介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

小さな春

2014-03-27 12:11:20 | 日記
以前紹介した「サフラン」とはハッパの形状が異なっておりますので間違いないと思いますが、日曜日(3/23)に荒れ放題の庭を見たら「クロッカス」が咲いておりました。


【これはクロッカス】


【こちらはサフラン】


昔話ですが

2014-03-26 17:30:25 | 日記
前回のブログを書いていて思い出した事があります。
(この話題、過去に書いていないよね)

母死亡の経緯のところでも登場しますが、唯一私の記憶に残っている一番下の妹[注]が、母と同じく約40年前の冬に死にました。
 [注]
 母のいい加減な話しを信用すると、一番下の妹を含めて私には4人(時には5人)の弟妹が居た筈なのです。
  ・私と1歳違いで一人
  ・私と3歳違いくらいで一人
  ・その後に一人(母の話は、偶にここが双子になります)
  ・記憶に残っている妹
 とは言え、チャンと育たなかったから次々と弟妹が出来てたいただけだと思います。

で、この妹が激しい下痢と嘔吐による「脱水症」で死亡した日の夜。
私は居間に置かれた小さな棺おけをフタを何度も開けて、血の気の無い妹の顔を不思議そうに眺めておりました。
マダマダ子供ですから、死と言うものを理解していません。その頃どのように考えていたのかは今となっては定かではありませんが、「待っていれば、また動き出す」「魔法で生き返る」とでも思っていたのだと思います。

居間には父方と母方の祖母がコタツで寝ずの番をしています。
あまりに顔をのぞいている私に対して、父方の祖母は「仏さんが迷うから、そんなに顔を見に着ちゃダメだ。」と諭してくれました。
それに対して母方の祖母は「これが最後の別れなんだから、顔を忘れないようにシッカリと見て覚えておきな」と、私の行動を庇ってくれました。

一応、年齢の上では大人になっている今では、父方の祖母が言っていることも理解できますが、幼い私には父方の祖母が憎たらしく思えてしまいました。

仏法には「人を見て法を説け」と言う言葉があります。
前回書いた傷つく言葉にしても、これと同じことではないでしょうか?
遺族を励ます心算であっても、相手[遺族]の心理状態に合っていなければ傷つけてしまうのだと思います。
元同僚は家族の誰も気づかないうちに自宅の2階で寝ていた父親が死亡しており、その死亡に家族が気づいたのはお昼前だったということから、別の同僚が母親を亡くした時に「俺は父親の死に目に会えなかった。何度も危篤状態で会社を早退し、母親の死に目に会えただけでも恵まれている」と言って励ましていましたね。

失礼な人。そして有り難い人

2014-03-24 18:57:12 | 日記
プログの更新をサボっていた期間中に起きた事なのですが、人の性格と言うものは治らないものなんですね。

某日、勤務中に「だぁれだ~」と変んな内線電話が入りました。
どこかで聞いた声なんだけど・・・思い出せない。
なかなか名前が出てこないので、先方が名乗ってきましたが、前社長(親会社に戻って、現在は代表権付きの取締役)!

「元気でやっているか」と聞いてきたので、『はい、元気にやっております』と返答。
その次からが『あんた、何様なの!』と言いたくなるようなダメダメな会話[脚色している心算はありません]。
 「ご両親は未だ生きているのか?」
   ↓(未だ生きているのかって、どういう意味なの?)
 『1年前に相次いで死亡しました』
   ↓(親会社の人事には連絡しているけど、元部下の慶弔情報は見ていないの?)
 「そりゃ~よかったな」
   ↓(この人、まともな会話できるの?)
 『・・・(無言)』
   ↓
 「面倒な人間が居なくなったから、やっとまともに仕事に専念できる」
   ↓(アナタに下に付いた時から可笑しくなっただけです)
   ↓(母が急病でも信じなかったけど、今でも信じていないんですか?)
 『そうですね。天涯孤独になったので気兼ね無く徹夜も出来ます。』
 [以下、割愛]
まったく持って失礼な言動をする人は、人の不幸に対しても関係なく失礼極まりないのですね。もしかして、こんな人だからこそ、人事担当役員を経て、代表権付きの取締役(社長では有りません)になれたのかな?


