次救急病院は継続治療を受けていますので、そちらと話したところ受け入れてくれる事となりました。転送しますがよろしいですね」と説明。それに対して拒否も出来ないので承諾の意思表示。この時、母は危篤状態だというのに内心は『やった!あっちで治療してもらった方が助かるぞ』と根拠も無い安堵感を覚えました。
 そこで再び私は治療室から長椅子へ。


・午前7時 一寸過ぎ
 看護師が先程渡した保険証とお薬手帳を返してくるのと同時に、会計に持って行く書類を私に渡し、会計が済んだら声を掛けて欲しいといって、処置室の中に消えていく。
 会計に書類を出して治療費を精算して長椅子に戻ると、こちらが声を掛ける前に処置室から看護師が出てきて「救急車が到着しましたので、荷物を纏めて中に入ってきてください」との事。


・午前7時20分ごろ
 再び救急車に乗って、通いなれた病院を目指す。先程の病院の医師(別の方)も同乗。救急車の中で母は救急隊員からの問いかけに対して反応しているが、体力がなくなっているのか?それとも先程受けた何らかの治療が効いており意識がぼやけているのか?何か喋っているけれど聞き取れない。
 朝の通勤で道が混んでいるのもあるけれど・・・他の車両は路肩に避けて通してくれるのに、救急車の前をチンタラチンタラと1キロに亙って走り続けている車に対しては、当初は強い怒りを感じたが、他の車が路肩に避けているために、避けるためのスペースが無かったのだと気づいたら、逆に悪い事をしてしまったような気がしてきた。


・午前8時 一寸前
 第3次救急病院へ到着。
 隊員の案内で、救急受付窓口へ行き、健康保険証と診察券を提出して、ロビーの長椅子で待機。
 日中であれば20分程度の道のりを、その倍の約40分を掛けての搬送となった。道路の混雑具合から考えれば早く着いた方だけど、再び先程のチンタラチンタラ自動車に対して不満が湧いてきてしまった。


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