介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

そろそろヤバイです。

2011-06-29 11:24:37 | 日記
父のことではありません。

確か5年ほど前に自宅の玄関先で倒れて掛かり付けの病院に緊急入院をし、そのまま特養『ユリの谷』(当然に仮称です。実在していたら偶然の一致です)に入所している伯母が、そろそろではないかと言う状態です。

伯母は入所後、何度も病院に緊急入院をしていますが、その度に「生きて退院できませんよ」と言われては、前向きな治療が何も出来ないので2~3日後には退院するという状態を繰り返していたのですが、入退院を繰返す度にボケが進行して家族さえ認識できない状況でした。
それが数ヶ月前から急に意識がまともになり、家の事や親戚の事を気にし始めました。急に意識がハッキリしてきたと言う事が死期の近い証拠と言う事で施設の方も医師の方も『今の内に合わせたい人は呼んでおくように』と家族に言ってきたそうです。
6月14日に従姉の一人が車を出すと言う事なので母が行きましたが、それまではボケボケだったのが余りにもしっかりしているので悲しくなったと言っております。

介護していません

2011-06-28 12:39:06 | 日記
土曜日に父の所へ行ってきました。
今回は10分です。多分、最短記録だと思います。

いつもと同じく9時台に施設を訪れ、2階に上がり『さて何処にいるかな~』と探そうとしたら、職員が「お父さんは部屋で寝ていますよ」と教えて下さったので、部屋へ直行。
部屋に入ると父は横になっているだけだったので、私たちに直ぐに気付きましたが、起き上がる素振りは無く、私たちが話しかけても今日は反応が乏しく話す気も無い様なので、今回はサッサと退散。

介護していません

2011-06-21 15:42:21 | 日記
土曜日に父の所へ行ってきました。
今回は40分です。

予報では午後から降水確率50%でしたので、兎に角、午前中には行こうと言う事でいつもと同じく9時台に施設へ到着。
施設に入ると、ノロウイルス対策でもしたのか、僅かながら消毒薬みたいな臭いが感じられました。
2階に上がり、毎度の様に「父は日向ぼっこ」と決め付けて通路を進んだのですが、見当たりません。途中、トイレに1名入っているのが見えたので、トイレかな?と、部屋の前で待っていたのですが、戻ってきません。
まさか、あれほど嫌がっている食堂?と言う事で食堂を見に行くと、指定されたテーブルの前に居ました。
普通に父のところに近付いたのですが気付いていなかった様で、私たちが車椅子の左右に立つと驚き、「来たんだったら、声を掛けろ」との事。
偶々、お茶を配り始める時間だった様で、職員の方が父の目の前に紅茶(?)が入ったカップを置いてくれました。元気だった頃、父は熱めのお茶が好きだったのと、医師から水分を多めに取る様に指導があったので、母が飲むように声を掛けると「熱いから飲まない」。
父はつまらなそうに辺りを見回し始め、直ぐ近くの壁に貼られた今月の誕生日の方のリストに気付きました。6月は父の誕生月です。
何度も同じ事を書くことになりましたが、父は興味が無いのか今が何月であるかをスグに忘れてしまいますので、自分の名前が載っているのに驚いたようです。そして、さも当たり前の様に「知ってんべ~。××(屋号)の△△(あだ名)とは同じ日に生まれて、一緒に学校に通ったよな~」と昔を少し語りだしました。
幾らこの町で育ったとは言え、私はそんな事は知りませんし屋号もよく聞き取れませんでした。母は流石に何処の人を言っているのか理解しており、「××(屋号)の△△(あだ名)はもう死んでいるよ」と返答。
すると、父は「未だ若いから死ぬ訳は無いだろう」「俺と同い年の××(屋号)の△△(あだ名)だぞ」と反論。
それに対して母は「若かろうと年寄りであろうと、死ぬ時は年とは関係なく死ぬわよ。」
すると、父は再び話しを戻して「今月は俺の誕生日だな~。知ってんべ~。××(屋号)の△△(あだ名)とは同じ日に生まれて、一緒に学校に通ったよな~」が始まり、母が「若かろうと年寄りであろうと、死ぬ時は年とは関係なく死ぬわよ。」までを2回繰り返しました。

こんな遣り取りを3回もやっていれば熱いと言っていたお茶も冷めただろうと言う事で、母が再び飲むように催促すると「俺の見ていない間にさっき置いたのか?こんな冷めたお茶が飲めるか。」
今度は「誕生日」~「死ぬわよ」の繰り返しの中に「熱いから飲まないって行ったでしょ」「おれはそんなこといわねえ~」「水分補給しなければダメだから、お茶を飲まないとダメ」「無理に飲ませようとするなよ」が増えました。
そんな馬鹿みたいな遣り取りをしている食堂では、BGMとして加藤登紀子の歌う「知床旅情」等が流れている一方で、大型テレビの見ていたお婆さんがリモコンを操作して音量をドンドン上げています。
そんな中、私は前日までの寝不足のせいか気付くと目が擦っており、チョット食堂が騒がしく感じてイラついてきました。
目の痒みも段々と強くなって来ましたし、二人の性も無い遣り取りが落ち着いたようなので、一方的に帰る旨を宣告して施設を後にしました。