そこで思い出すのが、8ヶ月ほど前に読んだ有る記事に載っていた「遺族が傷つく言葉」。
※リストは毎日新聞2013/7/28朝刊[http://mainichi.jp/shimen/news/20130728ddm041040063000c.html]よりコピペ。
※【】内は私のコメント

◇遺族が傷つく言葉
 (回答が多かった順)
(1)興味本位のせんさく
 「一緒に住んでいたのに(病気に)気づかなかったの?」
   【今でも、「何であの日は寝てしまったのだ」「どうして母屋に来た段階で異常に気づかなかったんだ」と言う気持ちがぶり返します】
 「がん家系なの?」
 「健康診断は受けていたの?」
(2)無理して頑張っていることに気づかない言葉
 「意外に元気ですね」
   【立ち止まっていますよ。でも、葬式や法事をしなければダメだと思うから皆さんをお呼びして明るく振舞っているんです】
 「もうそんなことができるくらいになった(悲しみが癒えた)のね」
   【1年ではマダマダ癒えていませんよ。今でも布団の中で「今すぐ、お迎えが来て欲しいな~」と思う事が多いです】
(3)価値観を押しつけるような言葉
 「もっと大変な人がほかにもいます」
   【これが一番役に立たない励ましでしたね。】
 「つらいのはあなただけじゃない」
   【自分だけだなんて思っていませんが、辛さは人それぞれなんです。】
(4)死別による「よい面」を強調する励まし
 「自由になったね」
   【心に大きな穴が開いてしまったので、本音を言えば何もする気にもなれません】
 「旅行にも行けますよ」
   【旅行には行っていませんが、「両親もここに連れてきたかった」「あの時は元気だった」と思ってしまいそうです】
(5)金銭面の質問
 「保険金はもらえた?」
 「遺族年金はいくらぐらい?」
   【勉強不足ですね。全員が全員もらえるわけではありません。】
 「生活費はどうしているの?」
   【だったら、生活費として使えるように「香典」置いていけよ】

このリストは、ガンで家族をなくした遺族の方が、回りからかけられたどんな言葉で傷ついたかを調べたものなので、私の場合には該当しない部分が多々ありますが、これらに近い言葉は確かに傷つきましたね。

逆に嬉しかったのは
 ・黙って肩を叩いて励ましてくれた。
 ・母の死後、ご近所のスーパーでやっと話す機会に恵まれた90歳になる顔馴染みのお婆さんが「あんたはよくやったよ」と泣いてくれた(ご自身も家族を全て失っており、更に子宮がんで入院していた)。
 ・食事がママならないのではないかと何度も食材を届けてくれり、休日には忙しいのに態々食事に誘いに来てくれる。
 ・何かにつけて墓参りに来てくれる。
こんなところですね。
  

今年も脳ドックを受けました。

2014-03-13 17:31:42 | 日記
前回の受診から1年経っておりませんが、今月の8日にメディカルスキャニングで「脳ドック」を受けて来ました。
綺麗なフロアー、丁寧な案内、事前問診、念を入れた本人確認・・・前回と同じく、どれも文句のないサービスですね。

で、その結果が郵便で届いたのが昨日(画像CDは受診当日に戴いております)。
郵便を確認したのが遅かったので、今朝の通勤時に電車の中で「ご報告書」を読んだ所・・・

『判定:特記すべき所見はありません。前回と変化ありません』

よかったです。

でも、こんな事も書かれております。
『 1)脳内には、脳出血、脳梗塞、脳腫瘍(脳の中にできるしこり)などの異常は見られませんでした。[略]トルコ鞍及び下垂体の変形が疑われます。[略]』

・「トルコ鞍」って何ですか?
・「下垂体」って、「脳下垂体」の事ですよね?
・どこまで変形が許されるの?

どなたか、専門知識をお持ちでしたら素人にもわかるように教えていただけないでしょうか?