介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

母死亡の経緯 その6-やっと終わった「治療中」

2013-03-27 08:02:10 | 日記
唐突ですが、母の死亡原因は「脳幹梗塞」です。
それを踏まえて前後の記載内容を読み返すと、母の反応が緩慢となっていったのは、果たして「薬が効いている」からなのかが疑わしく思えるのではないでしょうか?

・ ~午後5時頃
 午後4時過ぎに治療室で母との面会をし、医師から「治療は終了しました。病棟へ上げる準備が出来るまでロビーで待っててください。」と言われて待っていたが、一向に声がかからない。
 さすがに1時間近く待たされると何か聞き違いがあったのかと心配になる。従姉Bも「待っていてねと言ってたわよね。19時までは家に帰らないと」と時間を気に出した。
 午後5時ごろ、私には見慣れている「入院のご案内」と書かれた冊子を持って看護師がロビーで待つ私に入院手続きの説明をしに来る。一連の説明が終了すると、「先に◎◎階(救急病棟)で上がり、エレベーター横にある談話ルームで待っていてください」との案内。
 やっと病棟へ行くのだと思い、3名で言われた談話ルームへ移動。直ぐにでも母が上がってくるのかと思ったら、ここでも10分程度待たされる。


・午後5時25分ごろ
 母が病棟に到着するが、私達はそのまま待たされ状態。
 病棟看護師の案内で病棟の廊下を4分の3周してICU室へ。
 母と会話をするが、午後4時に面会した時に比べて更に反応が鈍い。この時も私たちは軽く考えており、例えば、叔母は処置室内で自分だけが聞いた「腰が痛い」と言う訴えをしていないから、母に「薬が効いて眠いの?」と声を掛けておりました。
 私が発見してから12時間半近くが経過し、この病院での治療時間も9時間を要していますから、余り長く喋っても母の負担となりますので、早々に帰ることにいたしました。
 帰りしな、他の親戚に話すために病室の番号をみると「315号室」。既に書いた事ですが、ふと浮かんだ語呂合わせが『サイゴ』。嫌な予感はしましたよ。


・午後6時00分
 3人で乗った路線バスはターミナル駅に到着。
 駅から徒歩5分の場所に住む従姉Bは、別れ際、私が病院から渡された「毛布」と「バスタオル」(共に自宅からの搬送時に体をくるむために使用したやつです)を「洗濯して、乾いたら病室に持って行っとく」と言って持っていてくれた上、「明日からは私が看護に行くから、アナタは家で休んでいなさい。」とも言ってくれた。
 叔母は、何時もであれば「一緒晩御飯でも?」と誘ってくれるのですが、今日は「息子達に何も言わずに出てきたので、おかずを買って帰る」と言って、東武デパートへ。
 急にひとりとなってしまった私は、乗車券を買うために駅コンコースの向かい側にあるJR券売機へ。


・午後6時30分
 電車が自宅の最寄駅に到着したので電車を降りると、それを待っていたかのように携帯電話が突然なる。
 ディスプレーに表示された電話番号は知らない番号だけど、一応、出て見る事にした。


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