施設の外に出ると目の痒みが多少和らぎましたので、この時に目の痒みは僅かながら感じた消毒薬が原因ではないかと思い至り、買い物に行く序に目薬を購入するために掛かり付け薬局に寄りました。
自分では鏡を見ていなかったので気付かなかったのですが、薬剤師は私の顔を見てビックリ。目は充血し、顔も大分腫れていたそうです。
その後、体の数箇所に発疹が出て、日曜日は薬局が念の為にくれたサンプル品の軟膏を塗る1日となりました。
偶々、寝不足による体調不良だったせいだと思いますが、あの施設はどんな薬品を撒いたのか気になります。

介護していません

2011-06-14 12:43:47 | 日記
土曜日は事前の予報通りに雨でしたが、日曜日は予報が外れたので父の所へ行ってきました。
今回は20分です。

天気予報を信じて「今回はお休み」と決め付けていた物ですから、日曜日に父の所へ行くのは余り乗り気ではありませんでした。ある番組でストレス(嫌な事など)に大しては4つの行動形態(対決、回避、無視、逃避だったような)が有ると言っておりましたが、このストレスは解決可能ですから「対決」と言う事で、洗濯物を干し終わると直ぐに母を急かして出かけました。今回はパンツを忘れずに持っていきました。
施設の2階に上がると、「今日も日向ぼっこでしょう」と言う事で食堂へは向かわずに部屋へ直行。案の定、通路で日向ぼっこをしておりました。
持ってきたパンツを整理タンスに仕舞おうとすると、どの引き出しをみてもパンツの予備が見当たりません。一番上はズボン、その次はシャツ(上着)、1つ空けてランニングや靴下、一番下の引きだしには『下着』と書いたシールが貼ってあるし股引も入っているので、そこにとりあえず入れて置きましたが・・・2箇月程前までは私たちがこまめに引き出しの中を整理(本人は自由が利かないので引き出しの中が乱雑になっているため)していたのですが、職員に任せてしまうと、こちらも何処に何が有るのかがわからなくなりダメですね。

パンツをしまい終わり通路にいる父の所へ行くと、今度は父が部屋に入りました。何をするのかと見ていると、西向きの窓のカーテンを開けています。午前中ですから日が射す訳でもないし、ご近所の屋根が見えるだけですが、何かが違うのでしょう。
再び通路に戻ってきた父に、いつもの様に『散歩に行こうか?田圃を見てみないの?』と尋ねると、「田植えは未だ始まらない。未だ寒いから外には出ない。」と返事が返ってきました。先週の事はすっかり忘れているのですね。

そんないつもと変わらない遣り取りをしていると、施設の職員の方が「お茶ですよ~」と廻りに声掛けをしているので、『お茶しにいく?、散歩する?用が無いのなら買い物が帰るよ』と言うと、「もう帰れ」と言うので施設を後にしました。

そうそう、母との歌舞伎鑑賞ですが、中々決まらないようなので『六月歌舞伎(昼の部)』で予約いたしました。

声優の川上とも子さん死去

2011-06-10 18:48:04 | 日記
何気なくネットサーフィンしていたら、『訃報 川上とも子』の文字にびっくりしました。

最近のアニメやゲームはあまり知りませんし、誰がどのCVをしているのかも関心がないのですが、私の好きなPCゲームの1つである『kanon』(Key)で「倉田佐祐理」のCVをやっており、その時にこの方の名前を知りました。他のKey関係作品でも登場(注)される方だったので、残念でたまりません。

(注)
AIR  ヒロインの神尾美鈴
クラナド 幻想世界での少女
ONE~輝く季節へ~ 広瀬真紀

明日は雨?

2011-06-10 11:27:07 | 日記
明日は土曜日なので父の所へ行く日なのですが、先ほどgoo「天気予報」で確認したら
 6/11 雨のちくもり 降水確率6-12:70% 傘指数:100%
 6/12 くもり時々雨 降水確率50%
運が悪いと父のところへは行けないですね。

そうなるとチョット困った事に。父のことも心配ですが、私たちの食事も心配なのです。
先週の事なのですが、気温が高い日が続いたせいで、リハビリを兼ねたご近所のスーパーへの買い物に行っていた母が日射病寸前になりました。偶々、そのときスーパーに叔母(父の一番上の妹)が軽自動車で買い物に来ていたので無事自宅まで帰ってきましたが、もし、誰も頼る人が居なくて一人で帰ろうとしたら途中で倒れていたと思います。昨年は実際に熱射病となり危うく入院する所でした。
そこで、安全の為に母には外出をし無いように言い渡しており、私が帰宅の際にいつもより頻繁に買い物をしているのですが、冷蔵庫は信用していないので大量購入はして居りません。
昨日、帰宅途中で家に電話を入れて必要な物を問合せたら、冷蔵庫がホボ空っぽとのことでしたから、土曜日はどこかに買い物に行かなければ、闇に紛れてご近所の畑から野菜を失敬してくる事となりますが、残念な事に丁度出荷が終って畑には野菜がそれほどのこっ
雨さえ降らなければ、いつもの様に自転車で近所のスーパーへ行く序に父の所にも行けるのですが・・・雨だったらバスに乗って駅前のスーパーまで買いに行く事になります。
とりあえず、今夜、駅前のスーパーに寄ってみて、何か買わないといけませんね。

それに、外出禁止だと歩行困難に為り易いので、何か口実を作って外出させないといけません。そこで、ほぼ半年振り(1月の壽新春大歌舞伎が最後です)に新橋演舞場(自宅から約1時間かかります)で母の好きな歌舞伎を見ようと考えているのですが・・・何十年も前から『やはり、団菊(共に先代の時)じゃないとね~』といっております。先代を望むのは無理なので当代による「団菊祭り」は既に終了(5月)しておりますし、歌舞伎座の改装に伴い平成22年からは大阪での公演です。7月の新橋演舞場では謹慎していた海老蔵が歌舞伎18番の中から幾つか披露いたしますので団十郎は見る事が出来ます。でも、私たち二人して演目が気に入らないから選考外。
とりあえず「六月大歌舞伎」で演じられる『仁左衛門、千之助による連獅子』か、襲名披露がある「秀山祭九月大歌舞伎」のどちらがいいのかを選ばせている最中。「六月大歌舞伎」と言う事になったら、座席確保(日曜日の昼の部。第一希望「2-5~6」第2希望「1-25~26」)が次の課題です。

介護していません

2011-06-07 12:36:51 | 日記
2週間ぶりに父の所へ行ってきました。今回も約30分です。

梅雨入りしたはずなのに、前回とは打って変わって良い天気。
朝食や洗濯を母と二人で終らせたあと私が二度寝をしたので、家を出たのは気持ち程度遅い9:20頃。
焦っていた訳ではないのですが、施設に着いてから忘れ物に気付きました。そう、前回購入した男性Mサイズのパンツ6枚です。
別に今すぐ困る物でもないので、次回は忘れずに持って繰ればいいだろうということにして、イザ施設の2回へ。
多分、通路で日向ぼっこをしていると決め付けて部屋の方に向かうと、件のユキノシタと一緒に日向ぼっこ中でした。
外から来た人間には施設の中は少し暑い(夏・初秋は涼しい)ときが多いのですが、父がドテラを羽織っているのが母は気に入らないようでした。何が気に入らないのか?それは、本人が季節に応じた服装をすることで体の体温調節機能が維持できるのに、それを本人が面倒くさがってやらないのと、施設の
職員が本人の要望に従って着せたり脱がせたりしている為に、いつでも父は「今日は寒い」と言うようになってしまったからです。

いつもは私が話し出すのですが、今日は母が散歩の話を始めました。ですが先程書いたように「今日は寒い」と言って出ようと致しません。その上、「田圃は未だ田植えが始まらないから、見てもつまらない」との事。ですが、既に田圃は田植えが終了しており、『もう今日は6月で入梅だよ。今頃になって
田植えをして居るようではダメでしょう』と言うと、やっと今が6月であることが理解できたようです。そこで改めて「田圃を見に行こうか」と外出を促したのですが、外には出たくないの一点張り。

それでは帰りましょうかね~と話している最中に、面白い事が起きました。
施設の廊下は回廊式になっており、リハビリを兼ねて歩いたり、車椅子の練習をしている方が偶におられます。
隣の部屋に入っているお婆ちゃん2人もその様な方々ので、私たちの左側から車椅子で近付いて来ました。
父が「これ、お袋」なんて変な紹介をしたせいで、その方々は母を父の母親と勘違い[父は母は同い年です]した上で、父に対して『あんたの方が老けているわよ』発言。そして、私は勝手に父の兄弟[両親と私は30歳強違います]だと思われたようで『兄弟でよく似ているわね』といわれてしまいました。直ぐに家族関係を正しく説明したのですが、私が子供だというのはなかなか納得できなかったようで、「子供や孫はそんなに頻繁に来ないわよ。いつも来てくれるのは兄弟ぐらいよ」と愚痴が出てきました。
そのとき思い出したのですが、父が2箇所目の施設に入所していた時にも、ある入所者が父に向かって「よく見かけますが、弟さんですか。大分お若いようですね」と言って周りから笑われいました。その方曰く『こんなに似ているのだから、親子ですかと尋ねたら失礼でしょう』との事。これって、若々し
い母親を褒める時に『いゃ~、てっきり年のつながった姉妹(姉弟)だと思いましたよ』と同じ考えから出たのでしょうね。でも、それが通用するのは親の方を褒める時ですよね。子供側をほめる時には使わないと思いますが、どうなんでしょうか?